憑神啣える夢語り③
今
「どうぞ、お入りください」
「失礼します」
放課後、夕陽が差し込む閑散とした教室。
「わざわざご足労いただき、本当にありがとうございます」
「いえいえ。保護者面談の最後の一人です、先生もお疲れでしょう。どうぞお気になさらず」
学期末の保護者面談。
教師と親が一対一で面談し、子供のことについて他愛もない話を交わし、成績表を配布する恒例行事。
この教師と親の間でも、例に漏れず特に当たり障りのないやりとりが繰り広げられる――少なくとも、有給を取って母としてこの場に訪れた彼女はそう思っていたし、それが変わる可能性など欠片も考えていなかった。
「息子さんは元気に高校生活を送っています。特に悪さをするわけでもありませんし、成績も悪くない。このまま順調に高校生活を進めて欲しいですね」
「そうですね」
やはり当たり障りのないやりとり。特に優秀でも、特に問題を抱えているわけでも、特に気になる点があるわけでもない生徒に対して送られる、教師からの普遍的な言葉。
あえて問題提起をしようとも思わない母は、自分と同い年か少し年下くらいの女教師の言葉に、適当に相づちを打ち、成績表に目を通す。
……なるほど、普通の高校生だ。平均より少し高い教科もあれば、平均より少し低い教科もある。全体として見れば平均値そのもので、とりたてて問題も見受けられない息子の成績表は、まさに先刻の教師の普遍的な言葉に相応しいものだった。
「笑っちゃうくらい普通の子ですよ、彼は。私が特に何か言うことがないのは、おそらく家庭で彼のことを充分に見ている貴方もおわかりのことでしょう」
「家の様子と学校での様子が同じようならいいんですがね」
「いつもだったら、彼のような生徒の親御さんには適当に進路のことについてお話させていただくのですが………………そればかりではつまらない。私も同じような話ばかりして退屈しております」
表情一つ、声色一つ変えずにそんなことを宣う教師。
「そう、ですか」
「なので、少し個人的な話をさせていただきます」
「…………はぁ」
黒のスーツを小綺麗に纏い、黒縁の眼鏡が元からあるインテリで真面目な雰囲気をただひたすらに助長している女教師にそんなことを言われても、一般人の息子に等しく一般人である母は、どのような反応を返せばいいのかわからない。
少々困惑した母の表情を感じ取った教師は、初めて穏やかな表情を作り出す。そして、先刻までとはうって変わった柔らかい口調で言葉を紡いだ。
「十六歳の七月。貴方は、愛した人と『こっくりさん』をしたことを覚えていますか?」
――何を言っているのだ、この教師は――
一般人ならば、おそらくこの教師の意味不明な言動に不信感を覚え、ともすれば恐怖を抱くだろう。保護者面談に足を運んで教師から個人的な話を持ちかけられ、耳を傾けた矢先に出たセリフがこれであれば、ただただ教師の狂気を疑わずにはいられない。
「………………どうして、それを……?」
だが母である彼女は、教師である彼女の言葉を邪険に思い、退けるようなことはしなかった。ただ単純に疑問と動揺を同時に覚え、少し震えた声で、疑問を表現しただけだった。
「その様子では覚えていらっしゃるようですね。安心しました」
「どういうことです?」
なぜ目の前の教師があの大切な思い出を知っているのだろう?
今の夫にも、息子にも、親しい友人にも、家族にも…………誰にも言わず、ただ思い出として閉じこめたあの記憶。そんなものを、どうして目の前の息子の担任は口にする?
