43王城
ケイネ達がやって来た『黒薔薇猫亭』は、王都の路地裏に建つ、知る人ぞ知る隠れた名店の様な存在だった。一見しただけでは、決して食事処等とは思えない。不自然に存在した壁の扉を開けると、そこに広がるのは明るい店内。妖艶な店主と、可愛らしい従業員。
そこを出て一時間。
ケイネとバリーは、魔法に物を言わせて屋根の上を軽く跳び回り、城の周囲に聳える壁すらも飛び越えて。
現在二人は、人気の無い城の裏庭の草陰に潜んでいた。
既に日は落ち込んでいる。月の光は淡く、薄く雲のかかった空は世界を闇に染め上げ、ケイネ達の姿を覆い隠す。柔らかい風に草木が揺らぎ、葉擦れの音が気配を消す。急ぎたいのは山々だが、やはり忍ぶには夜間の方が都合が良いなとケイネは思う。
「師、これからどうすんぜ?」
バリーが聞くが、どうもこうも無い。内部に侵入し、オリヴィエの居場所を突き止めそこへと向かう。後は彼女をどこでもいいから部屋に連れ込んで、手早く作業を済ませれば良いだけの話――なのだが。
「…………」
「?」
ケイネはバリーを見やる。バリーは頭から疑問符を飛ばし、いつもの調子で、何も解っていない笑顔できょとんと首を傾げた。
ケイネは溜息を吐く。
一人でないという事が、これ程手順を面倒にするものだとは。
バリーは基本的に、ケイネの邪魔をしない。バリーは料理人だが、これで中々隠密行動が得意だ。普段は五月蠅く騒がしい男ではあるが、時と場合、状況を見てそれを潜めることのできる優秀な存在である。料理人にしておくには惜しい人間で、それ以外を極めれば、人類の脅威足り得る人間だ。単純な思考と、考え無しな野生味と、嘘の吐けない人の良さに助けられている。
邪魔にはならない。だが、足手まといには、なる。
文字通り。
ケイネがバリーに手を差し出すと、バリーは心得たようにその手を取った。
重なった手の先へと、ケイネは魔法を行使する。そのまま地面を蹴れば身体が浮き、重力という枷から解き放たれた肉体は、容易に木々や壁を駆け、高い位置にあるバルコニーへの侵入を許した。ザル警備で助かる、とケイネは心中で頷く。
「……やっぱ、二人だと肩が凝るな」
「ぇえー。俺邪魔すけ? 師」
「…………」
「無言!?」
ケイネは思案する。邪魔ではない。だが、彼がここに来た理由、意思や意図が明確でない以上、彼を重荷以外の何かと捉えられるほど、ケイネも甘い人間ではなかった。
そもそも、何故バリーはケイネについて来たのか。不満は無いし、今更帰れということも無い。ケイネの言葉からオリヴィエの危機を察したのか。それ故に、ケイネの動向を見守っているのか。
もし内容を聞いて、ケイネが「邪魔をするな」と強制してしまえば、バリーにケイネを止めることは出来ない。生まれた時から村の守り神的な存在であったケイネに対し、村人は盲目的に従順だ。ケイネが常に正しかったからこその信頼ではあるものの、故に、それは危うい。
正しさの絶対的基準は、決して誰かに預けて良い物では無い。ケイネはケイネの正義を信じてはいるが、それはケイネの問題だ。村人には――バリーにはバリーの基準が無くてはならないし、盲目的なだけでは、ケイネが間違えた時、それに向かい合うことはできない。否。
今正に、バリーは、間違いを起こそうとしているケイネを、止めようとしているの、だろうか。
だとすれば――
(…………良い傾向である、とは思うが)
これから邪魔をされる可能性のあるケイネとしては、複雑な心境である。一時的にでも彼の記憶を奪うという処遇について、検討の余地アリである。
成長に対する快然と、障害に対する不安。
ケイネは左手の甲を撫でつつ、大きな窓から部屋の内部を窺った。
「…………」
人気は無い。が、どうやら鍵も開いていないらしい。
