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52騎士・ローガ



 熊だった。本当に。

 アオイより少し高い程度の身長のローガは、その熊の巨体に気圧された。暗い屋敷内に真っ黒な毛並み。瞳だけが爛々と紅く煌めき、そこには殺意という名の狂気の色が見てとれる。手だか前足だかに鈍く光る三本線は爪だろうか。口元に輝く流動的な光は涎だろうか。

 キルベア。アンラッキーベア。キラーベア。

 様々な別名が存在するが、 結局のところ、言いたいのは一つだけ。

 見かけたら逃げろ。それは天災と同じだ。そこにあるのは死だけで、関わることの無意味さと不幸さは、空から石が降るに等しい空しさと絶望感に満ちている。らしい。


 場所は、城の廊下と遜色ない広さの廊下だった。高々一貴族の屋敷には大きすぎる広さだが、建築様式にうだうだと文句を言っても意味がない。作り手か住人の趣味なのだろう。


 ローガがその熊と対峙するのは、人生初の体験だった。

 咆哮に硬直した身体が震え、外見の圧倒的な凶悪さに淘汰される。

 ローガの前では前衛の二人が既に臨戦態勢を取っていて、怯む事無く殺意の塊――寧ろ殺意の権化と睨み合い、微動だにせず武器に手を添えている。未だ抜くことが出来ないのは、抜くことに因って、戦いの火蓋を切ることを恐れているのだ。

 キルベアの凶悪さについては、最早都市伝説的に語り継がれている。

 騎士の間でも有名で、遭遇して命を落とした者は騎士団死者数の五割を誇る。

 国同士の諍いのない平和な時代が続く中、徐々に伸びた熊由来の死者。たった数年で倍にまで増えた騎士団死者数を思うと、その存在の危険さが身に沁みる事だろう。


 震えていても、圧倒されていても、ローガも騎士である。二人の先輩に負けてはいられない。

 特に、狂犬ジルエット。

 彼は騎士歴こそローガよりも長いが、ローガより年下である。兵士歴はローガの方が長く、身長も強さも見目の良さ、諸々総てが負けているとしても、気概で負けるわけにはいかない。それがローガの意地だった。

「…………」

「…………」

 けれども膠着状態。

 低く唸り続けるキルベアに、一瞬たりとも視線を逸らす隙はない。

 意思を伝えようと視線で会話しようものなら、その隙に熊は襲いかかってくること必至である。


 通信魔法の向こう側で、姫の近衛兵トリオの方は既に熊に襲われている様子だった。

 一人はバートルミー・ペンリー。

 ローガとは同期で、ローガとは違いすごい勢いでの出世を果たし、最年少で騎士団長となった青年。アオイについては正体不明で、デリクについては偏屈だが腕は良いと評判だ。

 対するこちらは、足手纏い代表、騎士になってそれ程経っていない後方支援系ローガに、騎士団三番隊隊長のデルボ。筋肉質で、大きく重量のある片手剣を主として戦う、デリク世代の男性だ。熱血漢なきらいがあり、女性からはあまりモテないらしい。そして狂犬ジルエットだ。

 ジルエットに関しては、少々規格外である。彼の兄は父の仕事を継ぎ、王の傍で王を補佐する文官の長。そして弟の彼は、問題児ながらも絶大な能力の高さを誇る通称狂犬。呼ばれる割に狂っているなどということはなく、指令も聞くし礼節も弁えている。少し喋らな過ぎるきらいと力の加減が下手糞な欠点はあるが、人として外れている部分はない。男嫌いでとりあえず噛みつくと噂轟くアオイよりは、よほどマシだろう。


