15髭と腹減
ケイネが辿り着いた頃、食堂は喧騒の只中だった。
「大っきらい!ルミもリクも、この話題と今現在において、わたくしはお二人が大大大っきらいです!!」
「姫様もっと言ってやってください。オッサンは可愛い女の子、もしくは可愛がってきた女の子からの『大っきらい』に弱いものです。押せば勝てますよ」
「大っきらいです!!」
「アオイ貴様どっちの味方だ!?」
「現在においては姫様の味方です。姫様がこんなに頼み込んでるのに、ただ頭ごなしに『ダメ』って言うだけなら鳥だってできます」
「頭ごなしでは無い!姫様!己はしかとこの目で見てまいりましたぞ!あやつに任せてはなりません!」
「体を預けるのはわたくしです!わたくしが信頼した人なのに、どうして皆信じてくれないんですか!?」
「そーですよーこれだから男っていう下等生物はー」
「アオもですよ!」
「私も!?」
「どうせ後になったら、アオイも反対するんだわ!わたくし、アオイが男の人を毛嫌いしている事、知っています!どんなに今憎まれるようなことを言ってはいても、きっとアオはルミとリクの味方をします!『見ず知らずの人に騙されてるんです姫様』なんて言って、わたくしを丸めこもうったってそうはいきませんからね!」
「うわぁ姫様にバレバレですねどうしましょう騎士様」
「とりあえず、一度落ちつきましょう姫様。ね」
「落ち着いております!!」
「落ち着いてる人は泣いて喚いたりしません。ほら、深呼吸を……」
「…………」
時間は深夜とも呼べない夕飯時――よりも、少しだけ遅い時間帯。月の光も少ない三日月の夜。普段なら外を出歩く者など九割居ないのだが、今日はベティの出産が重なり、村の道を行き来する間、ケイネはもう何人もの村人と擦れ違っていた。
擦れ違う度、なるべく外に出るな、必要最低限で済ませろ、という旨を伝え、刺青に関係無く夜目の利くケイネは、遅くなりつつも、やっと食堂へと足を運ぶことができたのだが。
カウンター奥の厨房にいるバリーが、ケイネに気付いてカウンター席で存在を消す様に肩を縮こまらせている男へと、小さな声で話しかけた。
その声はケイネまでは届かなかったが、同時に喧騒の中心にも届く事は無い。知らせを受けた男は席を立ち、精悍半分、食材不足半分の体を揺らしながら、自身よりも小さなケイネの許へと駆け寄った。
「ケイネ師!新たな村の宝、お助けいただき、このご恩、どうお返しすれば良いやら……」
早くに色の抜けた頭と髭は灰の色。瞳は灰に青を咥えた曇りの色。肌は日焼けで浅黒く、身長はケイネの頭一個半程上。鍛えたと言う割には筋肉の足りない、無駄が無いと言うよりはもうちょっと無駄を蓄えろと言いたくなる細身でダンディな存在こそ、この村の長であり、ビアンカ、コーリンの父親であった。
ちなみに、バリーが髭を蓄えたがっているのも彼が原因である。
穏やかに微笑み、村のために良く働く彼を、バリーはとても尊敬していた。
先ずは落ち着きを覚えることこそが、バリーにとって必要な事だろう。が、落ち着いたバリーなど、最早バリーではない。落ちつきなく騒ぎ、その明るさで人を助ける。村長とは全く違う類の、バリーの個性であり、長所なのである。
一応声を潜めて、ケイネに頭を下げる村長を外へ連れ出し、扉で喧騒を遮断する。ケイネは大げさな動作で息を吐きつくし、前傾になった体を起こしながら、外気を肺の内に取り込んだ。冷えた空気は、清浄と不浄を水と油を混ぜた様な異物感を内に残す。
ケイネは眉間の皺を深くする。一度汚れた空気を清浄に戻すのは、ケイネの役割ではない。彼はそれを行う事はできず、淀んだ此の地を祓うことは出来ないのだ。
頭を掻きながら、ケイネは村長に、只管声の調子を落とし、淡々と述べた。
