42出発
転送魔法よりも、ケイネは重力操作と風の魔法を選んだ。
それは自身をどこかへ『飛ばす』事に、若干の恐怖があった事にも起因する。ケイネの師匠はケイネで遊ぶのが楽しいのか、それとも事実を述べているだけなのか。ケイネに語って聞かせたのは、転送魔法を扱った故の失敗談の数々だった。
勿論、それは師匠の失敗ではない。師匠が施術した、又は人づてに聞いた。もしくは目撃した、のどれかである。自身は安全圏に居ながら、それだけの特異に見舞われる。ケイネの師匠は、《刺青師》としてもそれなりに有能な人であったが、それ以上に、どこか異様な人だった。
例えば、壁に埋まってしまった人。(壁を壊す事に因って事無きを得た)
例えば、物体を身体に貫通させてしまった人。(物体は「そこに在った物」を無視し存在を発生させるので、その人は大怪我を負った)
例えば、座標を間違って空中に転送してしまった人。(あと少し座標が高ければ、店の天井に嵌ってしまう事態だった)
例えば、動揺の末逃げた先が、未開拓の夜森だった人。(転送を何度も繰り返し、事無きを得た)
例えば――などなど、だ。
それを聞いたケイネが、いくら自分の技術に自信があろうとも、転送魔法の刺青を彫ろうなどと思える筈がない。刺青に対する技術は充分過ぎる程に研鑽を積んでいたが、魔法を扱う判断は、どこまでもその人の思考や経験に由来する。「うっかり発動させてしまった転送魔法」ほど危険な魔法は他には無い。ケイネはそう思っていて、そう思っているからこそ、自身にそんな魔法を施すなど、できる筈が無かった。
だが――例外は、ある。
例えば人でなければ。
物体に紋を刻み、決められた場所を行き来するだけの転送魔法ならば――ケイネは、なんの衒いも無く使用できる。悪用されていないと断言できる場合に限るが、それでも。
管理を怠りさえしなければ。やはり、これほどまでに便利な魔法というものは、存在しないだろう。
「わああ!?」
「おっと」
うっかり――転送魔法では絶対にやってはいけない事代表にあたる、うっかりで、ケイネはバリーを連れてきてしまった。
否、どちらかと言えば、バリーが無理矢理ついて来たが正しい。ケイネにバリーを連れて来る気は一切無かったし、と言うか、誰かを連れて行こう等という狂気じみた思考は欠片程も存在していなかった。はっきり言って、バリーが居ても邪魔なだけである。これはケイネの後始末で、恐らくバリーにとっては不愉快極まりない情景しか存在しない。それなのに、彼を連れて行く利点は一切無いわけで。
尻もちをついて呻くバリー。
巻き込んでしまう前に――既に巻き込んでいる気もするが――、転送魔法で村に追い返そうかとも思ったが。バリーが本気で抵抗した場合、ケイネが彼に勝る事は絶対にあり得ない。
絶対に。
どんな天変地異に見舞われようとも。どんなに幸運に恵まれようとも。
ケイネはその程度には脆弱だ。
「……邪魔は」
「しねっす。でも、困憊なんでついてかせてくんせ」
「…………」
邪魔はするな。そう言おうとしたケイネの言葉を途中で否定し、真っ暗で狭い部屋――否、物置部屋の中、真剣な表情で、バリーは明後日の方向を見つめていた。恐らく、そこにケイネが居ると思ってそちらを見ているのだろうが……本当にバリーの周囲の空気は締まらない、とケイネは思った。そして、『困憊』ではなく、『心配』だろう。
「……はぁ、好きにしろ」
「らじゃっす!」
