ある晴れた日の夜の花子さん③
「でも、これでやっと花子さんの顔が見れるかもしれへん思うと、正直わくわくしてた自分もおるねん」
「おっさんの顔を見ても良いことなんてないぞ?」
「それでも、顔もわからんおっさんよりは、顔がわかるおっさんの方がええよ」
「足長おじさんは顔がわからないから足長おじさんたり得たわけで……俺も顔がわからないからこそ、『トイレの花子さん』たり得るんじゃないかと思ってるが」
「馬鹿言ったらあかんわ。花子さんが『トイレの花子さん』名乗ってもうたら、うちは何になるん? うちが『トイレの花子さん』や。おかっぱ頭の女の子がトレードマークやろ? 女子トイレに中年のおっさんがトイレの花子さんやったら、犯罪臭しかせぇへんからほんまやめて欲しいわ」
正論でしかない。中年のおっさんが秘密の花園で『トイレの花子さん』を名乗って、それが学校七不思議やら都市伝説やらに登録されてるなんて嫌すぎる。たしかに怖いけど……なんか怖いのベクトルが随分と違う気がする。いや、普通に怖いのは怖いけど。
「俺だって好きでこうなったわけじゃない。ただ……」
「ただ?」
「気付いたらここにいた。縁もゆかりもないはずなんだがな、こんなとこ」
「そりゃ、学校にならまだしも、女子トイレに縁があったらただの変態さんやで」
「はは、そりゃそうだ」
――乾いた笑いが小さく響く。どこか儚げで、どこか自暴自棄な。
「だが、根本的に女子トイレに縁があってここにいるなんていうのも、おそらくろくでもない理由だ。花子ちゃんは縁があるんか?」
「……あるで」
「…………へぇ」
何とも言えない間が広がり、ずっと息を潜めていた自分が苦しくなる。
トイレの花子さんたち――。
「トイレの花子さん」がいじめを苦にトイレで自殺した女の子を由来とするならば、トイレの花子さんが好意的に受け入れられる存在たり得ることは難しい。
そもそも彼らが霊的な存在であっても、あるいは生きている存在であっても、こんな真夜中の学校のトイレに二人でいるのはおかしな話だ。少なくとも普通の範疇で片付けられるものでもない。馬鹿な話をしているようにも思うが、彼らの話を暢気に楽しんでいられるほど、本来的には状況は楽観視できるものではない。
「友達と……よく話してたんや。いつも、ここで」
「……なるほど」
「礼子ちゃんって言ってな。明るくて可愛くて、ウチにとっては眩しいくらい素敵な人やったんやけど、ちょっと色々あってな。男関係で望まない感じで、色々」
「……なるほど」
「礼子ちゃんは何も悪くないはずやし、明るくいつも通りであろうと学校に来てたんやけど、嫌な奴はどこにもおってな。礼子ちゃんのこと、悪く言う奴がおんねん。被害者やのにな、ひどいで」
「……ひどい話だ」
「ほんまやわ。そして、なんか知らへんけど、あとは中傷の嵐や。男子も女子も、みんなのアイドルみたいな存在やった礼子ちゃんに手のひら返しでひどいことばっかするんや。でも礼子ちゃん明るくて良い子やから気にせんようにふるまって、それがどうにも周りの反感を更に買ったようで、ひどいことはどんどんエスカレートしてって………………ウチ、礼子ちゃんともう、学校で普通に話せんくなってもうたんや。自分も巻き込まれてしまうんちゃうかって思って、自分はひどい目に遭いたない思うて……」
「でも、それは花子ちゃんは――」
「『悪くない』。高校を卒業できたら、たぶん、いつか納得できたと思う。ウチは自分自身が弱くて卑怯なんは自覚してるから、きっとその時の最善手やったって、将来は思えるって思ってた。でも、卑怯やから……みんなに隠れて、トイレの中で礼子ちゃんと話すようにしたんや。時間決めて、二人でこっそり。それやったら、ウチ自身の良心は痛まん思うて。『何もしてないわけやないんやで』っていう免罪符と、礼子ちゃんに嫌われたくないっていう自分勝手な欲求のために」
「誰しも傷つきたくない。ある意味それが自然な対応だと思うがね。世間ではそうした君のことを『優しい』と呼ぶだろうさ」
「『優しい』なんて、そこに込められた意味は『偽善者』以外の何物でもないことをウチは知ってる。でも、自身が偽善者だということすら自覚してるウチにはそんなものは痛くも痒くもない。そもそも、それをやっていて他の人間のウチに対する反応が変わらんかったことを考えるに、たぶん周りには気付かれてなかったんやと思う。我ながらうまくやってたんやと思うし、たぶん礼子ちゃんも敢えて卑怯なウチを訴追しようなんてことせんかったんやろう」
「なら誰も不幸せになってないじゃない。そんな責めるような言い方しなくても……」
「でも――礼子ちゃんは死んだ」
………………。
言葉が消えた。そして聞いてる私も、言葉が出なかった。彼女が自分を責める理由が――「トイレの花子さん」となるきっかけとなる理由が突然姿を現したようで。
