番外編2.得たもの、失ったもの
※エピローグよりも数ヶ月前のエピソードです。
バウアー王国は過渡期にある。
革命という大きな出来事に翻弄されているのは、何も貴族たちだけではなかった。
担い手となった一般市民も、今後の生活の変化に対応を迫られている。
ナー帝国の干渉を振り切り、無血革命を成し遂げたバウアー王国市民だが、すぐに生活水準が向上するわけではない。
むしろ、サッサル火山の噴火の影響や革命という一時的な混乱のために、市民の生活は革命前よりも悪くなっていると言える。
つまり、今は色々と大変な時期なのだ。
「それは分かってるんですよ。分かってるんですけど……」
今、私の側にはクレア様がいない。
クレア様は新政権樹立のためにあちこちを奔走している。
私もお手伝いしたいし実際にしてもいるのだが、いかんせん私は政治は素人である。
新しい政府を作るなどという一大事業に出来ることなどたかが知れているのだ。
せいぜいがクレア様の指示に従ってお使いをすること、そして――。
「疲れ切って帰ってくるクレア様を癒やすこと、くらいなんですよねー」
今、私が何をしているかというと、学院の寮にある調理室でクリームシチューを煮込んでいる。
物資の不足により食材もあまり贅沢には使えない。
特に野菜は火山の降灰のせいで、不作が続いている。
手に入るものも、学院が貴族たちの園であった頃とは比べものにならないほどの貧相さだ。
それでもどうにか痩せたニンジンとタマネギを手に入れて使っている。
タンパク質源も以前は牛肉がほとんどだったが、今ではそんなものは贅沢品でほぼ手に入らない。
私はこれまたどうにか手に入れた鶏肉を美味しく食べようと、あれこれ工夫している。
「レイ」
キーの高い、それでいて不思議と耳に馴染んでいる声が聞こえた。
振り返ると、クレア様が立っていた。
「おかえりなさいませ、クレア様。今日はお早かったですね?」
「ただいまですわ。会議が紛糾してしまって……皆、頭を冷やすために、今日は一旦お開きになったんですの」
「そうでしたか。難航してるみたいですね」
「ええ」
そう言うと、クレア様は椅子に腰掛けて目を揉んだ。
私は一旦手を止めて両手を洗うと、タオルをお湯で湿らせたものを渡す。
「これを目頭に当てて下さい。気持ちいいと思います」
「ありがとう。こうかしら……ああ……これは……効きますわね……」
そのままクレア様は数分じっとタオルを当てていた。
よほど疲れているのだろう。
「女性を政治に参画させるかどうか、で意見が割れてますの。わたくしは当然賛成ですけれど、反対意見も根強くて」
「そうでしょうね」
二十一世紀の日本に暮らしていれば、女性参政権など当たり前すぎる事柄だが、この世界において女性が政治に参画するということは決して簡単に実現出来ることではない。
「わたくしがいる手前、まだ遠慮していらっしゃいましたけれど、殿方たちの基本的な疑念はこれにつきますわ。すなわち、女性に政治なんて分かるのか?」
これまた二十一世紀の日本の常識に照らせばとんでもない暴言にしか聞こえないが、日本とこのバウアーでは置かれた状況が違いすぎる。
まず前提として、識字率や教育水準の問題がある。
嘘でも冗談でもなく、「政治ってなに?」というレベルの女性が多いのだ。
もちろん、元貴族の女性は教養として知っているし、元平民の女性だって教育水準の高い者は知っている。
でも、そんな人たちは女性全体の数からすれば一握りだ。
さらに女性は数が多い。
ナー帝国との抗争の結果兵役で男性が減っているので、絶対数としては女性の方が多いのだ。
そんな状況で女性を政治に参加させて、果たして政治が機能するのだろうかというのは、綺麗事だけでは済まない問題をはらんでいる。
「わたくしは、とりあえず参加させてみなければ始まらないと思いますのよ。最初は戸惑うことも多いと思いますけれど、次第に形になっていくと思いますわ」
クレア様は前向きで楽観的だ。
実際、全ての女性が今の男性並みの教養を身につけるまで待っていたら、いつまでたっても女性は政治から置き去りのままになってしまう。
