私と蛙に毎日ひとつ ~Trick or Treat!!~
こちら、以前書いた短編シリーズの続編となります。
前作までを読まなければ意味の通らない部分がありますので、お気を付けください。
また、前作から随分と間が空いてしまいましたので……以前とはキャラに若干の違和感があったとしても、ご了承いただけると幸いです。
それはとある王国の、とある貴族令嬢と旦那様のこと。
王国貴族の筆頭、アデライト公爵家には一人のご令嬢がいる。
公爵家のたった一人の後継者であるアデリシア嬢。
彼女は自力で探し出してきたお優しくも包容力抜群の旦那様との結婚目指して婚礼準備に余念がない。
実父に反対されても何のその、全く意に介さずに旦那様との輝く未来を目指して邁進していた。
結婚後の幸せな新婚生活を想定して、旦那様が快適に毎日を過ごせるよう庭に泉どころか沼だって増設したのだ。完璧である。
しかし毎日毎日、忙しく準備に走り回っていては、身も心もくたくたになってしまう。
結婚式では幸せいっぱいな姿を衆目に見せつけて、この結婚に間違いはないと知らしめねばならないというのに、肝心の花嫁が草臥れていては台無しだ。
結婚準備期間は進む。
幸せで張りのある生活を送り、より輝く為にも。
そう、リフレッシュの時間は必要だった。
そんな彼女達の元に。
折よく、とある行事が到来しようとしていた。
60年前、彼女達の住まう王国を襲った異界からの魔王の軍勢。
血と涙と恐怖と混乱を大いにもたらした悪魔達ではあるが、世界を超えて襲い掛かって来た彼らのもたらしたものは、それだけではない。
中には「これイイじゃん」と積極的に王国民に取り入れられているものもある。
St.バレンタインに並び、この行事もそんなものの一つだった。
外敵である悪魔から伝播した、この祭り。
本格的に実行する者は家で守っている火種を全部始末して一新し、それに合わせて竈や暖炉の灰を綺麗に掃除するという。千年以上前から神聖なものとして『聖なる火』の種火を守り続けている聖教会の聖職者さん達は阿鼻叫喚の行事である。
そして『古いモノを新しくする』過程で何故か異界との扉が緩むとされており(どうやら謂れまでは伝わっていない模様)、世界の向こう側からコンニチハしちゃった方々と友好を深め(?)たり紛れたりするべく、人々は仮装するのだと……そう、言い伝わっている。 ←曖昧
参加するもしないも、完全に個人の自由だが。
仮装した者は自分より目上の者に菓子をせびり、脅し取ることが認められているという。
付き合いとして、この日は仮装した者を見かけた際にはお菓子をあげることになっていた。
仮装参加者の大多数が頑是ない年頃の子供達なので、他の行事であれば「悪魔伝来の行事など……」と顔をしかめるご年配の方々も、きゃあきゃあ笑って仮装姿を披露する小さな子供達の愛らしさには思わず心臓を撃ち抜かれ、頬を緩めて見守っていた。当然、可愛いちびっ子たちに「じいじ、お菓子ちょーらい?」なんて強請られてしまえば「そぉーれたんと持ってお行き!!」と快く応じない訳にはいかず、バレンタインなどの他の行事に比べれば、この行事は概ね好意的に受け取られていたのである。
思い思いに仮装した人々が練り歩き、笑顔と共に菓子が飛び交う。
人々は悪魔達に倣い、この行事を『ハロウィーン』と呼んでいた。
※ 悪魔がハロウィン持ってくるなや、とかそういうツッコミは多分してはいけない。
幸せだけど結婚準備とか忙しくってちょっと困っちゃう☆な状態にあるアデリシア嬢。
無意識の内に削られているかもしれないし、実は全く削れてなんかいないかもしれない……そんな気力を回復させる手段として、余裕と充実は必要だ。
ついでに旦那様成分の充電も急務だ。
まあアデリシアお嬢様と旦那様は四六時中一緒に過ごしているので、充電も何も外部電力差し込みっぱなしも同然ではあるのだが。
「ねーぇ、旦那様♥ 私のたった一人の愛しいひと」
「何かねMy honey. 私の恋しい薔薇の花」
「あら、旦那様ったら私を薔薇だなんて……あれって花の色によって意味が変わるのよ? 私は旦那様にとって一体何色の薔薇なのかしら」