「村長、近場の神域から司祭か巫女を喚べ。場に穢れが変に混じって溜まってる。此処だけじゃ無く、山ごとだな……」
場を清めるのは、神域に在る長たるものの仕事である。言わば神の力を行使する者。彼らの仕事であり、仕事であるからには、
「チッ折角俺が完全に病んでるとこ整地して道作って山に居座ってちょっとずつ気ィ払って、四十年かけて綺麗にして来たっつーのに……この辺りの神族はその辺がめついっつーのに……クソ野郎が……!」
勿論、依頼に対する相応の対価が必要になるわけである。
苦々しげに舌打ちをして、ケイネは苛立たしげに毒を吐く。この村は今、新たな生命に何かと物資が入用になってくると言うのに。
不機嫌そうにぐちぐちと不満を零すケイネに、村長が控えめに呼びかける。不安気な村長は、見た目だけは年下の男に縋るような視線を送った。
軽く謝罪し、ケイネは村長の両頬を引っ張った。八つ当たりでは無いので、彼に痛みは無いだろう。彼はいつもケイネに対して不安気に期待を強いるので、ケイネはその都度、現状と同じような方法で注意しているのだ。
大の男が、少年とも呼べる風貌の男に弄ばれる姿はアレだが、大の男が幼い子供であったころからの慣習だ。今更変わることも無い。
「司祭……神族への供物は、犯人にどうにかさせる。お前は、特に男性に、夜外を出歩くことを禁じろ。体調を崩す者が出たら、ベティと赤子には悪いが、全員集会所につっこめ。子供に影響あるようだったら、一時凌ぎで俺がどうにかするからすぐ呼べよ」
「ひょ、ひょうかいしましは……」
「氷解はしなくて良いけど」
村長の頭に軽く二度手を置き、ケイネは両手を腰に当てた。
「不自由させる。だが、村の命は、必ず俺が護る。約束しよう」
真摯な瞳でそう告げれば、村長は瞳を揺らし、穏やかな顔から、不安の表情の大凡を取り払った。そこに在るのは主に安堵。どう見ても自身より幼い青年に、彼は自身が幼い頃から、ずっと信頼を寄せていたのだ。
彼は約束を違えない。否、それは言い過ぎだろう。彼も人だから、違えてしまうこともある。だが、彼は決して手を抜かない。やると言ったからには、全身全霊の全力でそれに臨む。それを知っているからこそ、村長は安心できるのだ。
「仰せのままに。私たちにできることは、あなたの言葉に従うことだけです」
跪かんとする勢いで頭を下げれば、ケイネは眉間に三本も皺を寄せ、口元を酷く歪めた。追い払うように手を揺らし、気分を害したことを隠そうともしない。
「やめろ。俺は王でも神でも無い。ただの御近所さんだ」
「はい。私たちは、村のためにケイネ師を利用しているだけ。師も、自身のために、村を利用しているだけ、ですね」
村長が、悪戯っ子のように表情を幼くする。
「Sie Sind gutes Kind.」
ケイネが瞳を和らげて微笑むと、彼は誇らしげに破顔した。ケイネと村長が初めて会ったのは、村長が四歳の頃の事。彼にとって、その頃から変わらぬ姿で村人を救うケイネは、神よりも、王よりも尊き存在だった。それはきっと、誰にとっても。
「ライラから、私だけ待機と窺いましたが、それはこれを伝えられる為でしょうか?それとも、他にご用事が?」
「こんだけ。煩わせて、わるかったな。あ、あと、あいつらは俺が引きうけるから、待たなくて良い。……お前もそろそろ家へ帰れ。女はある程度大丈夫そうだが、とにかく男がヤバイ。例え子牛が生まれようとも、絶対に夜は外へ出るのを避けろ」
言いながら、ケイネは村長の家の方向を指さした。そして言い終るとさっさと背を向けて、「おやすみ」と手を振り、食堂へ入ってしまう。最後に残した「きゅう」という謎の音は、恐らくケイネの腹の音だろう。
村長のお辞儀を見ること無く、ケイネの視界に入ったのは、喧騒以上にツッコむべき事実だった。