33軽口と容赦
「口が軽いのは、どこのどいつだ」
外野であるオリヴィエは、大人しく首を捻る。
ケイネの口から吐き出された疑問は、確実にジルドアだけに狙いを定め、発された飛び道具だった。命中はクリティカルヒット。保たれていた無表情は簡単に崩れ、唇をキュッと引き、彼は瞳を大きく揺らした。
口籠るジルドアに対し、ケイネの視線が揺らぐことは無い。短くなった煙草を吸い、吐き出しつつ、残骸を掌で焼く。
その一連の動作に、傍で食い入るように見つめていた少女は瞳を輝かせたが、言葉を挟むような事はしなかった。
「姫様、これは第二ラウンドですか?男性陣の共倒れ希望なのですが」
さらっとオリヴィエの隣で毒を吐くのは、アオイである。オリヴィエの手から残り少なくなった容器を奪い、自身のそれと重ねてバートルミーへと差し出した。オリヴィエから奪ったは良いが、容器を返そうにも、バリーが男だから近付きたく無い。つまり、そういうことなのだろう。
バートルミーは良く理解しているため、言葉無く差し出されたそれを受け取ると、ついでにデリクからも空の容器を受け取りトレイの上へ置いた。その際、礼と感想を忘れないのが、バートルミーの好ましいところである。
「……どうでしょう。わたくしには、ケイネさんが優勢に思えますが……」
アオイの言葉に、オリヴィエが応える。
ケイネが優勢、というか、ジルドアが劣勢、と言うか。
リュレジアに対して説教していた時とは打って変わり、彼は失敗を暴露され、叱られているかのような状態だ。少女は間でケイネに熱い視線を送るが、ケイネが見るのはジルドアだけ。そのジルドアは瞳を逸らし、偶に恐る恐るケイネを見ては瞳を逸らしていた。
第二ラウンド、にはならないだろう。
この場において、ケイネは圧勝。
ジルドアには思い当たる非があり、ケイネはそれに対して物申しているだけなのだから。
「で、誰?」
煙草を持つ必要が無くなった代わりに、ケイネは腕を組む。腰に手を当てて佇む姿と、どちらの方が尊大に映るのだろうか。
再度の問いかけに、ジルドアは唇を噛む。三度瞬きをゆっくりと繰り返すと、彼は意を決し、逸らしていた瞳に確りとケイネを映しだした。
「初めから、知ってた……」
やはり、オリヴィエ達には首を傾げるしか無い答えである。だが、ケイネは素直に「ふうん」と頷く。顎に細く長い指を添え、一秒に満たない時間、赤紫の瞳からジルドアを映す事を止めた。間と呼べる間すらなく、再度その瞳に、彼は捕えられることになるのだが。
「じゃ、二次災害は誰だ。緘口令を守れないのなら、俺は神に反してでも、お前らに対して報復しなくてはならない」
「それは、ボクだ。ごめん」
「口調戻ってんぞ」
ケイネの指摘に、ジルドアは素早い動作で口元を押さえる。純粋に失敗を恥じるその表情はあどけなく、ケイネより――見た目だけは――年上に見えるのに、一気に少年に戻ってしまったような幼さがあった。そこからケイネをじっとりと睨めつける視線も、どこか子供染みている。恐らく、ケイネには他人を退化させる能力があるのだろう。ジルドアの様子に既視感を覚え、自身の行動を反芻したオリヴィエは、総ての原因をケイネになすりつけて一人頷いた。
小さな咳払いが聞こえる。頬の赤みを一緒に追い出すかのような、ジルドアの行動だった。
「そう言うのは、スルーして頂けると助かります」
「堅いな……」
苦笑気味に、けれど笑う事は無く、ケイネは「で?」と続きを促す。
「緘口令については、俺から一応説明を加えたつもりです。ただ、この馬鹿はケイネ様のファンすぎて……子供ですから、自身を抑制する術も稚拙です。御容赦を」
そう言うと、表情を苦くして、ジルドアは頭を下げた。腰を九十度よりも深く折り曲げ、頭を下げられたケイネ以上に、横に佇んでいたリュレジアが驚愕する。ケイネとジルドアの様子を窺いながら、ジルドアの横で、彼女も確りと腰を曲げた。
微動だにしなくなった三人の内、最初に動いたのは、ケイネである。
始まりは、小さな溜息。
「馬鹿かお前は。容赦するわけがないだろう」
「…………」
呆れた、と言わんばかりの口調である。
