143.教皇暗殺の噂
第十一章「教皇暗殺編」をお届けいたします。
第十章までの内容をお忘れの方向けに、第十一章直前までの要約もございますので、必要に応じてご利用ください。
どうぞよろしくお願い致します。
「サーラスが……?」
あの陰険元宰相が脱獄……。
だからアイツに恩赦なんて絶対ろくな事にならないって言ったのに。
これはまた厄介ごとが起きる予感だ。
「でも、どうやって脱獄しましたの? サーラスは普通の囚人とは別に監視が特別厳しい牢獄に収監されていたとうかがっていますけれど」
「その辺りのことは、事情に詳しい人が説明してくれることになっている。放課後に寮の広間で会おう」
「分かりましたわ」
ユー様はそこまで言うと自分のクラスへと戻っていった。
「クレア様……」
「ええ、嫌な予感がしますわね」
クレア様と私は苦い顔で頷き合うのだった。
◆◇◆◇◆
「やあ、クレア、レイ、久しぶりだね!」
「お父様!?」
「ドル様……」
放課後の寮の大広間。
そこに現れた事情に詳しい人物とは、我が義父であるドル=フランソワ様だった。
「メイとアレアはどこかね? それはもう大きくなったんだろうね」
「二人はわたくしたちの部屋ですわ。それに、バウアーを離れてから、まだ二ヶ月も経っていませんわよ」
「何を言う。一ヶ月もあれば子どもというものは見違えるように成長するものだ。クレアだって幼い頃は――」
ドル様が爺馬鹿・親馬鹿ぶりを発揮しようとすると、
「ドル、申し訳ないが、先に事情の説明をしておくれ。私たちは状況が全く分からないんだ」
ユー様がやんわりとドル様を遮って言った。
「おっと、これは失礼しましたな。なにぶん、クレアも孫たちも可愛すぎて――」
「その話はいいですから、早く本題に入って下さいな」
「せっかちだなあ、クレア。そういう所は本当にミリア似だ」
ミリアというのは、クレア様の亡くなったお母様の名前だ。
名残惜しそうに言った後、ドル様はコホンと咳払いして表情を改めた。
「先月中旬、王宮の特別監獄に収監されていたサーラス=リリウムが姿を消しました。脱獄したものと思われます」
サーラスが消えたのは、私たちがバウアーを離れてからほどなくのことだったそうだ。
特別監獄というのは、ユー様の性別暴露事件の後、しばらくの間私が入れられていたあの牢屋のことである。
一般の囚人とは異なる扱いが必要な囚人を収監する牢屋で、見張りも一般のそれよりも厳しい。
「脱獄の手口は不明ですが、王宮に影響力のある誰かが手引きしたものと思われます。今のところ一番怪しいのは……」
そこでドル様は少し言いよどんでユー様の方を見た。
「お母様だね」
ユー様は察したように溜め息をついた。
ドル様が頷く。
「はい。残念ですが、リーシェ様が一番の容疑者です。リーシェ様はサーラスのことを……その、随分買っていましたから」
ここでもドル様は言葉を濁した。
「ずばり言っていいんだよ、ドル。母様はサーラスに恋をしていた。サーラスが収監されてからも、頻繁に面会をしていたと聞くからね」
サーラスのどこがそんなにいいのだか私にはさっぱり分からないのだが、ヤツは本当にモテる。
セイン陛下の母上であるルル様もサーラスと不倫関係にあったし、リーシェ様もヤツに横恋慕していたのだ。
故ロセイユ陛下は賢王として優秀な方だったが、女性を引きつける魅力には乏しかったようだ。
私はサーラスなんぞよりもロセイユ様の方が百倍は好きだったが。
だって、サーラスのいいところなんて顔だけじゃない?
