10第一村人と遭遇
ケイネが条件を総て提示し、オリヴィエの了承を得る頃には、もう日も傾いてしまっていた。橙色の光は綺麗だが、それは時間が過ぎた証。
時間が過ぎれば、当然腹が空く。
洗濯物の取り込みをオリヴィエに手伝わせた後、ケイネは夕飯の調理に取りかかった。
昼食はスープに、サラダに、パンにミルク。手の込んだ食事と呼ぶには簡素で、ケイネにはそれで十分だが、オリヴィエには体力をつけさせる必要があった。
刺青に体力を使うのはケイネも同じではあったが、どちらかと言えば、ケイネは大きな作業の前は断食をするタイプにある。彼にとって、施術時に最も必要なのは体力では無く精神力。勿論体力を必要とする者もいるのだろうが、《刺青師》よりも本来の魔術師としての特色が色濃いケイネにとっては、体力は二の次で構わない。体力など作業総て終えてから回復させるもので、施術中にぶっ倒れたりさえしなければ、後でどうとでもなるものなのである。
けれど、彫られる被施術者は違う。精神力はケイネがどうとでもカバーしてやれるが、先ずは施術に備える体力だ。
(肉……やっぱり焼き肉か。元気出そうな食事なんて、俺良くわかんねーしな……とりあえず、野菜と肉炒めるか)
考えた結果、その時ケイネが食べたくなった、肉も野菜もたっぷりの肉野菜炒めを作る事になった。ステーキのような豪華なものは出せないが、肉はオリヴィエに多めに盛ってやるつもりである。そこがケイネのみみっちい妥協点だった。
レシピを決め、調理に入ろうとしたところで、ケイネは小さく母音を吐いた。
「あ」
「『あ』?」
聞き返すオリヴィエが、こてんと小さく形の良い頭を傾げる。きょとんとした表情は、転がるように変わる表情の中でも出番の多いものである。考えが至らない馬鹿なのか、考える前に言葉を発してしまう愚直さなのか。オリヴィエの疑問に答え、ケイネは「来客だ」と右手を振って見せた。
オリヴィエが更に首を傾げていると――なんせ、ケイネの家は人気の無い山奥にぽつんと立つ山小屋である――ケイネはオリヴィエの傍に立ち、拳をぽんとオリヴィエの頭に置いた。
次の瞬間、同時に鳴る呼び声と、騒がしいノックの音。
「――ケイネ師!!」
「あいよー」
木の板を隔てた向こう側と、全く違う空気が流れているかのような声音で、ケイネは騒ぐ男へと返事をした。
ケイネの在宅を知ると、男は「おお!開けてもよろしいか!?」と問いかける。それに対し、ケイネは低い声で「絶対やめろ」と命じた。
「俺が開ける。お前が開けると、十割の確率で壊れるんだ」
「それは申し訳ないが、これ元々壊れてるじゃろて」
「お前が粗忽で乱暴なんだよ、バリー」
建てつけの悪い――ではなく、外の男が言う通り、老朽化により壊れかけた扉をケイネはあっさりと開く。簡単なコツがあるのだが、男はそれを覚えようとしないのだ。
「そんなことは無い筈っすが……おう師!さっきぶり!」
焦げた茶色の髪に、日光に焼かれた健康的な肌。ケイネが十代、多く見積もっても二十歳程度の見た目をしているのに対し、その男はどう見ても三十代後半で、髭も髪も伸ばし放題の、言っては悪いが小汚い恰好をしていた。
男――バリーは、中腹の村に住む村人である。体よく彼のお守をさせられたこともあるケイネにとって、彼は息子、または孫のような存在だった。村の若者は、大方がケイネに世話をされた経験がある。だから、と言う訳では無いのだが、ケイネは彼らから、師と呼ばれ、慕われていた。
人懐っこい笑顔で破顔する髭面のバリーに応えるよう、ケイネは口元に笑みを湛える。
「さっきぶり。どうしたこんな時間に、どうした」
バリーとは、午前、そしてオリヴィエが入浴中にも村で会っていた。身重の妹の出産が近いとかで、やけにそわそわと、村中をぐるぐると歩きまわっていたところを、ケイネはしっかり目撃していたし、言葉も交わした。