「当然、私を射止める帯紅、情熱の赤、他の男への嫉妬を誘う黄色、恋の吐息に惑う白、恋の誓いを立てずにはいられぬピンク、貴女と会えた奇跡に心震える青い薔薇……何色の薔薇だろうと、私にとっては全て貴女を連想して想わずにはいられない」
「もう、旦那様ったら! 花言葉がそんなにすらすら出て来るなんて、どこかのナンパ男みたいよ? 私以外の女の子に声をかけていたんじゃないでしょうね!」
「ああ、そんなに顔を曇らせる物ではないよ。冤罪だ。私がそなた以外の誰を呼ばうというのだ! 私が気を引きたい女性がいるとすれば、それは貴女以外に存在するまいよ。笑ってくれ、私はそなたに感心してもらいたいばかりに、こっそり勉強していたのだ」
「まあ、花言葉を? それも薔薇の? 私に隠れて?」
「ああ、そうだ。貴女に隠れ、庭師のハンスに教えを乞うた。二人の間に隠し事など、とそなたは怒るだろうか? 裏切りだと詰ってくれても構わない。だが、私を貴女以外に愛を乞う相手を持つような、多情な男だとは思ってくれるな」
「ああ、もう……! 旦那様ったら! 私の夫はなんて健気で可愛らしいの! 大好きよ、旦那様」
「貴女の胸を痛め、不安にさせてしまった私を許してくれるというのか?」
「貴方のことを一瞬でも疑った私をこそ許してちょうだい。貴方の愛を疑うなんて、私の方こそ裏切り者だと詰られても仕方のないことだわ。私ったら、なんて悪い妻なの」
「悪い妻など! そなたは私にとってこの上ない喜び。そなたが悪妻などである筈がない……貴女は真実、私の薔薇だ」
「旦那様……」
「そう、私はそなたの夫。そなたは私の妻だ、アデリシア」
それは何気に旦那様がアデリシア嬢の名前を初めて呼んだ瞬間で。
至近距離から耳元に囁かれ、薔薇の公爵令嬢(笑)の胸はきゅんと高鳴った。
今日も今日とてお嬢様と旦那様はラブラブだ。
周囲の使用人達にはばかることなく、いちゃいちゃいちゃいちゃ……
二人(一人と一匹)に仕える人々の目は、死んだ魚によく似ていた。
あまりにもシュールなその光景。
使用人達は、こんな光景は他所のお屋敷では決して見られないだろうと思っていた。
理由は簡単だ。
アデリシア嬢の最愛のダーリン♥
即ち彼女の旦那様の定位置は、アデリシア嬢の肩の上である。
アデリシア嬢の婚約者セイクリッドは、二百年物の妖怪蛙(雨蛙系)だった。
「旦那様ぁ」
「何かn……っ?」
ある日、それこそ王国民の外見が服装的な意味で狂気に陥るハロウィンの日。
世の風潮に則り、乗っかって。
我らが剛毅なお嬢様アデリシアもまた、この日は朝から仮装姿で参上だ。
→ あでりしあ が あらわれた!
かえる は かたまっている!
「そなた、な、なんという格好を……!?」
世の理から外れ、超然と生きる妖怪の面目はどこに行ったのか。
蛙の体は強張り、愛する妻(まだ婚儀前)に目を奪われて完全に狼狽えていた。
「うふふ……旦那様、どうかしら私のこの格好!」
「ど、どうしたもこうしたも……私に対する無言の抗議だろうか。私は、貴女にそんな行動に出させてしまう程の何をしてしまったのだ!?」
「あらあら。ただの仮装だから、そこまで深く考えなくってもよろしいのよ?」
「か、仮装……?」
怪訝な顔で、蛙が呟く。
うんうんと頷く、アデリシア。
彼女の今の、その格好は……
風変わりなことに蛇皮を思わせる柄のタイトなドレスを身に纏い、蛇モチーフのアクセサリを全身に身につけて。
顔にはどことなく爬虫類を連想するメイクが施され、高い位置で一つに結われた髪には本物と見紛うリアルな蛇頭と黒いレースのリボンが飾られている。
アデライト公爵家の令嬢、アデリシア。
彼女は蛇女の仮装をしていた。
どこからどうみても旦那様(蛙)への当てつけにしか見えない。
「ほ、本当に私に思うところがある訳ではないのか? 暗に責められているのでは、貴女の気分を害する事をして意趣返しされているのではと考えずにはいられないのだが……もしもそんな風に追い詰めてしまったのかと考えると、貴女の心痛を思って胸が痛む」
「やだ、旦那様ったら。考えすぎよ? 私は旦那様との生活に何の不安もありはしないわ。……ただ、どうせ仮装をするのなら旦那様に合わせた何かにしようと思っただけなの」