それに、政治に必要なのはなにも学校で習うようなことだけではない。
日々の生活に根ざした問題意識だって、政治にはとても必要なものだ。
だが、その辺りのことを説明しても、新政府のお偉いさんたちにはなかなか理解が得られないという。
「女性への偏見は、まだまだ根強いですわね」
「そうですね」
私はクレア様を後ろから軽くハグした。
クレア様が身を預けてくる。
体温が心地よい。
「なんだかいい匂いがしますわね。今日のお夕飯はなんですの?」
しばらく二人でお互いの存在を確かめ合っていたが、ふいにクレア様が鼻をひくひくさせてそう言った。
「今夜はクリームシチューですよ」
「まあ。ご馳走ですわね。このご時世ですもの。用意が大変だったでしょう?」
元貴族のクレア様も、今はもうすっかり食糧事情を弁えている。
この夕食を整えるための私の苦労を、クレア様は瞬時に看破した。
「クレア様のためですから。部屋に戻って夕食にしましょう」
「ありがとう、レイ。いつも感謝していますわ」
その言葉だけで、私は全てが報われると思った。
部屋に戻り、食卓についたクレア様にシチューとバゲットを配膳する。
本当ならこれになにか副菜をつけたいところだが、シチューで贅沢をしてしまったので今夜はこれが精一杯である。
私の分も配膳し、席についた。
「それでは、いただきます」
「いただきますわ」
二人とも手を合わせて食べ始める。
「! なんて瑞々しい鶏肉ですの。こんないい鶏肉が今時手に入るものですの?」
クリームシチューを口にしたクレア様が嬉しいことを言ってくれる。
「いえ、鶏肉自体は普通の胸肉です。下ごしらえがちょっとコツでして」
「何をしたんですの?」
「塩と料理酒を軽く振って揉み込んでから、少し置いておくんです。それから片栗粉を全体に薄くまぶします」
胸肉はそのまま調理するとパサつきが気になる部位の肉なので、下処理しておくのが定石である。
「それだけ?」
「はい。少しはパサつきが抑えられたかなと」
「少しなんてもんじゃありませんわ。わたくし、もも肉かと思いましたわよ」
「恐れ入ります」
クレア様が喜んでくれたようで何よりである。
満足な材料が手に入らなくても、工夫次第で料理はいくらでも美味しくなる。
もちろん、材料がいいに越したことはないのだが。
「ふう……。ご馳走様でしたわ。とても美味しかったですわ。さすがレイですわね」
「お粗末様でした」
そんなことを言いながら、クレア様に食後のコーヒーを出す。
クレア様は新聞の夕刊に目を通しながら、コーヒーを一口飲んだ。
私は背中にクレア様の存在を感じつつ、後片付けを始める。
料理は好きだが、洗い物は少し面倒くさい。
「レイ」
「なんでしょうか?」
「それで……いつにしますの?」
「? 何をです?」
クレア様が何を意図しているのか分からず、私は振り返らずに聞き返した。
「決まってるじゃありませんの。わたくしたちの結婚式ですわ」
「!?」
私は思わず皿を一枚取り落としそうになった。
「結婚式って……。クレア様、からかってらっしゃいます?」
このご時世、しかも私たちは同性同士だ。
あらゆる意味で、今、私たちが結婚式を挙げるというのは、現実的ではないと私は思った。
「あら。レイはわたくしと結婚したくないの?」
「したいです」
そこは即答である。
したくないわけがない。
したいに決まっている。
しかし、だからといって出来るかどうかというのは別問題だ。
「そもそも、まだ新憲法制定前ですし、新憲法でも同性婚は認められない見通しだったんじゃないんですか?」
私は洗い物を終えるとクレア様の対面に座って、疑問に思ったことを口にしてみた。
クレア様は新聞を畳んで、
「確かに法律的にはわたくしたちは結婚出来ませんわね」
と、あっさり認めた。
「でしょう?」
「でも、結婚式って別に法律的にどうという問題ではないと思いますのよ」
「というと?」
「結婚したいと思う二人が法律とは関係なしに、お互いの家族や友人たちに二人の仲を認めて貰う儀式、だとわたくしは思っていますわ」
クレア様の言うことは、二十一世紀の日本で言う人前式のコンセプトに近い。
