イロモノビデオ②
★★★
雨の降りそうなどんよりとした天気。奴が大学に向かっていったのを確認した後、俺は計画を実行に移した。
「へへへ、こういうのを仕事にした方が向いてるのかもな」
心からそう思った。
流れるような手つきでピッキングに成功し、部屋に侵入。一瞬「ガリッ」という気持ちの良くない音がしたが、開錠には支障がなかった。中を見渡し、ベッドの下に身を隠した。ベッドの下はそれほど大きな空間ではなかったが、華奢な体格が幸いしてか、すんなり入り込むことができた。そして、見つからないように身をかがめて、タオルを巻いた手斧を握りしめて、じっとしていた。決して楽な体勢とは言えなかったが、これから憎き奴をぶち殺してやれると思うと、妙な高揚感に心が躍った。一切、苦しさや辛さの類はなかった。
「つくもさーん」
「……ッ!?」
刹那、部屋に響く声。思わず出てきそうになった声を押し込め、何事が起こったかと周りを確認する。
「……あれ、いないのかな? 大学行っちゃったとかか……」
小学生くらいの男の子がそこにいるようだ。いるようだ……というのは、ベッドの下からでは足下しか窺えないためだが、まぁ、声を聞く限り間違いないだろう。
しかし、妙だ。俺はピッキングして部屋に入って丁寧に鍵を閉めておいた。一応、事前に中に人がいないのは確認済みだったはずだ。
にも関わらず、部屋の中に少年がいる。おそらく、扉を開けた気配もなかったことから、きっとずっと部屋の中にいたのだろう。だが……俺に見つからず、どこに潜んでいた……?
「あーぁ、つまんないな。せっかく例の『あれ』見せてもらえると思ったんだけどな」
息を潜める。ここでバレて、計画が白紙になるのも、不法侵入でただ捕まるのもごめんだ。少年には気付かない内に退出願いたい。でなければ、殺す人間が増えてしまう。
息を潜める。降り始めた雨音が、ベッドの下に潜っていても聞き取れるくらいに響いてくる。どうやら先ほどまで保った天候が一気にくずれたらしい。
息を潜める。場合によっては鍵を開けて外に出て行くことになるだろうが、そういう前提が元々あるならば、奴が不信に思うこともないだろう。
……声が聞こえなくなる。とりあえずは、よし……ここに居座るようなことは――
「つっくもー!! いるー?」
――ハツラツとした若い女の声が、主不在の部屋に響き渡る。
(…………嘘、だろ……?)
彼女か? 姉か? 友人、知人、家族、親戚……いや、この際、間柄なんていうのはどうでもいい。
なんだなんだなんだ!? ついてない! どうにもついてないぞ!! ふざけるな!!
「あぁ、こんにちは、みさとさん。でも生憎と、つくもさん留守みたいですよ」
「えー!? この超絶ハイパープリティな美里ちゃんが訪ねてきたのに、不在っていうの、カレ? 信じらんないよ」
「ぼくは自分のことを『超絶ハイパープリティ』なんて恥ずかしげもなく言い切れるあなたの神経の方が信じられません」
「えぇ!? で、でも、『プリティ』って可愛いとか、かわいらしいとかって意味でしょ? つくもに教えてもらったよ、私。それってつまり私のことじゃん」
「その変なところで自己肯定感がやたら高いのは、ぼくにはいつも不思議でなりません」
「ぶぅー。またユウキ、『ジココウテイカン』とかいう難しい言葉使ってー。可愛くないぞぉ、小学生のクセに。それに、私が事故に遭ったのは、横断歩道だから、別に学校なんて関係ないし」
「『自己肯定感』です。自分のことが良いとか凄いとか思える気持ちのことです。事故も校庭も関係ありません。それに、たしかにぼくは小学生でしたが、そんなぼくに諭されてるようだとつくもさんにまた馬鹿にされますよ?」