「『誰にも言ってないのに、どうして知っているの』とでも考えてらっしゃいますか? いえいえ、私は誰に聞いたわけでもございませんよ」
継続する穏やかな表情と声色。伝えられた事項から覚える感覚は恐怖に近いものだが、不思議と教師の言葉には親しみがあり、これといった不快感もない。なぜ彼と過ごした記憶の断片を、目の前の女教師が共有しているのか……という疑問符ばかりが、母となった彼女の思考を支配している。
「私は全てを知っていますよ。あの日あの時、貴方の愛した彼がどういった意図を持って、こっくりさんに何を望んだのか。あの日あの時、貴方と彼の支配を逃れたこっくりさんの意志が、何を二人の間に示したのか。あの日あの時、二人がこっくりさんに望む答えが何であったのか。あの日あの時、どうして彼が貴方に自分の気持ちを伝えようと思ったのか。あの日あの時、どうして貴方が彼のプロポーズを受けたのか。あの日あの時、二人が教室で何をしたのか。あの日あの時、どのように二人の人生が決まってしまったのか。
私は、全てを知っています。あの日のこと、あの時のこと、私は、全部知っているんですよ。…………おかしいでしょ?」
「あなたは占い師、ですか……?」
「いえいえ。私は私の父と同じく、非科学的なことを本心からは信じませんよ。参考程度、あるいは特定の目的のためにそういった超能力や超常現象の名を利用するかもしれませんが……今はあえて、そんな『占い』などと嘘を吐くつもりもありません。実際に関わったからこそ、私は全てを知っているんです」
「よくわかりませんが……あなたは、なんにも知りません。だって……」
事実じゃないから。事実であることなど、認めたくないから。
少なくとも、彼は彼女にプロポーズなどしてはくれなかった。将来の話をすることは多々あれど、結局彼の口から『結婚しよう』などという言葉が飛び出すことは、ついぞ一度もなかった。
にも関わらず、どうして彼のプロポーズに同意を示すことなどできよう。彼が最後までその一言を伝えてくれなかったばっかりに、二人の関係がもつれてしまったときに、そのまま離別という最悪の結末を迎えてしまったというのに、どうして彼の気持ちに応えることができたと言えよう。
教室で何をしたか? ただ気まずい空気に耐えきれなかった彼が早々に一人で帰宅してしまったのに、二人で何ができたと言うのだ。
二人の人生が決まった? 彼と彼女の思いが通じ合っていたと思えた最後のあの日あの時、二人の人生は交差しないことが決まったと言うのか?
結婚して、全ての記憶を封印したつもりだった。子供を産み、もう思い出さないと誓ったはずだった。
それなのに、どうして目の前の女教師は、それらを一番嫌な形で想起させる? それなのにそれなのに、どうして目の前の女教師に、憤りも抱けない自分がいる?
正直、母になってしまった彼女には、わからないことばかりであった。
「なんにも知らなかったんです、私は。貴方が彼と結ばれることの意味も、彼が貴方と結ばれた結果も、二人がどのような人生を辿るのかも」
「そんなこと、あなたが知るわけがないじゃないですか」
「ええ、知るわけがなかった。しかし、知らざるを得なかったんです。『彼の娘』として」
「………………え?」
彼の娘。
あれ以来の彼のことは知らないが、流石に目の前の婦人が、自分と同い年である彼の娘であるわけもない。そんなことは現実として、あり得るはずもない。
時間の流れに逆らいでもしない限り、そんなことは起こり得ない。
「貴方が私の話を信じるかどうかは別です。信じて頂けるとも思っていませんが、私が貴方にこの『事実』を伝えて、私の物語は完結します」
「ちょっと待ってください。全然意味がわかりませんよ、先生」
「貴方は意味がわからなくていいんです!」
刹那、教師の声が感情を強く帯びる。突然の表情の変化とその険しくなった声色に、母である彼女は萎縮する。
「………………失礼、しました。貴方にはおそらく言ってもわからないですし、私が貴方に伝えた瞬間全ての歯車は修正され、私の存在そのものが消滅してしまうでしょう。だから、これは孤独な科学者の自己満足のためだけの『夢語り』です。誰も確かめる術を持たない、虚しいだけの、呟きです。宜しければ、十分ほどお付き合い願いたい」
