126.帰る場所
「……ということがありましたとさ」
「誰に言ってますの、レイ?」
「あ、失礼しました。独り言です」
時間は再び、クレア様が手料理を振る舞ってくれた時点に戻る。
「できる限りの準備はしました。後は頑張るだけです」
「そうですわね。色々と予想外のこともありましたが、まあ、なんとかなるでしょう……いえ、なんとかして見せますわ」
「その意気です、クレア様。かっこいい!」
「からかわないでちょうだい」
などと言いつつも、満更でもない様子のクレア様。
ちょろい。
準備には色々なことをした。
例えば、馴染みの商人さん――以前にもお世話になったハンスさんだ――から帝国の情報を流して貰ったりした。
この世界がゲームの世界であることはほぼ確信しているが、帝国の状態までレボリリに忠実かどうかは疑念の余地があったからだ。
私一人で行くならここまではしなかったと思うが、何しろクレア様やメイやアレアも一緒なのだ。
用心するに越したことはない。
ハンスさんの他にも、ロッド様やドル様にも協力を仰いで、私はできる限り丁寧に帝国の現状を精査した。
その結果、全ての要素が検証出来たわけではないが、帝国はほぼ私の知っているものである、と結論づけられた。
これで安心……は出来ないが、いくらかは落ち着いた気持ちで帝国に行くことが出来る。
「それでレイ、結局、留学団はどれくらいの人数になりましたの? わたくしがレボリリの勉強に明け暮れてる間、その辺りのことは全て任せてしまいましたけれど」
「ああ、決まりましたよ。大体五十人という感じですね」
こちらの目玉はマットも言っていたようにユー様である。
ユー様は元王位継承者、現精霊教会枢機卿だ。
人質交換の意味合いもあるこの交換留学には欠かせない人である。
腹心のミシャももちろん一緒だ。
他に、私の担当クラスからはラナ、イヴ、ヨエルが一緒である。
メイとアレアも帝国国学館幼稚舎への入学が決まった。
帝国の教育がどんなものかは一応知っているものの、それについては少し不安もある。
ともあれ、クレア様や私が帝国籠絡のために動き回るためには、二人を教育施設で預かって貰えるのはかなりありがたい。
「スースやアパラチアからも留学生が派遣されてくるそうです。レーネも来るらしいですよ」
「まあ!」
レーネの名前を出した途端、クレア様の顔色がぱっと明るくなった。
クレア様、相変わらずレーネが大好きだなあ。
ちょっと嫉妬。
私が面白くない顔をすると、
「あら、嫉妬ですの?」
「知りません。つーん」
「機嫌を直しなさいな。レーネは友人ですが、レイは恋人でしょう?」
「そうですけど、それでもやっぱり妬けるものは妬けるんです」
「ふふ、可愛いですわね」
クレア様は艶然と笑ってキスをくれた。
「あー、レイおかあさまばっかりずるい! メイもメイも!」
「わたくしもしてほしいですわー」
「はいはい、順番にね」
クレア様はにこにこしながら、メイとアレアの髪にも口づけを落としていく。
二人はくすぐったそうに、そして嬉しそうにそれを受けた。
「おともだちできるかなー?」
「ちょっぴりふあんですわー」
出発を明日に控え、ちょっぴり人見知りの気があるメイとアレアは、やはり少し不安そうである。
「大丈夫ですわよ。メイもアレアもこんなに可愛いんですもの」
「メイかわいい?」
「わたくしもー?」
「ええ、とっても」
「わーい」
「ふふ、ほめられましたわー」
今度はメイとアレアの方から、クレア様の頬にキスをする。
クレア様も目を細めてそれを受け取った。
「私にはしてくれないの?」
「してほしいのー?」
「じゃあ、おねがいしてくださいなー?」
「して下さい」
「しかたないなー」
「しょうがないですわねー」
なにやら扱いに釈然としないものを感じるが、それでも二人は私にもキスをくれた。
私は二人を捕まえると、無理やり二人のマシュマロのようなほっぺにキスの雨を降らせた。
「やー、なのー!」
「はなしてくださいませー」
本気で嫌がられたので、仕方なく二人を解放する。
ちょっと凹んだ。
「この家のヒエラルキーが見えてきた気がする」
クレア様が頂点、その下にメイとアレア、一番下が私だ。
「ふふ、そんなことありませんわよ。二人ともレイのこと、ちゃんと尊敬してますわ。ね?」
クレア様が取りなすように言ってくれた。
「レイおかあさまのごはん、とってもすき!」
「ならいはじめてみると、レイおかあさまのすごさがわかりますわー」
二人の中で、私の一番の価値は料理らしい。
またちょっと切なくなってきた。
いや、嬉しいには嬉しい。
料理するのは好きだし、料理は立派な生活スキルだと思っているから。
でも、もうちょっとこう、なんか……ねぇ?
「さ、二人はもう寝なさい。明日は早いですわよ」
もう二十時になろうとしている。
メイとアレアは寝る時間だ。
「やだー、もうちょっとおきてる」
「まだねむくありませんわー」
いつもはそんなに駄々をこねない二人が、珍しくそろって異を唱えた。
「そんなこと言っていても、二人とも眠たいでしょう? 先ほどからまぶたが重たそうですわよ?」
「うー……やだー……」
「おきてますわー……」
寝るときにここまで聞き分けがないのは珍しい。
どうしたのだろう。
「だって、あしたになったら、このおうちともさようならなんでしょ?」
「さみしいですわ」
「あ……」
なるほど、合点がいった。
メイとアレアにとって、この家は初めての「我が家」なのだ。
スラム街にいた頃は路上生活をしていたというし、修道院も集団生活だから自分の家という感じはあまりしない。
二人にとって、この家は初めて「自分の家」と認識できる家だったのだ。
それは離れがたかろうというものだろう。
「いいえ、メイ、アレア。この家とはさようならではなくてよ?」
「「?」」
二人が不思議そうな顔をした。
半分寝ぼけ眼なその表情に笑いかけながら、クレア様は続けた。
「そういう時は、さようならではありませんわ。いってきます、ですのよ?」
「そうなの?」
「わたくしたち、またすぐこのおうちにかえってこれますのー?」
「ええ。このお家は、メイとアレアがただいましに来るのを、ずっと待っていてくれますわ」
そう言って、クレア様は二人を抱き上げた。
「今日はみんなで寝ましょうか。わたくしたちの部屋で」
「! それがいい!」
「みんなでおやすみなさいですわね!」
「ええ。レイもそれでよくって?」
「もちろん。布団を運んでおきますね」
「お願い」
メイとアレアをクレア様に任せて、私は二人の布団を寝室に運んだ。
軽い羽毛布団を運びながら、これからのことを考える。
「メイやアレア、そしてクレア様のためにも、私たちは必ず生きてこの家に帰ってくる」
帝国での生活は、今ほど穏やかではいられないだろう。
フィリーネへの接触を始めとする帝国籠絡作戦も、革命の時以上に難しい判断を迫られるはずだ。
それでも――。
「未来を勝ち取って見せる。他ならぬ、クレア様たちのために」
その日は家族みんなで川の字になって眠った。
両端がクレア様と私、間がメイとアレアだ。
どちらがクレア様側かを巡ってメイとアレアが少しもめたが、じゃんけんでメイが勝ったことで勝負はついた。
寂しくなんかないやい。
◆◇◆◇◆
翌朝、荷支度を終えた私たちは、家の前につけられた馬車を待っていた。
クレア様が最後に家の鍵を閉める。
いざ帝国へ。
でも、その前に。
「「「「いってきます!」」」」
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