口と酒は女にとって災いの元かもしれない④
何でも先日、オリンポス十二神麻雀最強決定戦が行われたらしい。それはそれは随分白熱した戦いが繰り広げられたようだ。
そんな中、一際厳しい表情でオーラスに臨む神がいた。美と愛と性を司る神アフロディーテである。
彼女は最終局面で断トツのビリ。ビリは罰ゲームがあり、そのままではどう転んでも罰ゲームを受けるのはアフロディーテであった。
罰ゲームを決めたのはその麻雀大会の前日。酒宴を開いて、浴びるように酒を酌み交わしていた女神は酔っぱらいながらこう宣った。
「わたくしの能力を百パーセント駆使すれば、どんな殿方、どんな状況においても確実に落とせますでしょう」
それに対し、神々は酔った勢いで噛み付いた。
「能力というが、結局は顔だろ? 顔が醜くてちょっと奇行に走ってりゃ、いくら愛の神といえど、構ってもらったり引っかけてもらうことなんてできんね」
と。これに対し、アフロディーテは激昂。酔った勢いでとんでもないことを言い出したのだ。
「良いですわ、そんなに言うなら見せて差し上げましょう。今度の麻雀大会で負けた場合、如何なる容姿で如何なる奇行に走っていても、わたくしは引っかけられるということを証明して差し上げます」
その時は酒の勢いで言っただけだったのだが、いざ罰ゲームが見えてくると彼女は動揺し始める。
(確かに如何なる容姿、如何なる奇行とも言いました。だけど、人間界に降りて、『口が耳まで裂けた顔面』で、『刃物を持って小学生男子を追いかける』なんてことをして、誰が引っかけてくれるというのでしょう。救援策として、『べっこう飴を拾ってでも食べちゃう属性』なんて付与されても、誰も喜ばないでしょうに)
迫り来る理不尽な罰ゲームに対し、彼女は震えた。麻雀牌をまともに掴むこともできなかった。
そして動揺を隠しきれず、結果は断トツのビリ。罰ゲームを甘んじて受け入れることとなったのだった。
「わたくしは、誰かに『引っかけられるまで』元の姿に戻ることも天界に戻ることも許されなかったのですが……ようやくあなたがわたくしを引っかけてくれたお陰で、なんとかこうして罰ゲームから解放されることができました」
「えと………………『引っかける(物理)』!?」
訳がわからないよ! 正直、頭がおかしくなりそうだった。
「いいんですか、それで?」
「いえ、本当は男に性的な意味で引っかけられてこいと言われていたのですが、ゼウスが夜の相手をして欲しいから早く帰ってこいと仰いまして。罰ゲームは一種の呪い……ノルマを達成するまでは、わたくしは顔を戻すことも行動も改めることはできませんでした」
「ああ、大変ですねぇ……とは思いませんよ」
「何故!?」
勘弁してくれ。神々の性事情なんて、そんなもん誰が聞きたいよ。
「露骨に嫌な顔しないでくださいよぉ。我々の神話では日常茶飯事ですから。人間だってほぼ毎日一回はやってますでしょ?」
「私はやったことありません」
「……ふえぇ? ………………オゥ」
どうして私は女神にまで哀れまれられなければならないのだろうか。さっきまで口裂けた状態で気ぃ狂ったように小学生追い回していた神様に。
「ま、まぁ、それはさておき。あなたに助けて頂いたのは事実です。助けて頂いたのですから、神として、相応の謝礼を払うべきでしょう」
可愛い声をいくらか落ちついた声色に変えて厳格さを出そうとしているのが伝わってきたが、如何せん、キャップにサングラス、大きなマスクという不審者完全装備で言われても、神々しさどころかシュールさしか感じない。これは敢えて笑うところなのだろうか? 笑った方がいいのか?
