38下僕
「だが――」
暖かみの無い瞳に、それでも人間らしさを取り戻したケイネが、零すように言葉を紡いだ。声と同時に身体を後ろへ逸らせ、両の手を自身の頭の後ろで組む。まるで育ちの悪い若者の様に不遜な態度で、ケイネはぴくりとも微笑まずに更に言葉を投げかけた。
「脅しにも似た信頼は好意的に受け取るとして――アオイ嬢は、本当にそれを納得したのか?」
ケイネが一瞬だけ視線をアオイに向け、直ぐにバートルミーへと戻す。
アオイと口を利く事を避けたのか、彼女が口を開かないと思ったのか。机に隠れて見えないが、気だるげだが尊大な態度の下で、組まれた足はブラブラと遊ばれていることだろう。訊いている割に、彼の興味は目前の会話には無いのだ。
「神族の風潮は、この大陸――否、この国の中だけに置かれた極少数の種族に他ならない。『巫女』という呼び名は東国のものだと聞くが、アオイ嬢が、男である俺を信用するに至るものでも無いだろう」
それは正解らしく、反応を返さないアオイの代わりに、バートルミーが頷いた。アオイは依然暗くなった外を眺めているし、そのアオイ以上に、デリクは忌々しげに眉を吊り上げている。
オリヴィエは首を傾げた。
何故、神族を知らないアオイよりも、デリクの方が不機嫌なのか。
「俺が欲しいのは信頼じゃない。あんたらがオリヴィエのために俺に対する信頼が必要なのは解るが……それが、不完全であればより危険だ。施術中に突然『やっぱ許せん』とか言って怒鳴りこまれた日には、俺にはどうすることもできないし。禍根を残す信頼ならば、無い方がマシだと言える」
信頼したのに、禍根を残すとはどういうことなのか。
オリヴィエが言葉の矛盾を指摘しようか悩んでいれば、ケイネと視線が合った。
何も言うなと視線で告げられた気がして、オリヴィエは己の思考を読まれた気恥ずかしさと、彼の指示に対し従順な態度で視線を机へと移した。昼間は全く意識していなかったが、机の明るい木の色が瞳に優しい。
「貴様の神は、女神だと聞きました」
声に釣られて、オリヴィエは視線をそちらへと向ける。
答えたのは、アオイだった。
宵闇の町並みを切り取った窓硝子越しに、アオイはケイネを睨みつける。冷やかな絶対零度の視線を作ろうとして、失敗している。徐々に上がる眉や、険しくなる目元。炎の様な憎しみが灯り、灼熱は硝子に集中砲火。
視線で人が殺せないのが常識なら、視線で硝子も燃えはしない。
アオイの涙ぐましい努力に、オリヴィエは心中で渇いた笑いを零す。努力を惜しまないのは良いことだが、相手がケイネに対してであると、それだけで不毛を悟らせる。哀れとも取れる行為だ。
「女神――つまり、貴様が仰ぐ神は、女性ということです」
「……Ja」
言葉は『肯定』を意味するらしい。
意図が解らない、というよりも、彼女の言葉に合点がいったらしいケイネは、徐々に瞼を下げ、うんざりするように間を開けて肯定した。
バートルミーとデリクの眉間に、深く皺が刻み込まれる。
アオイが、小さく口の端を上げた。
「つまり、貴様は男だが、女性の奴隷であり下僕ということだ」
「…………」
返す言葉も無い、とは、こう言う時に使うものだっただろうか。
優越に微笑むアオイの表情は、ここ最近出一番活き活きと輝いている。それは男性の優位に立った時にしか見られない、彼女の酷く魅力的な一面だ。素直に可愛らしいと、オリヴィエは思う。そこに内在された想いを無視し、可愛らしく、可愛がってやりたくなる愛らしさに満ちている。
「だからと言って、貴様を信用はしていませんし、信頼もしません。ただ、譲歩してやろうと思いました。神族だのなんだのは知りませんが、神主の様なものだと思えば説明もつきます」