「踏切で、電車に轢かれて死んでもうた。寒い日やったからか、下半身完全に断裂されてんのに、しばらく生きてたみたいや。のたうち回った跡があったって……聞いた。それがいじめを苦にした自殺やったのか、あるいは色んな不幸が重なった事故やったんかはわからへん。せやけど、礼子ちゃんは楽には死なせてもらえへんかったみたいで……ウチ、なんか、それ聞いて、もう、訳わからんくて、言葉、出ぇへんかった」
とぎれとぎれの言葉。涙声混じりに語られるそこからは、今となっても自責の念、後悔の念が窺える。
いじめを苦に自殺したのかもしれない。あるいは不幸な事故で命を失ったのかもしれない。しかしいずれにしても、友人が死の前後において幸せな状況になかったのだということを彼女は知っている。そして、「もしかしたら死ぬ前にもう少し『マシ』な状況を作ってあげることができたかもしれない」という思いが彼女の中を巡っていただろうことは、私にでも想像できる。少なくとも、その報を受けた彼女の中にどうしようもなく燻った「何か」が、しばらく灯ったのは間違いないだろう。
「…………それにしても人間、嫌われ者の死に関しては随分と不謹慎でな。『へへ、あんな売女は死んで当然だ』とか、『随分苦しんで死んだらしいよ、ぎゃはは、ウケルー!』とか、そんなこと平気で言ってるんや。そんな下品なこと、笑顔で、平気で。少なくとも、あの出来事がなかった内は、礼子ちゃんに対してそんなこと言う奴なんて、誰もおらへんはずやったのに。礼子ちゃんが死んだら、きっと、みんな、自然に涙流して、『あんな良い子がどうして……』なんて偲んでたはずなんに……」
「人の心は移り変わりやすいもんだ。俺も、どたんばで部下に足引っ張られた。そんなことするやつじゃなかったんだがな……」
「まぁ、本心なんてよくわからんもんや。時と場合、周りに合わせて空気も変わる。……もうウチ、そんなん見とったら疲れてもうてな。なんかもう誰のことも信じられんくなって、自分のことも嫌になって――気付いたら、ここで首吊ってた」
「そうして『トイレの花子さん』か」
「こんな腐った世界に、特に――ウチ自身の腐った象徴であるこんなトイレの個室になんて、未練もクソもないはずなんやけどな。皮肉なもんや」
「まぁ、そう落ち込むな、花子ちゃん。絶った命は自分の命。別に誰かの何かを奪った訳じゃない」
「まるで花子さんは違うみたいな言い方やな」
「………………」
ここでしばらく会話が途絶える。
トイレの花子さんがトイレの花子さんたるにはおそらくそれなりにヘビーな理由があるのは当然だろうが、それにしたって救いのない。そして、彼の話を聞く限り、おそらくおっさんがここにいるのはもっと救いがないのだろう。本当に、どうしようもないくらいに。
「一人、殺した」
「そんな風には見えへんよ」
「電車で殺した。踏切待ちしてたはずの女子高生が、いつの間にか眼前にいた」
「………………」
「あまりに突然で、ブレーキをかけたのは引っかけてからだ。ぐちゃって一瞬鈍い音がして、それからブレーキのけたたましい音がしたんだ。一応ブレーキをかけるだけの判断力が自分にあったのには正直驚かされた」
「車掌さん、やったんやな……」
「念願の仕事で、俺なりに誇りを持ってやってたんだがな。気付いたら、未来ある高校生を轢き殺してた。スピードの関係もあってか、あるいは当たり所の問題か、その子、身体まっぷたつになってたんだ。少なくとも、千切れた下半身は分解したマネキンの足みたいに転がってた。寒かったからかな…………ぐちゃぐちゃな見た目の割には、血の量はそんなに多くなかった気がした。だから――最初はなんとかマネキンを轢いたんだと思おうとしてた。人を轢いたはずがない。まさか身体を断裂するような殺し方を自分がするはずがないって」
「それは事故や。花子さんは殺してない」
「処理の表記上は『人身事故』。事件でもなければ、殺人の『さの字』も出てこない。だけど……俺が運転してる電車で、ぐちゃって音がして、一人の命を奪ったことは事実だ。そんなの、事故として忘れろ、納得しろ、なんていうのが無理やったんや……」
「嫌な話やな。花子さん、なんも悪くないんに」
「『悪くない』なんていうのは、運転席に立ったらありえないんだよ。人を殺す力を行使してることには変わりがないんだから。……だから、せめて責任を果たす意味で、俺は運転席を離れた。部下に乗客への説明を任せ、俺は彼女の上半身を探すために外に出た。本当は俺が説明をしっかりしないといけないことなんて百も承知だったのに、俺はよくわからん理屈で自分を正当化して、半分吹雪のようになって視界がはっきりしない中、俺は千切れた足の周りを探したさ」
「動転……してたんやな」