鍵の開いている部屋を探るにも危険度が高い。城はそこそこの広さを誇ってはいたが、どちらかと言えば縦に長い。恐らくは高い方に王家のプライベートスペースが取られてはいるのだろうが、どこにオリヴィエが居るかわからない以上、上空での人目につくというミスはなるべく避けなくてはならない。地上では「迷った」で撒けても、上空での不審は桁が違う。
「師、オリヴィエちゃん、どこおるんっしょ……」
「解れば、苦労は減るんだがな」
「無くなりはしないんね」
「無くなったら、人の世じゃないよ、それは」
もしくは、もう既に死んでいるのだろう。世界に参加するということは、少なくない苦労と共存するということなのだから。
ここからの侵入が無理と解ると、ケイネは踵を返し、バルコニーの手摺りへと片足をかけた。左手はバリーに差し出され、やはりバリーはそれを取る。手摺りにかけた足に力を込め、魔法を行使し高く飛ぶ。高い位置にある渡り廊下の屋根に立つと、ケイネは人の行き来を『目』で確認し、バリーの手は取らぬまま、ローブを翻してするりと窓から侵入を果たした。号外新聞の片隅に小さく載っていた、『王家北側の渡り廊下、鳥が突っ込み硝子木端微塵! 吹き荒ぶ隙間風!』という見出しを思い出したのだ。
「…………どうにも、臭いな」
「えっ俺臭う!? 香ばしいっすけ!?」
「違う。焼きトウモロコシじゃないんだから」
独り言に、素っ頓狂な解釈をバリーがすれば、ケイネも不思議な角度から突っ込みを加える。腹が空いているのだろう。確かに、昼寝から起きて林檎を食べて以降、ケイネは何も口にしていない。火に炙られるバター醤油が恋しい腹時計だ。
「いや……ただのとばっちりにも程があると思って、たいそうやる気をなくしてる。それだけだ」
深く、ケイネは息を吐いた。
それでも、やらなくてはならない。
それが、約束で、契約なのだから。
バリーは何かを言う事はなく、周囲を窺い、短く「どっち?」とケイネに聞いた。無理矢理付いて来た割に、乗り気である。むしろ、無理矢理ついて来たからこそ、だろうか。だとすれば、彼がケイネの障害になり得る可能性は、低いと思うが。
「…………」
やはり、ケイネには良く解らない。何故バリーは、ケイネについて来たのか。
指し示すよりも行動で示し、ケイネはローブのフードを直し、バリーの背を叩いて足音もなく走り始めた。これは魔法ではなく、単なる技術だ。バリーもこれで中々野生なため、過去教えた技術を難なく使いこなす。人が二人走り回っているというのに、周囲は無音。夜に生きる獣よりも静かな二人は、着実に内部を侵食していた。
ふと、ケイネは速度を落とし、一つの扉に耳を付けた。音を確認し、魔法を駆使して鍵を開ける。実を言うと、バルコニーの鍵も見つかりさえすれば解錠することが可能ではあった。だが、王家のプライベートルームが高所である以上、階段を駆け上るよりも、断然外を垂直に飛んだ方が早いに決まっている。つまりはそういうことだ。
他と比べて小さめな扉の中に入ると、そこは使われていない、部屋では無くただの空間であった。虚ろな、ただの箱。カーテンは備えられ、掃除だけは行き届いている。それでも微かに埃の匂いが強いその部屋に身を滑らせ、バリーが入った事を確認すると、ケイネは素早く内鍵をかけなおした。
「小声な」
フードを脱ぎながら、ケイネはバリーに短く会話を許す。序に、解けそうになっていた髪を結い直す。やはり髪の量が増えたからか、如何にも纏まりと継続が悪い。
これらが終わったら短くしよう。そう思いながら、ケイネは前へ流す様に三つ編みにし、新聞紐でぎっちりと縛り上げた。
「師、ここはどの辺なんす?」
「さぁな。城内のどこか、ってのは確かだ」
「ざっくばらんな……」
