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終わりの始まり

 「きりーつ、気をつけー、れーい」

日直の号令が終わり、四時間目が終了する――――や否や俺は楓の手を引き、二人分の弁当を引っつかんで、教室を逃げ出した。

「……あ!逃げた!」

本郷が叫んでいるが、脇目も振らずに廊下を疾駆していく。これ以上質問攻めにされたら、いくらなんでもぼろが出る。なんだか、警察の取調べに耐えられず自供する犯人の気分だ。

 授業の合間にも本郷を中心とした数人が代わる代わる押し寄せ、質問を投げつけ、発言の矛盾を突く。さっきなんて、二ヶ月以上仲良くしているのにいまだに苗字に敬称つきで呼んでいるのは変だとまで言われた。まあ、学校でだけそう呼んでいるのだから当たり前なのだが。

 で、それに嫌気が差した俺たちは、せめて昼食くらい静かに取るべく教室を抜け出したのだが。どこで食べるかは決まっていない。

「……どうするの?」

腕を引かれている楓も、怪訝そうな顔だ。まあ、何の考えも無いままに走り出したわけだしな。

 そんなこんなで、俺の脳みそが出した結論は、部室だった。

「……部室で食うか。鍵かければ誰も入ってこれないだろ」

「……鍵、開いてるの?」

いや、開いていない。断言できる。地学準備室を使う教師は誰もが生真面目で、鍵のかけ忘れなど望むべくも無い。が、こちらにも特権くらいはあるのだ。でなければそんな提案はしない。

「あそこは天文部の部室だからな。忘れ物とでも言えば貸してくれるだろ」

この学校は、存外鍵の貸し出しにそこまで厳しくない。職員室に入って、衆人環視の中で壁にかけられた鍵を取れば良いだけだ。理由を告げる必要も、名前やクラスを報告する必要も無い。一応、不審に思われれば聞かれる場合もあるが。特別教室だし。

「……これ、持っててくれ」

弁当二つを楓に預け、職員室へと踏み込む。視線を落ち着き無く動かして周囲を窺う、限りなく不審者予備軍な行動は誰に咎められることもなく、俺は鍵の貸し出しに成功した。

「じゃあ、行こうぜ」

今日が無口なのか、昨日一昨日が饒舌だったのか、何故か楓は黙りがちだ。おそらく、朝、何らかの宣言を邪魔された事が原因なのだろうが、その内容は恐ろしくて聞けていない。

 部室に入り込み、結局鍵はかけなかった。こんなところまで追ってくるほど聞きたいわけではないだろう。

 その代わり、入口から一番遠い窓際に敷かれた絨毯に座った。誰の趣味かは知らないが、ずっと置いてあるらしい。利香が定期的に掃除しているおかげであまり汚れてはいない。

 壁に背を預けながら、隣に座った楓を見やる。楽しそうに口元を緩めながら弁当を開いていた楓は、視線に気づくと口を開いた。

「……どうかしたの」

「いや、楓さ、朝何か言おうとしただろ。それってどんなことだ?」

なんとなく恐怖が先立って聞けなかったことだ。口から出て行ったそいつは、もう帰ってくることも無い。

「……あそこまでばれちゃってたから、もう言っちゃおうと思って」

やはり。楓の顔から読み取った『宣戦布告』という例えは、あながち外れてはいなかったわけだ。悲壮な決意もあっていた。

 俺の顔色読み取り能力に自信をつけながらも、あの時担任が入ってきた事に改めて感謝の念が渦巻く。推測と断言が違う事は、楓も分かっているはずなのだが。きっとあの状況が嫌だったのだろう。楓の性格だ、そこを糾弾するつもりは無い。

「まあでも、疲れるよな。俺も疲れた。病み上がりに朝からあれはきついって」

開いた弁当箱から、おかずを一つ口に含む。……いつもと少し違う味だな。

「何か、味付け変わったんじゃないか?楓はどう思う?」

心配そうに俺の顔色を見つめていた楓が、我に返ったように俺と同じおかず、卵焼きを口に含む。目を瞑って何度か咀嚼すると、同じ感想を持ったのだろう、少し表情が暗くなった。別に、まずいわけではないと思うんだが。

