01山小屋と女性
ウェラート・エングストランドが消えて五十年。
青年――ケイネの暮らす山は、相変わらずだ。
新緑は朝日を浴びてキラキラと輝き、生の祝福のような木漏れ日を、燦々とケイネの頭上に降らせる。それは眩しく、まるで神が与えるこの世の至福のよう。
山の中腹にある小さな村へ行った帰りの山道で、ケイネは手に入れた山羊の乳、羊肉、そして保存の利く固いパンと少しの野菜とその他諸々を両手いっぱいに抱え、週一の買い出しに満足を覚えながら、鼻歌交じりに帰りの獣道を登っていた。足場は悪いが慣れたもので、彼は身体の軸を一切ブラすこと無く、ピンと背筋を伸ばしたまま、疲れも知らずに交互に足を進めた。
ぱきぱきという、小枝や落ち葉の砕ける音が耳に優しい。
遠くで鳥が囀り、風に鳴る葉に突撃しては、新たな音を生んでいる。
山には数多の生命が混在する。
その混沌が新たな闇を生み、新たな光を生み、そして新たなとんでもない何かを生むのだ。常に何かが生まれ、何かが死ぬ。どこよりも命に近い、人が踏み込んではならない領域で、神の領域だ。
そして、そこに住むケイネ。
彼は神をも恐れない。
自分の視界に入らないモノの存在は、自身の世界には存在しない主義なのだ。
「今日のー昼飯肉料理ぃー。夜の食事も肉肉肉~」
即興で創ったメロディに、大好物の肉を食せる幸福を謳う。ケイネの分にと、肉屋の看板娘、ライラが一番いいところを取っておいてくれたと言うではないか。
ケイネはその時の感動を一緒忘れないと誓った。そのおかげで、「ライラは良い嫁さんになるな!ロイドが羨ましいよ!」と言った時の奇妙な表情も、一生忘れられなくなってしまったが。折角の、ケイネにしては珍しい純粋な祝福だったのだから、もう少し喜色を浮かべてほしかったというのが、ケイネの本音でもある。
ちなみに、ロイドは肉屋の息子。ライラはアルバイトの村娘である。
長い獣道を抜けると、一本道の、地面の見える空間へと出る。この道は採掘場に繋がる物で、ケイネの家と繋がるだけの短い物だ。昔は沢山の宝石や金銀財宝何かが発掘されたと聞くが、それも大昔の話。ケイネが生まれる前には資源が底を尽きていて、鉱夫たちが寝泊まりしていたらしい忘れ去られた山小屋を、ケイネがずっと再利用しているのだ。
本来、一本道は町まで続いている筈だった。だが長らく使われなかったが為に、草が茂り、折れた枝や葉が散り、通るには些か覚悟の要る感じに仕上がっている。採掘場までの道はケイネが整備したが、通るのは専らケイネだけなので、そろそろまた整備しなくてはならないだろう。
ちなみに、村に下りる際、彼が潰れた道では無く獣道の方を使うのは、そちらの方が、道に添って変に山を迂回することが無く、ショートカットの近道で村に行けるから。ただそれだけである。あと、整備するのが正直面倒くさい。五十メートル程度なら兎も角、五キロや十キロという単位になると、流石にやりたく無くなるというのが、ケイネの本音である。
迷うことなく出た道を左に曲がり、自身の家を目指す。今は採掘場に用は無い。
家に帰ったら何をしよう。やはり食事だろうか。それともある程度労働をして、それから空腹と言う名の極上スパイスと共に、最高の食事を味わうべきだろうか。
「うへへへ」
締まりの無い顔で、締まりの無い笑いを零す。
今日の食事の事を考えるだけで、ケイネは幸せ気分に、総てがどうでも良くなるのだ。
そう、例えば。
明らかに草でも土でも、動物の糞でも、ましてや山に住む動物ですら無い、何か柔らかくて固い物を踏んでしまったとしても。
「…………」
(いっやいやいやいやいやいや!?)