「……といっても、わたくしとて天界に生きる者。下界である人間界に多大な影響をもたらすようなことはできません。人間間のやりとりでは、こういうときは金で取引をしようとするのでしょうが、生憎銀や銅をもたらすことでさえ禁じられております」
「い、いや、気にしないでください。治療費さえ払って頂ければ満足ですから」
純金だか、十八金なんてもらっても逆に困るよ。
「はい、えぇ、それは無理なんです、はい。申し訳ないんですが、それが許されるのは商業や経済の神だけで、美と愛と性を司るわたくしはそれらをお金で解決するようなことは許されていないのです。残念ながら、愛はお金では買えません」
「いや、愛をお金で買おうと思ってはいませんよ。ただ治療費を払って頂ければ、それで」
「全ては愛です。わたくしがあなたに治療費を払うこと、それは愛です。しかしわたくしはあなたを側で見守ることでそれに代えたい!」
「いや、意味わかんないよ! あんた体よく治療費なんか払わないって言ってるようなもんじゃないですか!」
「むむぅ………………」
顔に手を当て、考え込む姿勢を取る女神。やがて「どうすっかなぁ」と小声で呟き、コートからタバコを取り出しておもむろに火を付けた。
「…………あ、吸われます?」
「私、吸わないんで」
「あ、あぁ、ごめんなさい。もしかしてタバコお嫌いでしたか……?」
「そもそも病院ではやめといた方が良いかと……」
マスクを下げてタバコをくわえようとしていたが、直前で留める。
「……ん? あ、そうでした。人間界では御法度でしたね」と笑いながら火のついたタバコを消そうとするが……近くに灰皿などあるはずもなく。どうしようどうしようとしばらくあたふたしていた。しかし、やがて閃いたようにマスクを取り外してそれを包み、近くのゴミ箱に捨ててしまった。
しかしマスクを外してしまって、目の前の女神にはもう口裂け女の面影などない。サングラスとキャップで顔を隠している様など、整った口元から見るにアイドルか何かのお忍びと見間違えてしまいそうだ。…………というか、そこらのアイドルなんかでは太刀打ちできないほどに目の前の女神は美しいのだが。
「ふむぅ……では、こうしましょう」
ポンッと手を叩く女神だが、正直治療費を払ってくれないなら大人しく天界に帰って頂きたいことこの上ない。神々の遊びに巻き込まれて痛い目に遭うのはもうこりごりだ。
「あなたは実に不幸な星の下に生まれた女性です。愛を抱いたことも、愛を授かったこともない。これはこれは実に不幸です。愛を司る神として、あなたのような敬虔な信者が神の恩恵をその身に受けられないのは実に不憫で仕方ありません」
あなたに言われる筋合いはないし、別に私はギリシャ神話の神々を信仰した覚えなど微塵もない、などと色々突っ込みどころ満載なのは何故だろう。
「なので、わたくしが神の力をもって、あなたに素敵な出会いを提供して差し上げましょう!」
「具体的には?」
「わたくしがあなたの気に入った殿方を魅了して洗脳、あなたの素敵な伴侶になるよう調教して差し上げます!」
「なにそれ怖い」
なんかさらりと恐ろしいことを言ってるようだけど、大丈夫なのだろうか。これだから過激な思想を持つギリシャ神話の神々は…………などと思ったが、どうやら私に口を挟む隙間のないらしい。「それがいい、それがいい! よぉーし、女神はりきっちゃうっ」などと異様に張り切っている様子を見ると、ただただ戦慄するばかりである。
「あなたがご結婚するまで面倒みてさしあげるつもりですので、どうかご安心を。今からあなたに素敵なラブライフが訪れること間違い無しですね!」
「ちょ、ちょ!? そこまで面倒見て頂かなくて結構です。私は私で自力でなんとかします。あなたなんかの力なんて借りなくても大丈夫です!」
「あなた…………『なんか』?」
刹那、空気が凍る――
「神に対してそのような口の利き方は頂けませんね。愛の神程度の力を駆使したところで、あなたに愛をもたらすことはできないと? これはわたくしに対する挑戦と受け取っても構わないでしょうか」
今までの柔らかな声色とは打って変わって、突如として冷徹な声色で女神は話す。サングラスで目の奥は見えないが、おそらくその表情は柔和な笑顔から厳格なものへと変化したのだろうということが声色から予想される。
そういう意味じゃないんだけどな……などと私に誤解について弁明をさせてくれるような空気でもなく。腐っても神といったところか、ただただ言いようのない女神の威圧感に、私はベッドの上で竦み縮こまることしかできなかった。
「気が変わりました。殿方を洗脳してあなたへの愛を誓わせても、そんなものはただの空虚な愛でしかない。わたくし、あなたを世の全ての殿方から愛を受けられるような立派なレディに改造してさしあげます。わたくしは愛の女神であると同時に、美と性の女神でもあるのです。わたくしが教えうる全ての容貌と技を授けて差し上げましょう。わたくしがあなたを絶世の美女にして差し上げますからね!」
「え、いや、その…………」
「マンツーマンで指導して差し上げます。覚悟なさってくださいね」
「神様として、天界の方は…………」
「大丈夫。天界にはわたくしの分身を送っておきます」
いや、本体は天界にいようよ!? 逆でしょ、普通。
「マジですか……?」
張り切る女神に対してノーを突きつけることもできず……私は結局、なし崩し的に女神に女として改造されることとなってしまった。
「あなたには燃えるような恋愛をさせてさしあげますからねっ!」
「勘弁してよぉ……」
半分涙目になっている私のことなどお構いなし。
こうして、私と女神の奇妙な同居生活が始まっていくことになり、美のため愛のため、浮世離れした女神の様々な難題に付き合わされていくことになるのだが……それはまた別の話。そして私の前に素敵な殿方が現れるなんていうのも、まだまだ先の、私の知らない話。
さて言うまでもないが、女神が捨てたタバコの火がマスクに引火、それが更にゴミに引火して結構なぼや騒ぎの原因になったのは、どうでもいい話なのだが……どうやら私はこれを期に、女神の尻ぬぐいのためにただひたすらに余計なお金を払っていかなければならない宿命を宿してしまったようだ。
たしかに私は愛を得られたのかもしれないが……どうやら愛は、多大なお金を犠牲にして初めて得られるものらしい。現実は非情である。
――口と酒と女は災いの元かもしれない――