「まだ、そうと決まったわけではありません。飽くまで容疑があるというだけです。ただ、リーシェ様はこのところ不穏な動きをなさっていますから、警戒はしなければなりません」
「お父様、不穏な動き、とは?」
クレア様が問う。
「リーシェ様が皇太后位を返上したのは知っているね?」
「ええ、今は教会に戻られて、元の枢機卿になっていらっしゃいましたわね」
忘れている方もいると思うので確認しておくと、リーシェ様は精霊教会の元枢機卿で、ロセイユ陛下とは王宮が教会勢力を取り込むための政略結婚だったのである。
ロセイユ陛下が亡くなった後、リーシェ様はしばらくの間は皇太后となっていたが、程なくその地位を辞して精霊教会に戻り、今は枢機卿として活動している。
地位的にはユー様と同列であるが、元皇太后ということで、精霊教会において実質的には教皇に次ぐ有力者と見ていいだろう。
「リーシェ様は枢機卿になって以後、政治的な動きを活発化しておられます。具体的には、教会内での地位の確立と現教皇派の切り崩しです」
「それはつまり……そういうことですの?」
クレア様がユー様のことを気遣わしげに見やった。
ドル様も沈痛な面持ちで頷いている。
「そういうことってどういうことですか?」
私はさっぱり分からなかったので、クレア様に尋ねた。
「リーシェ様はまだユー様のことを諦めていらっしゃらないんですわ、きっと。バウアーの国王にすることは諦めて、今度はユー様を次期教皇にしようとしているんですわ」
ああ、そういうことか。
王宮の建前はどうあれ、ユー様が今女性であることはもう民も知るところとなっている。
セイン陛下は国内外から高い評価を受けているし、現状、ユー様に王位の目はほぼない。
だが、ユー様は今精霊教会内でその地位を高めつつある。
教会内に残っていたリーシェ様の派閥の後押しもあって枢機卿にまでなった。
以前も話した通り、精霊教会は女性を厚遇する文化があるから、ユー様の性別もプラスに働く。
次期教皇の最有力候補だったリリィ様も失脚しているし、まさに狙い目というわけだ。
「でも、現教皇様って確かまだお若かったですよね? そんなにすぐ代替わりすることはないのでは?」
「それについても良くない噂があるのだよ、レイ」
ドル様が眉をひそめながら言った。
「良くない噂、ですか?」
「……飽くまで噂、だが。教皇様を亡き者にしようと画策している者たちがいるらしい」
「!」
教皇様の暗殺とは、また穏やかではない。
「レイも知っているだろう? 来月、ナー帝国に教皇様が行幸される。暗殺にはうってつけの状況だ」
ドル様は苦虫を噛み潰したような顔で、嘆かわしいとばかりに頭を振った。
「そこまで分かっているなら、リーシェ様を捕まえたらどうなんです?」
私は素朴な疑問をぶつけてみた。
「それは無理ですわよ。相手は精霊教会の枢機卿。しかも元皇太后ですわよ? そう簡単に手を出せる相手ではありませんわ」
「しかもリーシェ様は頭が回る方だ。自ら手を汚すようなことは一切していないだろう。決定的な証拠も、今のところ何一つない」
逮捕できるものならとっくにしている、というわけだ。
この辺りの身の振り方は、ドル様自身が貴族時代にしていたことでもあるから、そういった相手を捕まえることの難しさは、ドル様自身が一番よく分かるのだろう。
「それに、先ほども言ったが、リーシェ様が黒幕とまだ決まったわけではないんだ」
「これだけ真っ黒なのにですか?」
「リーシェ様は今回の行幸の警備責任者を買って出たのだよ。彼女が黒幕なら、わざわざそんなことを引き受ける必要はないんだ」
なるほど。
もし今回の行幸で教皇様に何かあれば、その咎は警備責任者であるリーシェ様に及ぶことになる。
そんなリスクをわざわざ負う必要がない、というわけだ。
「形だけ、あるいは教皇様を狙いやすくするためでは? 警備責任者なら、誰よりも教皇様の警備の穴について詳しくなれるでしょうし」
「もちろん、その可能性もある。だが、リーシェ様は責任だけは自分が負って、実質的な警備は他の者に任せたい、とも言っている。具体的には――」
そこでドル様は何故か私の方を見た。
私は猛烈に嫌な予感がした。
「具体的には……レイ、キミに警備の大切な役割を任せたいと仰っている」
なんでやねん。
私は心の中で即ツッコミを入れずにはいられなかった。
またまた厄介ごとの気配である。
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