135.皇女の悩み
「フィリーネ様、ちょっとお話でも――」
「す、すみません! 私ちょっと急ぎますので!」
親交を温めようと声を掛けたクレア様を尻目に、フィリーネは足早に逃げて行ってしまった。
「これで何回目かしら……。フィリーネ、本当に私に興味なんて持っていますの?」
「それは間違いないはずなんですが……困りましたね……」
フィリーネからの好感度が一番高い相手がクレア様と分かったその翌日から、私たちは頻繁に彼女にモーションを掛けていた。
ところが、フィリーネは逃げてばかりで一向に捕まらない。
こちらとしては、早めにクレア様への恐怖心を取り除いて上げたいのだが。
クレア様は渡さないけどね。
「何かいい方法はないかしら……」
「そうですねぇ……」
クレア様と私が顔を見合わせていると、
「Hey、クレア、レイ! 浮かない顔をしてどうシマシタ? 可愛い顔が台無しデース!」
うるさいのが来た。
「ああ、フリーダですの。いえね、フィリーネ様と仲良くなるには、どうしたらいいかと思っていたんですの」
「Oh? クレアはフィリーネにラブデスカ? レイとは破局シマシタカ?」
「してるわけないでしょう殴りますよ」
「お、Oh……?」
あ、思わず本音が。
「失礼、ちょっと品のない言葉を使いました」
「Oh、イエス、何やら凄い罵倒を受けた気がシマスガ、気にしないことにシマース」
フリーダが単純で良かった。
もっとも、表向きだけだろうけど。
「冗談はともかくとシテ、二人はフィリーネと仲良くしたいデスカ? それならいい方法がありマース」
「どんな方法ですの?」
「良かったら教えてください」
今は藁にもすがりたい状況だ。
「簡単デース。食べ物で釣るのデス」
◆◇◆◇◆
「フィリーネ様、ちょっとよろしくて?」
「す、すみません。私ちょっと今日も用事が……」
放課後、またクレア様を振り切って帰ってしまおうとするフィリーネに対し、私は鞄からそれを取り出して言った。
「まあ、ちょっと待ってください。これ良かったら召し上がりません?」
「?」
フィリーネが足を止めた。
その視線が私の手元で止まる。
「そ、それは……ブルーメの!」
「はい、チョコレートです」
私が取り出したのは、バウアーから持って来たチョコレートである。
ブルーメはまだバウアーとアパラチアにしか店を出しておらず、帝国にはまだ支店がない。
しかし、フィリーネも皇女様である。
流行り物の情報には敏感なのだろう。
やはりチョコレートのことを知っているようだった。
「そ、それを頂けるんですか?」
「ええ、ちょっとお茶しませんこと?」
「夕方のこの時間なら食堂も空いていると思います。お付き合い頂けますか?」
「えっと……でも……」
フィリーネは逡巡している。
もう一押しかな。
「ついでにこんなものもあります」
私は鞄からさらにもう一つを取り出した。
「それは……?」
「ブルーメが先月発表した新作菓子です。落雁といいます」
「ラクガン?」
王国を立つ際に最新のレシピとしてブルーメに提供したのが、この落雁である。
落雁は日本の伝統的な菓子で、修学旅行のお土産などで見かけたことがある人もいるのではないだろうか。
様々な色や形がある甘い干菓子――つまり和菓子なのだが、こういうお菓子はあまり帝国では見られない。
材料や作り方は意外とシンプルである。
まず材料は粉糖、米粉、水に食紅。
粉糖は市販の砂糖をすり鉢で潰して作った。
米粉はバウアーでお米が流通していたため、これも何とかなった。
問題は食紅だったが、これはココアパウダーやお茶の葉をすり潰したもので代用する。
作り方は、粉糖と食紅の粉を混ぜ合わせ、そこにほんの少し水を加えて馴染ませる。
次に米粉を加えてさらに混ぜ合わせ、一旦ザルを通してふるう。
この間、手間取ると固まり始めてしまうので、出来るだけ手早く。
ふるった粉を木で作った型に入れて押し込める。
型から外したら一晩乾燥させて完成だ。
食紅の色と木型さえ変えれば無数にバリエーションが作れるので、見た目にも楽しいお菓子である。
フィリーネは興味深そうに落雁を見つめた。
「ね、フィリーネ様。少しだけお話しするだけですから」
「わ、分かりました……」
フィリーネ、げっとだぜ。
◆◇◆◇◆
「はあ~~~あまぁ~~~い……」
とろけるような声を出しているのは、チョコレートを食べたフィリーネである。
ブルーメで売っているチョコレートには、糖分控えめのものもあったのだが、これにして正解だった。
フィリーネが食べたのは砂糖をたっぷり使った甘々のチョコである。
「この落雁も美味しい……。上品な甘さですね……」
