161.説得
「よくぞ参ったな、レイ」
教皇との会談以来となる皇帝ドロテーアは、上機嫌に私を迎えてくれた。
ここは帝城の謁見の間である。
玉座に座るドロテーアは相変わらず甲冑を身につけ、二本の剣を差している。
鋭い眼差しは今は楽しげに細められ、ゆるゆるとこちらを見ていた。
「それで、今日は何だ? 余の麾下に加わりに来たか?」
「違います。帝国の食事事情について、改善を提案しに来たんですよ、陛下」
しつこい勧誘を否定して、私は用件を切り出した。
私が言うと、皇帝は露骨に顔を歪めた。
「なんだつまらん。そんなことか。そんなことは不要だ。食事など行軍に支障なければそれでよい」
「そうですか。じゃあそれは置いといて、こちらをどうぞ」
私は鞄からそれを取り出した。
一見すると、ビスケットのように見える。
「? なんだこれは?」
「戦闘に必要な栄養を詰め込んだ糧食です。どうぞ召し上がってみて下さいな」
糧食とはいわゆるミリメシ――兵士が食べる食料のことである。
「ふむ……糧食か」
「陛下、いけません。毒味をさせませんと」
「うるさいぞ、爺。こやつはそんな姑息な真似はせん」
「そういう問題ではありません! 御身にもしものことがあったらどうします!」
側近と思われる年配の男性が、口を酸っぱくして言う。
これは爺やさんが正しい。
国のトップにある者が、正体の分からないものをほいほい食べてはいけない。
「じゃあ、私が先に半分食べますよ」
「ふむ、そうしてくれるか。すまぬな」
「はい」
私はビスケットのようなそれを半分囓った。
口の中に甘味が広がる。
単純な砂糖の甘味だけではなく、ドライフルーツの甘味もある。
加えてバターが豊かなコクを醸し出している。
これは食堂のおばちゃんに頼んで作って貰った特製糧食ビスケットである。
基本的な作り方は帝国の正式なビスケットと変わらないが、砂糖やバターの量が増やされ、ドライフルーツを加えてある。
味わいのほか、カロリー面と栄養面の両方にも改善を加えた、新しい糧食の提案だ。
「ふむ、美味いな」
「こちらがレシピになります。こっちは材料費と人件費の計算です」
「……高いではないか。いくら美味くとも、これなら現状の方が良い」
難色を示すドロテーア。
やっぱり、ドロテーアは分かってない。
「そうでしょうか? 現行の携帯糧食と比べれば同じ重量で栄養価は四倍です。それに陛下も仰っていたように、味の面では格段にいいはずです」
「ほう……? つまり輸送費と士気高揚効果が上がるわけか。ふむ、それなら悪くない」
「これは一例です。もっと種類増やしますよ」
「ではレイ=テイラー。貴様が取り仕切れ。人員は好きなだけ使うがいい」
いや、それは困る。
そんなことしてたら、絶対なあなあの内に帝国に取り込まれてしまう。
「他国の者に軍の仕事させないでくださいよ」
「帝国は能力さえあれば出自を問わぬ」
「私が中毒性の高いのとか過剰摂取で体壊すの作ったらどうするんですか」
「作るヤツはそんなことを言わぬ」
「この忠告こそが油断させる罠かもしれないでしょう」
ドロテーアはどうも、気に入った相手に対して警戒感が足りない気がする。
自分に絶対の自信があるからだろう。
自分の目に狂いはないし、もし間違っても後から叩きのめせばいい。
そんな雑さが目につく。
いや、実際にこれまでそれで何とかしてきたのだろうから、一概に雑とも言えないのかも知れないが。
「ふむ……。貴様ならどう対処する?」
「いきなり実践投入しないで、一年くらいその食事を取らせて安全性を確かめてから正式に大量生産に入りますね」
「そんな悠長なことをしていたら、貴様の留学が終わるではないか」
「はい。ですのでフィリーネ様にでも仕事を振ってください。引継ぎはしておきますから」
「フィリーネか。出来ると思うか?」
「フィリーネ様は優秀な方ですよ。出来るに決まってます」
「ふむ……。やらせてみるか」
よし、余計な仕事回避成功。