「千切れた足から少し離れたところに雪の上を血が引きずった跡を見つけた。そして、そこから十メートルほどのところに彼女を見つけたんだ。まともな呼吸もできない中、『痛い。助けて』って声にもならない息をあげている彼女を。彼女は上半身だけで線路側の雪の上をうごめいていて、弱々しい動きからなんとか生きてしまっていることを感じてしまった。……俺は、彼女の前で呆然と立ちつくすことしかできなかったんだ。口をパクパクさせながら、弱々しく俺のズボンの裾を掴もうとしている彼女の手をどうすることもできず――たぶん俺自身もきっとよくわからないところを見つめて、呆然としていたんだと思う。――その後、なんか部下が俺の足にまとわりついて死んでて、なんか俺自身もなぜか死んでて…………随分と長い間電車にいた。気付いたら自分の足が千切れて、無かった。よくわからんままに電車を走らせていた。なのに、ある日気付いたらここにいた。でも正直、女子高生を殺した記憶とここに来てからの記憶しか俺の中でははっきりしてないんだ」
「難儀やったんやなぁ、花子さんも」
「未だに、全部が夢だったんじゃないかって現実味がない。でも、ここに来てからは一向に明けることのない夜を通して、たぶん夢じゃないんだってことを確信してる次第だ。皮肉な話だがね」
「まぁ、もしかしたら、花子さんの轢いたのは礼子ちゃんやったんかもしれへんで。ウチの隣のその部屋は、いつも礼子ちゃんが使っとった部屋やし……そういう因果があるんかもしれん」
「そんな因果は…………面白くないなぁ」
面白くない。全くだ。
おそらくフランクに話しているこの二人は、その雰囲気に反して壮絶な死を遂げたのだろう。
よくわからないままに死に、よくわからないままにここにいる。正直、「花子さん」になるには充分な条件であるが、それ故に生者である自分とは同じ存在ではないことを痛感させられる。
「それにしても、一回、花子さんに会ってみたいもんや」
「ああ、俺も花子ちゃんに一回会ってみたくなった」
「首さえ縄で繋がれてなかったら、きっと会いに行けるんやろうがな」
「足さえちゃんとあれば、きっと会いに行けるんだろうな」
「……無理やな」
「……無理だな」
手を伸ばせば、きっと個室の鍵は開けられる。扉を開くところまではできるのだろう。しかし、扉を開いたからって、その後の進展はない。そんなことが、二人の会話からわかってしまう。
自縛霊。
その存在はその場所に縛られ、動くことは一切許されない。誰かの顔を覗きに行くことも、誰かの存在とふれあうことも許されない。
そんなことがわかってしまった。わかってしまったら、なぜか、私の身体は自然と動いていた。
「あーあ、お互い、紙もなければ神もいない、か」
「自分の尻さえ拭えないなんて皮肉なもんだ」
「……紙! ありますよ!!」
気付けば、私は手に持ったワークのページを破いていた。びりびりという音が冷たい個室に響き、三枚の紙が手に入る。
再生紙の質感はトイレットペーパーのそれに遙かに劣るが、今の状況を拭い去る気休めくらいにはなるだろう。なんとか……してあげたかった。私にできる何かを。
「「…………な!?」」
バタンッと扉をあけ、私は二つの個室の前に立つ。
鍵は閉まっている。しかし、彼らが中にいる息づかいはたしかに感じられる。
「扉、あけてください。……紙、ありますから。渡しますから」
自分でも不思議なことをしている。「トイレの花子さん」に紙を渡しに会いに行くなんて、そんな話は聞いたことない。
個室を出た段階で、紙はワークの切れ端である必要はなかったはずだ。トイレのロッカーあたりを探って、トイレットペーパーを探すこともできた。そもそも扉を開けて勇んで個室を出た段階で、トイレから出てしまうこともできたのだろう。
しかし、不思議とそんな選択肢は微塵も頭に浮かばなかった。でもよくよく考えると、そんな考えをもってしてでは個室から出ることはできなかったのかもしれない。
――刹那のためらいの後、言葉無く片方の扉の鍵が開く。そして、一つ間があってそれに呼応するかのように、もう一つの扉も開錠される。赤い印が青い印に変わり、扉は開く状態になった。
「あけて、頂きますか……?」
ビィ、ガーゴォオオオオオオ!
返事の代わりにけたたましい音が鳴り響く。そして、ゆっくりと――だが確実にその両方の扉は開いていく。
そして、気付く。そこにいるのは「トイレの花子さん」であり、凄惨な死を遂げたはずの二人であったことを。そして、思い知らされる。自分はその存在に慈愛の気持ちを抱き、「人間」がそこにいることを想像していたことを。
しかし、現実は違った。彼らは幽霊の類であり――実際、私が想像するほど視聴に堪える存在ではなかった。
「………………あ」
視界に入ったその光景は、私の情報処理の範疇を越えていた。だからだろうか? 私は無意識的に自分のことをシャットダウンしていた。つまるところ、生やさしい光景では無かった故に、失神してしまったのだ。恥ずかしながら。




