プロローグ
「この世界に、神は存在するのか否か。」
―語り合おうじゃないか。
そして、彼は語るのだ。
「僕らは、というかこの国では『神』という言葉を軽々しく口にして、なかには一族、あまつさえ自身を『神』と名乗る輩もいる。じゃあ、『神』って何なんだろうね。彼らは『神』をどんな存在だと思ってるのかな?支持されている主張としては、世界の創造主たる存在とは言われているけどね。果たして本当に、世界を創ったということが『神』の定義となりえるのかな?これだけじゃなくて、他の定義だって世界にはたくさんある。宗教的な面で見れば、そんなのはたくさん出てくるに違いない。宗教の数、国の数、人間の数だけ、『神』の定義となり得るものは多種多様だ。まぁ、神様を定義だのなんだのって言ってれば、どこかの教徒には怒られそうなものだけどね。無信徒の僕らだからこそ、こうして議論できるんだよね。ともかく、僕はね、そんな多種多様な定義があるからこそ、『神』の存在を疑わしく思うんだよ。人間が都合よく想像できる、定義できる。果たしてそんなもの、本当に唯一無二の絶対的存在と言えるのかな?」
「もう一つもの申したいのはね、世界を創った存在が本当にいるのか、ということだ。だって、自然にできてしまったのかもしれないじゃん?偶然と進化の産物、とも考えられないかい?そもそも、神話って、科学的に解明されてきた人類の歴史と矛盾してるよ?神話では神様が、神の子、であるアダムとイヴという二人の人間を創った、とあるが、どうだい?実際は猿が環境の変化に伴いどんどん進化し、ホモサピエンスという現在の人類に最も近い生物が誕生して、またまた進化して、はい人間、ってわけだ。どちらが現実的か、信憑性があるかって言われたら、そりゃあ後者だよねぇ。まぁ、突き詰めていけば、じゃあその猿を創ったのは誰よ、って話になるけどともかく。」
「そしてそして、これは本題とは少し外れるけど、僕がさらに疑問に思うのはね、『どうして人間はそんな存在するかわからないものを『神』として崇めるのか』ということだ。人間はすがっている。そんな不確定要素だらけの存在に、心酔している。宗教があるくらいだからね。この国では縁遠いものかもしれないが、神頼みという言葉はこの国にもある。」
「ところでさっきの『神の定義』の話だけど、具体的にはどんな定義があるのかな?…あ、神頼み、ということは『願いを叶えてくるれる存在』ってのもあるね。『唯一無二の絶対的存在』は僕が勝手に引用した誰かが言ったやつかな?それとも僕なりの定義かな?あとは、『人間を導く』、『創造主』、『人間を罰する』、とか?思ったんだけど、神様ってたくさんいるよねぇ。知恵の神、海の神、山の神、戦の神、とか。とゆうことは神様は一人ではないということかな?いや、神様が海にいたり山にいたりして知恵を持っていてめっちゃ強い、とかなら一人何役でもいけるよなぁ。多重人格、というか才能をいっぱい持ってるのか。うーん、ますます奥が深いねこの話題は。まぁ、僕が勝手に話を広げてるだけだけど。仮にたくさん神様がいたとして、人間って最低だよね。自分に都合良い神様を選んでお祈りして、あとの神様、他の宗教の神様には無関心。果ては蔑み、侮辱し、人種差別さえ生まれる始末だ。どれも等しく平等に神、比べられるものがない、いや、比べることさえ間違っているのにね。どれも同様に崇めるべきなのに。そう考えると、この国はまだましか。なんとか神様お願いです、なんて祈らないし。たまに仏様って言う人もいるけど。そもそも、仏様って神?人間はどういう認識を持っているんだろうね。僕は仏も神も信じてないからわからないな。うん、いるって前提で話してるっぽいし、不本意ながらいるって前提で話してるけど、僕は『神』という存在を信じていないよ。」
