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16食事と怒髪天


 食堂内部は、ケイネの求める料理の良い香りが立ち上る。むわりとした熱と共に、それらは堂内を満たし、ケイネの開けた扉から熱気と冷えた外気を交換し、幾許程度室温を下げ、ケイネの食欲を刺激した。

「あっ、ケイネ師、お疲れ様っす」

 厨房で鍋をかきまぜるのは、当然ながらバリーである。

 奥では未だに四人が喧々囂々と騒ぎたて、バリーの様子に気付く者はいない。と言うより、騒がしさからか他の理由からか、食堂には四人とバリー、そしてケイネしか存在しなかった。


 ケイネは気持ちひっそりと、奥の団体から一番遠い、入口付近の右奥にある、カウンター席に腰を下ろす。独特な狭さがそこにはあり、団体に関係無く、ケイネのお気に入りの定位置であった。

 何も言わずとも、バリーが器に料理を盛り、ケイネの前へとそれを置いた。肉団子のスープに、炊いた米をぶちこんで煮た物だ。ホウレンソウ混じりの透明なスープを、木でできたレンゲで掬う。空きっ腹に、何とも言えない香りが心地良く、うっかり忘れていた「いただきます」をした後、ケイネはゆっくりと、食物を流しこんだ。


 火を止めて、自身も厨房から出てケイネの隣に腰を下ろすバリー。恐らく、これで全員に料理が渡ったのだろう。

 喧騒から離れたかったからか、バリーの人懐っこさからか。彼が隣に腰を下ろしたのをいい事に、ケイネは気になっていた事を、やっと質問することができた。


「……髭とった?」

「剃ったって言って師!」

 器を両手で掲げ、額を机に打ち付けるバリーに注目する者はいない。強いて言えば、質問を放ったケイネくらいなものである。


 ゆっくりと顔を上げ、同時に邪魔が無くなった机へ器を戻す。バリーは先ほどの笑顔や元気さを捨て去り、すっかり寂しそうに、意気消沈した表情を見せた。溜息を吐いて、髭の痕跡すら無い顎を擦る。それはそうだろう。彼の髭はつけ髭なのだから。

 小汚い髭を失くした顔は、可愛らしく若々しい。三十代の男はそこには居らず、料理を作るために体を洗い、服を着替え、水を含んだ髪を覆うようにタオルの巻かれた頭に、先程の汚さも無い。二十四という年齢通りの見た目をしたバリーは、未練たらたらだが、一応割り切っている様子で、ケイネに事の次第を告げた。


「ベティも母さんも、髭剃れってばっかでっしょ?俺より早く結婚しちゃうし、子供も出来ちやいましたし、俺としても、甥っ子は抱きたいわけっして……」

 天秤が傾いたという事だ。

 今までどんなに指摘されようとも執着し続けたそれを、自身の想いで手放した。

「良い伯父さんになれよ」

「彼女も居ないのに、伯父さん……」

 深い息を吐き出したと思えば、彼は自分の作った料理を勢いよく掻きこみ始めた。自棄食いである。

 ケイネもそれに倣い、食事を再開する。透明なスープは濃厚で、沢山の手順、食材を経てこの味になったと思うと、ケイネは感慨深い気持ちになった。ケイネは基本、最低限の調味料しか使わない。必要な下準備はある程度するものの、料理に対する情熱は人並みだ。食堂の料理長たるバリーとは、食事に対する見方が違うのである。


「お口、似合います?」

 既に半分ほど平らげたバリーが、復活した笑顔でケイネに問う。言い間違いというかイントネーションと言うか。普段から言葉が惑ったような喋り方をする奴ではあったが、そろそろ誰か、彼に言葉を教えるべきなのではないかとケイネは思った。自分がやる気は一切無いが、これでは新しく生まれた甥が、どうなる事か分かった物では無い。


「……似合いはしないけど、いつも通り。美味いよ」

「……へへっ」

 事実だけを彼に述べれば、バリーは満足げに破顔して、食事のスピードをダウンさせ、じっくり味わうように食べ始めた。


「酷いんでっせよ師、聞いてくださいっすよ、もう」

 静かに食べるのかと思いきや、バリーは眉をキリリと上げて、一口食べるごとに口を開く。ケイネは横に避けられていた木製でない小皿を取り、ポケットから煙草を取り出し、火を付け、小皿の上に置き、それを机の隅に追いやった。