溜息と共に許可を出せば、バリーの声色は半オクターブ上がる。背景に花でも散りそうな程のテンションの上がり方に、ケイネは更に息を吐きだした。彼が明後日の方向を向いている事が救いだったが、どうやらこの短時間で目が馴染んできたらしい。同化しそうなほどの黒いローブを羽織っているというのに、バリーは立ち上がり、的確にケイネの方へと駆け寄った。
「じゃ、オリヴィエちゃんとこ行きやしょー」
「お前が仕切るな」
ケイネは一歩を踏み出し、目前に在った扉を開ける。
ドアノブすら無い、外側に開く二枚の扉。外からは物置きにしか見えない簡素な物で、その実、そこは正しく物置きだ。
外は幅の広い廊下だ。ダークブラウンの床と、オフホワイトの壁が目に優しい明るすぎない照明に照らされている。左の壁には四つ、右の壁には三つ、似た扉が等間隔に並び、廊下の奥で右側の壁に沿うように床が抉れ、そこに階段が備わっていることをケイネは知っている。右側の壁に三つしか扉がないのは、つまりそういう理由だ。
「師!」
突如現れた光を手で遮りながら、ゆっくりとバリーは物置から出る。ケイネは既にバリーを置いて廊下の中央を速足に進んでいた。扉を閉めたことを確りと確認し、バリーも慌ててケイネを追って小走りになった。
「わぁ」
「おっと」
階段を降りようとし、ケイネは途中で人と接触しかけた。
人と。
「…………」
ケイネは目を疑った。人……どこからどう見ても、その人は人だった。
半年前によく見かけた漆黒の髪は、けれど見かけたそれよりも艶のある深淵の色だ。瞳には青が混ざり、灰色が緩やかに驚愕の色を映す。服装もこの辺りでは珍しい民族衣装で、それを大分改良したものである事が見てとれた。旅に不向きな民族衣装で、それを旅に慣らした、とでも言うのか。動きやすそうで、それでいて人前に出ることへの配慮を忘れない衣装だ。
「…………あんた、客か?」
ケイネは思わず聞いた。それほどまでの驚愕が、ケイネを襲ったのだ。
少女はおろおろと頭を下げる。驚きと話しかけられたお陰で、どうやら少々混乱しているらしかった。
そんな時間は無いと解りつつも、ケイネは彼女の混乱が収まるのを待った。直ぐにバリーがケイネに追いつくが、彼も空気を読んでケイネの肩に手を置いたまま背後で覗きこむように停止している。ようやっと顔を上げたと思えば、一人増えた背後霊のようなバリーに驚いて、それでも先程のように混乱することもなく、少女は小さく頷いた。
「はい、そうです。わたくしと、男性が二名。残念ながらわたくしだけ部屋が違うのですが……」
なるほど、とケイネは頷く。
だが、驚愕は止まない。
一応宿屋を兼ねている店ではあるが、基本的に宿泊客は少ないのだ。それもこれも、店主の好みで宿泊の許可を出すから、という我儘っぷり。その御眼鏡に適うという事は、その三人の内で最低でも一人が、心底気に入られているのだろう。
「……Ja わかった。変な事を聞いて悪かった」
「いえ、では」
少女は深く頭を下げた。低い位置で二つに結わえられた髪が正面側で揺れ、白い項の面影を残して遅れてやってくる。
つい肌に目をやってしまった事に気付き、ケイネは罪悪感ともどかしさを覚えながら身を避けた。彼女は盆を持っており、食事を部屋まで運んでいる最中だったのだ。
職業柄と言って良いのだろうか……ケイネは、人の持つ性質や、肌の様子、露出部分とそこに在る刺青の確認をするのが癖だった。彼女の露出部分は顔と首、そして背後に少しだけ覗く項だけ。どこにも刺青は見当たらない。
そのまま互いに会釈を交わし、少女との短い邂逅は終わりを告げた。
「ローザ、いるか」
「いるわよぉ」
ケイネの呼びかけに、カウンターで食器を拭いていた人物が優雅に手を振った。