「でさ、人間って、神様の存在を信じてるの?君はどう?だって、今の話に共感は出来ないかもしれないけど、納得はしないかい?いるのかなぁ、いないのかなぁ。信じるっていうならさ、どういう根拠で信じてるって言えるの?やっぱり世界を創ったのは『神』ともいえる存在だと思う?信じてないなら、どうして信じてないの?神様に願ったことはあるけどその願いは叶わなかったから、神様なんていないって思ってる悲壮人生観からくるものかな?でもまぁ、ほとんどの人は言い切ることが出来ないだろうね。わからない、ってのが解答だろう。いる、いない、ってのより、わからない、ってのが客観的に見たら正論だと言えるだろうね。だって、わからないもん。これを言ってしまったら、じゃあ今までの話は何だったんだよってなるけど。」
「ご察しの通り今までの話は、僕の『神』という存在に対する不信感からくる色々な考えなんだけどね。それでね、僕は思うわけだ。」
「結局のところ、人間はね、『神様は本当に存在するのか否か』、なんてどうでもいいんだよ。彼らはね、神様に『いてほしい』。すがっているんじゃない、すがりたいんだ。すがっていたいんだ。祈りたいんだ。願いたいんだ。だからね、どちらかというと、『神の存在』、ではなく『神という言葉』にすがっているようなものだよね。ぶっちゃけ、信じていないようなものだ。または、都合の良いように『神』という言葉を使っている。宗教の教え、神の教えを言い訳に、世界ではやりたいようにやっている人間もいるだろう。僕らは『神』という言葉にしがみついている。考えてごらんよ、誰も頼れない、一人ぼっち、今にも死にそう、でも生きたい。そんな時、どうする?第三者の自ら造り出した虚構の絶対的存在にすがっちゃったりするだろう?『神』を信じていない僕だけど、まぁ、さっき言ったような超ピンチの状況になったら、『神様たすけてー』って言ってるかもしれないね。もし神様が存在するなら、神様も可哀想だよね。都合の良いように人間に祈られて、使われて。まぁ、神様の存在を信じている人は、そもそも存在するかどうかなんて考えないだろうね。今まで僕が話してきたことは、いないって信じる人、わからないと答える人から共感を得るための主張でしかない。こんなこと、信じきっている人に言っても、大反対されて終わりだろうね。逆に、信じてる人に熱弁されたら、僕は意見を変えちゃうかもしれない。僕は信じてないっちゃ信じてないけど、完全否定できるほどの根拠はないからね。」
「でも、僕はこの国の『神』を信じない。すがらない。服従しない。永遠に蔑む。例え僕自身が神だとしても、僕は僕を信じない。僕は神を利用し、生きるだけだ。肩書きを利用して、生きるだけだ。『神』と名乗っているだけのただの人間に、僕らは何を期待すれば良い?いったい、彼らがいつ人間に恩恵を与え、何をもたらしていると言うんだろうね。力で服従させるだけの『神』に、どうして人間は屈するのだろう?不特定多数の『神』に、僕らは何を願えば良い?彼らの、何を信じれば良い?」
「君も、そう思うだろう?」
彼は、神の存在に疑問を呈した。しかし、少年は正論、という言葉に疑問を呈したかった。わからない、という言葉が正論。正しい、理論。わからない、とは正しい理論なのか。別に、わからないが理論がどうかはどうでもいいのだけれど。わからない、は正しいのか。正しい、というのなら、では、正しいとは、何か。正しい、の定義は何なのか。正しい、の価値は何なのか。正しい、に意味はあるのか。正しさ、がこの世界にあるとして、では、神は正しいのか。神の正しさとは何か。わからない。彼には正しさがわからないのだ。
どちらかというと、彼とは『正論』について議論をしたかった。しかし、彼とその事について議論することはなかった。それは、ただの願望に終わってしまった。
その代わり、彼女と議論してみた。
彼女は、否定した。『正論』を否定したのではない。『正論』を疑う、少年を否定した。納得や共感を得るどころの話ではなかった。
後ほど、詳細は語ろう。
だが、神について、少年なりの意見を述べなければならない。正論について議論したいところだが、「そうだろう?」という言葉に返答しなければならない。だから、神様について、語りたくもない神様について、彼と議論しよう。
だから、彼はこう答えた。
「神様がいるかなんてわからないけどさ、」
「それでも世界は成り立っているさ。正常とは言えないけど。」
「なるほど…。」
「つまるところ、君は『神』が存在するかどうかなんて、どうでも良いわけだ。」