カンヌシ。知らぬ言葉だが、彼女の言葉から察するに、神族に近い何かなのだろう。
「信用も、信頼も、一切しません。だから、私は『オリヴィエ様を』信頼することに決めました」
言葉と同時に、アオイが振り返る。不意にオリヴィエと視線が合った瞬間、子供の様な優越に浸る誇らしげな様子も無く、ただ視線が合った事を嬉しむように微笑んだ。
そして、険しい瞳を、ケイネへと向ける。
「その信頼をもしも裏切ろうとするならば――私は決して、貴様を許しません」
昼間感じた、殺気の伴う声音だった。
肌を刺すかのように恐ろしく、オリヴィエの二の腕には鳥肌が走る。
女性であるオリヴィエがこれほど恐ろしく思っているのだから、男性である三人は相当なものだろう。そして、厨房に居る、バリーも。
ちらりと全員を見渡すと、縮こまっているのは二人だけ。
デリクと、バートルミー。たった二人だけである。
ケイネは腹を擦りながら、もどかしげにバリーを見やる。まるで話を聞いていなかったかのような態度のまま、アオイの堪忍袋の緒が切れる寸前を狙い、彼は言葉をかけた。
「例えば?」
「はい?」
バートルミーとはテンポよく会話をしていたが、アオイはそうもいかないらしい。
ケイネの短い質問に、訝しげな表情を返す。
ケイネは依然、視線をバリーへと送っている。彼は何故か調理を始めていて、煮えたミルクの仄かな香りが、オリヴィエ達の鼻腔をくすぐった。
「具体的に制裁内容を聞きたいと思って」
本当にそう思っているのかどうか、怪しい物である。
暫し、毒の無い瞳で視線を逸らし、アオイは思考する。
「先ず、爪を剥ぎます」
口から出たのは、拷問の方法である。
「一枚一枚丁寧に。一枚剥いでは消毒液もぶっかけてあげましょうかね。それで悲鳴が小さくなってきたらまた一枚。全部の指、計二十枚剥いだら、次は指の骨を折りましょうか。小さい骨からコツコツと。地道に『もう殺してくれ』って言いだすまでやめません。それを言いだしてからが、本番です」
アオイが悪びれず、「あ、『骨』だから『コツ』では決してありませんから」と告げるが、そんなことはどうでもいい。男性に突撃するだけの少女かと思っていたが、どうやら本当に、オリヴィエの予想も追いつかぬほど、アオイの男性嫌いは根深いらしい。
顔を青くさせながら手のつま先を擦ると、アオイが「オリヴィエ様にはしませんよ」と朗らかに笑った。
対面で、バートルミーとデリクが遠くを見つめていたのが、オリヴィエの心を現実に引き戻す。
「危ない話しとっすね」
声とともに、ふわりと暖かな香りが広がった。コトリ、と机の隅に置かれたのは、ホットミルク。真っ白な液体が真っ白な湯気を上げ、落ちつきを誘う穏やかな香りが、オリヴィエ達に配られる。
「サシイレー。飲んでやってくりゃせ」
まるで悪戯っ子のように微笑むバリーは、はっきり言って癒しだ。髭を失って幼くなった顔立ちが、それを助長させる。
頂きます、とオリヴィエが口に含むよりも早く、他の三人が礼も無く口をつけている。バートルミーだけが口をつけてから礼を述べ、後の二人はゆっくりと、眉を顰めて息を吹きかけることに集中していた。
猫舌なのだから、もう少し控えればいいのに。オリヴィエも、そんなに急いで飲んだりはしないのだから。
「毒味ね……部下も大変だな」
「け、ケイネさん!?」
ケイネの明け透けすぎる言葉に、オリヴィエは咄嗟に制止をかけた。だが、時既に遅し。ケイネは総てを言いきっており、同時に、バリーは総てを聞き終えていた。
厨房に戻ってしまったバリーの顔は窺えない。皿を取り出す音だけと、ゆっくりと厨房を歩く足音だけが響く。
迫りくる罪悪感に、オリヴィエは眉を下げて顔を俯けた。
バリーは良い人だ。オリヴィエは、それをよく知っている。