「………………構いません。わたしには何も理解できないかもしれませんが、あなたのお話をお聞きしましょう」
教師の目に浮かぶのが涙であり、その険しいながらも平静を保とうとしている表情の奥にある感情に紛れもない『業』を感じた母は、話に耳を傾けることを決めた。
忘れたくとも忘れられなかった彼の物語………………その続きがあるならば――たとえ幻想であれども――聞いてみたかったからに他ならない。
「結論から言うと、貴方と彼は結婚しました。そして、一人娘を授かりました。
結婚生活は大変双方にとって満ち足りたもので、愛する者と共に過ごせることの悦びや、愛する者双方の血を繋ぐ愛の結晶の存在は、毎日を充実させたものにしました。夫は妻と娘のために、妻は夫と娘のために、ただ偏に満ち足りた感情を抱くと同時に、身を粉にして献身的に尽くし続けました。
その結果、不幸なことに夫は死にます。至極呆気なく……愛する妻と、愛する娘を残して逝ってしまいます。娘は三歳――まだ右も左もまともにわからず、ただ父と母の愛だけを感じて育ってきた少女は、家族の欠落に大きく困惑しました。『大好きだった父の愛をもう受けられない』……涙ながらに語る母に抱きしめられて、もう父に二度と会えないことを悟った娘でしたが、母の命を削った献身的な子育てにより、彼女は健やかに成長しました。そして、娘が大学を卒業した際、母は息が切れたように父の後を追いました。
母は再婚もせず、ただひたすらに父への愛を語っていました。父への愛を語ると同時に……もう二度と二人で気持ちを照らし合わせることができない寂しさを、その表情に内包していました。
おそらく彼女の顔に、昔のような天真爛漫な朗らかな笑顔が灯ることはもう二度と無かったでしょう。母の苦悶を浮かべた表情しか知らない娘は、ただただいつぞやのように母に笑って欲しかったのですが、それも叶わず。どうすれば母が笑顔になれるのか、どうすれば父はあんなに早く逝かなかったのか、どうすれば皆が幸せな人生を送ることができたのか、娘はひたすら考えました。全分野に渡る知識を蓄え、研究者として、ただその一点の解決のためだけに、人生を費やしました。そして、ともすればファンタジーとも言える結論を得ます」
――過去を変えて、全てをリセットしよう――
「母の最高の幸せは父との邂逅によってもたらされました。おそらく、結婚という過程を経てその幸せは絶頂に達したことでしょう。……だからこそ、短すぎた夫婦としての期間が――長すぎた母としての期間が――彼女の人生に影を宿した。ならば、『彼との結婚を無かったことにすれば』、彼女が笑顔を失うことはないのではないか? まだまだ幼くも稚拙な思考しか持ち合わせていなかった娘は、母の死以来、ひたすらそれを実現するためだけに努めました。
あらゆる技術を投入して、あらゆる資産を投入して、最初は、過去を覗くことしかできませんでした。結果として、過去への物理的干渉は不可能であるという理論を得た上でしたが、過去を覗くことを可能にした娘は、あらゆる人間からその功績を認められ、彼女は未来において数々の科学賞を受賞しました。しかし、それで過去は変わるわけもなく、限界への虚脱感を覚えながら、ひたすら彼女は父と母の過去を覗き続けました。
そしていつしか人の限界、理論の限界をも超越した彼女は、過去への物理的な干渉を可能にしました。……といっても、その力は決して大きなものではなく、硬貨を動かす程度でしかありませんでした」
そう言って、女教師はおもむろに財布を取り出し、机の上に緑青がまばらに目立つ十円玉を置く。
「途方もない時間、他人の人生の歴史を眺め続けていた娘には、その技術をどこに使えば過去を変え、未来を変えられる可能性が一番あるのか目処が付いていました。そして、ほんの些細な干渉を行ったのです」
そっと十円玉の上に指を重ね、母にとっては忘れられない軌跡を再現する。それはまるでその軌跡上に文字があったとすれば、どういった言葉をなぞったのかまで正確にわかるような。
