終幕への加速
日付は変わり、土曜日。午後二時三十分。ここから中学校まで歩いて二十分程のはずだから、今から出れば余裕で間に合うだろう。
利香から送られてきたメールに書いてあった住所は、確かに中学校の傍、歩いて五分ほどのところだった。俺の通学路になっていたところだけに、迷う事は無いだろう。
財布と携帯だけをポケットに突っ込み、俺は家を出た。
日に日に肌寒さを増していく空気を感じながら、懐かしい道を歩いていく。最後に歩いたのは半年以上前だから、成長した今だと、少し景色が変わって見える。景色から見ても俺は変わったのだろう、懐かれていたはずの犬に吠えられた。
そんなことにわずかな落胆を覚えつつ、指定された喫茶店に入る。待ち合わせ五分前だというのに、利香はもうそこで待っていた。
「よう、待たせたか?」
「ううん、待ち合わせ五分前だよ。私が早く来過ぎただけ」
とりあえず自慢らしいカフェオレを頼んで、改めて利香と向かい合う。少しだけいつもと違って見えるのは、おそらく髪型のせいだろう。
頼んだものが来るまで黙っているのも気まずいので、話題を振る。すぐに途切れるかとも危惧したが、予想以上に食いついてきた。
「……今日は、その髪型なんだな」
「あ、うん。やっぱりね、こっちの方が落ち着くんだよね。ずっとこの髪型だったからかな。だから、ちょっと緊張するときとかはこっちにするんだ」
今日、何か緊張する事でもあったのだろうか。利香はどちらかと言えば初対面でもすぐに打ち解けられるタイプで、人付き合いが苦手だとは思わないのだが。
まあ、人の用事に首を突っ込む必要も無いだろう。
「……それで、どうか」
「あ、それでね。響君たちは、学校大丈夫なの?」
本題に入ろうとした俺を、まるで遮るかのように利香の話が入ってくる。『ように』というか、本当にそうしたかったのか。どちらにせよ、無理に話をさせる意味も無いか。言いにくいことなら、本人のタイミングの方が良いだろうし。
「……あー、まあ。とりあえずは落ち着いてきたし、俺たちが何にも言わないからあいつらも飽きてきてるんじゃないか?何にせよこの間みたいにはなってないな」
「そっか、でも、やっぱり二人の関係って何なの?」
これが狙いだったのだろうか。いや、電話が来たときの感じは本当に相談がありそうだった。ならばこれはその話題への呼び水なのだろうか。それともただの世間話か。どっちにしろここで黙りこくるわけにはいかないな。
「……いや、それは……」
上手い言い訳が思いつかず、不自然にどもる俺に、利香は自然な様子で笑った。
「別に良いよ、言いたくないなら言わなくて。けど、また今度、教えて。そのときはきっと、それを聞いても大丈夫だと思うから」
じゃあ今は大丈夫じゃないのか、なんて聞けるはずも無かった。
何せ今の利香は、何故だかとても眩しかったから。
結局、核心に触れるどころか見えもしない状態のまま、俺たちは一時間ほどで喫茶店を出た。何のために呼び出されたのかすら分からず、釈然としないのだが。
呼び出した張本人はといえば、喫茶店内での饒舌な様子とは違い、俯いて黙りこくっている。その変わりようから察するに緊張しているのはさっきまでではなく今のような気がするのだが、それを尋ねられるほどこの場の雰囲気は緩くない。というか、右側を歩く利香が放つオーラのせいで俺の右腕が灼けている気がするのだが。
くだらない考えで気を紛らわせつつ、利香が口を開くのを待つ。無言のままに数百メートルを歩き、俺と利香の帰路が分かれる交差点まで来て、利香は立ち止まった。
「……ねぇ、響君」
「どうかしたか?」
今まで黙っていたからなのか、利香の声がやけに大きく響く。この小さな交差点中に、利香の声が響き渡っているような感覚に陥っていた。
太陽の断末魔が、世界を紅く染め上げている。利香の頬が紅いのは、そのせいだろうか。
「……中学のとき、ここでたくさん話をしたよね」
「ああ、そうだな」
「……いつの間にか暗くなってて、慌てて帰った事もあったよね」
「……ああ、そうだな」
「……ずっと話してるの見られて、冷やかされた事もあったよね」
「……そう、だな」
利香の意図が分からない。まだ、さっきまでのような世間話の続きなのか、本題への呼び水なのか。いきなり思い出話を持ってくる当たり、世間話なのか。
ここまで来てもまだ、くだらない考えで紛らわせようとする自分が嫌になる。この話がどこに繋がるのかなんて、もう分かっているはずなのに。
「……私ね、ずっと悔しかった。……何でか、分かる?」
首を横に振ることで否定を示そうとして、出来なかった。金縛りにあったかのように、体が動かない。心の奥底で、動く事を、利香から視線を外す事を拒否しているようだった。
仕方なく、言葉で否定を表す。その答えに、利香は満足したように、寂しさを滲ませた笑いを浮かべた。
「……中川さんが、来たからだよ。中川さんが来て、響君と仲良く一緒に登下校して、学校内でもほとんど一緒で、部活でも楽しそうで……全部、私が響君としたかったことだったから。したくて、でも怖くてできなかった事だから」
そこで一旦言葉を切り、俺の目をまっすぐ見つめてくる。膝は震えているし、拳は握り締めすぎて痛そうだし、顔は泣きそうに歪んでいるしで、おびえている事が丸分かりだ。なのに、何故か瞳だけは力強く光っていた。
「……そのうち、どんどん二人は仲良くなって、他の人だと表情も硬くて言葉も噛みまくりなのに、響君相手なら中川さんは噛まない。それがどんな事なのか、ちょっとなら分かるんだよ。……だから、ね」
俺を射抜いていた視線が、一度逸れる。刹那、その瞳に迷いと、怯えが浮かんだのが見て取れた。それでも、「無理して言わなくてもいい」とは言えない。どれだけの覚悟で今、利香が言葉を紡いでいるのか分かってしまったから。
「……私は、響君が好きだよ。うん、大好きです」
涙を浮かべた利香が、俺の表情を窺う。そこに何を見たのか、俺には分からなかった。ただ、利香に釘付けだった。
「……響君が誰を好きかは分からないけど……考えて欲しいの。私と、付き合うことを」
それだけ告げると、利香は小さく別れを告げて、走り去っていった。
俺はただ呆然と、小さくなっていく後ろ姿を見ていた。