黒に近い紫色のドレスに身を包み、くっきりとした化粧で妖艶に飾るその人。酒に力を入れた食事処兼宿屋、『黒薔薇猫亭』店主、ローザである。
細い四肢、しなやかな身のこなし。華奢な骨格に柔らかな肉の付いた曲線的な肉体や、洗練された所作に至るまで、ローザは他に類を見ない美女である。
「ケイネ、髪が増えたわね。何か御用? ……あら、バリーくんも。いらっしゃい。お髭は止めたのかしら?」
そっちの方が断然男前よ、とローザは笑う。
反応は、皆同じである。
バリーは言い返したそうに顔を顰めたが、きゅっと唇を結び、言葉を紡ぐ事は無かった。言っても無駄だと思っているのか、単に我慢しているだけなのか。
どちらにせよ、用があるのはケイネの方である。
ケイネはバリーの肩を優しく叩き、カウンターへと歩み寄った。
「ローザ、この号外が出たのはいつの事だ?」
「号外?」
ケイネはポケットを漁り、レネーが持ち寄った号外の新聞をローザへと提示する。細かな文字に彩られた、クリーム色の紙片。ついでに髪紐も一緒に出て来たのだが、逡巡してポケットへと戻す。怠惰に過ごしている間に、まとめる事はできても、まとめ『上げる』事ができない程髪が伸びてしまったのだ。故に、髪は只管に邪魔なままである。
気を新聞にやりながらも仕事の手は休めず、ローザは新たな食器へと手を伸ばし、その食器についた水気を拭った。
「あぁ、これ」
思い至ったように、ローザは独白する。拭いた食器を先程の食器に重ね、タオルをまだ拭いていない食器の上に置き、その紙片を持ち上げた。
「これ、あれだわねぇ。一週間……いえ、五日前くらい、かしら? 日付書いてないけど、出回ったのはそのくらいよ。一昨日エマちゃんがこれを見てね、絶叫してひっくり返ったのよ。今もお部屋で休んでるのよ? ケイネ、あんた一体何をしたのよ」
言って、ローザはケイネに強い視線を向けながら紙片を返す。
ケイネはそれを受け取り、先程のバリーと同じような表情をしながら暫し沈黙を守った。紙片を折り畳み、ポケットに仕舞い直す。ついでに手に巻き付けたままの貧乏くさい紐を見つけ、適当に髪を括っておいた。瞳と同色の髪紐よりは、断然丈夫である。
「言っておくが、かなり濡れ衣だ」
「あら、じゃあ、ほんのちょっとは濡れ衣じゃあないのね」
「言い方を変える。俺は悪い事はしていない」
「エマちゃんをブッ倒しておいて、いけしゃあしゃあと」
呆れた風に息を吐きながら、ローザは食器を拭く作業へと戻った。
確かに、ローザの現在の作業は、いつもはエマが行っている事だ。エマはこの『黒薔薇猫亭』唯一の従業員で――否、最近一人増えたから、一番古株の従業員で、小動物の様な小さな矮躯に、ちょこまかとした動きが特徴の可愛らしい少女である。従業員として働いて、約十年。立派な『黒薔薇猫亭』の看板娘であり、ケイネの客でもあり、ケイネのファンでもある少女だった。
彼女が新聞を見て、倒れたのが二日前。
「…………」
ケイネは暫し悩む。色々と、酷く簡潔にヤバい事態をケイネは悟っていた。
「……エマちゃんは、新聞見て、その瞬間に倒れたのか? じっくり見た末に倒れたのか?」
暫しローザは思考し、
「……そうね、確か……あたしがお客様の置いて行かれたそれを見ていたら段々食い入るようになってきて……気になってるみたいだから貸してあげたら、突然叫んでバタン! ……全く、従業員が増えてなかったら、あんたの首が飛んでたわね、ケイネ」
「嫌なこと言うな……」
だが、ローザの意見ではっきりした事が一つある。
気付いてしまえば、既に結論が出てしまうということだ。
「…………師?」