「そこで同じ蛙の姿を選ぶのではなく天敵という意味で合わせるとは」
「いつだって好きな殿方には攻めの姿勢でいたい乙女心を表現してみたの」
「嫌われる可能性を一切考慮せずに天敵の姿を模すとは、そなたは本当に剛胆な」
「私のこと、嫌いになった? 旦那様」
「いいや、万が一にも嫌いになる筈がなかろうよ。それが貴女であれば、例え蛇の姿であろうと鳥の姿であろうと竜の姿であろうが、貴女は貴女だ。我が愛すべき未来の妻以外の何者でもない」
「旦那様……! そう言って下さるって信じていたわ。そう、私のこの姿は、例え旦那様の嫌いな物の姿を真似ようと私が旦那様に嫌われるなんて有り得ないわ♥っていう愛されている自信の表れなの」
「………………一つ聞くが、私がそなたの姿を拒絶していたら、そなたはどうした?」
「そんなことは有り得ないって信じているわ。信じていますけど……そうなっていたら、もしかしたらお庭の鳥の餌場に三時間くらい吊してしまったかもしれませんわね?」
「私の心を一時でも試すとは……悪戯な花嫁だ。私を焦らすのも焦らせるのも構わないが、意地悪は程々にな」
「あら。旦那様ったら……悪戯はまだこれからよ?」
「なんと。そなた、私に悪戯するつもりか?」
素直に驚く蛙の旦那様。
どうやら人の世界とは隔てた沼で長くお過ごしになった旦那様は、悪魔伝来の行事をご存じではないらしい。
首を傾げる旦那様に、蛇のご令嬢は夢見るようなキラキラした眼差しで告げた。
「うふふ。実は今日は、人々が仮装して浮かれ騒ぐ日なのよ、旦那様」
しかしその説明は、大分ざっくりしていた。
「それで仮装した者はね、自分より目上の相手からお菓子をせびることが出来るの。くれなかった相手には悪戯が許されるのよ」
しかも自分に都合の良い情報しか伝えない。
「それでね、旦那様。お菓子をおねだりする文言は決まっているの」
「ほう、なんというのだ?」
「ええっと………………確か、”go to hell”だったかしら?」
その瞬間。
壁際に控えていたメイドさん達の肩がびくりと震える。
口を噤んだまま、彼女達は等しく同時に思った。
違います、お嬢様……!と。
だが同時に、お嬢様が口にするには似合いの言葉だとも、こっそり思った者が若干名。
「ふむ。どうも使用人達の様子を見るに違うようだが……」
「あら? ”Dead or Alive”だったかしら」
首を傾げるお嬢様。
同じ角度で首を傾げる蛙。
恐らく、二人にとってこの謎は永遠に解けそうにない。
「……とにかく、仮装をしている私は目上の人からお菓子をもらえるという訳なのよ。だから、早速だけど旦那様……?」
にこりと微笑み、謎をうやむやに押し流して。
蛇の仮装を身に纏ったご令嬢は、自身が旦那様と呼ぶ目上の相手……蛙に密やかに囁いた。
――"Dead or Aleve" と。
まあ、つまりはあれですね。
酷い目に遭いたくなければ素直に菓子を差し出せということです。(意訳)
だけど麗しの蛇嫁に囁きかけられて、旦那様はとっても困った顔をした。
上目遣い(体格差)でアデリシアを見上げ、旦那様は潔く降伏の旗を揚げる。
「菓子を、とは言うが……そなた、私が菓子を持っているように見えるか?」
旦那様は常日頃から裸一貫の方ですから。
事実として腰蓑一枚身に纏わぬ、潔いまでの全裸ぶり。
身も心も丸裸な旦那様のどこに菓子を隠し持つ余地があろうか。
旦那様が飴ちゃん一つ持っていないのは、まさに一目瞭然であった。
困った顔で手持ちがないよと訴える、蛙。
お嬢様はそんな蛙に、ますます笑みを深めてにっこりと微笑みかけた。
「だったら、観念して 悪 戯 さ・れ・てちょうだい?」
どこか怪しい、淫靡な笑みであった。
蛙はごくりと唾を飲み込み、震える眼差しで問うように嫁を見上げる。
「ちなみに、悪戯とはどのような……?」
旦那様の問いに、お嬢様はそっと近くのカーテンの陰に隠していた箱を取り出した。
いつからそれを仕込んでいたのかは知れないが、お嬢様はこの為に準備していたブツを箱から出して見せる。
それは、大口を開けたガラガラ蛇を模した貯金箱だった。