「ぐぬぬ。でも、自分に自信を持てって、つくもも言ってたし……馬鹿にされたとしても、これはこれで良いのでは?」
「そんな論点をすり替えようとしたって無駄です。まぁ、ぼくはあなたが馬鹿にされる分には一向に構いませんが、それでつくもさんが露骨に機嫌が悪くなることもあるんですからね。ちょっとは自覚とか、注意とか……」
「たしかにー! つくも時々、私といるとき機嫌悪い。てっきり雨が嫌いなもんだとばかり思ってたよ。まさか私の馬鹿が原因とは――って、ちょっとトラウマ甦ってきそう。気を付けます、ユウキ」
「気を付けてくださいね」
なんか、その……随分頭の軽そうな女と、やけに利発そうな少年だ。小学生に諭される大人なんていう構図なんて本当にあるもんなんだと驚かされた。
だが……頭の軽そうな女は、ベッドの下から見える範囲では足は綺麗だ。覗く生足は丁寧に手入れされて引き締まっている。そして、声も可愛いし……顔はわからないが、これで全身のスタイルがよくて顔が整っているとすれば、その頭の悪さが悔やまれる。いや、ぶっちゃけ彼女いない歴イコール年齢の俺からすれば、むしろ頭の中に蟹ミソでもつまってるような女の方が付き合いやすいのかもしれない。むしろ、愛すべき馬鹿みたいに愛でてしまいそうな気がする。
なにかそんなことを考えると、足しか見えてないのに興奮してきた。別に俺は足フェチだとか、そんな性癖なかったはずなのに。ってか、くそ、あの大学生、こんな彼女と毎晩イチャコラしてやがんのかよ! なんて、殺意がこみ上げつつ、羨ましい感情が頭によぎる。
だが、ここで下手な行動を起こそうもんなら、あるいは、鼻息でも荒くしようもんなら、即座にこの俺はまずい状況になる。毎晩の苦しみを思い出して、イライラの中で平静を取り戻すことに努めた。チラチラ映る生足と頭の悪い会話に意識が持って行かれそうになりながらも、なんとか歯を食いしばって俺は耐えた。
短い時間か長い時間か――狭い空間で時間感覚があまりないなか、突然部屋のテレビが点く。非常に簡素なテレビ台の上に乗っただけのテレビであったので、その映像の殆どはベッドの下からでも窺うことができた。
「テレビはつけたよ。それから?」
「あ、本当に美里さん、テレビとかつけられるんですね。正直ビックリです」
「んもー、そこまで馬鹿にしないでよ。私だってテレビくらいはつけられるよ!」
「いえ、それができるのは業界的にも結構凄いことだと思いますがね……冗談抜きで。まぁ、ぼくとしては目的が果たせるので何の不満も無いですが」
「えぇと、次はビデオ入れればいいの?」
「えぇ、手はず通りにお願いします」
「……でもこんなことして、つくも怒んないかな?」
「怒るでしょうが……まぁ、モノがモノですし、一緒に見てもくれないでしょう。せっかくなんですから、ぼくは楽しませて頂こうと思っています」
「えー、絶対楽しいもんじゃないよー、これ! ってか、私、ホラー苦手だし」
「苦手なんですか? 初耳です。存在自体がホラーなのに」
「いやいや、こんな可愛い女の子――とと、自分で自分のこと『可愛い』って言っちゃうのが、ホラーとか言うんでしょ、きっと。ふふふ、ユウキの考えはお見通しだよ!」
「いや、今回は別にそういう意味ではないんですが……まぁ、良いです。面倒くさいんで」
そんな会話をしながら、頭の軽そうな女はスルスルとビデオデッキにビデオテープを吸い込ませていく。それにしても、このDVDやらブルーレイやらの時代にビデオデッキにビデオテープとは珍しい。半ば骨董品のようになりつつ組み合わせをもって、この二人は何を見ようというのか。
