もじもじくんとくねくねちゃん⑤
――★★★――
「夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だっ!!」
うわごとのように言葉を繰り返し、走った。
私は山の奥へと進んでいく。祠を越えたその先は舗装された道は息を潜め、獣道がそれに代わって延々と続く。本格的に山入りをする準備をしなければ、体のそこら中が傷だらけになってしまいそうな道を、ただ一心不乱に走っていく。
走って走って走って……そして何かを蹴飛ばして、ようやく息が切れて膝をついた。
「なんで……なんで……!」
途中まではたしかに信彦だった。信彦は、あの白い化け物なんかじゃなかった。
いつからだ? いつから信彦は化け物だった?
出発時には――みんなの前に化け物が混ざっていたとは考えづらい。
十一組目とすれ違った時には――信彦も相手も普通の対応だった。
十二組目とすれ違った時には――こちらも十一組目と同様。
それなら、タイミングとしてあげられるのは、祠にて視線を下ろして視線を上げるまでの一、二秒程度。あの瞬間その時だ。
だが、その短時間で入れ替わるものなのか?
夢の時も一瞬で信彦は姿を消した、しかし、それは別に白い化け物と入れ替わったわけではない。
頭の中が混乱する。酸素が足りてないことも相まって、私は息を切らしながら答えの出ない疑問にうろたえている。
「――あれ?」
何の気なしにスカートのポケットに手を突っ込む。すると、いつも入れているはずのケータイがないことに気付く。
「電話、ケータイ、どこ……?」
獣の鳴き声があたりに響く中、渇いた喉に唾液を一心に取り入れながら暗がりの地面を探す。明かりもないので、自分の周囲にあるのかないのかを確認するのでさえままならない。
慎重に歩き回っている中、「バキッ」という何かが折れる音にハッとさせられる。
(まさか壊した……?)
と思って、恐る恐る足下に目を落とすと、そこには綺麗にまっぷたつに割れた物体。拾い上げると、それはケータイのバッテリーをカバーする外装の一部だった。
ケータイを部分的にとはいえ壊してしまったことのもどかしさよりも、近くに自分のケータイが落ちていることをある程度確信できるものが見つかったことに若干の安堵を覚える。
その周囲を探してみると、少し離れた位置に泥だらけになったバッテリー、更に進んだところに本体を見つけた。外装は泥だらけで、ところどころプラスチックが欠けている。
派手な壊れように、何かを蹴飛ばした記憶が繋がる。確信はないが、そうでもないとこんなにバラバラになることもないだろう。
「繋がるか……?」
バッテリーを入れて、なんとか電源を入れようと頑張ってみる。しかし、一瞬光った後は外と同じ黒を力無く示すだけだった。
「ダメか」
死んでしまったケータイをポケットに入れ直す。逃げてるその時に、そんなものなんて放っておけばいいのに、どうしてか私は余計なことをしたがる。そんなことをしていたら、ほら――
『見ツケタ』
――追いつかれるんだ。
「……う、ぁ」
突然すぎて声が出ない。後ろにいるのはわかっているが、走って逃げることも、大声を出すことさえままならない。
『ドウシテ逃ゲル』
音もなく近寄ってくる……でもなく、「ザッザッ」と地面を踏みしめて近づいてきているのがわかる。
「怖い、から……」
叫ぶでも逃げるでもなく、どうしようもない私は化け物の声に答えていた。理由を言ってどうにかなるものでもないが、ひりだしたその声に応じてか、たしかにその足音は止まった。
「ナニガ怖イ」
「白い、お化け」
その返答のあと、少しの間静寂が訪れる。そして、ただただその何かが、後ろから威圧感を放ってくる。
――ザッ。
息の詰まるような静寂を先に破ったのは、後ろ。しかし、その時には私の身体は動くようになっている。
「うわぁああああああああああああああああああああ」
恐怖心を誤魔化すために張り裂けんばかりの声を上げて、足を踏み出す。一歩が出てさえしまえば、私は前のように全力で走ることができている。
「はぁ、はぁ、はぁ」
『待テ!』
この世のものとは思えない声が後ろから近づいてきているのがわかる。おそらく、その白い何かは私のことを追いかけている。
だから、逃げる。逃げ続ける。一心不乱に逃げる。
『待ツンダ!』
もう正常な判断なんてできない。私はただ、その『何か』から少しでも遠くに離れようと思って駆けていた。ひたすら全速力で山道を走った。
『待ッテクレ!』
真夜中の暗闇の中、おぞましい電子音が私を追いかけてくる。だから私は、一直線にまっすぐにひたすらに、ただ逃げる。逃げ続ける。逃げることしか考えていない私の頭には、進んだ先にあるものなんて想像することはできない。たとえそれが、私の人生を確実に終わらせる要因になっているとしても、私はそれを考えるような余裕なんてないのだ。
(逃げろ。捕まったら、ダメだ。逃げるんだ)
一種の偏執病にでもかかったがごとく逃げる私の耳にはもう電子音すら入ってこない。そもそも音なんて何も――
「つかさ!」
その一言――名を呼んだのは、たしかに信彦の声だった。信彦の声だったから、一瞬思考が止まり、次に出てくるべき足が出てこなかった。
だから私は地面を踏みしめることが叶わず、慣性の力に従って倒れるように前に進んでいくことしかできなかった。そして、倒れている最中、その倒れた先に「無」があるのがわかった。
無に落ちることから逃れるため、反射的に身体を後ろにひねる。しかし、割と長い時間走って殆どスピードが死んでいた身体とはいえ、慣性の力は残酷に無の底へと引きずり込もうとする。
(私、死ぬのか……)
ああ、また繰り返してる。また同じことを繰り返してるんだ、私。たぶん、次もまた繰り返すんだ。そして、何度も死ぬんだ。きっとこの輪廻からは抜け出せない。
運命を悟って落ち行く私が捉えたその姿は、白い何か。白い化け物だろうが、今から死ぬ私には関係ない。そんな奴に、手を伸ばして助けを乞うはずなんてない――
「つかさッ!!」
助けを乞うはずなんてないのに。その声に応えて、私の手はその手に伸びていた。その声があまりに全力な信彦の声に似ていて――その声を発した存在が、あまりにも私の「好きだった人」に似ていたから。
「のぶ……ひこ……」
「うぉおおおおおおおおおおおお!!」
掴んだ手は放り投げるように一気に私を森に引き寄せる。そして、「もう絶対に逃がさない」というように、私の身体に覆い被さってきた。
「「はぁ、はぁ、はぁ……」」
折り重なった身体から、別々の吐息が漏れる。
「はぁ、はぁ、つかさ」
「のぶ、ひこ」
「もう、大丈夫だ」
少し震えた声で、信彦は私をきつく抱きしめた。「ポタッ、ポタッ」と、なぜか少し肩が濡れた。
「絶対に、一緒に、帰るんだ」
「私はもう、死ななくて良いのか……?」
「死なせるもんかよ……絶対に」
目頭が熱くなる。気付けば、私も信彦の肩を少し濡らしていた。
「信彦、私、好きだったのに……ごめんな」
「謝るなよ。俺は、今でもつかさのこと好きなんだから」
「そんなこと言うなよな。私はもう、信彦のこと好きになるなんてことできないのに……」
「良いんだ。俺は、つかさが苦しい思いをしなければ、それで。好きな女のために何かできれば、それで」
「信彦……ごめんな、本当に、ごめんな……」
その後、再び集会所を目指すその時まで――私たちは、崖のそばでお互いの肩を濡らし合った。