「旦那様をこの中に入れて、前歴はカリスマバーテンダーだった庭師のハンスにシャッフルしてもらいます」
「ハンスにそんな前歴が!?」
それが貯金箱だとしても、蛇の形状をした物の腹の中に入れられるのは気分が悪い。
お嬢様の悪意はない(多分)無邪気な悪戯に、蛙さんは油っぽい汗を分泌してしまいそうだ。
何とか苦肉の策ではあったが、悪戯回避の為に蛙さんはお嬢様にそっと囁きかける。
「では……目に見える菓子ではないが、それ以上に甘い物では代わりになるまいか」
「旦那様? 代わりって……甘いの?」
「ああ、とびきり……な。貴女がお腹いっぱいだと、もう充分だと訴えるまで……甘い睦言では、駄目だろうか?」
「あら、あらあら……! まあ! ……ふふふ、旦那様ったら! 旦那様からの甘い言葉なら、どれだけ浴びせかけられようとお腹いっぱいになんてならないわ。それでも良いの? 私、際限なくほしがってしまうわ」
「ふ……っ 構わんよ。本当にそなたが満足するまで、私はどれだけの言葉を重ねても苦にはならん」
「旦那様ったらぁ! もう、もう、素敵なんだから……!!」
それは、苦肉の策であった。
だがどうやら、蛙の旦那様はお嬢様の気を逸らすことに成功してしまったらしい。
もしくは、初めからアデリシアはこれを狙っていたのかも知れない。
何にせよ使用人の勤めとして黙して見守らざるを得ない使用人の皆さんは、軽く視覚と聴覚の暴力を食らっていた。他人のいちゃいちゃ全開惚気まみれの光景を、延々と目の前で見せつけられ続けるという拷問を……。
「それじゃあ今日は、一日たっぷりと旦那様のあまぁ~い言葉をいただくとして」
「早速今から始めるか?」
「うふふ……私も今すぐにって頷きたいところだけど…………旦那様と二人の時間を満喫する前に、雑事を済ませてしまいましょう?」
「雑事? 今日は何か急いで片付けるべき案件でもあっただろうか」
「ええ、勿論。今日でなければ駄目な用件だわ。……菓子集めっていう、素敵な用件が」
「確か、目上の者からせびるのであったな……義父殿か?」
「いいえ? 確かにお父様は目上といえなくもないけど、私が嫌だわ。あんな分からず屋の自分勝手な親父からは飴玉一つもらう気はなくってよ」
「では、誰からせびろうと言うのだ。そなたの祖父はもう亡いのだろう? しかしそなたの身分で目上と言うと……」
「ええ、私は公爵家の跡取り娘ですもの。この王国で貴族位の筆頭にある者よ。菓子をせびろうにも目上と言えば限られるわ。……だからね?」
意味ありげな笑みが、お嬢様の口元に浮かぶ。
彼女の細い指は、貯金箱の仕舞われていた箱からそっと何かを取り出した。
蛙のサイズに合わせた、小さなマントとシルクハット。赤い薔薇。それから目元だけを隠す白い半仮面。
「まさか……王城か?」
「正解よ、旦那様! 流石は私の未来の夫。私の考えること、直ぐにおわかりになるのね」
公爵家の跡取りよりも、確実に偉い人間。
そんなもの、王国には何人もいない。
彼女よりも偉い人間がいる場所となれば……そこは、王国の政治を司る中枢。
国王の居城より他には存在しない。
そして、『そこ』であればアデリシアよりも『目上』と判断出来る相手が確実に何人か存在するのだ。
→ 令嬢は、国王(と、重臣)から菓子をせびる気だ!
せびって、菓子を貰えなかった時の悪戯はさぞかし容赦ないことだろう。
しかし蛙は知らない。
これが毎年の恒例だと言うことを。
菓子をせがむ文言すらうろ覚えのくせに、このご令嬢は毎年お菓子を狙って王城に突撃をかましていた。
だから今年も、やってくるだろうと想定してお城の方々はご令嬢の為に菓子をばっちり準備してくれているのだ。
ただし。
今年は旦那様が同伴だ。
――その日、国王の城に。
嫁にせがまれて巨大化した蛙(全長約4m)と、その背に乗った公爵令嬢が突撃した。
結果は言うまでもなく、阿鼻叫喚。
何が襲撃してきたのかと驚き嘆き、騒ぐ人々の混乱でお城はとんでもないことになった。
以来、国王の城では仮装舞踏会の時を除き、仮装姿での登城が禁じられるようになったという。
最後まで読んで下さり、有難うございました!