扉を開けたことにより見えるようになった外界は、強い光を帯び、そして半分は闇に呑まれ始めている。普段なら山に入るような無茶をせず、立ちこめたる宵闇から逃げる様に玄関を施錠し、家族で団欒しているのが、村の人々の日常の筈だ。
「――緊急か?」
笑んだまま問えば、バリーはその屈託の無い笑みから、眉から、はたと力を抜き去った。
「師には、敵わんですなぁ」
そこ顔には、汗の他に心配の色が濃く滲んでいた。
ベティとは、バリーの妹のことである。彼女は本日が出産予定日で、村の女性達、そして旦那に付き添われ、村の集会所に匿われているところだった。兄であるバリーは、妹から直々に「その髭剃らなきゃ子供には近寄らせません」と絶対零度の視線と声色でお叱りを受けていたので、村の中を歩き回る他無かったのだが。
「あいつ――ってええええええ!?」
「うわ」「きゃあ!?」
バリーが驚愕して後ずさりながら絶叫する。ケイネは驚きの声を上げたが、それと同時に高い小さな悲鳴があがり、くんっと肩を引かれた。
顔を少し動かすと、そこにはテーブルで大人しく席についていた筈のオリヴィエが、ケイネの背を壁にして身を屈めていた。
ケイネの心は複雑である。自身より身長の高い女性に、壁にされているのだから。
(……いや、身長関係無く、男子たるもの女子の壁になるべき……か?)
古い考えであることは承知だが、ケイネは元々古い人間なのだから、当然と言えば当然である。
「ケイネ師が、じょじょ、じょ、じょせ、む、村以外から、お、女を買って――」
「買って無い買って無い」
「さ、攫って――」
「Narr 馬鹿者が。俺は村の迷惑になる事は、村に迷惑にならない様にすると決めている」
「そ、そうか……そうだったんさな!師は良い人だもんなぁ!」
「それは、全然良くないと思うのですけれど……」
控えめなオリヴィエのツッコミを無視し、ケイネは「ははは」と白々しく笑う。バリーはぽかんとした笑顔で疑問符を飛ばし、理解が及んでいないことを示した。
先にバリーの来訪の内容をハッキリさせようと思ったのだが、彼はどうもオリヴィエが気になるらしい。村の人間が、近場以外から来た女性――性別を限定するわけではないが、彼が此処まで気にしているのは、オリヴィエがかわいい女の子だからに違いない――と出会う機会は少なので、場所とタイミングを弁えず、彼ははしゃいでいるのだろう。
ケイネが頭を掻いて溜息を吐くと、察したオリヴィエが腰を折り、淑やかに自己紹介を始めた。
「オリヴィエ、と申します。麓からの道をうっかり――」
「うっかりねぇ……」
「ケイネさ……ん!――えっと、うっかり外れてしまい、遭難していたところを、ケイネさんに助けていただきました」
あれをうっかりと呼ぶならば、本当のうっかりは何と呼べばいいのだろう。
ケイネが他所を向いて知らぬ顔を貫けば、事情を知らないバリーは、髭や髪を指先で弄りながら、モジモジとオリヴィエに頭を下げた。
「これはこれは、どうもご丁寧に。俺はバリー。この山の、中腹あたりにあるチッセー村の住人でさぁ。ちなみに、彼女募集中!」
「善い人が見つかると良いですね」
「それは………どうも」
天然か確信犯か。
誰も聞いていない情報を織り交ぜたバリーの自己紹介を、オリヴィエが優しい言葉で両断する。活きの良い表情で遠回りに自身を売りこんでいたバリーは、脈という言葉の概念すら無い穏やかな笑顔に落ち込み、すっかりと肩を落としてしまった。
「知ってます……知ってんですよぉ……世界の女子は、皆ケイネ師のモンだってことくれぇ知ってんですよぉ……」
「俺のじゃねーし、お前もそのうち結婚できるよ」