 どうやら強いらしい三人と、足手纏いを含む二人の強者。

 ローガに出来るのは後方支援的な魔法や、弓やら小さな遠距離魔法で援護する事くらいだ。

 それをするにも、間が悪い。先輩二人が拮抗状態を保って相手の様子を窺っているのに、ローガが動いて状況を悪くすることは避けなくてはならない。


 キルベアの紅玉が、じろりと左右に揺れる。

 その視線の先にローガが含まれていない事は、幸いか、それとも侮られている事実に腹を立てるべきなのか。

 落ち着きを取り戻しつつあるローガは、今までに進んできた道、そしてレネーに確認させられた屋敷の図面を思い起こす。現在の階層が二階で、外部に出るという選択はできない。熊は巨体で、解りやすい急所関係なく剛毛に覆われた皮膚には刃が中々入らないと聞く。魔法の効き目も半端で――聞かされた情報を反芻するだけで、ローガはめげそうだった。過去あの熊をやり過ごした人間は、一体どんな方法をとったのだろう。

 現在の状況、騎士団や噂話で得た眉つば都市伝説程度の情報を元に考えれば、ここで有効な手は――


 ローガは腰に備えられた自前のポケットを、身体の向きを変えることに因ってキルベアの視界から隠した。そこに人差し指と中指だけを入れ、必要なものを挟んで回収し、静かに息を吐く。

 問題は、前衛二人にどう伝えるかだが――その辺りは、二人の察しの良さに任せよう、とローガは決意した。一刻の時間も惜しい今、この状態を続ける訳にいかないのは、二人も一緒なのだから。

 だから。

 ローガはポケットから回収した、ごく小さな石のような物を、後ろから放物線を描いて熊の方へと投げつけた。

「先輩! 下がって曲がってホールに行くますでござる!」


 言いながら、既にローガは走りだす。言い終わる前に前衛二人も確りと身体を反転させて走り出している辺り、察しの良い百戦錬磨で助かったとローガは思う。

 背後で強烈な光が発生し、それの直撃を喰らったらしい熊が叫ぶ。熊にも利いて良かった。ローガは走りながら、安堵の息を吐きだした。

 だが、次の瞬間には驚愕や悲痛と呼べる類の叫びではなく、雄々しく獲物を狩るための仲間への呼び掛けや、獲物を牽制するための威嚇とでもいうべき咆哮を発する。次の瞬間にはリズミカルな地響きが近付き、キルベアの逆鱗に触れたことを知る。これは後で怒られるかもしれないと、ローガは己の生を確信した愚かな妄想に渇いた笑いが出そうになった。


「ローガ! どっちだ!?」

「! 次の次、左でござ――」

「解った!」

 せめて、最後の「る」くらい言わせてほしいとローガは思う。

 最初に走り出したのは、前衛よりも後ろに居た――つまりは現在の進行方向に近かったローガだと言うのに、今では二人に抜かされ、最後尾で必死に足を回す始末。最前を走るのはデルボで、ローガの斜め前を走るのがジルエットだ。本来ならジルエットが一番身軽で脚力もあるのだが、禁止事項『突っ走る』『先走る』『指示を聞かない』という類の教訓が効いているものと思われる。この場に居る、バリーを除いて誰よりも弱い自覚のあるローガだが、何故かジルエットはローガの言葉をよく聞くのだ。


 走りながら再度ポケットに手を突っ込み、ローガは中を漁る。先程投げたのは、刺激により閃光を発生させる魔石だったが、同じものを与えてもキルベアに通じるとは思えない。

 キルベアの恐ろしさは、初期装備よりもその知能の高さなのだ。学習され、手の内をいくつも見せるのも褒められたことではないが、閃光の魔石を投げたところで、刺激に反応するそれを、次は叩き落とすことはしないだろう。もしくは、目を瞑って対処されては大した時間稼ぎにもならない。