ウケるかどうか一抹の不安があった落雁だが、どうやら好評のようである。
私は胸をなで下ろした。
「お気に召しまして、フィリーネ様?」
「ええ、とても! こんなに美味しいお菓子がこの世に存在していたなんて……」
感動で目をキラキラさせているフィリーネ様である。
フリーダに言われて思い出したのだが、フィリーネは食いしん坊なのである。
特に甘い物に目がなく、それがもとで色々とトラブルを起こしたりもするのだが、それはまあ追い追い。
皇女なのだから、その辺りは不自由していないだろうと思われるかも知れないが、ドロテーアが甘い物をあまり好きではなく、娘のフィリーネもあまり甘味を口にする機会がないのである。
まさか甘い物が突破口になろうとは思っていなかったので、今回ばかりはフリーダに感謝しなければならない。
「ふふ、良かったですわ。フィリーネ様も甘い物がお好きですのね。わたくしもチョコレートには目がありませんわ」
「クレアも? そうですよね、甘い物は正義ですよね!」
「ええ」
クレア様、初めてフィリーネとまともに会話することに成功である。
「こうしてお話し出来て良かったですわ。どうもわたくし、フィリーネ様に怖がられていたようですから」
「そ、そんなことは……!」
「ありませんの?」
「……ごめんなさい、ちょっと怖がっていました」
フィリーネは素直に認めた。
「いえ、よくあることですわ。どうもわたくし、誤解を受けやすいみたいですの」
「誤解というか、マジギレモードのクレア様は普通に怖いと思いますよ?」
「レイはちょっと黙ってなさい」
はあい。
「本当は私もクレアとお話ししたかったんです。クレアはどこかお母様に似ているので……」
「ドロテーア陛下に?」
フィリーネの言葉にクレア様が首を傾げた。
確かにドロテーアとクレア様には共通する所はある。
しっかりと自分を持っているところや、傍若無人なところ、他には苛烈な性格なども似ているだろう。
ただ、私に言わせれば、ドロテーアよりもクレア様の方がずっと大人だ。
他人に対する敬意や、高い志、自分を律する高潔さなどは、ドロテーアにはないものだ。
何が言いたいかというと、クレア様は尊いということである。
「ドロテーア陛下と比べられるとは光栄ですわね。そういうフィリーネ様は、ドロテーア陛下とはあまり似ていませんわね」
「……よく言われます」
たはは、とフィリーネが力なく笑った。
「私はお母様のようにはとてもなれません。私は兄弟の中でも落ちこぼれですし」
「フィリーネ様……」
自嘲するフィリーネを、クレア様が痛ましそうに見つめた。
「クレア、どうしたらあなたのようになれますか? 私、もっと自分に自信が持てるようになりたいです」
思い切ったように言うフィリーネの顔には、すがるような色があった。
クレア様はフィリーネ様の言葉を受けて少し考え込むと、厳かに口を開いた。
「そうですわね……。難しいことですけれど、わたくしは小さな成功体験の積み重ねだと思いますわ」
「小さな成功体験?」
「ええ。とりあえず、好きなことや得意なことを何でもいいのでやってみるんですの。最初は失敗もするでしょうけれど、でもいずれ何らかの結果を残すことが出来ますわ」
「……なるほど」
「それは小さな結果で構いませんの。一つ結果を残したら、また失敗を繰り返しつつ次へ。それを繰り返しているうちに、いつのまにか少しずつ自信というものが積み重なって行くのだと思いますわ」
「……」
フィリーネはクレア様の言葉を噛みしめている。
それを観察しつつ、クレア様は続けた。
「始めから自信を持っている人なんていませんし、最初から大きな自信を持つこともきっと不可能ですわ。もし持てたとしても、それはただの勘違いでしょう」
「……確かに……」
ふんふん、とフィリーネは頷いている。
「失敗を恐れずに、とにかくまず踏み出してみる。飛び込んでみる。話はそれからだと思いますわ」
「……分かるような気がします」
フィリーネは一つ大きく頷いて、
「私は気が小さいんです。でも、それを言いわけにして、何もせずにいました。何もせずにいては、自信なんていつまでたってもつかないですよね」
「そうですわね」
「……とても貴重なお話でした。ありがとう、クレア」
「いえ、お役に立てたのなら、幸いですわ」
フィリーネが手を差し出してきた。
クレア様はその手をしっかりと握った。
「また、お話しさせて貰えますか?」
「ええ、もちろん。お友だちになりましょう、フィリーネ様」
「はい!」
こうして、私たちはフィリーネと縁を結ぶことが出来たのである。
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