その髭さえ剃れば。
妹にも母にも剃れと口うるさく言われているのに、彼は断固として髭を剃ろうとしない。それのおかげで村の女子からも「良い人だけど、ちょっとね」「良い人だけど、喋り方変だしね」などと言われているというのに。
だが、今必要なのは、彼に対する慰めでは無い。
自身より頭一つ分高い、けれど今は膝に手をつき、腰を落とした格好で崩れ落ちるバリーの頭を二度程軽く叩いて話を切った。
「で、ベティがどうした」
「あ!!そうなんすよせんせえ!」
力を溜めたバネの様バリーの身体が跳ねあがり、ケイネは一歩後退る。人見知りをしないしそこそこ良い奴なのだが、動作がいちいち大きいのが彼の難点だ。
「あいつ、何かオバチャンたち曰くナンザンっぽくって……ええっと、なんか、子供産むの大変っぽくって……」
「言い直さなくて良いから……大体解った。すぐ行く。そんかわり、夕飯はお前に任せるぞ、バリー」
片方の腕を水平にし、逆の腕で垂直にクロスさせ、ぐいぐいと引っ張る。凝っていた肩に嫌な痛みが走るが、問題は無い。
敷居を踏まずに家から出て、迷うオリヴィエに手を差し出してやる。
「合点承知のスケ!良いっすよセンセ!今俺、離乳食絶賛研究中で、良かったら全部食ってくだせ!」
「いや普通のメシが良い」
迷い無くケイネの手を取ったオリヴィエを引いて、彼女も外へと出してやる。
オリヴィエを一人残して行くにも、今夜は村から出られない可能性が高い。バリーを一緒に残して行くにしても、色々と問題が残るので、それならば全員で村に行ってしまった方が良いという判断である。
開けた時と同様、壊れないように扉を閉じる頃には、空はもう半分以上が藍色に染まっていた。
「いつ村を出た?」
バリーに問えば、親指をビシッと天へと向け「三時間前じゃ!」と何故か力強く返答する。
(まぁ、そんくらいだわな)
一人で納得しつつ、鍵代わりにもならない、扉の傍らに備えられた大きな石を足でずらし、扉の前へと移動させる。盗られて困る物は食料くらいしか無いが、自身のテリトリーを示す為に、一応の行為だ。
「オリヴィエ、悪いが、今日は村に泊まる事になると思う。村長に話つけるから、そしたらお前はそちらに泊めてもらえよ?」
「……ケイネさんは……」
「俺は現場待機。どんだけ時間がかかるか分かんないからな。邪魔にならない位置で、無事に子供が生まれてくるのを待つだけさ」
子供の出産には、村の女が総出で対処をする。村には医師のような存在はおらず、各年代の経験のある女性、そしてこれから経験する予定の女性が、母となる女性と一丸となって子供を取り上げるのだ。
子は村の宝である。
いつか、こんな田舎は嫌だと出て行ってしまうかもしれない。それでも、いつかそうやって出て行った者が帰ってくる時のために、村を失くすことだけは、絶対にできないのだ。
不安そうにケイネの袖を引くオリヴィエの頭を撫でて宥めていると、二人の空気を読んで大人しくしていたバリーが、「あのぉ」と申し訳なさそうに頭を掻いた。
「それ、無理っす。今村にヘンな人たち到来しとって、村長ん家の空き部屋、ぜーんぶ雇用されちまってじゃす」
「……部屋に雇用って言葉は使わんが……」
それは、困った。
集会所は診療所化し、村長宅は年に一度在るか無いかの『ヘンな奴』に占拠されている、とは。
「…………ヘンな奴…………」
ふと、気付く。
「オリヴィエ、あんた、単身こんな所までやってきたわけじゃあ無いだろ」
「へ?」
そう、オリヴィエである。
現王の孫娘にして、現在唯一の王位継承権を持つ人物。
彼女が、何のお供も無しに、こんな所へ来る筈が無い。と言うか、来れる筈が無いのだ。
