150.不倫(事故)
※クレア=フランソワ視点のお話です。
教皇様とレイが入れ替わって、数日が過ぎました。
レイの方はなんとか正体を隠して上手くやっているようですが、こちらはかなり苦戦しています。
時刻は夕方。
そろそろ警備の交替の時間です。
「レイセンセ、なんかここ数日妙に静かじゃなーい?」
警護の仕事を手伝ってくれているラナが、訝しむように言いました。
すぐ隣にいるイヴも同じように猜疑的な視線を向けてきます。
「そんなことないよ。いつも通り」
「そ、そうですわ。あれですわよ。きっと警護の仕事で少し疲れているせいですわ」
口調こそレイに似ているものの、教皇様の声には表情がありません。
わたくしは慌ててフォローをしました。
「そうですかぁー? なーんか変ですよぉー? っていうか、レイセンセってこんな風に表情筋死んでる人でしたっけー?」
わたくしが一番頭を抱えているのがそこです。
表情豊かなレイに比べて、教皇様は無表情が基本……というか、喜怒哀楽を表に出していることがほぼないのです。
これでは不審に思われるのも無理からぬことでしょう。
「じ、実はレイとわたくしは少し前からケンカをしていますの。それでレイは少し表情が堅いのですわ」
「あ、そうだったんですかー。レイセンセ、クレアセンセに飽きたら、アタシとイケナイ関係になりましょー?」
ラナがいつもの調子でレイ――教皇様ですが――をいじりだしました。
ひとまず窮地を脱した、と安堵したわたくしだったのですが、
「いけない関係、とはどのようなものですか?」
感情のない顔に純粋な疑問を浮かべた教皇様のその一言に、わたくしはまた頭を抱えたくなりました。
「えー!? なになに、レイセンセ? ひょっとして脈アリ? やっばーい、アタシチャンスじゃーん!」
「不潔……」
はしゃぎ出すラナと、吐き捨てるイヴ。
またややこしいことになりそうですわ。
「何を言っていますの。レイがわたくし以外の方とそんな関係になるわけありませんでしょ」
「えー、でもぉー、クレアセンセとレイセンセって今ケンカ中なんでしょぉー? だったらぁー、アタシ的にはこの機会を逃す手はないっていうかぁー?」
「……」
慌てるわたくしと調子に乗るラナに、温度ゼロの視線を向ける教皇様。
教皇様に事態解決を求めるのは酷ですわよね。
わたくしがなんとかしませんと。
「ケンカをしていたって、わたくしたちの深い愛情はなんら変わりませんわ。今は少しだけすれ違っているだけですわ」
「でもぉー、恋愛関係ってそういうちょっとした行き違いから破局しません? むしろ、恋人と上手く行っていない時こそ、つけこみ時っていうかぁー?」
「ラナ……。あなたこれまでどんな恋愛をしてきたんですのよ……」
別にラナの過去の恋愛遍歴を聞きたいわけではありません。
これは呆れているのです。
「そもそもあなた、どうしてレイに言い寄っていますの? レイに聞きましたけれど、あなた講義初日からそんな感じだったそうじゃありませんの」
一方でレイはラナとは面識がないとも言っていました。
どうして懐かれているのか分からない、とも。
「えー? だってぇー、レイセンセって可愛いしぃー、頭もいいしぃー、それに愛が重そうな所がサイコー!」
「まあ、それは認めますけれども」
レイは可愛い――ええ、その通りですわ。
頭もいい――異論の余地はありません。
愛が重い――全く以てその通りですわ。
「あと、レイセンセって心理的な不倫はゼッタイしなさそうだけど、肉体的な不倫は意外とコロッとしそうな気がするんですよねぇー」
「ば、バカを仰い!」
教皇様の耳に入れていい話題ではありません。
私は慌てて、ラナを咎めました。
「不倫には心理的なものと肉体的なものの二つがあるのですか?」
またも素朴な疑問に首を傾げている教皇様。
お願いですから、食いつかないで下さいな。
「そぉーですよぉー? 肉体関係を持っても心が裏切ってなければ、それは不倫じゃないんです!」
「そんなわけないでしょう! あんまりバカなこと言ってると燃やしますわよ!?」
「やーん、怖ぁーい!」
わざとらしい声を上げると、ラナは教皇様の背中に隠れました。
「レイセンセ、助けてぇー」
「クレア様、いくら相手がふざけていても、燃やすのはいけません。それは人道に反します」
「……冗談ですわよ。というか、そういうところはきっちりしていますのね」
なんだかわたくし一人が孤軍奮闘しているような気がしますわ。
