167.ダンスの練習
「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー……痛っ!」
「すみません、クレア様!」
クレア様のおみ足を踏んでしまい、私は慌てて謝罪の言葉を口にした。
これで何回目だろう。
鬱々とした気持ちが拭えない。
「気にしないで、レイ。こういのは慣れですわ」
クレア様は明るく笑ってそう言ってくれた。
天使かな。
ここは学館にあるダンスホールである。
普段からダンスの講義に使われる場所だが、舞踏会に向けて放課後は学館生たちに開放されているのである。
だだっ広い空間にサクラ材の床、四方に鏡といった部屋である。
サクラ材というのは床に使われている木材のことで、名前とは裏腹に樺の木である。
狂いが少なく程よい堅さや粘り気があり、強いといった特徴があり、ダンスフロアの床材として最適なものである。
この場には他にラナやイヴ、そしてフィリーネがいる。
特にフィリーネはクレア様に教わる私を羨ましそうに見ている。
あなたダンスは帝王教育で完璧でしょうに。
「やっぱり私、舞踏会は壁の花になった方がいいかもしれませんね」
クレア様に教わってすらこのていたらくなのだ。
ダンスがあんまりにも難しくて、くじけそうである。
「何言ってますのよ。わたくしを一人にするつもり?」
「それは不本意ですが」
一緒に踊れないのはイヤだが、このままではクレア様のおみ足がぺたんこになってしまう。
「それならぜひ、私と踊りましょう、クレア!」
フィリーネがここぞとばかりに挙手をした。
しかし、
「レイと踊ってからなら承りますわ」
「……手強いですね、クレア」
「ご無礼は平に。ですが、わたくしのパートナーはやはりレイですから」
そう言って健気に笑うクレア様。
うん、天使だね。
「ねぇ、レイ。クレアを堕とすにはどうすればいいの?」
「クレア様の恋人に聞くことじゃないですよね」
どうして教えて貰えると思ったのか。
「何を言うのですか。クレアを堕とした人の言葉が一番参考になるでしょう?」
「合理的なんだかアホなんだかどっちかにしてくれませんか」
このお姫様、本来頭は悪くないはずなのだが、クレア様が絡むと途端にポンコツになるな。
「やっぱり胸かしら」
「クレア様はオッサンかなにかですか」
「でも、美しい胸は男女問わず魅力を感じるものですし……。あ、うん、胸はないですね。うん」
「今、私のどこ見て言いましたか?」
「えっ?」
「よし、表出ましょうか」
ケンカなら買うよ、冗談だけど。
「……最近あなたたち、わたくしを差し置いて仲良くすること多くありませんこと?」
クレア様がちょっと据わった目で私たちを見ていた。
「あれ、クレア様、ひょっとしてジェラりました?」
「ジェラってますわよ」
「あれ、素直ですね?」
「わたくしはレイが好きなんですから、別に嫉妬してることを隠したって仕方ないでしょう?」
ふふ、ちょっと嬉しい。
「……見せつけてくれますね」
「あ、申し訳ございませんわ、フィリーネ様」
「いいのです。レイだってクレアとそうなるまでに随分と時間をかけたのでしょう? 私も焦らずにじっくり攻めます」
「いえ、ですから、他を当たって頂きたいんですけど」
「きーこーえーなーい!」
耳を覆ってイヤイヤするフィリーネ。
最近、ポンコツ化が激しいぞ。
「でも、レイセンセ、練習始めたときよりもずっとよくなってるよ! この調子ならクレアセンセの足が潰れる前に、踊れるようになるんじゃない?」
からかうように言うのはラナである。
見渡せば、イヴも一人でダンスのステップを確認している。
「ラナは練習しないの?」
「え、アタシ? アタシは……ほら、そういうの出来ないから」
そう言ってラナは少し表情を曇らせながら笑った。
どういうことだろう、と尋ねる前にラナが続けた。
「踊れないけど、レイセンセのドレス姿見られるのは楽しみー!」
「踊らないつもりなの?」
「今のところはね。あ、でも、センセが教えてくれるなら踊るかもー?」
「ごめん、私は自分のことで手一杯かも」
「あは、見てれば分かるー!」
ラナはもういつもの彼女だった。
一瞬見せたあの雰囲気の陰りは一体何だったんだろう。
「イヴは全然問題なさそうだよねぇ。ダンスとか全然分かんないアタシでも、キレイに踊れてるって分かるしぃ」
「……ありがと」
