148.入れ替わり
「先ほどは危ないところを助けて頂き、ありがとうございました」
帝都の精霊教会。
そこで私たちは教皇様と対面していた。
対面といっても既に御簾は下げられ、教皇様の顔は見えない。
クレア様と私は教皇様の前で膝を着いていた。
教皇様の御簾の周りには、一番近くにリーシェ様、ユー様、ミシャ、そしてリリィ様の姿もあり、他にも何人かの教会関係者が集まっていた。
襲撃の後のせいか、皆、一様に緊張した面持ちである。
そんな中、私たちに礼を言う教皇様の口調は、落ち着いていた――いや、それを通り越して機械的ですらあった。
抑揚が極端に乏しい、感情の全くこもらない声。
それでいて、聞く者に不快感を与えない、不思議な声色だった。
顔は私に似ているし声色もよく聞けば私にそっくりなのだが、受ける印象は全く別ものだった。
「御前を拝し、恐悦至極に存じます。此度の行幸にて警備を担当致します、クレア=フランソワと申します。職責を全う出来ましたことを、まずは安堵いたしますわ」
クレア様が挨拶をする。
私は礼をとったままだ。
「あなたの噂は聞いています。とても有能な方だと。今回、警備の中心となって頂いたのも、皆が口々にあなたを褒めるからです」
「恐縮です」
クレア様がかしこまった。
相変わらず、こういう公の場ではびっくりするくらい完璧なご令嬢である。
家でメイやアレアに泣かれておろおろしている人と同一人物とは到底思えない。
まあ、二人に泣かれたらおろおろしてしまうのは、私も同じなのだが。
「あなたの伴侶は、とても強いのですね。レイ=テイラーがいなければ、私は今こうしてここにいられなかったでしょう」
「お褒めの言葉、ありがとうございますわ」
クレア様に合わせて、私もまた深く頭を下げた。
「すでにリーシェ枢機卿から聞き及んでいると思いますが、私の命を狙う者がいるようです。不徳の致すところですが、まだ私は命を落とすわけにはいかないのです。どうかあなた方の力をお貸し下さい」
御簾の向こうで人影が軽く頭を下げる気配があった。
教会の関係者がざわめいた。
恐らく、異例のことなのだろう。
「もったいないお言葉ですわ。微力を尽くします」
「ありがとうございます。それでは例の件のお話がありますから、教会関係者はリーシェ、ユー両枢機卿、そしてリリィとミシャ以外は退出するように」
教皇様の言葉に、またも教会関係者がざわめいた。
「あなたたち、教皇様のお言葉が聞こえなかったのですか?」
浮き足だった彼らを、リーシェ様の怜悧な声が一喝する。
先日依頼を受けたときは随分柔らかい声を作っていたが、やはりリーシェ様はこういう感じの方が似合っているような気がする。
偏見かも知れないが。
リーシェ様に促されて、教会関係者が退出していく。
教皇様が指定した者たちを除いて全員がいなくなったのを確認してから、リーシェ様が口を開いた。
「それでは、今から教皇様とレイには入れ替わって頂きます。ミシャ、御簾を上げなさい」
「かしこまりました」
教皇様と私たちを遮る御簾が、するすると上げられていく。
そこには白い簡素な椅子に座る、小さな人影が一つ。
先ほども見た、教皇クラリス=レペテ三世である。
教皇様は白地に金色の刺繍が施された法衣を身に纏っている。
「教皇様。お着物を交換致しますので、恐れ入りますがご降座下さい」
「分かりました」
教皇様が表情を何一つ変えずに立ち上がった。
そのまま、しずしずとこちらへ歩いてくる。
こう言ったら手前味噌になってしまうのかもしれないが、教皇様は美人だった。
元となる顔の作りは私と同じはずなのに、醸し出す雰囲気が神秘的なのだ。
表情一つないそのかんばせは冷たい印象を与えそうなのに、ぎりぎりの線で神々しいという印象に変わっている。
教皇様ともなると、表情の作り方一つから気を配っているのかも知れない。
などと私が感慨にふけっていると、
べちゃ。
「……」
「……」
こけた。
教皇様が。
それも顔から思いっきり。
クレア様と私は何が起きたのかよく分からず、駆け寄って手を貸すことなんていう発想すら出来ずに、呆然とその様子を眺めてしまった。
「……」
教皇様は何事もなかったように起き上がると、また涼しい顔でしずしずと歩き始めた。
べちゃ。
そして数歩行った所でまた転んだ。
今度も顔から。
「教皇様!?」
今度はいち早く立ち直ったクレア様が駆け寄って、その身体を助け起こした。
教皇様は未だ無表情のまま、クレア様の手を借りて身体を起こした。
「申し訳ありません。私は運動が苦手なのです」
歩いてるだけでは?
普通、ただの歩行を運動とは言わないよね?
教皇様はよく見ると法衣を重たく引きずるように歩いている。
額に汗こそないが、相当苦労しているようだ。
しずしず歩いているというよりも、少しずつしか歩けないのだろう。
……教皇様って、ひょっとして筋金入りの運動オンチ?
何とか私たちの元まで歩き終えると、教皇様は深々と深呼吸をした。
一仕事やり終えたような感じを出しているが、距離にして十数メートルを歩いただけである。
「では、着替えを。ミシャ、リリィ」
「かしこまりました」
「は、はい」
リリィ様が駆け寄って、教皇様の重たそうな法衣を一枚一枚脱がしていく。
私の方も服を脱ぐと、ミシャから法衣を渡されて着付けて貰った。
あ、これ結構重たい。
装飾性を重視しているのか、関節の動きを阻害するような仕立てになっていて非常に動きづらい。
教皇様の運動オンチもあるだろうが、これは法衣のせいも絶対ある。
「こちらをお召し下さい、教皇様」
まさか私が脱いだ服をそのまま教皇様に着せるわけにはいかないので、クレア様が家から持って来た洗い立ての服を教皇様に手渡した。
「これは、どのように着ればいいのですか?」
教皇様は不思議なものを眺めるような表情で、かくりと首を傾げた。
「り、リリィがお召し替えをさせて頂きます」
「いえ、リリィ。これから先は教皇様もレイとしてしばらく生活しなければなりません。着替え方を教えて差し上げなさい」
「お願いします、リリィ」
「は、はい」
教皇様は温室栽培なのか、どうも色々と世間知らずな部分があるらしい。
運動オンチなのも、フォークより重たいものを持ったことがないからではないか、などと私は邪推した。
幸いなことに、教皇様は物覚えのいい方で、普段着の着方はすぐに覚えてくれた。
興味深そうに手足を動かしている教皇様は、ちょっと可愛かった。
これも自画自賛になるのかな。
「軽いですね。とても動きやすい服です。少し寒いですが」
「寒いようでしたら、こちらの上着もお召し下さいな」
「クレア、これから私はレイとして過ごすのですから、口調も改めて頂かなくては」
「あ……、そ、そうですわね……。じゃあ、これを着なさい、レイ」
「はい、クレア様」
そう言って、クレア様から受け取った上着に袖を通す教皇様。
私は普段からクレア様に敬語を使っているので、教皇様も口調の上ではそれほど違和感はないはずだ。
「じゃあレイ……じゃなかった、教皇様もこれから話し方や立ち居振る舞いにはお気をつけ下さい」
ミシャが釘を刺してくる。
これ、ひょっとして思ったよりも面倒なんじゃないの、と私は今更ながらに後悔を覚えるのだった。
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