憑神啣える夢語り②
昔
よく晴れた日の放課後、彼は突然こんなことを宣う。
「なぁ……こっくりさんをやらないか?」
教室の中には、彼と彼女が二人きり。彼女は首を傾げて問い返した。
「突然だね。どうして?」
珍しく神妙な面持ちな彼に対し、彼女は単純な疑問を投げかける。
こっくりさんなど、今時どこの高校生がやっていることだろう。最近では昔のような都市伝説ブームも去り、そのような遊びに興じている者など誰もいない。
仮にそういった心霊現象に肖った遊びをするにしても、今風に改変された新しい名前の降霊術が行われただろう。こっくりさんはあまりにも有名だが――あまりにも有名になりすぎた故に――今となっては胡散臭さの方が強く漂う。
良識ある高校生が、まさか本当にこっくりさんの恩恵を受けられるとも思っていないだろう。それにもまして、こっくりさんなどをして、その神力によって如何なる情報を得ようと言うのか。
彼女には、彼の思惑がわからなかった。それ故の単純な疑問を込めた返答だったが、彼はその返答を受けて少し表情を曇らせる。
「えと……嫌か? いや、高校生にもなってこっくりさんだ。そりゃ、嫌だよな……」
「別に気にしてないよ。君とやるなら、たまにはそういうのも悪くない。ただ、どうして今そんなことをしようと思ったのか、単純に気になっただけ」
「それが、その…………よく、あたるらしいんだ」
どこか決まりの悪そうな顔をして、彼は呟いた。
彼はこっくりさんの御言葉など信じていない。こっくりさんなるものを降霊させれば知らないことを教えてもらえるなど、完全な作り話としか思っていないだろう。
「やろう」といった彼だが、やはりその目には半信半疑な迷いが残る。どこか迷いを残す態度に、彼女はいつもの「彼らしさ」を捉えた。
「そう。なら、ちょっとだけやってみようか」
この後は予定もない。おそらく、教室にやってくる生徒もいないだろう。
そう思った彼女は、彼の誘いを受けた。
「あたる気、しねぇえな」
彼は彼女に力無く笑う。
「ふふ、そうだね」
そして彼女はそれに応えていつもの元気な笑顔を浮かべる。
円形に並んだひらがな。中心に描かれた鳥居と、その上に乗せられた十円玉。
彼が用意した画用紙に、黒マジックで走らせた彼女の流麗な文字。そして、彼と彼女の財布を探し、たった一つだけあった緑青が疎らに目立つ十円玉。整然とした土台に色褪せた十円玉は、どこかくたびれた印象を抱かせる。
それでも、別段その状況が「こっくりさん」をやるにあたり差し支えのあるものでもなく……彼は彼の思いを胸に、彼女は「この後手を洗わなくちゃ」という半ばどうでもいいことを考えながら、二つの人差し指を十円玉に重ねた。
「こっくりさん、こっくりさん。よろしければお出でください。お出でて我らとお戯れください」
彼がそんなことを殊更真剣に宣うが、周りの空気が変わるわけでも、目の前の十円玉が何かしろの動きを見せるわけでもない。静寂が教室を支配し、何とも言えない間が二人の間に流れる。
「………………」
「………………ふふ」
「んぁ、な、なんだよ」
まず、気難しい顔をして黙っている彼の表情に耐えられなくなった彼女が吹き出し、それに呼応して彼はなんとも気の抜けた声を漏らす。
緊張が一気に緩み、二人の表情はどこか安心しているような笑顔でありながら、どこか残念がり苦笑するような面持ちであった。
「だってぇ、あんまり君が真剣な顔でそんなこと言うから」
「そんなこと言うなよな。そんなこと言ってたら、来るもんも来ねぇ――ッ!?」
刹那、十円玉が動く。動く、といっても小刻みに揺れるばかりで、「こっくりさん」なるものの大いなる意志を感じ取れるには至らないほどの微細なものであった。
「えと、あぁ……こっくりさん、もしかして、お出でになられたのですか……?」
彼は瞬時に真剣な表情を作り直そうとしたが……驚きがあまりにも大きかったためか、動揺隠せぬ頓狂な表情と声のままで、そんなことを言った。
彼とて、「もしかして彼女が動かしているのではないか」という思いがよぎらないほどに鈍感ではなかったが、彼女は彼女でそれなりに驚いた表情をしていたので、彼は、
『本当にこっくりさんが来たのではないか?』
という、半分の期待と半分の焦りを抱えていた。
そんな中、小刻みに揺れていた十円玉はやがて穏やかに動きを止める。だが、彼の覚えた感覚は『終わった』ではなく、『止まった』。動きを止めた十円玉の上に乗せた指が、まだ紛れもない『意志』を感じ取っている。
「も、もう一度聞きます。こっくりさん、お出でになられたのですか……?」