レイ、あなたの存在の大きさを、わたくしは今ひしひしと感じています。
早く帰ってきて。
「アハ、やっぱりレイセンセ、アタシにも脈あるんじゃなーい? どう、センセ? 今夜一緒に食事しません?」
「いえ、家でメイとアレアが待っていますので」
「あーん、つれなーい。やっぱり子持ちってお堅ーい。そこが好きー!」
「もう、バカなことばかり言って……。ほら、交替ですわよ、レイ。ラナとイヴもごきげんよう」
「じゃまた、ラナ、イヴ」
「じゃあねー!」
「……さようなら」
二人を残して、私たちは帰路を急ぎました。
「クレアおかあさま、きょーこーさま、おかえりなさーい」
「おかえりなさいませー」
寮の自室へ戻ると、メイとアレアが出迎えてくれました。
ああ、この笑顔のために毎日頑張っているようなものですわ。
わたくしは二人をハグして頬に口づけを落としました。
メイとアレアには、レイが教皇様と入れ替わったことを話してあります。
元々隠すつもりもなかったのですが、会った初日にバレてしまったからです。
教皇様が何を話すでもなく、
「このひとだあれー?」
「レイおかあさまはー?」
と言われたのは、少しびっくりしましたわ。
レイのことになると割とぞんざいな扱いをしがちな娘二人ですが、ちゃんとレイのことを見て分かっているのですわね。
レイに教えたらきっと喜ぶことでしょう。
「おしょくじのよういはできてますわー」
「アレアすごいんだよ。レイおかあさまみたい」
「ありがとう、アレア」
「ありがとうございます」
教皇様と揃ってアレアにお礼を言いました。
情けないことなのですが、教皇様もわたくしも料理が出来ないのです。
教会から費用は貰っているので、使用人を雇うことも考えたのですが、アレアがそれなら自分が作る、と申し出てくれたのでした。
始めこそ任せて大丈夫かと不安だったわたくしですが、そんな心配は初日に出された食事で吹き飛びました。
食卓に並んだのは、わたくしでは到底無理な完璧な食事でした。
レイが料理を教え始めてからまだひと月足らず。
それでこの出来なのですから、アレアは本当に飲み込みの早い子です。
もちろん、メイも手伝ってくれているようです。
それから着替えと食事、それから入浴を済ませて、子どもたちの相手をしていると、すぐにいい時間になりました。
「メイ、アレア、そろそろおやすみなさいの時間ですわ」
「はーい!」
「はいですわ」
二人はおやすみなさいと言って子ども部屋に戻っていきました。
「いい子たちですね」
教皇様が言いました。
その顔はやはり表情を浮かべてはいませんでしたが、どこか柔らかい印象な気がします。
「自慢の娘たちですわ」
本当に、心の底からそう思います。
最初はわたくしなどが子どもを育てられるのかと不安もたくさんありましたが、今はもうそんなことは思いません。
わたくしは思い違いをしていたのです。
親が子どもを育てるのではありません、子どもが勝手に育っていくのを親が見守るのですわ。
親がこういう子どもに育てたい、と理想像を描いて子どもを育てるのではなく、子どもたち自身がどうなりたいかに寄り添ってその手助けをする。
子育てとはそういうものだとわたくしは思うようになりました。
もちろん、生命の危険から守るために最低限の躾は必要ですが。
「では、わたくしたちも休みましょうか」
「はい」
二人で寝室に向かい、ベッドに入ります。
レイと二人で使う予定の部屋だったので、ベッドは一つしかなく、やむを得ず教皇様と同じベッドで寝ています。
レイと同じ顔をした女性と同衾することには、最初僅かな戸惑いがありましたが、教皇様はすぐにおいたをするレイとは違ってあっという間に寝てしまうので、すぐに慣れることが出来ました。
「おやすみなさいませ、教皇様」
「おやすみなさい、クレア」
普段と違ったのは、その時。
唇に柔らかい感触。
わたくしはばっと飛び起きました。
「きょ、きょきょきょ教皇様!?」
「肉体的なものは……不倫にならない……のでしょう?」
眠たそうにそう言って、すうすうと寝息を立て始めました。
わたくし、大混乱。
ああ、レイ。
どうか許して頂戴。
思わぬ隠し事を抱える羽目になったわたくしは、今夜こそレイの夢が見られますようにと思いながら目をつぶるのでした。
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