ケイネは自身に備わるツッコミの才能をフル稼働させ、完全に素通りしかけた、道路に横たわる深緑色の固まりを振り返った。顔は凄い勢いで引き攣っていたことを自覚していたが、この際どうでもいい話である。誰も見ていないのだから。
謎の物体が住処たる山中に転がっているなど、忌々しき事態以外の何物でもない。
「おい……おい!新種!どうした?この山は棲み難いか?だったらとっとと出ていけ?悪いことは言わないから……」
食料を背に庇いつつ、ケイネは人語を解するかも解らない物体に話しかける。
彼はプチ混乱中だった。
それでも、自身が何とかしなくてはいけないことを、ケイネは良く解っていた。この辺りにはケイネしか住んでおらず、一番近い中腹の村でも、獣道を通って片道一時間以上かかるのだ。彼らに押し付けるのは無理だし、何より寝覚めが悪い。ケイネは村人のことを、少なからず好いていたから。
一つ深呼吸をして、波風が立ちまくった自身の心を落ち着かせる。やることは決まっているのだから、落ち着いてそれを遂行すればいい。
先ずは、観察。
深緑色の塊は、どうやら生物的なものでは無く、ただの布らしい。材質は絹。それはケイネが見て来た物のどれよりも上等な光沢を放ち、高級な品だというのが一目で解った。
徐々に視線をずらし、長細く、それなりに厚みのある謎の布――そしてその布を被った、厚みのある中味を吟味する。布の端に入っているらしい装飾も、シンプルながらに気品がある。ケイネはごてごてした装飾は好まないので、単純に「これ結構好きだわ」という感想をもらしつつ、観察を続けた。
布の端から、さらに右。
そこには、白く細く艶めかしく美しい――人間の足が、生えていた。
「………………人じゃん!!」
どこまでもワンテンポ遅く、ケイネは声を轟かせ、てっぺんにも届かない太陽の光に包まれる中、森の空気が振動した。
□■□
ケイネの住む山小屋には、ケイネが単身で身を置いている。
そこに同居人どころか、ケイネの帰りを待つ命ある存在は、何処にもいない。時折小動物が入り込んでいたりもしたが、それらに家主の帰りを喜ぶ性質は無いので、勘定に入れなくて良いだろう。だが、長年染み付いた癖は癖なので、当然のように、彼は「ただいま」と言って返答の無い小屋へと身を滑らせた。
外から入って直ぐ、最初の部屋がリビングとなる。右手には大きめの水瓶と、台所と呼ぶにも簡素すぎる竈。
部屋の奥の左側に扉が一つと、右側には奥の部屋へ続く入り口、玄関から見て正面の壁にあった。
右側の入り口は、ケイネが住みついた時既に扉が壊れてしまっていたので、全部取っ払って薪にしてしまったのだ。そちらへ進めば、簡素なベッドと本が山と積まれた作業用のテーブル。
左側の扉は短い廊下に出て、さらに左の壁に扉が三つ。一つは風呂で、一つは手洗い場で、一つは物置。廊下右側の壁には梯子が備わっており、そこから高い位置に在る窓を開けると、屋根の上へ出ることが可能なのだ。
全体的に襤褸いが、汚いという事は無い。最低限レベルの綺麗好きであるケイネは、やはり最低限、掃除や洗濯を欠かすことが無いからだ。
リビングの大きめのテーブルに寄り道してから、ケイネは迷わず寝室へと向かう。ただベッドがあるだけだが、寝る部屋としては正しい。だからここは、寝ている人物が使うべきだ。
ケイネは背負ってきた人物を自身のベッドへ横たえる。
流石にアレを放置することは、ケイネにも躊躇われた。何れ人が土に還るのだとしても、ケイネはそれを手助けしたいとは思わない。命はそれぞれに一つしか与えられず、なのにその命は、決して自身だけの物では無い。この人物は運よくケイネに見つかったのだ。ならば、人として、まだまだ長らく生きる可能性のある人間を助けるのは、当然の行動であろう。
何より、あそこはケイネ以外が使う事の無い道である。
毎度行き来する度に遭遇してみろ。罪悪感は募る一方、うっかりそこで死なせてしまえば、精神的な損害を被るのは、誰あろうケイネなのである。
人道的だが自己中心的。
情けは人のため為らず。至言である。
「ん……ぅ……」
眉を顰め、魘されたように眠る物体から、呻き声の様な物が上がる。
そう言えばと踏んでしまった深緑のローブを取ると、現れたのは、
「…………うわぁ」
見事なサニーブロンドの髪に、貴族の少女たちが喜びそうな、ビスクドールのような造形の、美しい女性だった。
ケイネの上げた声は、決して感動や感嘆等では無い。
自身の不運をに対する悲嘆と憂戚を呪った、溜息のような呟きである。
