メリーさんと魔法使い①
「メリーさん?」
「そ。メリーさん」
目の前の同僚は、もう三十にもなって何を馬鹿なことを言うのだろう。
「メリーさんって……都市伝説の?」
「全くもってその通り。その様子だと、概要は知ってるよな?」
「まぁ、一応は……」
地球温暖化の影響もあってか、今年の夏は灼熱と言い換えられるほどに熱かった。
オフィスは、外と比べれば冷房が効いているとはいえ……それでも、四十度近い気温の力の前には、我が会社の経済力は及ばなかったようで。長年使い込んでくたびれてしまったクーラーと、節約を謳った『設定温度二十八度』という縛りは、『オフィスを快適な空間にする』という冷房器具に課された使命を果たすのを大いに妨げていた。
そうして、暑くて暑くてうだっていた俺に対し、同僚の山下は、涼しくなるような怪談話を聞かせてくれるという。
山下の話はいつもそれなりに俺を楽しませてくれたので、「今回も目新しい話をしてくれるのだろう」なんて構えていた矢先に飛び出したのが『メリーさん』。
がっかりだった。神妙な顔付きで同僚に、
「お前……メリーさんって知ってるか?」
なんて言われて、涼めるわけがない。むしろ暑苦しい。
「人形を捨てたら、その夜に電話がかかってきて『今あなたの家の近くのコンビニにいるの』とか、『今あなたの家の前にいるの』とか言われれ、最後に『今あなたの後ろにいるの』とか言われて終わる都市伝説だろ? マンションとかだったら、一階上がるごとに電話がかかってくるっていう」
「よく御存知で。まぁ、メリーさんっていうのは、全身白とか赤とかのゴスロリファッションらしいっていうのも加わるかな」
「……で。それがどうした?」
よもやその話をしたいわけではあるまい。
「んっとな……実際に被害にあったんだよ……」
「お前が!?」
「うんにゃ、俺の友達。……何でも、人形を捨てた訳でもないのに、突然電話がかかってきたらしい」
「そりゃ……物騒だな。……でも、身に覚えがないなら怖さ半減じゃないのか?」
「ところがどっこい。段々段々近づいてくるならまだしも、その『メリーさん』ってのは、近づいてくるだけじゃなく、遠ざかったりして焦らしてくるらしい。声は可愛い女の子の声らしいが、本人曰くそれが不気味らしくてな」
「ふーん。それにしても」
『可愛い女の子』か……
可愛い女の子が夜な夜な訪ねに来てくれるなんて、三十にもなって彼女の一人もできなかった俺には魅力的な話だよ。
『今、あなたの後ろにいるの』
って可愛い声で言われた段階で、抱き締めにかかるな、俺だったら。
「おいおい、何言ってんだよ。相手は幽霊だかなんだかわかんねぇような相手だぞ? 振り向いたりしたら殺されるって言うし……」
「馬鹿馬鹿しいとは思わないのか? 『幽霊』だとか、『振り向いたら殺される』だとか。そんなこと考えるくらいなら、ストーカーの方が余程しっくりくる。こんなおっさんをストーキングしてくれる女の子なんて、胸が躍らないわけが無いじゃないか」
「お前……そんなこと言ってるから三十にもなって彼女の一人もできねぇんだよ……」
涼める話もなければ、言い返す言葉もないとは……なんとまぁ。
「うるさい。俺は現状に満足してるから良いの。……ってか、まさかそれで終わりか? 実話にしても、オチがなければ恐くもない」
「まぁ、待てって。何でも、そいつは途中で耐えられなくなって、隣の家に逃げ込んで難を逃れたらしいんだよ。だけど、そいつがその話を他の奴にしたら……」
「他の奴のところに出たってか?」
「察しが良いな! その通り。他の奴のとこにも『メリーさん』が出たらしくて、そいつは次の日から姿を見なくなったらしい」
「『恐くなった友人は、また他の奴にそのことを相談したら、そいつも行方不明。その話をされた奴は尽く行方不明。なんやかんやあって、その話を聞いたら、誰かに話さないと『メリーさん』が出るらしい』ってところだろう? 作り話か、聞いた話かは知らんが、それをさも実話のように言うのは感心せんな」
「うぅ。そんなに作り話ぽかったか?」
「話ができすぎてるからな」
なんて言って、俺はちょっとしたドヤ顔でコーヒーを啜る。……あ、砂糖とミルク入れんの忘れてた。
「まぁ白状すると、ネットから拾ってきた話だよ」
「自分のところに来て欲しくないから、俺に話したってんなら、流石に怒るぞ?」
「………………。お前来て欲しいって言ったじゃん」
なんなんだろう、目の前の三十歳は。いい大人が都市伝説にびくついているとは、嘆かわしいことこの上ない。
「んま。お前だったら誰かに話すこともないだろ。確かめといてくれよ、噂」
「面倒臭い」
「うまくすれば、可愛い女の子と夜な夜な悪いことして、“卒業”できるかもしんねぇぞ」
「黙れ」
こんなアホな会話をしている内に休憩時間は終わってしまい、俺たちは業務に戻った。そして俺は、クソ暑いオフィスでいつものように自分の仕事を終え、ちょっとばかしの残業をこなし、いつもより早くも遅くもない帰宅を迎えた。