結婚式には色々な形式があり、神様の前で誓いを立てる神前式、仏様の前で立てる仏前式などがあるが、それ以外に人前式というものがある。
これは宗教的な儀式ではなく、互いの関係者に誓いを立てるという意味合いを持ち、若い世代を中心ににわかに広まりつつあった形式だ。
古い価値観が支配的なこの世界において、クレア様がそういった価値観を持っていることに、私は驚きを隠せなかった。
「その考え方には私も大賛成ですが、お金の問題もありますよ?」
この世界の結婚式は披露宴も兼ねている。
結婚式を行う側もお金がかかるし、招待される方だってそれなりにかかる。
誰もが生活に余裕がない中、結婚式を強行したとしても来て貰えるだろうか。
「参加者は絞りましょう。わたくしたちの関係者は新政権でもそれなりの地位にいる者がほとんど。式に出るくらいの経済力はあるでしょう」
「ああ、言われてみれば」
「もちろん、レイのご両親の参加には、わたくしがお金を出します。お二人の参加しない式など意味がありませんもの」
「いえ、それは私が出しますよ」
クレア様の貴族としての資産は、革命時に最低限を残して没収されている。
それでも今のクレア様が普通に生活出来ているのは、市民たちがクレア様の功績を称えて寄付をしてくれたからだ。
正直、貯金額は私の方が多い。
二人で生活するに当たって、私は資産を共有しようと申し出たのだが、クレア様に拒否された。
生活費は折半しているものの、お互いが個人で使うお金はそれぞれ自分で管理している。
「なら、それも折半しましょう。とにかく、レイのご両親にはなんとしても参加して頂かないと」
「はあ……」
クレア様はとにかく式を挙げることに前向きだ。
私だって挙げたくないわけではないが、でも、もっと情勢が落ち着いたらでいいのではと思ってしまう。
ノリノリのクレア様の気持ちに水を差したくはないので、とりあえずもう少し様子を見てみることにする。
「他に式に呼ぶのは、王子様方、レーネ、ランバート、ミシャ、お父様……お姉様とリリィ枢機卿は難しいかしら」
「王子様方、マナリア様、リリィ枢機卿は多分、無理かと思われます」
「遠方のお姉様、取調中のリリィ枢機卿は分かりますが、三王子様方はどうして?」
「お忘れのようですが、クレア様はもう一市民です。王族が式に参列するのは、お立場上難しいかと」
「ああ……。そうでしたわね」
クレア様自身気を付けてはいるのだろうが、貴族であることが普通であった感覚はなかなか修正できないようだった。
今も新政府の要人と普通に会って対等に議論しているせいもあるだろう。
クレア様は一市民という身分で有りながら、その交友関係に新政府の重鎮が多い。
「分かっていたつもりですけれど……やっぱり残念ですわね。そうすると、来て頂けそうなのはレイのご両親、お父様、レーネにランバート、ミシャくらいかしら」
「クレア様の貴族時代のご友人はどうです?」
「今でも手紙のやり取りをする子たちはいますけれど……難しいでしょうね。貴族の地位を失っての生活に順応することに、今は精一杯のようですわ」
生まれたときから裕福で様々な特権が与えられていた者が、突然それらを失ったらどうなるか。
路頭に迷う者がたくさん出ても不思議ではない。
もちろん、一市民として生活する分の資産は残されたのだが、貴族として生きてきた者がすぐに一般市民としての生活に切り替えられるかといえば、それは難しい。
「クレア様、やはりもう少し世情が落ち着いてからにしませんか? そうすればクレア様のご友人方にも参加して頂けるようになるかもしれません」
「なんですの、レイ。さっきから煮え切りませんわね。わたくしと結婚したいと言った言葉は嘘ですの?」
「いえ、紛れもない本音ですが」
「だったら――!」
私は、クレア様がどこか焦っているように見えた。
その理由が私には分からない。
私は手を伸ばしてクレア様の手を握った。
「何を焦っていらっしゃるんですか、クレア様」
「……」
「私たちはもう思いを確かめ合った仲です。結婚式なんていつでも出来ます。焦る必要なんてないはずです」
「……不安なんですのよ」
「不安?」
はて?