彼に容赦が無いのはいつもの事だが、それにしても、一刀両断とはこのことである。切実に、真摯に頭を下げるジルドアに対し、これは些か無慈悲というものだろう。
「こっちはこっちで、考え抜いてやってるんだ。容赦なんて、してやる隙も甘さも無いんだよ、ジルドア」
「…………そうですね……」
ジルドアは瞑目しつつ、肯定を返す。
「ルールは遵守するためにある。決して、破るためではない。ルールには定められるに至った意味が在り、必要だと判断されたから存在する。肝に銘じておけ」
「だから、ボクは納得しただろーが!」
なおも言い募るケイネに対し、ジルドアがキレた。
まるで犬のように喉を鳴らして威嚇するジルドアを、ケイネは小さく笑って流す。その笑顔のまま三歩の距離を詰めると、ケイネはジルドアから視線を外しつつ、彼の美しい銀色が飾るその頭を優しく撫でた。
優しく、とは言っても、彼の手つきは乱暴と評するのが正しいものだったが。
「じゃ、次はあんただ。リュレジアとやら」
ジルドアが一歩下がり、ケイネに乱された髪を撫でつける。小さく深呼吸を繰り返し、表情に露になった険しさを、身の内から追い出しているようだった。
そんな彼の横で、ケイネは一歩の隙間を空け、少女と対峙する。
その笑顔は、被られた猫。例え神族と謂えど、ケイネも初対面の人間には、簡単に素を出す気になれないのだろう。隣の既知には素を出す癖に、だ。
リュレジアは、ケイネの笑顔に頬をさっと朱に染めた。一歩下がり、詰まっていた距離を離す。先程の失態も記憶に存在しているのだろうが、どちらかと言えば、彼との距離が近い事に因る条件反射だろう。それはオリヴィエにも良く解る心情なので、少なからず感情移入してしまう。
まるで少女を追い詰めているような図に、オリヴィエの隣に居るアオイは盛大に舌打ちをしたが、そちらに視線をやったのはオリヴィエとジルドアだけだった。ジルドアは既に表情を不機嫌そうなそれに固定していたが、心の内で盛大に眉を顰めているであろう。それでも、視線をアオイに向けた瞬間凄まじい険しさで睨み返されたので、彼は冷や汗をかきながらも直ぐに視線をケイネたちへと戻した。
「さて、リュレジア。一度しか言わないから、心して聞けよ」
そのケイネの言葉に、リュレジアは千切れそうなほど激しく、首を縦に何度も振った。胸元で両手を絡めて握り、リュレジアは熱の籠った瞳で、ケイネの天啓にも等しいその言葉を待った。
ケイネは身体を屈め、視線を下げる。
リュレジアの間近で視線が交錯する。
彼の瞳は、相も変わらず透明だ。そこに映る感情の色は乏しく、微かに光る冷徹なまでも覚悟だけが、異質な光を鈍く放っている。
その光に当てられた少女は、その静けさに視線を吸い寄せられる。酷くゆったりとした、周囲とは別の空気と時間の流れを持った彼の領域。
ケイネ自体が一種の神域であり、リュレジアは今、その内側に捕らわれた。
「あんたが俺の何を知っているのかは聞かない。俺をどう思っているかも興味が無い。ただ、何も言うな。俺についての情報を開示することも、俺について他者に語ることも許さない。詮索することも、勿論誰かを雇い俺を調べる事も、だ。それらを守れないというのなら、俺は俺の身を守るために、あんたの存在を拒絶しよう。俺との関係を一切絶ち、一片すらも残さず、あんたの前から姿をけす。そして、二度と俺の前に表れる事を、俺は決して許さない」
瞳と同じ、暖かさの欠片も無い声色。
それはリュレジアの耳から内腑へと落ち、じっとりと、今にも雨の降り出しそうな曇天の様な陰鬱さで、少女の胸の内を巣食った。
「あ、あの……」
「ん?」
そんな己の内側を無視し、リュレジアは言葉を発する。
自身に言われたわけでもない、傍から見ていただけのオリヴィエですら、心臓を掴まれるような寂しさを覚えるそれを、乗り越えて。
「……結婚……して、ください……」
それは、
まるで。
「……オリヴィエ様?」
バートルミーの声が遠い。頬を撫でる風も、生温かい空気も、オリヴィエの手を握る、アオイの手の感触すらも。
只管に、遠い。
瞳に映るのは――
ケイネと、透けるように美しい、ガラス工芸のような少女の世界だけ。