 ので。


 一つの魔石を、親指でキルベアの眉間に弾く。手の内を晒すのは躊躇われたので、今度も閃光の魔石だ。

 未だ距離があって良かった、と思う。

 勢い良く飛んだ魔石が、キルベアの眉間へ届く前。

魔力弾アイン

 銃を扱うように、もしくは模るように構えた右手の人差指から、

「――発射いけ!」

 簡素でそれほど威力もない魔弾を弾きだした。

 しがない攻撃に見せかけただけに、キルベアの反応は攻撃に対する突進だけ。真っ直ぐに通る廊下で、別段足止めも何もない。

 単純に、熊が目を瞑る。その一瞬さえ稼げれば、何でもいいのだ。


 魔弾が直撃し、小さな石は閃光を放つ。

「!? うわ――」

 瞬間、ローガの身体は浮いていた。

 腰に回った、温かくも確りとした何かがローガの肉体を支え、まるでピンボールで弾かれるボールになった様な感覚で景色が激動する。

 その動きには、ローガも覚えがあった。

 ジルエットである。

 彼がローガを小脇に抱え、自慢の脚力をこれ見よがしに使用した、床だけではなく壁や天井をも使い、三角飛びも吃驚な四方八方に飛びまわる移動法。これを行われた後、ローガはほぼ確実に、平衡感覚を失って座り込むことになるのだが。

 こんな場面で使われて、ローガはこの先戦闘の役に立つのだろうか。

 かと言って捨て下ろされるのも嫌なため、ローガは大人しくジルドアに運ばれ続けた。舌だけは噛まないように口元を手で覆って。


 既に背を向けていたため、キルベアがどういう対応を取ったかは不明だ。叫ぶこともなく、地を打ち鳴らす音には寸分のズレもない。瞳を閉じたか、それともまた別の何事かで対処をしたか――いずれにせよ、熊がその一瞬視界を閉じたのであれば、十二分にローガの策は実ったはずである。

 閃光を放った直後、簡潔に言えば、ローガたちは廊下を左折した。

 直線にも伸びる廊下なので、あのキルベアのスピードならば、意図してスピードを落とさねば曲がり切れぬ場所である。

 そこで喰らわせた目晦まし。

 聞こえる地響きが先程よりも遠く、ローガは熊がそのままあの廊下を直進したことを確信した。

 とは言え、子供だましだ。知能の高いキルベアには長くはもたない。

 直ぐに方向転換を敢行され、我武者羅に追いかけて来るであろうことは百も承知である。


「ホールってこのまま直進だっけ!?」

「は、はいでござっ……! このまま走り続ければ、到着必至でっざる!」

 問うたのはデルボだ。

 逃走をジルエットに任せているので、ローガは跳躍の度に噛みそうになる舌を気遣わねばならない。走行の順は入れ替わり、跳躍という本来の彼の武器を持って進んでいるお陰で、十メートル程後方にデルボがいる。これではキルベアが追いついた時、デルボが犠牲になりかねないが、ジルエットは寧ろ加速する勢いで壁を蹴っている。危険だ。主にデルボが。


「! 見えます、た! ホールのとび、らでござる!」

 今まで廊下で見て来た扉とは、意匠も重厚感も桁違いの両開きの扉。ジルエットは天井を蹴ると、身体を回転させながらホールの扉に軽い音で足を着き、重力に従って床に足を下ろした。序に、ローガの身も下ろされる。ジルエットは紳士なので、ぼとりと落とすような事はしない。紳士なので、と言うよりは、ちゃんと戦力として数えられているからなのだが、ローガはその事実を知らない。

 ローガは素早く立ち上がり、無言でローガを見やるジルエットから察する。

「鍵でござるね。すぐ解錠あけもうす!」

 ポケットから細い金属の棒を幾つか取り出すと、ローガはものの数秒でその扉を開けた。解錠の音と同時に、ジルエットはホールの扉を蹴り開けた。


「うおおおおおおおおおおおおお!」

 雄叫びは背後から。ローガが振り返って確認すると、随分と前に引き離されたデルボの姿が見えた。

 実質、ジルエット一人ならば、難なく逃げられたであろう事が窺え、彼の特異性を再確認させられる。

 ローガが場に合わない苦笑をしながら、未だ横に立つジルエットの方へ視線をやると、彼は無表情のまま――けれども何処か厳しい無表情で、ホールの中を凝視していた。

 ――『未だ横に立つ』?