「聞いてやる。どうした」

 食べながら、ケイネは気の無い返事を返す。言いたければ言えば良い。ケイネが入れるのは相槌だけだが、それでもバリーは気にしないだろう。


 バリーはむすっと頬に空気を溜め、目元に険を彩る。子供っぽい仕草に既視感を覚えて首を傾げれば、そう言えば最近、似たような表情をオリヴィエがしていたことを思い出す。精神年齢は、もしかしたら同じくらいなのかもしれないと、ケイネは思った。

「あそこで今、オリヴィエちゃんと、オッサンとオニーサンとオネーサンがピーチク戦慄わなないてるじゃないですか?」

「あぁうん。『騒いでる』な」

 決して、戦慄いてはいない。オリヴィエはすっかり怒りと言葉を収め、黙って淡々と彼らの話を聞いているようではあったが、その瞳は険しく、涙を堪えるように口を噛みしめていた。

 まるで我儘が通らないことを拗ねる子供だったが、内容を知っているだけに、ケイネは彼女に呆れることは無い。あれはあれで、自身にとっての最善を尽くす為に必死なのだ。彼女に悪意は無く、必要な事を、頑張っているだけ。


 一口掬い、一旦言葉を止めて食材を咀嚼する。ケイネもそれに倣い、米とホウレンソウとスープを一緒に口の中へと誘い、味の沁みたそれらを噛み砕いた。表面の乾いた肉団子を半分に割り、乾いた面をスープに浸けながら、レンゲでスープを掬って肉団子にかける。

 一口を飲み込んだらしいバリーが、汁だけをレンゲに掬って啜る。不満を口にしている割に、その顔は一口ごとに蕩けた笑顔に変わるので面白い。ご丁寧に、口が空になると眉間に皺を寄せるのが律義で、ケイネは吹き出しそうになるのを堪え、無表情を貫いた。


「最初こっちに来た時、俺ちゃんと挨拶したんすよ?オリヴィエちゃんいたし、村の人、皆夫人がって見るから、奥の方の机くっつけて、村の人近付かなくて良くなるように、こう……」

「不審、な」

 夫人がる、とは。

「んだすけど」

 合間に挟まるケイネの訂正を無視し、バリーは言葉を続ける。

「先ずあの、キッチリした……赤茶色?茶色?の髪色した髭の無い人が」

 男性の基準は髭らしい。


 バリーは一瞬言葉を止め、拗ねたような表情をキリリと締め上げ、ケイネが見たことも無いような表情で、不気味な低い声を出した。

「『どのような物が出るかと思えば、割かしまともだな』」

 どうやら、真似をしているらしい。似ているのかどうかは――恐らく似ていないのだろう。バリーの言葉は彼らに届いていないらしく、彼らが振り返ることは無い。ケイネと視線が合うとすればオリヴィエだけで、他三人は一人机からはみ出しつつも、オリヴィエを説得するためか、オリヴィエが隣に反対派を置く事を拒んだためか、対面に一列に並び、ケイネからは一様に背面しか見ることは叶わなかった。

 別に見たいとも思っていなかったので、ケイネからしたら興味の無いことなのだが。


 向きからすれば、オリヴィエはケイネの存在に気付いているだろうし、視線が合うこともあるだろう。けれど、彼女は意図的に視線を逸らしているらしく、一度も視線が交わることは無い。ケイネも事が無ければそちらを向かないので、なおさら。

「そんで次にでやすがね!?」

 大げさにケイネの方を向くバリーの器は、良く見ればもう空になっていた。ケイネの器にはまだ半分以上あるというのに。


 バリーは頭に装着していたタオルを解き、すっかり乾いて広がった跳ね放題伸ばし放題の焦げ茶の髪を、器用にまとめて低い位置に髪紐で括り直した。低い位置なので、上の方はまだまだ跳ねてしまっている。だが、それでも下方遣い込まれた箒が出来あがっている分、全体のボリュームは押さえられていた。

 いつ見ても職人技としか思えない。彼の髪は、彼自身以外の人間がそれを結ぶと、一気に紐が切れて使いものにならなくなるのだ。ケイネの家の扉は壊す癖に、一体全体どういう仕掛けになっているのか。ケイネの気になる村人七不思議の中でも、一・二を争う謎である。