「それじゃあ再生するよー」
「了解です。いやはや、年甲斐なく楽しみです!」
「年甲斐なく……って、ユウキ小学生じゃん」
「これでも実年齢は結構なもんなんですがね。……まぁ、こんな状態でそんなこと言っても仕方ないでしょうが……」
「って、シーッ! 聞こえないよぅ」
「んぁ、はい。気を付けます」
再生されるビデオ。
頭の軽そうな女がベッドに腰掛けたために、視界に迫る足に一瞬ドキッとしたが、腰掛けただけで集中はテレビの画面だ。よくは見えないが、どうやらこの女は前のめりになって画面に集中し、ベッドの下になんて微塵も注意を払っている様子は見られない。
ベッドの下からでは、小学生くらいの子供がテーブルに両肘をついている後ろ姿が見える。座ったために、ベッドの下の視界からでも足から頭までの全身像が見えるに至ったが、こちらも集中はテレビの画面で、ベッドの下に注意を向けるような素振りは見られない。
テレビの画面は小学生くらいの子供の身体に隠れて満足に全体が見えるわけではないが、それでも七割方をベッドの下からでも窺うことができた。……といっても、全体的に画面は暗く、そこに何が映っているのかをはっきり視認することは難しかった。
(暗くて狭いベッドの下からでも、慣れれば意外と色々見えるもんだな……)
なんて思って。気付けば、することもないので、俺自身もテレビの画面をボーっと眺めていた。年季が入ったビデオなためか、音割れや画像の荒れがひどく、なかなか気持ちよく鑑賞できるものではないが……どうやらホームビデオの類であることがわかった。
「いやぁ、この手作り感溢れる感じがたまらないです。ホンモノ感がありますよね!」
「えー、でも退屈だよ。画面は家の中で大して代わり映えしないし、映る人たちも何にも喋んないで動き回ってるだけだし」
「美里さん。こういう無機質な演出が、最後の方で怖さを倍増させるんですよ?」
「うーん、私にはちょっとよくわかんないかも。こんなのより、この前夜に見た、雨の中を黒い全身タイツに白い面を着けて四足歩行してた人とか、雨の中を『俺はここで縛られていたいんだーッ!』って言いながら全裸で走ってた人とか、雨の中を『ヒヒ、ヒヒヒ』って笑いながら傘も差さずに手斧をさすさすしながら歩いてた人とかの方がよっぽど怖かったよ」
「『よっぽど怖かったよ』なんて平気な顔して言える美里さんが僕には怖くて仕方ありませんが……まぁ、そういう変質者的な怖さとは別のものでしょうよ。かくいう僕も、小学生の集団が赤いトレンチコートの女の人にべっこう飴を投げつけてるのをこの前見ましたが……何とも最近はどこも物騒なことは間違いなさそうです。そんなの聞いて、そんなの見たら、僕もしばらく外は歩けそうにありません」
「いや、ユウキどっちにしても外出られないじゃん」
「おっと、それもそうですね。まさか美里さんがその設定を覚えていたことに驚きです」
「んもー! 私だってバカじゃないんだよ。それくらいわかってるよ!」
「あ、美里さん。もうクライマックスの井戸ですよ! テンプレート過ぎて笑けてきそうですが、最後まで見届けましょう」
「あ、うん。『てんぷれーと』の意味よくわかんないけど、静かに見ないとね」
正直画面を眺めているばかりは退屈で、女と男の子の話に耳を傾けていた方が面白かった。時々脈絡のないようなよくわからない話も出てくるが、それがむしろ興味を惹いて、なんとなく聞き入ってしまう。
(「雨の中を『ヒヒ、ヒヒヒ』って笑いながら傘も差さずに手斧をさすさすしながら歩いてた人」とか、通報しろよ! 明らかな変質者で危険人物だろ!)