 鍵を解けるために屈んだローガの横で、彼はじっとホールの内部に視線を投じている。

 背後に、上司が叫び、敵が迫りくる背後に構うこともなく。内部に立ち入るでもなく。

 ただ、見つめて――


 ローガの背筋に、嫌な汗がつたう。

 猛スピードで迫る背後を気にかける間も無く、ローガもジルエットの横で立ち上がり、明るく照らされた内部を見やった。


 そこには、背後の脅威など吹っ飛ぶ程の。

 赤黒い毛並みを持つ大柄な熊が、片手では数え切れない程の量が蠢き、数匹が紅い瞳をジルエットたちの方へと向けていた。



   □■□



「!?」

「きゃっ――」

 魔力の波動が広がり、その場に居た四割が悲鳴を上げた。


(――よし!)

 その現象の犯人は冷静だ。上手く策が運んだ事実に喜ぶ心地はあるが、それはそれ。

 今すべきを理解して、邪魔ながらも身体に巻かず、ずっと小脇に抱えていた外套を広げて、目前の裸体に被せる。

「きゃっ、わっ」

「被ってろ。素っ裸だと俺が犯罪者にされかねない」

「は、はい――ひゃっ」

 素早くオリヴィエに巻きつけ、オリヴィエが首元で外套を確りと合わせ持ったのを確認すると、ケイネはオリヴィエの腰を押さえ、俵の様に担ぎあげた。今彼女の対処に配慮している暇はない。文句は後で聞こうと心に決め、ケイネはその場から走り去ろうとした。


「ふっざけんじゃないわよ!」


 金切り声と共に、まるで雷が落ちるかのような、放電に似た音が響く。オリヴィエは小さく悲鳴を上げながら頭を丸め、ケイネの首を絞めにかかった。ケイネも身を竦ませつつ、オリヴィエの腕を叩いて絞首を妨げようとする。

「その刺青は! アタクシのものなの! 返しなさい! でないと殺すわよ!」

 女性は言葉の区切りと同時に、ケイネの張った透明な薄水色の結果を拳で叩く。その度に弱い放電のような音が響き、周囲に綺麗な光が舞った。魔法がちゃんと機能している証拠である。


「ウェラート様の! 最新作! こっちが! どれだけ! 待ち望んだものか! それを! 横取りしようなんて!」

 目を血走らせながら、女性は鬼の形相で結界の物理的な攻撃を加え続けた。持っていた扇子が吹っ飛んでも、整えられていた髪が崩れても、化粧が罅割れても、それに構う余裕はないらしい。隣では『オレっち』が女性の様子を三歩程引いた位置から窺い、アンと呼ばれた男性は、やはりビクともしない。


「Veröffentlichung」

 ケイネはオリヴィエを叩いていた方の腕を掲げた。人差し指と中指を揃え、男性へと向ける。

 筋肉質で、巨体で、顔を見せず、ただ静かに佇んでいるだけの――命令に忠実な、男性。

 それは、仕方のないことなのだ。

 だって、そういう『式』が組まれているのだから。

「――Befreiung」

 宙に模様を描き、小さく述べる。女性の声が響いているから、その声が届いたのはオリヴィエくらいだろう。

 けれども効力はある。


 ケイネは結界が作動している内にと、自ら吐いた言葉の効果も見ずに、オリヴィエを抱えたまま走りだした。結界はケイネたちを内側に、敵と思しき女性、『オレっち』、男性を隔離した。出入り口は境界の内側に設定したため、結界の作動中に追いつかれる心配はない。結界の作動中、彼らがあの部屋から出ることすら叶わないのは、刺青を施したケイネ自身が、誰よりもその能力の高さを知っている。理解している。壁を壊されてしまえば別だが、彼女たちにはそれを選んだりはできないだろう。


 走り出す前。

 男性から視線を逸らす時、ケイネは『オレっち』と視線が合った。

 ほんの一瞬。それに後ろ髪引かれることもなく、ケイネはその部屋を後にした。








次回の更新は、来週の土曜日を予定しております

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