108.悪あがき
私が意気消沈していたのは、クレア様が私の元を去ったその日だけのことだった。
クレア様が自ら去って行ったことはショックだったが、それだけで絶望するほど私は諦めがよくはない。
私はクレア様を取り戻すべく、行動を開始した。
「……そうか、クレアは自ら滅ぶことを選んだか」
そう口にするのはセイン様だった。
私がまずやって来たのは王宮である。
革命政府は自らの政権の正当性を示すために、まず王室を復活させた。
セイン様はロセイユ前国王の世継ぎとして革命政府に承認され、逆に王室は革命政府に錦の御旗を与えた。
これにはセイン様自身よりも、王宮全体の思惑が強く働いたとみられている。
元々、貴族たちの専横を苦々しく思っていた王室だが、それでも政治基盤である貴族の打倒を目指す革命勢力に正当性を与えるというのは、本来であればありえない。
王室が焦っていたのは、王国と帝国の国境付近に帝国軍が進軍してきているという情報を得たからだ。
革命といういわば内紛状態につけこまれれば、元々拮抗していた帝国とのバランスが崩れかねない。
王室が革命政府に錦の御旗を与えたのは、内紛を早々に収束させて帝国軍につけいる隙を与えまいという狙いがあったと思われる。
まあそんな訳で、セイン様は今、革命政府というやや不安定な土台の上にではあるが、次代の王として正式な即位を待つ身だった。
「クレア様は他の悪徳貴族とは違います。ここで処刑されるべき存在ではありません」
私はセイン様にお目通りを願い、クレア様の助命嘆願を願い出た。
本来であれば一平民が謁見を許されるはずもないが、セイン様が特別にはからってくれた結果、こうして直に話をすることが出来ている。
「……お前の言うことは正しい。だが、難しいと言わざるを得ない」
セイン様は苦渋に満ちた顔で、私の嘆願にそう答えた。
「……クレア個人がどうであろうと、彼女が貴族政治の象徴たるドル=フランソワの息女であることには変わりはない。オレが許しても、革命政府が許さんだろう」
「そんな……」
「……平時であれば王の言葉は鶴の一声ともなろうが、今、王室はかろうじてその体裁を保っていられるほどの力しかない。今、この国を実質的に支配しているのは革命政府だ」
恐らく、王の統治権は失われるだろう、とセイン様は言った。
「でも、その革命勢力の裏には、ナー帝国がいます。そのことをセイン様はご存じですか?」
「……その認識は、少し違う」
私の言葉を、セイン様はやんわりと否定した。
「……確かに革命勢力はナー帝国の影響下にはある。だが、それはサーラスの一派だけだ。革命の旗印たるアーラやアーヴァインたちは、むしろ帝国の色を強く拒否している」
「でも!」
「……まあ、聞け。今、革命政府が民たちに配給を行っていることは知っているか?」
「はい」
「……あれが可能なのは、革命政府内の帝国勢力が物資を供給しているからだ。無理に帝国勢力を除こうとして、民が飢えてしまったのでは本末転倒だろう」
民たちの生活には何ものにも代えがたい、ということか。
セイン様にとっては、国が誰の物になるかということよりも、民が飢えないことの方が重要なのだろう。
「……アーラたちもサーラスを野放しにしているわけではない。一時的に利用してるだけだ」
時が来れば、革命勢力から帝国の一派は排除されるだろう、とセイン様は言う。
「……何より、今の俺には出来ることがほとんどない。俺は次期王となりはしたが、お飾りの傀儡だ。クレアのことは何とかしてやりたいが……」
「……そうですか」
セイン様も時代と戦っているのだろう。
その顔には自らの無力を嘆きつつもあがく、時代の過渡期にある王族の表情があった。
戦っているのは、私だけではない。
「……力になれずにすまんな」
「いえ、無理を申し上げました。失礼します」
それ以上食い下がることも出来ず、私は王宮を辞した。
一つ、あてが外れた。
「でも、まだまだ」
◆◇◆◇◆
私が次に訪れたのは精霊教会の修道院だった。
「やあ、レイ。よく来てくれたね」
「久しぶり、レイ」
