129.皇帝ドロテーア
謁見の間。
その奥の玉座に、その人物は深々と腰掛けていた。
深紅の長髪に燃える炎のような赤い瞳。
漆黒の甲冑に身を包み、上からやはり黒いマントを羽織り、腰には剣を二本帯びている。
肘掛けに気だるげに肘をつき、頬を預けてこちらにゆるく視線を向けていた。
「遠路はるばるご苦労。余がナー帝国皇帝、ドロテーア=ナーである」
女性にしては低いアルトが響いた。
口調は男性のようだし声もハスキーだが、間違いなく女性のそれである。
ただ、そこに含まれているのは絶妙な威厳。
聞く者を無条件で従わせるような、そんな不思議な声だった。
「お初にお目に掛かります。バウアー王国留学団代表、ユー=バウアーでございます。この度は――」
「よい。つまらん外交儀礼にのっとった形式だけの挨拶など、余はいらぬ。時間の無駄である」
本性に二、三枚猫を被ったユー様が挨拶しようとすると、ドロテーアが鬱陶しそうに手を払ってそれを遮った。
意表を突かれたのか、ユー様が口ごもった。
その間隙を縫うようにして、ドロテーアが続けた。
「帝都を見ただろう。感想を述べよ」
「素晴らしい都です。人々には活気があり――」
「世辞もいらぬ。時間の無駄だ。二度も言わせるな、ユー=バウアー。次は許さぬ」
ドロテーアは頬をついている右手とは逆の手の指で、とんとんと苛立たしげに玉座を叩いている。
「お前ではらちがあかぬな。貴様が答えよ、レイ=テイラー」
「は?」
「呆けるでない。帝都の感想を述べよと言っている」
突然の指名に私は少し動揺したが、何も言わないわけにもいかないので、思ったことを口にする。
「陛下は世辞と仰いましたが、来たばかりの都にそんなに感慨はありませんよ。賑わってるなーとかそんなもんです」
「レイ!」
レボリリの知識を元にドロテーアの性格に合わせた回答を試みたのだが、クレア様に叱責された。
「余の都はそなたらを驚かせるには足りなかったと?」
「バウアーだってそれなりに活気のある都ですからね」
「人種のるつぼのような光景はどうだ。バウアーでは見られまい」
「ああ、それは確かに。能力主義って本当だったんですね。あれはちょっと面白いと思いました」
一国の主との会話とは思えないほどぞんざいな調子で喋る私に、クレア様がハラハラした視線を向けている。
でも多分、これで正解のはずだ。
「ふむ……。あの程度では驚かぬか。存外、バウアーもやるようだ。評価を改めねばならんな」
「一番驚いたのは陛下が国民から愛されていることですね。もっと恐れられていると思いました」
「恐怖で支配するのも一つの合理ではあるが、敬愛には及ばぬ。余は合理を愛する」
「ええ、実に上手いやり方だと思います。ところで陛下は洗脳系の魔法を使われますか?」
「レイ!?」
「ちょっと、あなた」
私の発言に、今度はユー様やミシャまでもが目を剥いた。
流石に率直すぎただろうか。
ドロテーアの反応をうかがっていると、
「ふ……、ふふ……」
ドロテーアは顔を伏せ、肩を震わせた。
「ふははは! レイ=テイラー、貴様、余の性格を知り尽くしておるな。噂通りの不思議っぷりよ」
「はあ」
「洗脳か。それを疑っているから、宗教屋の骨董品などを持ち出してきおったのか。用心深いヤツよ」
ドロテーアが揶揄するように言った。
ユー様が驚きに目を見開く。
知っているのだ。
ドロテーアは月の涙の正体を知っている。
ユー様は慌てて頭を下げた。
「これは……大変なご無礼を……」
「よい。当然と言えば当然の備えよな。だが、どうだ? 余の眼前を拝して、何かおかしな作為を感じるか?」
「いえ、特には。クレア様、どうです? ドロテーア陛下ラブとかになってます?」
「レイ!!」
「よいよい。どうなのだ、クレア=フランソワ。そなたの思い人はああ申しておるぞ? 余に魅了されたか?」
ドロテーアはむしろ先ほどまでよりも楽しげに、クレア様に問うた。
この女帝はクレア様と私の仲のことまで知っているらしい。
「陛下は興味深いお方と思いますが、作為的に魅了されたとは思いません」
「そうですよね。クレア様は私とラブラブですもんね」