外からはしきりに部活動の声が入ってくるが、それが逆に教室の静かさを際だたせている。彼が確認のセリフを発したのを最後に、余計な声も音もない――ただ研ぎ澄まされた静寂が教室内を支配して、呼吸の音さえ響かせられないような緊張が二人の間に走った。
そして、仄かに言い知れぬ熱を帯びた十円玉は誰の意志にも反して動き出す。
『は・い』
ゆっくりとまっすぐな軌跡を描いた銅の硬貨は、たしかに『は』と『い』の文字をなぞる。
「動かして、ないよな……?」
「わたしは、動かさないよ……」
半ば広がる期待。半ば訪れる戦慄。
半々の感情が渦巻く中、彼は当初の目的を思い出す。
「あ、あの、こっくりさん」
聞きたかったこと。眉唾な都市伝説に頼ってまで、ただただ確かめたかったこと。
都市伝説なら都市伝説で良かった。むしろ、都市伝説の方が良かった。現実に起こり得ず、ただのうわさ話であって欲しかった。
ただのうわさを確かめる過程で……彼は彼自身の気持ちを彼女に伝えても良いと思っていたのだ。もしかしたら、彼女自身が彼の気持ちをそのまま代弁してくれるかもしれないという淡い願望すら込めて、彼はこの遊戯へと彼女を誘った。
「俺の結婚相手は、どこにいますか?」
真剣な表情と声色。『馬鹿げている』と、当初は彼自身も思っていた遊戯に対して、彼はふざけた気持ちもおどけた調子もなしに、そんなことを宣う。
そんな彼を見て――そんな彼の言葉を聞いて――彼女は何を思っただろう?
彼の伝えたかった意図はまだ未完成だ。この遊戯を終えたとき、彼は彼の意図を完成させた形で彼女に伝えようと思っている。しかし、その意図の断片は……いや、敏感な彼女であれば、断片ではなく全体が既に見通せていたかもしれない。
何とも言えない複雑な心境を抱えながら、彼にわからない程度に彼女は頬を朱らめた。
『こ・こ・に』
十円玉は画用紙を擦る音を僅かに立てながら、『こ』の文字へ動き、真ん中の鳥居に一度戻ると、また『こ』の文字へと動いた。そして、流れるように『に』の文字へと重なる。
都市伝説の真偽はどうあれ……彼が、あるいは彼女が十円玉に同じく指を乗せているということは、どちらかが動かしている可能性がある。というよりも、都市伝説に上がる『こっくりさん』なるものの神秘的な力を信じないのであれば、どちらかが動かしていると考えるのが至極自然であろう。
ならば、この遊戯の結果並べられた日本語は、彼か彼女の意志を反映したものと受け取ることができる。よしんば、『こっくりさん』なるものの意志が本当に十円玉を動かしているとしても、都市伝説通りであればこっくりさんの予言は正確無比、絶対真理のはずだ。
彼は、彼女の意志が確かめたくてこの遊戯を利用することを思いついた。今そんなことを確かめることに絶対的な理由も必要性もないのだが……なんとなく、彼はどうしても確かめなければならないような気がしていた。
自分は彼女のことを好いている。彼女と共に、彼女と夫婦の契りを結び、余生を過ごしたいと考えている。
お互いの気持ちをいま確定させなければ、おそらく彼女との関係は途中で終わってしまう。学生時代に破局を迎える、ありがちな『子供の恋愛』で片付けられてしまう。
それが無性に怖くて…………彼は、動いた。『いま』それを確かめることに必然性など何もないが、『いつか』としてしまっても、確かめられないまま全てが終わってしまっていそうだ………………そんなことまで彼が考えたのかは彼以外の誰にもわからないが、彼は『いま』動いたのだ。
どのような結果が訪れても笑って、無かったことにできる今日のような何でもない日を選び、彼は期待と不安を同様に抱える問題を解決しようとしたのだった。
『い』
十円玉は『い』の文字をなぞった。彼は十円玉の進む軌跡の先にある文字を確認し、
『こ・こ・に・い・る』
目の前の彼女のことを示す答えを、十円玉はなぞってくれると確信する。そして、真っ直ぐに『る』の文字へと進む十円玉は――
――突如として進路を変え、『な』『い』をなぞった。
「…………あれ?」
「お、おいおい嘘、だろ……?」
「『こ・こ・に・い・な・い』。こっくりさん、随分とひねくれているみたいだね」
彼女の表情は笑顔。それ故に、この答えが彼女の本意であるのか、それとも思った結果にならなかったことを誤魔化すための虚勢なのか…………彼にはそれがわからない。
所詮この遊戯が示した答えなど、何の強制力もない、ただの言葉の羅列に過ぎない。
しかし、何故か………………彼はこの答えに、永久にも渡るだろう喪失感と、絶望を覚えずにはいられなかった。
彼女とは結婚できない――そんな思いを抱えた彼と、彼の愛した彼女は、その遊戯から四ヶ月後、ほんの些細なすれ違いの積み重ねから、離別を取り決めた……。