私が訪ねたのはユー様とミシャの元だった。
ユー様は相変わらず王室によってここに軟禁されている。
異性病による乱心の療養というのが表向きの理由だが、実際は王室の現最大勢力であるセイン様派が押さえ込んでいる形だ。
セイン様自身は望んではいないだろうが、そう単純にはいかないのが政治のややこしいところである。
久しぶりに会ったユー様は自らの不遇を気にする様子はなく、顔色もよくて元気そうだった。
ミシャはと言えば、元々修道女だったんじゃなかろうかと思うほど修道服が似合っていて、ユー様の側にいるのがとても自然に見えた。
「キミがここに来た理由は大体予想がついている。クレアのことだね?」
「はい」
ユー様の問いに、私は頷いた。
「私もなんとかして上げたいけど、セイン兄さんと同じく、私にもあまり出来ることはないんだよ」
ユー様はそう言って、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「王室が勢力を減じて、相対的には教会の力は増していると言っていい。今は戦時だし、教会に身を寄せる平民も多い。教会の声は革命勢力も無視できないだろうね」
「なら――!」
「でも」
とユー様は私の言葉を遮った。
「でも今、教会の実権を握っているのはリリィ枢機卿――もっと言えば、その裏にいるサーラスと帝国なんだ」
私には出来ることがあまりない、とユー様は不本意そうに言った。
「サーラスと帝国はしたたかだ。この状況になるまでの勝ち筋をずっと狙っていたんだろうね。革命勢力だけでなく、教会にもその手を伸ばしていた」
「セイン様は楽観視していらっしゃるようだけど、このままだと革命政府が帝国に乗っ取られる恐れがあるわ」
ユー様もミシャも、現状に危機感を覚えてはいるらしい。
「ユー様からセイン様に進言することは出来ないんですか?」
「何度もしたよ。でも、どうやら私の声はセイン兄さんのところまで届いていないようなんだ。兄さんの現状認識が少し甘いのも、周りの者が正確な情報を与えていないからだ」
そうでなければ、あの聡明な兄さんが黙っているはずがない、とユー様は言う。
「私の方でもクレアの助命嘆願は呼びかけ続けてみるけど、正直、効果は薄いと思って欲しい。ドルとクレアは貴族政治の象徴的存在だ。革命勢力からすれば真っ先にやり玉に挙げたい相手だろうし、帝国にとっても貴族勢力を叩く際の筆頭だからね」
「ごめんなさいね、レイ」
二人の言葉に、私は暗澹たる気分になった。
それでも、二人は行動してくれている。
今はそれだけで十分とするしかない。
「そうですか。分かりました。よろしくお願いします」
私は修道院を後にした。
◆◇◆◇◆
その後も様々なあてを頼ってクレア様を救うことが出来ないかと画策したが、そのどれもが空振りに終わった。
サーラスたち帝国勢力はこの国に深く根を張っていて、どこに呼びかけても答えは「難しい」の一言だった。
私一人では、なんと無力なことか。
最初は強く思っていた「クレア様を救って見せる」という気概も、徐々に摩耗していく。
諦めたくはない。
だが、現状がそれを許さない。
私は血を吐くような思いで王都中を駆けずり回った。
「……貴族と民の折衝をしていた時のクレア様も、こんな感じだったのかな」
日に日にやつれていくクレア様を見ながら、それでも私はどこか他人事のようにそれを見ていた気がする。
どうせ最後には解決するのだから、と。
クレア様の安全は、ドル様と私が確保しているのだから、とそんな風に。
「クレア様……」
会えなくなってまだほんの数日しか経っていないのに、もう何ヶ月も会えない日が続いているような錯覚を覚える。
今まで当たり前のように隣にいた人がいない。
それを思うと胸が張り裂けそうだった。
「……会いたいです、クレア様」
そうして失意の日々を送っていたある日、私はとうとうクレア様が今どこにいるかについての情報を入手した。
私は、最後の手段に出ることにした。
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