「レイ!」
「ふははは! そうかそうか。余など目に入らぬか。これは少し悔しいものがあるな」
ドロテーアが立ち上がった。
そのままマントを翻してこちらに歩いてくると、私とクレア様の前で止まった。
間近で見るドロテーアは、迫力と怖さを感じる美貌だった。
三十代後半と聞いているが、どう見ても二十代半ばくらいにしか見えない。
「やはりバウアーの革命の核は貴様らか」
ドロテーアは不敵に笑いながらそう問うてきた。
「いいえ、陛下。革命は民の力によるもの。わたくしやレイなどという個人の力だけでは、到底なしえなかったことですわ」
「謙遜は好かぬ。余は貴様らを高く評価している。何年も掛けて余が用意した策のことごとくを、貴様らに打ち砕かれたのだからな」
今、この場でその話をするのか。
和平交渉の第一歩となるはずのこの場で、先の革命における自らの謀略を。
「貴様ら、このまま余のものとならんか?」
「……は?」
「二度言わせるな。余の臣民となって仕えるつもりはないかと問うておる。貴様らなら、我が麾下に加えるに何の不足もない。相応の対価も保証しよう。どうか?」
クレア様が面食らっている。
そりゃそうだろう。
まずはちょっとご挨拶、くらいの気持ちで来たら、うちに来いってリクルートされてるんだから。
「お戯れを……」
「クレア様は私のものなんで、横恋慕はやめてくれますかね」
「れ、レイ!」
「くっくっく……、本当に貴様は噂どおりの道化っぷりだな、レイ=テイラー。許す。もっと余を楽しませよ」
「別に私は陛下を楽しませるためにここにいるわけじゃないんですが」
私が言うと、ドロテーアはぽんと手を打ち、
「おお、そうであったな。これは余がバウアーを手に入れるための懐柔政策の一環であった」
「本音をダダ漏れさせないで下さい。交換留学生のご挨拶ですよ、陛下」
「ああ、そういえばそんな話であったな。許せ、つまらん建前は覚えている価値を見いだせんでな」
大丈夫なのかこの皇帝。
あ、側近らしき人が頭を抱えてる。
「陛下!」
「黙れ爺。小言は後だ」
ドル様よりも年上に見える、老齢の側近がぴしゃりと言われて口をつぐんだ。
いや、あれは苦言を呈して当然だと思うけどなあ。
苦労してそうだ。
「まあ、挨拶ならこれくらいでよかろう。貴様らから何かあるか?」
「貴国を訪問するに当たっての土産物がございます。どうぞお受け取り下さい」
ユー様が台本に戻ったセリフを口にする。
ドロテーアはつまらなさそうにひらひらと手を振って、
「そんなもの適当に置いていけ。余の国からも適当に何か返礼を送っておく。他には?」
「私からは特には――」
「一つ、よろしいでしょうか?」
謁見を終わろうとするユー様の言葉に先んじて、クレア様が口を開いた。
「陛下は他国侵略をおやめになるつもりはないのですか?」
「クレア!?」
ユー様が慌てた。
大抵のことには動じない私でも、クレア様のこの発言には少し驚いた。
それほどに、クレア様の問いはストレート過ぎた。
「ふん……。思い切ったことを口にしたな、クレア=フランソワ」
「ご無礼は平にご容赦を。いかがですの?」
流石にこれはうかつに口に出来ないと思ったのか、皇帝も少し考える様子を見せた。
「侵略、か。貴様らにはそう見えるのか」
「違うと仰るんですの?」
「いや、違わんな。余の真意はどうあれ、貴様らからすればそうなるのだろう。道理である」
「真意とは?」
「それはまだ話せぬ。余の麾下に加わるなら話してやろう」
「では、この話はここまでですわね」
ドロテーアとて、この場で私たちを引き抜けると本気で思っているわけではないだろう。
この話はここまで、ということだ。
「そうか、残念だ」
心なしかしょぼんとした様子のドロテーア。
演技だよね?
「他にあるか?」
「ございません」
ユー様が答え、今度は誰からも異論は上がらなかった。
「うむ。では謁見はここまでとする。余の国を堪能せよ。下がれ」
ドロテーアとの初めての謁見は、こうして終わったのである。
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