なんて心の中でつっこみを入れながら、漫然と面白くもないテレビを眺めていた。
テレビの画面は、黒い猫や血の気の失せた少年、虐待される家族なんかを映しながら、気付けば場面は変わって、家の中から外へ。そして、井戸以外に目立った光景のない映像を映していた。
それはもう、典型的な「呪いのビデオ」のような構図そのもので、正直なんてものをこの二人はわくわくしながら見ているんだと思ったが……どうやら井戸――クライマックスが近付いて好奇心や不安が高まったのか、女はベッドから下り、男の子の隣に座り込む。その女の手は男の子の裾を掴んでおり、男の子も身体が固まっているところを見るに、女が座ってしまったがためにベッドの下からはほとんど見えなくなってしまった画面において、緊張の場面を迎えていることが窺える。
「出てきたっ、出てきたっ!」
「み、美里さん、服引っ張らないでください!」
「ってか、髪長すぎじゃない!? そして、全身白コーディネートのワンピースって、あまりにシンプル過ぎじゃない!?」
「『もっとオシャレしようよ』とでも言うんですか?」
「うん! 美容院に行ってちゃんとした服着たら、絶対綺麗だよ! 身長高いし、スタイル良いし!」
「僕は井戸から這い出てきた人に、目をキラキラさせながらそんな話ができる美里さんのオシャレな頭にびっくりです」
「……あー、そうだよね。井戸の中に住んでたんじゃ、なかなかオシャレアドバイスくれる人もいないよね。いや、この人はロックの意味をはき違えてるね。ロックっていうのは、井戸のロックさとはまた違うことをわかってないね」
「ロックのなんたるかも知らない人にロックさについて説経を垂れられるあの人はどんな気持ちなんですかね」
「いや、でも本当に勿体ないと思うのよ、私。あの人色白だし。絶対自分の価値わかってない系女子だよ」
「まぁでも、たしかにまじまじと見たら結構あの人綺麗ですよね。流石はビデオにまで撮られた人は違うといったところでしょうか」
「でも、絶対不思議ちゃん系のきらいはあると思う。井戸から這い出てきたと思えば、こっちの方向いてゆらゆらしてるし。『出てきたは良いけど、ちょっとここからどうしたらいいかわかんないの!』っていうオーラ出てるよ、これ。いやいや、何か言いたいことがあるんだったら言おうよ、って私が友達だったら言うね。友達じゃなくても言うね。ってか、ゆらゆらしてるだけじゃ何もわかんないよ、って言ってあげるべきだという使命感すら感じる」
「って! 美里さんがそんなこと言ってたらこっちの方に歩き出して来ましたよ! こっちまでくるんじゃないですか?」
「怒ってるのかもしれない。悲しんでるのかもしれない。それとも、アドバイスを求めているのかもしれない。……いや、でもわかるよ、その気持ち。私も最初はそうだった。周りから向けられる厳しい言葉が針のように刺さり、美容院に初めて行くときも、オシャレな洋服屋さんで初めて服を買うときも、私はダサイ、田舎の小娘だった。でも、オシャレを覚えてから、私変われたもん。彼氏だってできたもん!」
「あ、そんなこと言ってたら、ちょっと小走りでこっち来てますよ! 美里さんが煽ったせいじゃないですか!?」
「え、私また何か『アホ』ってた!?」
「煽るです! あおる!」
どうやらよく見えないが、テレビの画面から視聴者の方に、その何者かは向かってきているらしい。
テレビの中の登場人物にアドバイスとも批判とも取れることを続ける痛い女と、テレビの中の人物について実況している男の子のおかげで全く怖さはなかった。そもそも画面がよく見えない中、俺にその類のものの怖さを感じることはできなかった。
「「あっ!」」
――ガチャガチャガチャ! ドン! ドン!
びくりと身体をふるわせる。二人が声を上げたのとほぼ同時に玄関の扉を焦って開けようとする音が響き、何者がこの部屋にやってこようとしていることを感じさせる。
「開けろッ! 開けろぉッ!」
怒声が響く。それは部屋の主か、それとも他の何者か。
完全に取り乱した声が部屋の中に響き渡る。ガチャガチャと鍵を回す音は響くが、どうやら開錠には至っていない。鍵の接触が悪いらしい。
(バレたのか? いや、それとも他の原因か? まずい。いずれにせよ、まずい……)
様々な憶測と感情が頭の中を駆けめぐり、冷静でいられない自分は手斧を両手でがっしり握る。息を止め、場が落ち着くのをベッドの裏を眺めて過ごす。
――大丈夫だ。問題ない。
頭の中で声が響く。
そうだ。たとえ部屋の主だったとしても――奴が興奮状態にあったとしても――先手をとってしまえば何の不都合もない。どこまでの情報を握っているかはわからないが、まさかベッドの下に潜んでいることまでは看過していまい。血眼になって探す途中で斬りかかってしまえば、殺すことぐらいは造作もない。
手は震えている。しかし、頭の中の整理はできてきている。ガチャガチャと響き続ける扉の音が緊張を煽るが、それでも扉が開くまではもう少し時間がありそうだ。そう思うと、時間が味方をしてくれているのはこちらの方な気がしてくる。
小さく深呼吸をする。
少し落ち着いてテレビの方に目を向けると、あの二人の姿が見えない。代わりに、女の素足がこちら側に向いているばかりである。
(――バレた……?)