 それを嚥下した楓は、俺の方へ流し目を送ってくる。どうも、疑問と不安を送られているらしい。何故だかは分からないが。

「……いや、これはこれで十分おいしいし、というか俺はこっちの味付けの方が好きだな。けど、いつもの香苗の味付けとは微妙に違う感じがするんだよ」

途端、楓の表情が明るくなった。座標平面で言えば左下から右上に、かなり飛んだな。

「ホント?よかった」

何故そんな反応を……いや、待てよ。もしかするとそういうことか。

「これ、お前が作ったのか?」

「……うん。香苗さんに教わって」

道理で今日は妙に早起きだったわけだ。そして、味付けが違うわけだ。香苗は少し特殊というか、まあそんな感じの味付けだし。いや、不味くは無いぞ?ただ、俺には呪文にしか聞こえない調味料とか使ってたりするからな。間違っても蝉の抜け殻とかじゃないぞ。普通に売っている奴だ。

 閑話休題。もう一つ、口に放り込む。

「……うん。上手い。やっぱり俺はこっちの方が好きだ」

「……そう言ってくれると、がんばった甲斐があった」

 その笑顔を見て、俺は場違いにも調理実習で利香と同じ班になったときのことを思い出していた。利香は料理下手だった。完成した芋もちだった何かは、先生を持ってして魔界のおやつと言われ、飲んだ奴らは三途の川と、その向こうの地獄を見た。俺も飲み、利香の笑顔を見ながら曽祖父に挨拶してきたものだ。

 そのときの状況とは似ても似つかないが、誰かに自分の作った料理を食べてもらう奴の笑顔は不思議と似通っている、利香も、楓も、そして香苗も。

「お前もちゃんと食えよ。自分で作ったんだろ」

なんだかその顔を見ていられなくて、視線を弁当に落とす。

 弁当箱が空になり、反して胃に物が詰め込まれた後。

 風邪で体力が落ちたのか、二日間の療養生活で睡眠要求が増加したのかは定かではないが、抗いがたい睡魔が襲ってきた。楓も精神を消耗したのだろう、満腹によって瞳に力がなくなっている。

「……楓、五時間目、サボるか」

この教室が使われた場合など考えたくも無い。とりあえず、そこまで神様に嫌われていない事を祈ろう。

「……うん……おやすみ……」

最早自分が何を言っているのか分かっていなさそうな状態で、楓が目を閉じる。すぐに、寝息が聞こえてきた。俺も、右に倣えの姿勢で、無駄な抵抗を終了した。


            * * *


 チャイムが鳴り、担任が一日の終わりを宣言する。教室を飛び出していく数名を見ながら、利香はおそらく部活で鉢合わせるであろう二人への対応に頭を悩ませていた。

 今日の朝、響と楓がようやく学校に来たことは利香の耳にも届いている。二人の話で盛り上がっていた一年の女子たちが、今回も大騒ぎしていたからだ。そして、彼女らは二人が揃って昼休みからどこかへいなくなったことについても騒いでいた。

 おそらく、響たちは部室にいる。二人で弁当を広げ、そのままそこに居座っているはずだ。根拠は無いが、なんとなく確信があった。だからこそ、このまま部活に出ないで帰ろうか、なんて考えが頭をよぎっているのだ。

 ただ、今二人に会っても、一昨日ほど取り乱しはしないだろう。そんな予感があった。もちろん、人の行動を完璧に予測するなんて不可能なのだから、絶対にそうとは言い切れないが、それでも、二人が何か信じられないような行動をしない限りは大丈夫だ。

 が、その確信があってもなお、利香は帰りの準備を必要以上に緩慢な動作で行い、少しでも部室へ足を運ぶのを先延ばしにしようと躍起になっていた。これはもう、偏に二人の関係性を目にしたくないからだ。見てしまえば、知ってしまえばこの関係が壊れてしまう、そんな危険を孕んだものを。

 そんな利香の思いとは裏腹に、机の中の教科書類はすべて鞄の中へと居を移した。もう、利香をこの席に引き止めておくものは何も無い。

 覚悟を決めて、椅子から立ち上がった。


 案の定、部室の鍵は開いていた。予想を教室からここへ直接来たが、何の問題も無かったようだ。一度職員室へ戻る手間が省けた事を喜ぶと共に、中に二人がいることに胸のうちがざわめく。

 それらを無理やり抑え込んで、利香はドアノブに手をかけた。

 そんな覚悟とは裏腹に。他の教室と比べれば小さめなスライド音の向こう側に、仲良く談笑する二人はいなかった。それどころか、部室内にはそれらしい人影もない。

 鍵が開いていたのは、ただ単に最後に使った人がかけ忘れたからか。自身の考えを、利香は頭を振って否定する。ここを使う人間はそんなミスをするような人たちではない。

 ならば、何故か。答えは、静まり返った部室の空気に伝わる、微細な振動だ。

 深く吸って、吐く。深呼吸のようなそれは、無意識である事を誇示するように微かな音だ。利香の足音で掻き消されるようなその音は、壁際、かなり昔から敷いてあるらしい絨毯の方から聞こえてくる。

