お休み前の攻防
「む、こんな時間か。それでは、私は寝る!」
普段通り、十時半を回ったところで無意味な宣言と共に父さんが就寝し、母さんもそれに追随するように寝室へと消えた。残ったのは、俺と、風呂へと消えた香苗と、舟を漕ぎ出した楓。
まあ、沈黙が支配するこの空間をいつまでも続けるわけにも行かず、俺は楓へと声をかけた。
「どうする?お前ももう寝るか?」
「……そうしゅる」
よほど眠いのか、さっきまでのように、噛んだ部分を訂正しようともしない。俺の前でこんな無防備な姿を晒すとは、信用されていると喜ぶべきなのか、意識されていないとしょげるべきなのか。前者だと思いたい。
「じゃあ、部屋まで戻れるか?」
「……どきょ、だっけ」
「……まあ、ついでだし案内するわ」
定まらない足取りで立ち上がった楓を先導して、楓の寝室へと向かう。その間中楓は、差して広いわけでもない廊下を縦横無尽に歩いていた。
「ここだな。俺は応接間で寝るから、何かあれば言ってくれ」
「……うんと、ベッドは、この部屋、じゃにゃいの?」
「さすがにその部屋で寝るわけにはいかないだろ?俺は確か応接間かどっかに客用の布団が仕舞ってあったはずだから、それで寝るさ」
「……私のしぇいで、響に迷惑は掛けられないきゃら、私がそっちで寝る」
別に、迷惑じゃないんだけどな。それに、こういう場合は男が譲るべきだし。その旨伝えても、楓に引き下がるつもりは毛頭ないようだった。
「……じゃあ、妥協案。私も、響も、この部屋のベッドでねりゅ」
俺の脳内で天秤が猛烈に動く。このままここで終わりの無いいたちごっこを続けるか、多少の羞恥と気まずさを堪えてその案にのるか。答えは、明白だった。
「分かった、分かった。俺も自分のベッドで寝る」
両手を挙げて降参の意を示し、その言葉に嘘が無いことを証明するように扉を開く。頷いた楓は、それでも俺が部屋に入るまでそこに立っていた。そんなに信用無いか?俺。
「……私が寝た後に戻ってもダメだからにぇ」
「その手があったか」
「ダメだって言ってりゅでしょ。そんなことしたら明日の朝怒るきゃら」
それはそれで怖いが、このままこの部屋で寝た明日の朝も怖い。主に香苗が。一緒に寝たことをからかわれるのと、その辺の諸事情について怒られているのをからかわれるの、どっちが酷いか。明白、とまではいかないがまあどちらかと言えば怒られる方ではなかろうか。
「……分かってるって。そんなことしない」
諦めたような俺の返事で納得したのか安心したのか、楓は自分のベッドに潜り込み始める。俺に背を向けるように丸くなったその体を見ながら、俺もそれに倣った。
「……おやしゅみなさい」
「……はいはい、おやすみ」
すぐに、隣のベッドから深い寝息が聞こえ始めた。
……この状況って、寝れるわけないだろ……