抜けていて、子供っぽくて、言葉使いが変だし、そもそも言葉を正確に覚えていない所のある人だけれど。彼の笑顔は、人を癒す。暖かい気持ちをくれる。
そんな人が命をかける料理に対し、毒味を行っている事実。
オリヴィエは、唇を噛み、膝の上で拳を握った。
ケイネは悪くない。デリカシーに欠けているだけだ。
毒味を行う近衛も悪くない。悪いのは――そうせざるを得ない、オリヴィエの立場。
「あっはは!ケイネ師いっじわるー」
快活な笑い声が、オリヴィエの自虐的な思考を一掃する。反射的に見上げた場には、違うこと無くバリーの笑顔があった。
その笑顔には、嘘や躊躇いのような苦味は無い。遠慮の無い、どこまでも澄み切った、純粋な笑顔だった。
彼はケイネの前にだけリゾットのような料理を置くと、オリヴィエの直ぐ横にしゃがみ、ケイネのリゾットの隣に組んだ腕と頭を置いた。
「オリヴィエちゃん、俺の料理、美味?」
子供の様な問いかけに、オリヴィエは一瞬制止する。考えるまでも無く、けれど、言葉が喉の奥に閊え、上手く出て来ない。自身の表情を省みる事も無く、オリヴィエは、やっとのことでたった数文字の言葉を吐きだした。
「おい……しい、です」
とても。
城で食べる、シェフの料理とは違う。
綺麗に飾り付けることは無く、けれども彩は悪くない。見栄えに気を使っていないのでは無く、無駄な装飾を取り払った、シンプルに食べるための料理。
言ってしまえば庶民的で、けれど、それも、『食堂』と言う場に相応しく、気軽に食べに来られる、来たくなる、バリーの料理。
オリヴィエの言葉に、バリーは顔を綻ばせる。
「オリヴィエちゃん、俺の想像もつかんくらい、お偉いさんじゃろ?必要なことやし、それに、俺は毒とか入れんけ、オリヴィエちゃんも絶対食べれるし。なにより、オリヴィエちゃんは、『美味しい』って言ってくれる」
バリーの隣で、ケイネはスプーンでリゾットを掬い、小さく息を吹きかけている。充分冷まして、口に含んだ所で、一つ小さく頷いて、今度は視覚に楽しい刻みネギと一緒にリゾットを掬う。
「料理人はね、誰かのその言葉がありゃ、他は何も要らんせよ」
バリーの笑顔に、嘘は無い。
曇りも、苦味も。
本心からの澄みきった笑顔に、オリヴィエの心はミルクを落としたコーヒーの様に劇的に変化する。浮上した心で、彼の笑顔に自身も笑顔で応えると、「ふふ」と笑って立ち上がった。
「じゃあ彼女も嫁も要らないんだな」
「うっ!」
そこに、ケイネの言葉のジャブが飛ぶ。急所にヒット。バリーはケイネの肩に手を突き、ケイネの頭に凭れかかった。
「せんせえー。酷かー」
「『美味い』以外要らないんだろ」
「それは料理人としての話!俺個人としては!嫁も!彼女も!娘も欲しい!」
「そうか。頑張れ」
「他人事ー!」
喚くバリーに、ケイネは何処までも無関心だ。リゾットの表面を削いでは冷まし、口に含む。その手は止まること無く、ゆっくりと白く煮えた米の一角を着々と崩して行く。
「師、美味?」
無邪気に聞くバリーに、煩わしげなケイネ。
オリヴィエはそこに、二人の確かな信頼関係を見た。
「当然。解りきった事を聞くな」
「……へへっさーせん!」
嬉々として厨房に戻るバリー。オリヴィエは彼の背を、漫然とと見詰めた。
夕食時、ケイネは食事を取らなかった。
理由を、オリヴィエは知らない。だが、料理を所望するケイネに対して、バリーは無垢な笑顔で頑固に拒絶し続けた。結局、ケイネが食べたのは人参から作られたポタージュだけ。それすらも、半分ほどしか手をつけず、オリヴィエ達の食事が終わるのも待たず、食堂から出てしまったのだけれど。
そんなケイネが今、遅い夕食を取っている。