 好奇心と疑問が先立ち、制止を叫ぶ理性を抑え込む。机の向こうに足音を殺して回りこんだ利香の視界に――――――寄り添って眠る響と楓の姿が映った。

 気管を握り潰され、踏まれた鼠のような声が漏れる。怒りとか、嫉妬とか、そんなものの前に、まず驚愕が来て、次に推論は正しかった、と言う自信が来た。響の看病を楓がしていたのだ、これくらい起きても不思議は無い。

 だというのに、何故、利香の胸はこんなにも荒れ狂っているのか。嫉妬による怒りをあらわにする本音と、その醜さに吐き気を催している理性。生まれた矛盾に崩れかけた胸を抱えて、利香は眼前の二人を見下ろした。

 絨毯に座り込んだ二人の前には、片付けられた弁当箱。おそらく、昼休みにここへ来て、消耗に伴う眠気に抗えなかったのだろう。加えて、響は病み上がりだ。体力が落ちていたとしても不思議は無い。

 そして、響または楓が眠りに落ち、それに付随するようにもう片方も眠った。睡眠中は体の力が抜けるため、楓は響にもたれかかるように傾いた。そして、現在の、互いの頭で『人』の字を描いている状況の完成だ。当然の帰結として胴体の方も密着する事となる。

 頭では理解していても、それに至るまでの状況や、お互いがそんな事になることをどこかで納得していると思われること、そして二人の関係性への疑問などが心の表面に鳥肌を立てる。が、その内側は不思議と穏やかだった。

 どこかで、分かっていたのかも知れない。楓が現れて、響と仲良くなって。利香との関係も、このままではダメなのだと。

 けれど、そこで黙って泣き寝入りなんて、利香はしたくない。咲き疲れた花にもう少しと声を掛けて、鞄からメモ帳を取り出した。


           * * *


 頭にかかる微かな重みを感じながら、楓はゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりと焦点の合わない視界に移る景色から、ここが部室であることを思い出す。そして、昼休みであった事も。

 自由の利かない頭を懸命に動かし、時計を探す。壁にかかる時計が示しているのは、午後四時三十分。五時間目どころか六時間目もホームルームも終わり、部活に精を出している時間だ。眠ったのが一時少し前頃だから、三時間半も眠っていた事になる。

 その衝撃に飛び起きかけて、慌てて自制する。響を起こさないようゆっくりと脱け出して、立ち上がった。

 現在の時刻からして、利香が来ていないのはおかしい。今日は休みだろうか。それにしたっていつもなら午前中に言いに来るのだが。もしかしたら一度来て、起こさないように帰ったのだろうか。そうだとしたら、牽制になっているといいのだが。

 そんな事を考えながら部室中を見回した楓は、机の上の書き置きを目に留めた。

 メモ帳から破り取られたらしいそれには、利香の几帳面な字で、今日は気を使って帰ること、明日からは負けない旨が記されていた

 楓の宣戦布告に対する、利香の完全なる応戦宣言。それを受け取った楓はといえば、不安を滲ませた笑みを浮かべていた。

 何せ、楓と響は出会って三ヶ月と少し。まだ付き合いが長いとは言えない。それに対し、利香は響と三年半一緒にいる。楓の知らない中学時代の事や、夏休み前までの事など、響に関して知っている事は多いに違いない。もちろん、家の中での響に関してなら負けはしないが。それだって、家の中の響と学校での響はあまり変わらないのかもしれない。ただ、風邪を引いた響はかなり気が小さくなるということを利香は知らないだろう。

 楓が何故知ることにこだわるのかといえば、古くから、知ることは治る、領る、とも書き、所有したり統治したりという意味も兼ねてきたからだ。彼を知り己を知れば百戦危うからずと、情報の有用性も説かれている。もちろん、楓も利香も本当に戦争するわけではないから、必ずしも当てはまる事ではないのかもしれないが、響のことをより多く知っているという事は、それだけで自分の自信にもなり、相手へのプレッシャーにもなる。現に、香苗に聞いて作った、響の好きな味付けの弁当は褒めて貰えた。

 ネガティブに走りかけた心を弁当云々で立て直して、今なお眠りこける響を振り返る。安らかに眠るその顔に心が温まり、じんわりと体中に広がっていく。

 もう少し見ていたいと愚図る自分に鞭打って、響の前に膝をつく。せめて目を覚ましたときの力の抜けた顔はしっかり拝ませてもらおうと、顔を覗きこみながら肩を揺らした。

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