一言だけラナに返事して、イヴは黙々とステップを踏み続けている。
ラナが言うとおり、その足取りにはよどみがない。
ダンスの経験があるんだろうか。
「イヴ、上手だね」
「……ふん」
相変わらずイヴには嫌われているらしい。
別にいいんだけど、やっぱり嫌われてるよりは好かれてる方が気持ちがいい。
この所、なんやかんやあって忙しかったから、結局イヴとは話せていないままなんだよね。
「ねえ、イヴ――」
「ほら、レイ。もう一度始めからやりますわよ」
「あ、はい」
クレア様に練習の再開を告げられ、私はまたイヴと話す機会を失ってしまった。
うーん。
「随分初歩のステップから練習してますけど、二人は王国ではダンスの経験なかったんですか? そんなわけないですよね? クレアは貴族だったわけですし」
「ええ、わたくしはダンスの経験は豊富ですわよ。でも、帝国のダンスは少し王国のそれとは違うんですのよ」
「具体的には同性同士で踊る場合の役割分担が違いますね」
「ああ、なるほど」
以前にも言った通り、帝国では同性婚が認められている。
そういうお国柄なので、自然とダンスにも同性用の役割分担が用意されているわけだ。
今、私たちが練習しているのは、女性同士で踊る場合のそれだ。
これはバウアーにはなかったものなので、最初から覚え直さなければならない。
「それにしては習熟度に随分差がありますね。クレアはもうすっかり馴染んでいるようですが、レイは初めて踊ったかのようです」
「クレア様は元々運動神経抜群ですし、ダンスの素養も私なんかとは比べものになりませんから」
「わたくしがそんな大したものとは思いませんけれど、レイはちょっとダンスは不得手ですわねぇ」
これも以前奉納舞の練習をした時に言ったと思うが、この身体はダンスが非常に苦手なのだ。
Revolution無印の主人公はダンスがとても苦手である、という設定のせいだと思うのだが、前世の私よりも身体が動かない。
その他はとても優秀な身体なので、文句は言えないが。
「そうなんですか……。でも、私はレイが羨ましいです。クレアみたいないいパートナーに教えて貰えるなんて」
「フィリーネ様だってきっと、優秀な先生に教えて貰ったのでは?」
「確かに優秀な方でしたが、とても厳しい先生でした。それに比べれば、クレアの教え方には愛があります」
「愛ですって、クレア様」
「込めてますわよ、たくさん。鞭もありますけれど」
クレア様に鞭、それは完璧な組み合わせではないだろうか。
断っておくが、私はマゾヒストではない。
……多分。
「でも、同性同士の踊り方が正式に認められているというのはいいですね」
「そうみたいですね。海外からいらっしゃる方はみなさんそう言います」
「バウアーだったら、かなり奇異の目で見られますものね」
革命の頃は帝国に対していいイメージが全くなかった私だが、こうして実際に現地に来てみると、悪いところばかりではないな、と思う。
ドロテーアにもそそのかされたが、帝国ならクレア様と結婚することも出来る。
「クレア様、私と結婚したいですか?」
「ぶ!? な、ななな何を言ってますの突然!? あ、ごめんあそばせ」
クレア様が初めてステップを間違えて私の足を踏んだ。
流石に唐突過ぎただろうか。
「いえ、帝国に籍を移せば、結婚も可能だなあと思いまして」
「レイはそういう形式のことにこだわる方でして?」
「いえ、違いますけど」
「なら別に今のままでいいですわ。法律上の関係がどうあれ、わたくしとレイはパートナーですもの。お互いがそう認識していて、親しい人たちもそれを認めてくれているのであれば、それでいいじゃないですの」
「仰る通りです」
よかった。
クレア様も私と同じ気持ちでいてくれるようだ。
「それに……」
「それに?」
「メイとアレアに約束したでしょう? 必ずあの家に帰る、と」
そうだった。
私たちはいってきますと言って出てきたのだ。
帰る場所がある以上、帝国に骨は埋められない。
「ありがとうございます、クレア様」
「どういたしまして。さあ、練習を続けますわよ」
ステップの練習を再開する。
先ほどよりも足が軽い気がした。
「……レイの言い方を真似するなら……リア充爆発しろ……です」
フィリーネの独り言は、もちろん聞かないフリをした。
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