「お前は多分、大雑把って言いたいんだろうな」
そういう間違い方をする人間は、珍しいを通りこしてケイネは初見である。
ケイネは部屋の中央にしゃがみ込み、床に両の掌をくっつけて押し広げる。バリーからして見れば意味の解らない行動だが、ケイネは無駄なことはしない。基本的には平均的な人々よりもゆったりとした自身のペースを守り、やるべき事に関しては素早く俊敏に終わらせるのが彼の強みだ。サボる時は解り易くサボるし、休む時は解り易く休む。意味の解らないダンスを踊ったり、唐突に掃除を始めたり、無駄に時間を浪費するような事はしない。
「……オリヴィエちゃんの場所、魔法とかで解ったりするもんじゃすかね……」
「探知能力に長けてりゃ、解るだろうな」
人を、物を、魔法を。探知する魔法と言うのは、確かに存在する。ケイネも若い頃、一応装備しておくべきか悩んだ代物である。結局、記憶を消せば一発、という安直的な思考により、実装されることはなかったが。
人物探知であれば話は早いが、魔法探知であれば、オリヴィエには効かないだろう。
魔法とは、つまり刺青のことだ。現在彼女の刺青には彼女の魔力が通じていない。未だ結界は死したアレクシス王の背にて賄われており、彼の刺青が死して初めて始動する封印を、ケイネはオリヴィエの刺青に確りと織り込んである。封印が施されている以上、彼女の刺青を探知される筈もない。ただ――例外は、ある。
「師は? 探知能力、長けとりゃせんの?」
「Nein. 探知能力に関しちゃ、それほどだ」
神族としての探知能力であれば、程々以上にはケイネにも自信がある。だが、魔法に関してはからっきしだ。左の瞳にさえ映ってしまえばこっちのものだが、それが適わぬ場面では無意味極まりない。
「手詰まりじゃすね」
バリーが溜息と共に、落胆の表情で言葉を吐き出す。
けれど、
「――だが、あの刺青を施したのは、俺だ」
本当に、バリーは一体何のために、ついて来たのだろう。
そんな思考に駆られながら、ケイネは全神経を集中させ、『それほど』程度の探知能力を全開にする。
刺青を施したのは――ケイネ。
施術者特権とでも呼ぼうか。『普通』は兎も角、ケイネには、自身の施した刺青であれば、他者のそれよりも格段に探知の可能性を跳ね上げる。
しかし、やはりケイネの探知能力は『それほど』である。そこに神族として。『魔法』を探知するのではなく、神族特有の、『呪い』以外の不審な能力を感知するというケイネ独特のやり方で、ケイネは標的を――見つけた。
「居た。ここから三階下だ」
地面と垂直に、たった三階下の部屋。
天井が高い分、普通の家屋の四階分ほどのスペースはあるが、それでも三階下である。案外近くに居た事に、ケイネは安堵の息を吐いた。自分の勘も、『人を見る目』以外ではそこそこ信頼できるものだと褒めてやる。
場所が知れたは良いが、さてここからどうするか。ケイネは片足を立てて据わりこみ、その隣にバリーも胡坐をかいた。急かす様な前傾で、バリーはケイネの顔を覗きこむ。
「じー」
「態々言うな。外に知れたら俺はお前を置いて行く」
「ごめぬっす」
逆に言い難く無いか、と思いながら、ケイネは口元を覆うように手を当てた。一瞬煙草を吸おうとしたが、煙で侵入がバレては元も子もない。ケアレスミスも良いところだ。
標的は三階下。階段の位置は不明で、その他人の出入りも不明。当然オリヴィエの周囲に人がいない筈は無く、常に数名以上の人が守りを固めているのは必然。真下、ということは部屋の中ということにはなるが――室内に一人きり、という可能性はあっても、確定する要素は無い。
廊下から回りこむのは失策。ならばやはり、音を最小限に、真下へ移動するのみ、か。
次回の更新は、来週の土曜日を予定しております。