「今度はあっちじゃす。ポニテのネーチャンっす」

 最初の男がオリヴィエの対面に居て、その隣。オリヴィエよりも、恐らく十センチ以上身長の低いであろう、華奢な見栄えの少女である。

 だが、背面からでも窺える隙の無さは、決してただの少女と呼べる物ではない。ケイネが彼女の脇を通り抜けようすれば、彼女は躊躇わず得物を突き付けてくることだろう。背後に回ろうとすれば、八つ裂きにされるかもしれない。

 脳内で無惨な肉塊に変わる己を、一瞬のうちに大量に想像してしまい、ケイネは一旦、食事の手を止めた。料理はまだ、半分を切ったところである。


「あのネーチャンは、『元々は黴生えてたかもしれませんね。ルミ隊長のだけ』ってゆーです。酷いっしゅ。厨房を担う料理人じゃして、俺はそんよーな漆喰ゼッテーしませんけ!」

「失態な」

 息を荒らげて怒っている様子ではあるが、恐らく――絶対にそういう意味で言ったのではない、とケイネは呆れた。

 最初の男は単純に、辺鄙な村にしては水準が高い、そう評価を改めたが故の言葉だったのだろう。太った人間を見ることは無いが、栄養を摂取出来ていなさそうな、骸骨のような人間も居ない。それに加えて、出された料理も、料理と呼ぶに十分な見た目と量をしている。そして美味い。

 もしも本当に文句だとするならば、酷く厭味な性格をしているのだろう。あまり話しかけたく無い相手である。


 そして少女の方も、決して食材に文句があったわけではない。あからさまだろう。彼女はその『ルミ隊長』に対し、厭味を言いたかっただけなのだ。

(…………やっぱり、あんまり近寄りたくねーなぁ)

 集会所の前に溜まる彼らを見た時、ケイネが一番最初に思ったことである。


 基本的に、ケイネは面倒事が嫌いだった。理由は簡単。面倒だから、である。

 厄介だと解っている事を、態々自分から抱えてやる必要がどこに在るのか。初めて村を訪れた時、交流を厭ったのもそのためだ。自身の無意識が訴える貧乏くじを、態々引く必要など何処にも無い。ただ、村の状態を見過ごすことは出来ず、村では無い山奥に引っ込み、人知れずある程度の『整地』を行ってきたのだが。

 今ではめっきり、ケイネも村の一部となりつつある。

「…………」

 それを『面倒』とも『厄介』とも考えることは無いが、懸念は、ある。


「そんで最後にあの髭なんじゃすけど!」

 一人机を前にすること無く、通路にはみ出して座る男のことである。顔面を見ていたから知ってはいたが、ケイネの場所から、彼の髭は確認できない。せめてハゲの方を挙げるべきだったのではとケイネは思ったが、その単語にうっかり反応でもされたら堪らないので、何もツッコまずに、ケイネはバリーの言葉を待った。


「俺が器ん盛って机に置いたら、『おれはそのような貧乏臭いもん食わんわ!』ですじゃてよ師~~~!!」

「あー、それは怒って正解だな」

 どのような意図があったとしても、作った本人の目の前で『貧乏臭い』は分別が無さ過ぎる。道徳という物が存在していない。食材に対する敬意も、それを作った者に対する配慮も無い。最低の発言である。


「まぁ、そん時超喧嘩真っ最中で、オリヴィエちゃんが思いっきり器ぶちまけかけてたんで、そのせいかもなんすけーね!」

「お前もう何やってんだよ……」

 超笑顔で言ったバリーは、総て吐き出したことにより、とても満足げな顔をしていた。バリーは単純なので、誰かを相手に吐き出すことさえ出来てしまえば、それで自身の内にあるものは解消されるのだ。

「ところでよぉ師さんよォ」

 バリーのバリーさ加減に、額を押さえて項垂れるケイネの様子を無視し、バリーはちょいちょいと手を動かしてケイネを呼ぶ。ケイネの視線が自身へ向いたことを確かめると、口の周りを片手で覆い、内緒話を示唆した。


 絶対に、ろくな事を言わない。

 その確信を、ケイネの無意識が呼びかける。だが、無視をするわけにもいかないので、ケイネは身を傾け、彼に耳を寄せた。

 バリーがさらにケイネに身を寄せて、耳元で、一言。



「――もう良いです!!貴方達のおっしゃりたいことは良く解りました!!これより、貴方方の任を解き、城へ戻ることを命じます!わたくしのしたい事に、一切口を挟まないでください!!」








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