旅の道に危険が無い筈が無い。自然災害や交通事故、何より人災である。盗賊や騎士崩れが旅人を囲み、金品や命を奪って逃走する事件はそう多くは無いが、決して少ないとは言えない。まだ捉えられていない逃げ足の速い者は多く、そんな地を、彼女一人で闊歩させるような馬鹿が、城にいる筈が無いのだ。
きょとんと首を傾げるオリヴィエに、ケイネは言葉を正しくして聞く。
「だから、あんたのお供だ。まさか、城――のある街からここまで、一人で旅をして来た、なんて言わないだろ。女が一人で旅出来る距離じゃない。女戦士だって言うなら話は別だが、お前はまぁ、見る限り低く見ても庶民の看板娘、普通に見て貴族の令嬢だからな」
オリヴィエの容姿は申し分ない。手入れの行き届いた金の髪に、確りと保たれたつやつやの白い肌。目立った装飾こそ無いが、服装も今や庶民のものだが、しゃんと伸ばされた背も、所作も、言葉も、オリヴィエはどこからどう見ても、庶民の枠に収まる人間では無い。そして、絶対に女戦士でも無い。
戦士という生き物は、例えどんな状況にあろうと、己を護る武器を手放すようなことはしないだろう。彼らは気高く、己の武力を誇りとし、誰よりも強い生命力に満ちて世界を駆け抜ける覇者である。
そんな雰囲気が、ぽやぽやとしたオリヴィエに在る筈も無く、彼女はどう見ても、そう言った戦士に守られるお姫様でしかなかった。
ケイネの指摘に、オリヴィエは一瞬固まり、そして見る見るうちに頬を染め、両手で顔を覆ってしまった。
「そんなに褒めないでください……」
「warten 俺今、何を褒めた!?」
消え入りそうな声で言うオリヴィエに、ケイネは待ったをかける。ケイネは事実を指摘したまでで、正しい事を言っただけだ。彼女を褒めた記憶は無いし、褒めるようなことを言った覚えも勿論無い。
本気で首を傾げていると、後方から「あーあー」と、本気で呆れたような声が上がり、ケイネの双肩に重たい物が落ちて来た。
バリーだった。
バリーがケイネの肩に腕を回し、ケイネの身長以上に屈んでいるのだ。
「駄目じゃてケイネ師。センセの悪いとこは、女子に対するそのサラリと出る褒め言葉っすから。気を付けてもらわんと、村では男も女も泣く始末でやんすよ」
「いや、マジ、ほんと……俺はいつ、あいつのことを褒めたんだ」
ケイネがそう言うと、バリーは一瞬だけ、沈黙した。
「カーッ!これだからケイネ師は!!師は!!ホント!!これだから!!!」
「ボキャ貧か」
首を傾げながら「ボキャ?」と言うバリーに付き合っている暇はない。
ケイネは直ぐに興味の先が変わる――と言うか直前のことを忘れるバリーの腕から逃げ、肩を回しながらオリヴィエの頭を軽く叩いた。
「にゃっ」
「俺の言葉に他意はない。あれは事実確認で、お前を褒める気も一切無かったし、褒めたとも思って無い。だからとっとと村に行くぞ」
両手が留守になったオリヴィエに、ケイネはそう言って手を差し出す。が、逆効果である。
「これだからケイネ様は!!」
緩む口元を押さえながら、オリヴィエはバリーと同じ事を叫んだ。
「あーもう何なんだお前ら!!つーかオリヴィエ!今お前さまっつったろ」
「言ってません!!」
耳聡く聞き付け注意するケイネに、オリヴィエはあからさまな嘘を吐く。
自身の考えが及ばない範囲で起こる非難に耐えきれなくなったケイネは、強引にオリヴィエとバリーの手を引き、強く大地を蹴り上げた。
補足
→こういう補足を入れるのもアレかなと思ったのですが、解り難かったらあれなので。
オリヴィエさんは「看板娘」とか「どう見ても貴族の令嬢」っていうのを聞いて褒め言葉として受け取ったわけですが、どうだろう、伝わったのだろうかと、少々心配しております。大丈夫だと信じて。
いや補足入れてるから全然信じてませんね。大丈夫だと願って。