「『な・い』。たった二文字をなぞらせただけの変化でしたが、確実に歴史は変わりました。こんな些細なことで人の歴史が容易に変わりうるものか、と娘は当初半信半疑でしたが、どうやらそれは杞憂であったようです」
「どのように変わったのですか、二人の人生は?」
「父は死にませんでしたし、母も笑顔を失いませんでした。父は父の家庭、母は母の家庭を持ち、生まれるはずのなかった二人の子供を誕生させました。そしてそれは同様に、三人の子供の存在を消滅させました」
「………………え?」
「娘が確認できた変化はここまでです。娘は最終的に自らを過去に飛ばすことにさえ成功し、全ての歴史をその目に刻んで、歴史を変えたことの証明、タイムマシンを開発した証としました。しかし、娘が歴史の変化を確認できてしまったということは、タイムパラドックスを引き起こすのです。変化した歴史の中には、父の存命、母の笑顔を望み、幸せな家庭を得ようと頑張った『娘』はいません。この世界の中には、タイムマシンを開発した娘などいないのです。
よって、娘が自らの成果を確認することは即ち、自らの存在を否定することに他ならないのです」
「矛盾が、生まれますね」
「ええ。……しかし、じきに矛盾は解消されるでしょう。要は存在しないはずのものが、そのまま存在しなければそれで良いのです。娘はその目で矛盾を確認した直後から、歴史から除外されることが決定しています。………………おかしいですよね。わざわざ自らの成果を確認することで、自らの存在を消滅させるなんて。自己満足に他ならないです」
気付けば、教師は目から涙を零していた。努めて柔和な表情を保とうとしつつ、彼女は止めどもない雫を滴らせていた。
「娘は、望むものが見られて幸せだったのでしょうか? 父と母の幸せをねじ曲げた上で、娘が勝手に思った三人の幸せを追い求めて良かったのでしょうか? 私には、わかりません。貴方は今、幸せであると思いますか?」
「わたしは………………」
母は答えない。答えられない。
「父を今でも心のどこかで思っている。父も、心のどこかで母を思っていることでしょう。
結局二人は互いの気持ちを断ち切ることなんてできなかったんです、きっと。もしかすると、生まれた時から愛し合うことが決まっており――不幸な人生を歩むことが宿命づけられた二人であったのかもしれません。過去を変えたところで結末は不幸のまま。………………因果です」
「……でも、これからの人生、わたしたちは幸せな生活を営める可能性もあるでしょう?」
「………………わかりません、そんなことは。少なくとも、娘はそんなことを確認する術はありません」
やるせなさを含んだ、力のない言葉。
娘は過去を変えられても、自分の人生を変えることなんてできなかった。母の人生、父の人生は変えられても、自分の人生を変えることはできなかった。
「しかし、一点。娘は確認できなくともわかることはあります。心配なさらずとも、『もう過去が変わることはない』。いっとう幸せに過ごしてください、お母さん」
「………………あなたは……」
母の言葉を無理矢理遮るように、教師は口を開く。それはまるで、母の言葉から紡がれる言葉を聞いて、もう感情を揺さぶられたくないというように。
「長くなりました、申し訳ありません。これからも息子さんのことは見守ってあげてください。以上で、保護者面談は終了します。気を付けてお帰りください」
いつぞやこっくりさんが行われたその場を、一人の母親が後にしたそのとき、教室にはただ朱い朱い夕陽が差し込むばかりであった――
――憑神啣える夢語り――
三題噺――鬼畜版
1、登場人物の固有名詞を作中で登場させてはならない。(つまり会話中や地の文に名前が出てきてはならない)
2、作品に使える舞台は一つ。(教室、体育館、など。「学校」などの広いくくりはNG)
3、一回の会話文のセリフが700字以上のものを一つ以上入れ込む。
で書きました。最初の回想のところは舞台に含まないということでどうか……




