イロモノビデオ①
殺意というものは不意にやってくる。
たとえば、親兄弟をなぶり殺されたとか。たとえば、資産を持ち逃げされたとか。たとえば、フィギュアコレクションを捨てられたとか。たとえば、いじめられたとか。たとえば、たとえば、ハンガーを投げつけられたとか。たとえば――毎晩いちゃついて睡眠を妨害するとか。
そう。毎晩毎晩いちゃついて、ベッドをぎしぎし、床をどんどん。たまに女の嬌声が響き渡り、たまに子供のはしゃぎ声まで木霊する。子供までいるのにどれだけお盛んなんだと。お前らは毎日毎日盛って何が楽しいんだと。
上の階にいるのは、俺の記憶が正しければ大学生だ。澄ました顔したイケメンで、連日連夜、女やら友人やらと騒いでる。来る日も来る日も飽きもせず。しかも毎日同じメンバーじゃないときた。人生の夏休みを謳歌しちゃってくれている。
流石に、俺も頭にくる。しかも特に深夜二時頃に騒がれることが多いもんだから、睡眠妨害も良いところだ。近所迷惑も考えろ……と言いたいところだが、駅からも遠く街からも遠い、都会にあるはずなのに周りに田んぼが見えるようなこんな安ボロアパートに住んでいるのは、俺のような就職浪人生や、売れないバンドマン、駆け出しの漫画家なんか。どうにも普通じゃない――パッとしない奴らばかり。そんな奴らは俺以外、別に大した不満は持たないようだ。普通そうな奴がいないでもないが、そいつはどうやら大学生の友人らしい。バンドマンや漫画家も比較的大学生とは交流があるようで、何か不満があるような様子も見られない。それどころか、時たま一緒になって騒いでることすらある。
管理会社には連絡したさ。うるさいのは間違いないんだ、なんのためらいもなくありのままを話した。そしたらまず、「ラップ音の類……じゃないですよね?」とか、よくわからないことを気の毒そうに言われた。
「いや、ちょっと上の階は訳あり物件でしたもんで。その……今は人住まれてるんですが、前は人住んでなくても同じようなご相談がありまして。特にその……午前二時くらいにうるさいだとかなんとか」
馬鹿を言うのはやめて欲しい。こちとら実際に住んでる人間の騒音被害に苦しんでるんだ。心霊現象とかで、「聞こえちゃった人」みたいな扱いを受けるのは心外きわまりない。
……だが、相談したのは正解だった。その日の夜に大学生が菓子折を持って訪ねてきて謝罪をしてくれた。
「上の階の勅使河原です。連日お騒がせしているようで申し訳ありません。あいつらにはちゃんと言い聞かせますので、御容赦ください。ご迷惑をおかけしました」
深々と頭を下げて高そうな和菓子を寄越してくれたので、そこで怒るようなことはしなかった。俺は大人だ。自分より年下の大学生に対して、普段どれだけイライラさせられていようが、声を荒げるような真似はしない。「言い聞かせるんじゃなくて、お前自身が気を付けろや」と言いそうにもなったが、まぁ、手早い対応に免じてそれくらいは許してやる。
なんてことがあったが、平穏が続いたのは一週間程度。それから再び同じような音が響くようになってきた。
完全にカチンときた俺だったが、どうやらその時期から明らかにカタギじゃないような風格の男が上の部屋に出入りしていることを知り、事を荒げるのは避けた。やたらがたいの良いおっさんがうるさくなり始めた頃から頻繁に出入りするようになり、どうにも直接言うのは憚られた。一応管理会社には連絡したが、うるさいからといって上の階の天井ドンをするようなことはしなかった。……というか、うるさくなるピークである午前二時頃になると、急に金縛りにあったみたいになって身体が動かなくなって、それどころじゃなかった。
だが、我慢したからといって安眠ができるようになるわけじゃない。日に日に俺のイライラは募っていく。
加えて、俺の就職は依然として決まらない。寝不足からか、毎日面接等に向かうたびに背中から肩にかけて重苦しく、どうにもハツラツとした振る舞いができないのが原因だろう。クマもできれば肌も荒れて、見栄えが悪いことこの上ない。さっさと就職を決めてもう働いてるような奴らにたまに会ってみると、
「お前、なんか調子悪そうだぞ。まるで何かに取り憑かれてるみたいに……」
なんて、わけのわからんことをほざく。未だ就職が決まらず、おろおろしている人間がそうも惨めに見えるかと激昂しそうになったが、そこはこらえた。社会的に見て、絶対的に俺は敗者であり、相対的勝者に噛み付くことは、そのまま負け犬の遠吠えとみなされることぐらいは知っている。その場は「そうかもな。良いお払いしてくれるとことか紹介してくれよ」なんて笑って誤魔化したが、後日そいつは、
「お払いはちょっとよくわからんかったが、せめてこれだけでもと思ってな。なに、俺も効果があるとは思ってないが……まぁ、無いよりは良いだろう」
なんて、それらしいお守りを持ってきやがった。昔からこっくりさんとか好きだった奴とはいえ、流石にその対応は俺を馬鹿にしているだろう。「お、おぅ、サンキュー」って言ってもらったが、そんなものはさっさと捨てた。罰当たりなんて思われようが知るか。あくまで俺は自分の実力がないから面接に落ちてるんだ。「お前は取り憑かれてるから……」なんて哀れみの視線を向けられる筋合いはない。
しかし、それ以降更に体調が優れない。身体の怠さは日に日に増し、上の階からの騒音も夜中に響く。それがイライラを更に加速させているのだろうが、最近では怒って管理会社に連絡する元気もなくなってきた。その代わり、
「自分が死ぬかあいつを殺せば、こんな苦しい思いから解放されるんじゃないか?」
なんて、物騒なことを反芻するようになっていた。
いつもの俺なら「何を馬鹿な」と笑って過ごしてしまうようなところのはずなのだが、その手はインターネットで「隣人 殺し方 バレない」「手斧 使い方 人殺し」なんてワードを検索するに至り、その足は吸い込まれるようにホームセンターと電気店に向かっていた。
簡易ピッキングツールの素材。盗聴器の素材。グローブ。変装道具一式。そして、手斧。
かごに入れて会計を済ましていくその手際には一切の迷いがなかった。むしろ笑顔ですらあったかもしれない。面接でさえ作れないような心からの笑顔をもって、俺は買い物を楽しんでいた。あまりに典型的な「殺す準備」だったが、どうにも誰にも止められることもなかった。やはり堂々としていれば不信には見えないらしい。
……いや、いいさ。仮に不信に見られようが関係ない。俺は、上の階の奴が死んでしまえば自分の安楽の日々が取り戻せると信じている。きっとそうすれば就職だって決まるだろうし、可愛い彼女だってできるだろう。そうなれば、こんな安ボロアパートで、あんなどうしようもない住民たちと顔を合わせて生活することに我慢して生きていく必要もない。金を得て財をなし、セレブのような生活を送ってやるんだ。
「やるんだ」じゃないな……絶対にするんだ。なに、殺人を躊躇なく遂行できるだけの覚悟があるやつだったら、何だってできるさ。できないはずなんてないんだ。できるできるできるできるできるできるできるできるできるできるできるできる出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来る出来るデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキルデスキル――
――後になって思えば、完全に夢を見ていた。そんなことをして、俺の人生が好転するはずがないのに。だけど、俺はもう何もそれ以外考えることをしたくなかったのだ。