背負った時に背に当たる柔らかな感触に「もしや」と思ってはいたが、女性が自身のベッドに寝ているなど、村人以外の接触が無いケイネにとって、言葉にし難い歯痒さがある。
先ほどのローブのように上質で、触り心地の良さそうなサニーブロンドの髪。肌は陶器のように滑らかで、吸い寄せられるように触れた頬は、程良い弾力があり――道端に倒れていただけあって、砂や埃によるざらつきを感じさせた。
「…………」
後で風呂を貸してやろう。そして布団も洗濯しよう。
うっかり触れ過ぎない様に直ぐに手を引っ込め、ケイネは少女と共に頑張って運んだ食料の方へと意識を向けた。女性の肌というのは、色んな意味でケイネに対して毒だった。
さて、困ったことに、此処に在る食材は一人分である。
無駄に大きなテーブルの上に、几帳面に並べ直した食材を見つめ、ケイネは顎と腰に手を当てて、はぁと大きな溜息を吐いた。
しかも、それほど食べる方ではないケイネの、一週間分の食材。
彼女に振る舞う分が無いわけでは無いが、彼女にも今正に調理したばかりの柔らかい肉を提供するには、ケイネの心は狭く、葛藤が葛藤を呼んだ。勿体ない気持ち。自身で総て平らげてしまいたい気持ち。そもそも俺のなんだから、俺だけで食べて悪いことはないんじゃねーかという不寛容な気持ち。
「…………はぁ」
再度溜息を吐いて、ケイネはがしがしと頭を掻く。大雑把にまとめただけの髪は見るも無残な状態だ。九死に一生を得ているような状態で、残った髪にぶら下がる紐を一度解き、再度大雑把に、それでも先ほどよりは綺麗に、それほど長くも無い髪を一つにまとめ直した。
自他共に認める面倒くさがり屋のケイネである。最終的に考えるのが面倒になり、肉と野菜たっぷりスープを作る事に決めた。大量に食べられてはアレだが、少しは精を、体力をつけてやらないと。
ケイネの居住から山の麓へ出るには、かなりの体力を要するのだから。
固いパンは保存用なので、ケイネは勿論、今日のちょっとした贅沢のために、柔らかいパンもしっかりと買ってきていた。まさか人に振る舞う事になるとは思ってもみなかったが、寝起きに固すぎるパンを押しつけるのは忍びない。一度寛容になってしまえば、とことん寛容になるのが彼の特徴である。
パンに手は加えず、野菜に手を伸ばす。サラダが食べたい。生野菜は新鮮な物に限るから、買いだしをしたその日は、必ずサラダを食べるとケイネは心に決めているのだ。
パンに、サラダに、スープ。メインの食材が足りない気もするが、肉はスープに入っているので文句は言わせない。朝食の様なメニューなってしまったが、考えている時間が無かったので仕方が無い。
サラダに掛けるドレッシングは、村長の一人娘、ビアンカのお手製だ。
さっぱりとして、尾を引かない後味の良さ。一度実験台として彼女の手料理を食べさせてもらい、それを褒めると、彼女は嬉しそうに「良かったらお持ち帰りください」と手土産に持たせてくれたのだ。それ以降、彼女に無くなりそうな事を告げると必ず手料理を振る舞われ、手土産にドレッシングや軽めの弁当を貰うまでが一連の流れとなっていた。
村長とは言えど、山の中腹の、小さな農村である。
最高級の衣服を纏った、高貴な血族にあたりそうな彼女の口に、果たして合うのだろうか。
「…………」
心配にはなったが、文句を言おうものなら、追い出してやれば良いだけの話だとケイネは気付く。
食べ物を馬鹿にする者に、誰の料理も食べる資格は無い。食材は生命だ。我らは生命を食べて自らを育み、生命を礎にしか、新たな生命を育むことしかできないのだから。
煮込まれた鍋からは、コンソメの良い香りが漂ってくる。
簡素で質素だが美味い。一人で食べる分には問題無い。そんなケイネの、シンプルな男の料理である。
そして香しい臭いに釣られたのか、ケイネが立つ簡素な台所の左側。彼の寝室から、小さな物音が聞こえた。
ケイネは竈の石に刻まれた模様を人差し指でなぞり、スープの安全を確保。
山の中で遭難していた、女性の安否を確かめに、己の寝室へと向かった。
ケイネさん
瞳は彩度の高い赤紫。髪はくすんだ青っぽい白髪。左目の下(頬骨のあたり)シンプルな刺青(一部バーコードっぽい)がある。
顔は普通よりかわいい寄り。童顔と身長の低さ(16●cm)がコンプレックス。
本文内でやれよって思うんですが、すみません。こちらで補足をさせていただきました。
早く彼の顧客という名のハーレムを作ってあげたいです。