160.ヒルダの依頼
「舞踏会に出す料理に……?」
「はい」
ヒルダはモノクルの位置を直しながら続けた。
「ご存知のことと思いますが、我が国の公式料理はあまり評判のいいものではありません。その改善に、ぜひあなたの力をお貸し願いたいのです」
面持ちも声色も怜悧なものだったが、その姿勢には真摯なものが見て取れた。
いや、それすらも演技である、と私は既に知っているのだが、それでも大したものだと思ってしまう演技力である。
「どうして私なんですか? 帝国国内の人間にだって、いくらでも適任者はいるでしょう」
それこそ学館の食堂のおばちゃんだって、問題意識を感じていたくらいだ。
料理に携わる当事者に任せた方がずっとスムーズに事が運ぶと思うのだが。
「いくつか理由はあります……が、立ち話もなんです。応接室に移動しましょう」
私はヒルダに連れられて場所を移動した。
連れられてきた応接室というのは、学館関係者が館外の人間を接待するために使う部屋のようだった。
それなりに調度に気が遣われており、華美さはないが落ち着いた雰囲気の内装である。
「で、レイにお願いする理由ですが、大きく分けて三つあります。まず、あなたご自身が料理に造詣が深いこと」
「私なんて大したことないですよ?」
私は料理は好きだが、得意だとは決して思っていない。
中世ヨーロッパに似たこの世界であっても、この世界のプロの料理人には遠く及ばない、というのが自己認識だ。
「ブルーメの知恵袋にしては、謙遜が過ぎると思いますよ?」
ヒルダが少し頬を緩めた。
どうやらその辺りのことは調べが付いているらしい。
「確かに私はブルーメにレシピを提供していますが、それだってレシピだけです。私自身の料理の腕は本職の方々には遠く及ばないです」
「実際に料理を作るのは本職に任せればいいんです。私が期待しているのは、あなたの発想力です」
「はあ……」
随分と買いかぶられたものである。
私は別に発想力があるわけではなくて、単に前世の知識があるだけなんだけどなあ。
「二点目はあなたのその社交性です。帝国外からやって来て数ヶ月もしないうちに、フィリーネ様を始めとする様々な人間とよしみを交わしたその能力を、私はとても買っています」
「それはどちらかというと、クレア様の功績だと思うのですが」
私自身にそれほど社交性はないと思っている。
人見知りする方ではないが、かといって自分から好んで友達の輪を広げたいタイプでもない。
クレア様はまさに社交的と言える人だし、実際、帝国に来てからの人脈のほとんどはクレア様が作ったものだと思っている。
「あなたとクレアは二人で一つみたいなものでしょう。あなたの協力を取り付けられれば、自然とクレアの協力も得られるのでは?」
「それは違いますよ。私は私、クレア様はクレア様です」
普段クレア様にべったりな私がこんなことを言っても説得力がないのかもしれないが、個人はやはり個人なのだ。
私にとってクレア様はかけがえのない人だし、クレア様もそう思っていて欲しいが、第三者にニコイチ扱いされるのははなはだ不本意である。
「失礼しました。では、後ほどクレアにも別個にお願いすることにしましょう。理由の最後にして最大のものは、あなたがドロテーア陛下に気に入られているということです」
「ああ、そういうことですか」
大体、話が見えてきた。
「あなたが聡明な方で助かりました。そうです。この問題の最大の障壁はドロテーア陛下なのです。陛下に問題意識がないことが、一番の問題なのです」
ヒルダは額に手を当てると、やれやれと首を振った。
帝国のオフィシャルな料理がいつまでたっても改善されないのは、トップであるドロテーアがその必要性を認識できていないせいだ。
とはいえ、彼女の性格を考えれば、説得はなかなかに難しいであろうことは容易に想像がつく。
その難題を、ドロテーアに妙に気に入られている私に押しつけようというのだ。
ヒルダってば腹黒い。
有能な官僚として名が通っているのには、こういうしたたかさが理由にあるのだろう。
「引き受けて頂けますか?」
ヒルダが例の優しく見える微笑みを浮かべて問うてきた。
演技と分かっていても、見惚れる美しさである。
「……」
私は少し考えた。
断るのは簡単だ。
元々これは完全に帝国の問題である。
私が引き受けなければならない理由はない。
しかし――。
「承ります」
私はイエスと返事をした。
「……意外です。あなたはクレアと違って生来のお人好しというわけではないと思っていました。こちらとしては助かりますが、引き受けて頂けるのには何か理由が?」
ずいぶんな言われようだが、正しいので何も言えない。
というかあれだ。
多分、ヒルダと私は似たような性格をしているのだろう。
「帝国に貸しを一つ作っておこうと思いまして」
「貸し、ですか」
「はい」
今のところ、帝国政府はクレア様の命を脅かすような行動に出ていない。
だが、それがこれからも続くとは限らない。
それにもう一つ、私には備えておきたいものがある。
「魔族、ですか?」
「人の思考を先回りするの、感じ悪いって言われません?」
少しヒルダに悪態をつくが、その通りである。
魔族領に近いこの帝国では、魔族の脅威が無視できない。
しかも魔族達はクレア様を名指しで狙っていたようなフシがある。
私たちが遭遇した三大魔公とやらは、みんな強大な力を有していた。
遭遇することはあまりないとリリィ様は言っていたが、事実として帝国に来てから立て続けに三人に襲われているのだ。
何の対策もしないというのは、愚か者のすることだろう。
「ふふ、やはりあなたは私が見込んだ通りの人だ」
「見込まれるようなこと、何もないですけれどね」
「いえいえ。皆は革命の英雄としてついついクレアにばかり目が行きがちですが、私が評価しているのはむしろあなたの方なのですよ、レイ=テイラー」
「はあ……。ありがとうございます」
これも多分演技だろう。
本音だとしても、私が(自分の出世のために役立つものとして)評価しているのは、といったカッコつきだろうなあ。
「一つ、うかがってもいいですか?」
「なんでしょう」
「野心って持て余しません?」
私の一言に、瞬間、ヒルダの顔から表情が消えた。
しかし、彼女は一瞬で立て直して、
「何のことでしょう?」
ととぼけて見せた。
流石である。
「いえ、ちょっとけん制してみただけです」
「そうですか。何のことかは分かりませんが、あなたへの興味はますます強くなりましたよ、レイ=テイラー」
「そうですか。光栄ですねはっはっは」
「ふふふ……」
何この狐と狸のだまし合い。
腹の探り合いと言ってもいいけど、とにかく疲れるなあ。
これって同族嫌悪ってやつなんだろうか。
「とにかく、引き受けて頂けるなら協力は惜しみませんので、何なりと仰って下さい」
「そうですか。それなら早速、お願いしたいことがあるんですが」
「なんでしょう」
先ほどまでよりも警戒の度合いが少し上がった様子で、ヒルダが私の言葉を待っている。
そんな彼女に私は言った。
「学館の食堂の職員さん、ちょっと借りていいですか? それとドロテーア陛下への謁見の許可を」
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