とはいえ、話はここからだ。
「陛下、食事というのは、ただ量と栄養があればそれでいいものではありません」
「ほう?」
「帝国の公式料理が何と言われているかご存知ですか?」
「知らぬ。興味もない」
「毒殺されるのかと思った」
「……む?」
「ある外交官の言葉です。帝国の料理は、それほどに酷い状況なのです」
私の言葉に、ドロテーアは渋面になった。
「……続けよ」
「こんな酷い、食物への冒涜とも言えるような料理を公式料理にしている国は帝国だけです。帝国はこの料理だけで、既に大変な外交的機会損失をしています」
「そこまで酷いか?」
「酷いです。最低です」
私が断言すると、ドロテーアは唸った。
「ならばなんとする?」
「食事改革をします。幸いなことに、帝国には属国から豊富な食材が輸入されてきます。これを活かさない手はありませんよ」
「ふむ……」
ドロテーアは考え込んでいる。
もう一押し、というところか。
「陛下は合理を愛するのですよね?」
「然り」
「ならば、この国が抱えている深刻な非合理を正すべきです」
「それは何か」
「料理人にわざとまずい料理を作らせていること。料理人の腕を腐らせていることです」
「……それは重要なことか?」
「重要ですよ。食事は毎日のことですよ? 帝国の料理人が本気を出せば、今よりも遙かに豊かな食文化が華開くはずです」
「文化か……。余はその方面はよく分からぬのよな……」
合理を愛しすぎるのも考え物だ。
文化というものは余剰や無駄という側面と密接な関係がある。
昔、ある本にはこんなことが書いてあった。
無駄なものを全て切り捨ててしまったら、文化なんていうものは何も残らなくなってしまう、と。
「まあ、食文化の豊かさまでは踏み込まないにしても、帝国の公式料理を改善すれば、外交にプラスに働くのは間違いありません」
「ふむ。それは合理的だな」
「というわけなので、陛下のお墨付きを下さい」
「む?」
ドロテーアがよく分からない、という顔をした。
「よく分からんのだが、それは余の許可が必要なことか?」
「え? だって、陛下が贅沢な食事を禁じていたんでしょう?」
「余自身は贅をこらした食事を好まぬが、他人の食生活に口を出したつもりはない」
「ああ、そういうことですか」
これはあれだ。
周りの人がドロテーアに気を遣ってしまって、思いやりと察しとかそういうのが複雑に絡まり合った結果だ。
本人にそんなつもりは全くないのに、周りが忖度してしまうという悪しき例である。
「陛下はご自分が思っているよりも影響力がバカでかいので、もうちょっと言動に気を付けて下さい」
「ふむ、どうやらそのようだ。忠言、感謝する」
「そうして下さい。それと、陛下の発言として、今後は食事を自由に改善していいという発表をお願いします」
「必要か?」
「必要です。そうしないと陛下の呪縛が解けません」
「難儀よの」
人ごとみたいに。
「で、とりあえず頼まれたので、私が食事改革の陣頭指揮を執りますけれど、ご異存ありませんね?」
「構わぬ。存分にやるがいい」
「貸し一つ、ですよ」
「うむ、いいだろう」
よし、言質は取った。
「他に何かあるか?」
「ありません。帰って早速取りかかります」
「うむ。仕事が早い者を余は好む。……しかし、いかんな。ますます貴様が欲しくなった」
「私はクレア様のものですってば」
「クレアと一緒に帝国に籍を移せば良かろう? 帝国なら結婚も出来るが?」
「む」
正直それはちょっと魅力的ではある。
……なんて、そそのかされてどうする。
「形式なんてどうでもいいんですよ。クレア様と私は相思相愛なんですから」
「ふむ、残念だ。では以上だ。下がるがいい」
「失礼します」
私は拝謁を終えると、そのままバウアー寮に戻った。
さあ、帝国にお料理ブームを巻き起こすぞ!
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