心臓が締め付けられる。少し落ち着きを取り戻していたはずの気持ちが、再びざわめきを取り戻す。
…………だが、妙だ。妙だということに気づけるだけの冷静さはあった。
女の足は、こんなに青白いほどに白かっただろうか――?
「……ソコ」
「…………へ?」
ガチャガチャという音が聞こえなくなった。そして――
「見ツケタ」
ベッドの下。そこを覗く目を捉えた。
「あ……が……」
声が出ない。いや、そもそも声を上げてはならない。
舌が回らない。喉が渇く。嫌な汗が一斉に噴き出す。
(まずいまずいまずいまずいまずい)
女。髪の長い女。
覗き込んだ目はほとんどが髪に隠れ、長い黒髪は床に垂れている。
(逃げない、と……!)
気持ちが動いている。逃げるべきは自分ではなく目の前の得体の知れない女であろうものなのに、まるで百獣に捉えられた獲物のごとく逃走本能が刺激されている。
細い手が伸びてくる。
やせ細り、明らかに栄養失調気味のその手が、俺の手を、身体を、魂を掴んで取り込んでいこうとしているのがわかる。
わかる。わかる。わかる。
おそらく俺はこのままこの手に引きずり込まれて、テレビの向こう側に連れて行かれる。おそらく俺はこのままこの世界とは違うところに連れて行かれる。俺は、呪われてしまっている。
様々な感情が一斉に頭の中を駆ける。
呪いのビデオか、悪趣味だな……なんて、そんな暢気に考えていたさっきの自分が恨めしい。暢気にそれを眺めていた二人の姿は視界からは消え、呪いのビデオから出てきたであろう得体の知れない何者かのみが、生者である自分を取り込もうとしている事実がある。
少なくとも、扉は開いていない。少なくとも、この女は現実世界の普通の手段で目の前に姿を現したのとは違う。
だって……あまりに典型的な呪いのビデオの女そのものだから。井戸がただ映るばかりの、そのテレビから出てきたとしか考えられないから。
逃げられない。戦うことも満足にできない。
テレビで『呪いのビデオ』を見ていると、筐体から何かが出てきたら戦えば良いとばかり思っていた。抵抗もせずに連れて行かれる人間はバカだと思っていた。――自分も、その創作であろうものの登場人物たちを批判するのもイタイものなのだろうが、少なくとも自分はそんな愚かな登場人物たちに名を連ねることはないだろうと思っていた。
でも、現実は違う。そもそも……おそらく部屋の中で一番自分の自由が奪われる空間に潜んでいる。
誰だよ。こんなところに忍び込めば容易に暗殺が可能になるなんて考えたの。全く身体が動かないじゃないか! 全く身体が動けないじゃないか!
手斧を握る。抵抗できるなら抵抗してみせようと気持ちばかりは前向きだ。しかし、おそらくこれをふるって難を逃れることはできない。満足に手を動かすことができない現状、この手斧をもってできることなんて、この後の無事を情けなく祈るようなことばかりである。
(来てくれ。早く来てくれよぉ)
半べそをかきながら、先ほどまで扉をガチャガチャさせていたはずの部屋の主の到着を願う。本来ならば一番恐れるべきはず存在であるはずなのだが、情けない姿でただその出現を願っている自分がいる。
涙を浮かべ、手斧を握り――ベッドの下で情けなく震えている成人男性。
こんなもの……情けなくて死んじゃいたいね、なんて他人の目線なら言ってしまいそうだが、生憎今の自分は生への渇望と異形への恐怖でいっぱいいっぱいである。
届くな、届くな、届くな。
伸びるその手がスローモーションに見え、ここまで来て、それだけはありえないだろうという願望を繰り返す。捕まれれば、超非現実的な力で引き込まれることは容易に想像でき、情けないままの俺の人生は幕を閉じるのだろうことが予想される。
死にたくない。伸びてくる手。死にたくない。伸びてくる手。死ニタクナイ。ノビテクル手。
そして、その手は掴んだ。
――俺の真横にあった女の手を。
「…………へ?」