「私は何かクレア様を不安にさせるような態度を取ってしまっていましたか? それなら直しますから、ご指摘下さい」
「違うんですの! レイには何も問題ありませんわ。問題があるのは……わたくしですわ」
「? クレア様のどこに問題が?」
クレア様はいつもパーフェクトにお可愛らしいのだが。
「だってわたくし……もう貴族ではありませんもの……」
「……は?」
クレア様の言っていることが、私は理解出来なかった。
思わず間抜けな声を出してしまう。
「だから、わたくしはもう貴族ではありませんのよ? 地位も名誉も資産もない。あるのは分不相応な教養と無駄なプライドだけですわ。こんなわたくしをレイがいつまで思ってくれるか……」
「クレア様……」
私はうっかりしていた。
貴族の地位を失ったことに、クレア様はもうすっかり順応していると思い込んでいた。
クレア様だって元貴族――それも最上位にいた貴族だ。
そんなクレア様が一市民として生きることになって、不安や戸惑いがなかったはずがないのだ。
側にいて支えている気になって、私は一体何を見ていたのか。
「クレア様、落ち着いて下さい」
「レイ……」
私は席をたつとクレア様の後ろに回って、その身体を抱きしめた。
少しでも不安を取り除けるように。
私の思いが伝わるように。
「貴族でなくなっても、私がクレア様を思う気持ちは微塵も揺らぎません。私がクレア様を好きなのは、クレア様が貴族だからではないですよ」
「……ええ、分かっていますわ。レイはそういう人ですもの。でも、レイのご家族は? レーネやミシャは?」
「クレア様……」
クレア様にとって、貴族であることは生き方そのものだった。
一時はその生き方に殉じて散ろうとしたくらいに。
今でこそ私と一緒に生きることを選んでくれているが、クレア様を支えていた大きな支柱がなくなったことに変わりはない。
クレア様は不安定になっているのだろう。
「クレア様、選挙に出ましょう」
「? レイ、今はわたくしたちの式の話を――」
「ええ、分かっています。でも、今のまま結婚式を挙げたら、クレア様はきっと虚しい思いをすると思います」
「どうして?」
「クレア様には新しい生き方が必要です。自分はこうして生きていくのだという、芯になるものが。それがないうちは、ずっと不安なままです」
「……」
クレア様は考え込んでしまった。
クレア様自身、分かってはいるのだろう。
今の自分には拠って立つものがないということを。
本音としては、それが私であったらいいと思う。
私に依存するクレア様をべたべたに甘やかしたいという暗い欲求がないと言ったら嘘になる。
でも、それはクレア様のためにならない。
万一、私が何かの理由でこの世を去った時、クレア様はその時こそ本当に何も支えがなくなってしまう。
それではダメだ。
「……レイが何を言いたいのか、やっと分かった気がしますわ」
しばらく黙り込んでいたクレア様が、ぽつりとそう言った。
見ると、目には強い意志を見せる光が戻っており、いつもの勝ち気なクレア様の顔をしていた。
「じゃあ?」
「いえ、わたくしは選挙には出ません」
「え?」
戸惑う私に、クレア様は微笑みかけると続けた。
「新政権の一員として政治を担うのは、確かにやりがいのある仕事ではあるでしょう。きっと、わたくしの生きがいとして申し分ないものですわ」
「なら……」
「でも、それはダメ。せっかく苦労して市民による革命が起こったのに、旧体制の象徴とも言うべき人間が変わらず政治の中枢にいたのでは、何のための革命だったのか分からなくなりますもの」
「……」
世界の歴史を紐解けば、革命や政変が起こっても旧体制の構成員は新体制にある程度残るものなのだが、クレア様はそれを望まないようだった。
ならば無理強いは出来ない。
「でも、探してみますわね。わたくしがこれと思える生き方を」
「はい。応援しています」
吹っ切れたような様子のクレア様の髪に、私は口づけを落とした。
クレア様がくすぐったそうな声を漏らす。
いつかクレア様が自分の道を見つけられればいいと思う。
結婚式は、それからでいい。
私はいつまでだって待つ。
私が結婚する相手は、いつだってカッコイイそんなクレア様なのだから。
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