あんなにも拒絶していたバリーは、言葉も無く当然のようにリゾットを出し、ケイネもまた、それを受け入れた。
(……執事……いえ、従者…………でもなく……)
バリーとケイネの関係性に、相応しい名前をつけるとしたら、なんなのだろう。気になり始めたら止まらないオリヴィエは、何となく考えを巡らせてみる。だが、相応しい言葉は見当たらない。
執事にしてはバリーは遠慮が足りないし、従者にしても以下同文。
庶民で言う嫁や母親のようなそれに似ている気がしなくもないが、オリヴィエは庶民の生活をよく知らないし、何よりバリーは男性で、ケイネより年下なのでそれも却下。
(そう……まるで……)
ケイネの容姿を敢えて無視し、本来の年齢に換算した結果、見えてくる関係性は――
一癖ある祖父の介護をする、孫の姿。
思い至り、オリヴィエは笑いを噛み殺した。普段は笑って誤魔化す所を、オリヴィエは必死に唇を噛んで無表情を貫く。
それは容易では無く、オリヴィエは数秒も経たずに音を上げそうになった。常時表情の乏しいバートルミー、そして何事にも関心の薄いケイネ。彼らの無表情に、オリヴィエは心の底から尊敬の念を覚え、震えた息を肺の中から吐き出した。
「で、オリヴィエ」
「っはい」
裏返りそうな声を抑え、オリヴィエは応える。ケイネはじとりと、まるでオリヴィエの思考を読んだかのように座った瞳をオリヴィエへ向けたが、得意な笑顔でそれを躱す。ケイネもそれ以上の追及は無く、ふっと瞳からそれらの雑念を消し去った。
「あんたの部下、良いって言ってるけど。どうする?」
暫しの沈黙。
そして、その言葉が、オリヴィエに浸透する。
一番の不安材料だったアオイの男性に対する怨嗟は、認識の違いと嬉しい言葉で解決した。デリクがどう思っているかは解らない。だが、彼はプライドが高い。故に、一度こうと決した問題にとやかく言う事はあっても、邪魔するようなことだけは、絶対に、無い。
バートルミー、デリク、アオイの順に、首を回して視線を送る。小さく頷く者。バツが悪そうに視線を合わせ無い者。微笑みを返す者。
三者三様の表情を受け取り、最期に、オリヴィエはケイネへと視線を投げた。
彼は微笑む事も無く、黙々とリゾットの山を崩している。小さめのスプーンに、四分の一程度しか米を乗せずにちみちみと口に運ぶ。姿勢こそ男らしい怠さを醸していたが、その仕草はどれもオリヴィエの思う、男らしさに欠けていた。食べるのも遅い。
ゆっくりと、沁み込むように理解する。じわりと内に広がる波紋は、それに伴い緩む涙腺は、違うこと無く喜びだ。
何故か降りない瞼。ツンと痛む鼻の奥。喉から震える唇。
それら総てを押し殺し、オリヴィエは椅子から立ち上がった。
オリヴィエに一瞥すらくれない、リゾットを食すケイネの横に立つ。
「ケイネさん」
呼び方にも、慣れて来た。心の中で何度も唱えるように呼んだ甲斐があり、オリヴィエはもう、ケイネに注意されることは無い。
ゆっくりと、腰を折る。頭を下げる。
豊かな髪が重力に従って下がり、暗幕の様に二人の視線を遮った。
「ご依頼の方、正式に、よろしくお願いいたします」
姫の低頭に、一同はケイネへと視線を集める。ケイネは姫同様、誰に対しても視線を送ること無く、瞑目して口に笑みを乗せた。
「Ja. Ich schwöre bei Gott.」
柔らかい口調に乗るのは、神の言語。
理解など及ばない。オリヴィエの知る言語では無い。
ゆっくりと、下げた時同様の速度で、オリヴィエは顔を上げた。
暗幕が上がる。
知らぬ言葉で返されたにも関わらず、彼女は、とても美しく微笑み、一度ふわりと頷いた。
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