00《刺青師》の神
序章です
《刺青師》は普通に「いれずみし」と読んでいただいて大丈夫です。
五十年程前の話だ。
長い歴史を持つ《刺青師》達の中に、異彩を放つ存在が現れた。
その人の名は、ウェラート・エングストランド。
年齢不詳。神出鬼没。小さな酒屋に現れては手軽な客を探し、提示された額以上に見事な仕事をこなす。噂が流れる頃には消えているという、名前自体も本名か芸名なのか定かではない、都市伝説の様な男だった。
一般的に知られていることは、男であること、名前、小さな酒場に現れること、為された仕事の割に、金額が著しく相場よりも低いことと――その完成された装飾が、黒一色のシンプルかつ、とても美しい芸術的価値を備えていること、である。
刺青はただの装飾では無い。
この世界における刺青とは、日常にありふれたものであり、人生の命運を決定づけてしまえる物。人が持つはずの無かった力を与え、文字通り刻み込まれたそれは、一生消えることが無い。
――《刺青師》の彫る刺青には、魔法が宿る。
人々が刺青を入れる目的は、主にそれだ。
魔法が欲しい。魔法と言う、便利で強力な能力を扱いたい。始まりはそんな単純な物で、魔法に関する知識を蓄えていた魔術師の一派がその需要に答えた結果、刺青、という形で世界に浸透した。
だが、刺青を一度彫ってしまうと、変更することは出来ない。
消す事も出来ない。
一生付き合うなら意匠にも気を配りたい。そんな我儘かつ当然の願いをきっかけに、今では多彩な意匠が世に出回り、魔法よりも意匠を優先させる存在も出てきた。割合的には少ないが、それでも、意匠六割能力四割でも妥協されるようになったのは、本末転倒と言えるだろう。
意匠が物を言うとなると、どの《刺青師》も独創性を極め、色とりどりの華やかな装飾が目立ち始めた。人々は意匠を凝らし、そのおかげか、魔法は宿るものの、質としてはイマイチな二流の《刺青師》が巷に増え始める。
能力を四割程度しか込められない《刺青師》こそ、二流の証。
華美な装飾には無駄でしか無く、本来描くべき魔法の力を弱め、壊し、中途半端なものにしてしまっているのだが、彫られている一般人はそれほど魔法に詳しく無く、『刺青があれば魔法が使える』等の誤認が蔓延。
そんな頃、である。
ウェラート・エングストランドが現れ、彩溢れるこの世界に、黒一色というシンプルかつ、上質な魔法を授ける『生ける伝説』となったのは。
彼の幻影を追って、数多の噂が立ち上る。
彼は実は女性だの、自身にも刺青を入れ過ぎて体は最早真っ黒だの、魔物と人間の間にこさえられた異形だの、罪人だの異国民だの皺苦茶のジジイだの年端もいかない子供だの――冷静に考えて、酒場に入れる時点で、子供ではあり得ないのだが――瞳はオッドアイか、青か赤か、入れる刺青のように真っ黒か。髪は白か、金か赤か、こちらも刻まれる漆黒のような闇色か。
それだけの話題性が出ると、当然偽物も現れる。他の《刺青師》たちが黒一色で彫る事も始め、自分がウェラートであると吹聴する者まで出始めたのだ。
だが、無理だった。
誰もウェラートにはなれず、ウェラートは唯一にして絶対の、《刺青師》たちの神と成った。
熱狂者や偏執狂、コレクター等が現れ、彼の刺青を入れた者が、次々に襲われる事件まで相次いだ。
――そしてある日、唐突に、彼の存在は消滅する。
風に流れた噂では、「これが最後の大仕事だ」と国王の背に国を担うための『最高傑作』を残し、「山奥にでも隠居する」という捨て台詞と共に、彼は忽然と、どの酒場にも、田舎にも、宿場町にも、スラム街にも表れなくなり――
ついに、約五十年。
彼の存在を見た者は、新たな彼の刺青を見た者は、一人もいない。
短期集中で、自分の中の一区切りまで投稿して行きたいです。
今からもう長くなる気しかしておりませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。