再度の求婚に、ケイネは暫し口を噤む。表情はいつも通り。瞳は温度を感じさせず、かといって冷たくも無い冷淡さ。リュレジアと視線を合わせてはいるが、彼女の言葉が届いているかは怪しい程の、興味の無さ。
右耳の後ろを人差し指で掻き、瞳を一度伏せ、溜息混じりにケイネは彼女の言葉に応えた。
「そういう話は、神を通せ。俺に決定権は無い」
それは、つまり――
「そそそれはつまり!神がお許しになられれれば!ケイネ様は!わたくしに!嫁いでくださると言う訳でございまするですでござりましょうか!?」
興奮したように詰め寄るリュレジアに、ケイネは淡々と肯定を返した。「あぁ、まぁ」という曖昧な物ではあったが、それは肯定以外の何物でもない。リュレジアは美しい高音をその喉から奏で、軽やかにその身を跳ねさせながら、舞い上がりそうな気持ちを体全体で表現していた。
「ケイネ様!わたくし、帰ったら早速!エルン様に申し上げせていただきますね!?」
「勝手にしろ」
「はい!」
諸手を上げて喜ぶ少女は、まるで夏の日差しの様に眩しい。
決めた事に一直線で、早速仕事に取り掛かろうと、リュレジアはジルドアの腕を引いている。
オリヴィエはいつ繋いだかも解らないアオイの手をするりと外し、小声で囁かれる制しの言葉も聞かず、静かにケイネに近寄ってその服の裾を摘んだ。
「?」
声も無く、ケイネが瞳を丸めて振り返る。
その拍子に、括られていた髪が一房零れ、端から零れ落ちていた横髪と混ざる。白髪では無い、青くくすんだ銀の髪。独特な透明さを持って輝く髪は、まるで空を飾る、満天の星々のようだ。
「…………」
「…………」
お互いに、言葉は無い。
オリヴィエは何かを言おうと口を開くが、それは言葉にはならず、喉の途中まで出ては引っ込んで行った。徐々に赤紫に見つめられる事がいたたまれなくなり、視線を下げる。これはオリヴィエの咄嗟の行動に、彼を巻き込んでしまったに過ぎない。
「も、申し訳――」
「オリヴィエ」
せめて謝罪を入れなければ。そう思い、やっと言葉を発したオリヴィエの名を、ケイネは呼んだ。オリヴィエが返事をするよりも早く、ケイネはオリヴィエの頭を捕え、自身の肩口へと近づける。
どう考えても、例え考えなかったとしても解る。酷く密着した形になり、オリヴィエは慌てて彼の名を呼んだ。
「ケ、ケイネさ――」
「依頼のことは、あの二人には絶対に言うな」
「――へ?」
間抜けた声が出た、とオリヴィエは思う。
ケイネの言葉は、『絶対』であり命令系であったにも関わらず、それほど重たくない。最後に「面倒そうだから」と付け足すと、オリヴィエの身は直ぐに解放された。
小さな舌打ちを耳にし、振り返った所に得物をしっかりと握ったアオイの姿がある。ケイネが直ぐに身体を放した理由を察知し、オリヴィエは小さく笑った。
「あのケダモノ……次女の子に手を出したら確実に息の根を……!」
「やめとけ小娘。物証が残る。やるなら己が魔法で灰にして――」
「お、お二人とも!ちょっと落ち着いてください!」
アオイとデリクの瞳は、完全に暗殺者のそれである。バートルミーは額を覆って溜息を吐いているだけで、彼女らを止めることは無い。慌ててオリヴィエが二人に制止をかければ、不満そうだが、二人はケイネから視線を逸らした。大きな舌打ちは、この際仕方が無いので許そう。
「バートルミー、こちらへ」
二人の怒気が散るのを待っている時間は無い。オリヴィエは両名の前へ近づき、傍観どころか、現実から逃避し空を眺めていたバートルミーを呼んだ。
元々寄っていた三人の許へ、バートルミーが近づく。オリヴィエは一度ケイネの方――リュレジアが再度ケイネに抱きついて、鬼の形相をしたジルドアに殴られている――を見やり、注意がこちらに向いていない事を確認して、彼の言葉を部下へと伝えた。
「神族様方には、わたくしがケイネさんに刺青を依頼したことは、内緒です」
三方はそれぞれに疑問の表情を投げかけつつ、それでも理由は聞かずに、忠義からただ肯定の返事をした。
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