控えめにケイネを窺うバリーに、ケイネは言葉を紡がない。寧ろ手で制する始末だ。バリーはその手に従い、唇を真一文字に引き結ぶ。
片方は顎、片方は腰に当て、ケイネは思案する。どうにか記憶を掘り起こし、自身の行くべき道を辿る。
「……アレクシスが死んだってことは、ルート変更を余儀なくされるよな……」
城内の地図は粗方頭に入ってはいた。『神族の使い』などという立派極まりない肩書を武器に、使いとしての正装をして無駄に闊歩していた記憶がケイネにはある。だが、正装は常にアレクシスの部屋だ。彼の部屋まで忍び込む第一関門が一時の休みもなく待機しており、そもそも今は、正装に着替えている時間も惜しい。
ケイネの目的は、オリヴィエだ。彼女の部屋の場所を、ケイネは知らない。見取り図の様な物があるとも思えないし、探し出す事は不可能ではないが、彼女の周囲に人がいない筈も無い。
ケイネは思案に思案を重ねた。熟考に熟考を重ねた。
オリヴィエの事態を把握していそうな近衛兵に連絡を取る事も考えたが、ケイネの目的を知れば、彼等が敵に回る事は必至。騙すことも厭わない程度には大事だが……やはり最終手段、だろう。出来る事なら、オリヴィエ以外との接触は避けるべきなのだ。
「……バリー、お前、ついてくるのか?」
「あたぼーす」
発言を許されたからか、バリーが嬉しそうに拳を掲げる。満面の笑みは疑う余地もないだろう。
左腕を、彼に差し出す。バリーも迷わずその手を取り、覚悟を秘めた瞳を輝かせ、一つ、確かに頷いた。
「ちょっとちょっと、あたしを置いて行かないで頂戴」
手拭を畳みながら、カウンターからローザが滑り出る。出たら出たで畳んだ筈の手拭をカウンターの奥側へと投げ、それらは作業場としてとられたスペースへと落ちた。変なところでぞんざいな扱いをするところは、何年経っても変わらない人である。
傍に寄るローザに対し、ケイネは落ち着いた心地で訊ねた。
「お前も行く気か?」
ローザはくっきりとした顔立ちをきょとんとやわらげ、可愛らしさを混ぜた仕草で悠然と肩を竦めて見せた。
「まさか。お店があるもの」
「だろうな」
ケイネも、一応確認をとったまでである。彼女の優先順位は一に店。それを覆すような出来事を、ケイネは未だ嘗て体験した例が無い。
「話に置いて行かないで、と言っているのよ。なぁに? お城に行くの? お悔やみ申し上げますって?」
「そんなわけ無いだろう。後始末だ。他に生け捕られる前に、俺の手で俺の息子を始末する」
ケイネはそれ以上言わなかったが、ローザとの付き合いはそれなりに長い。ケイネの懸念やらなんやらを悟ったらしく、「はぁん」と腕を組み、頬に掌を押し当てた。
「あなた、馬鹿やったのねぇ。ホント、エマちゃんも良く発見したわぁ。愛の力よねぇ」
文句を言おうとしたケイネだが、その口調と呆れたような表情から、他人事を楽しんでいるわけでは無いことを物語る。「若いわぁ」と溜息を吐くさまが、年齢を感じさせる。年齢に関してローザには禁句なので、誰が何を言う事も無いが。
溜息を吐き、バリーの手を引いて、ケイネは歩きだす。
向かうは店の出入り口。目指すは王都の城、だ。
「じゃあローザ。後は今まで通り、よろしく頼む」
「はいはい。行ってらっしゃいな」
美麗な笑顔。ヒラヒラと仰がれる掌は、まるで蝶のように空を舞った。
それに応えるのは、ケイネでは無い。引かれるままに歩みを進めるバリーが振り返り、「行ってきましゃー」と顔の横で手を振った。
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