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熱に浮かされた思考は危険

 昨日と比べればずいぶんと楽になったけれど、いまだ通常とは程遠い。そんな自分の体調に苦笑しながら、俺はとりあえず体を起こそうとして太ももの辺りが何故か重いことに気がついた。それも、持ち上がらないほどに。

 ……その部分へと視線を下ろした俺は、ベッド脇に膝をつき、俺の腿に頬をつけて眠り込む楓を発見した。おお、漫画なんかに良くある構図だ。

 その背には申し訳程度にタオルケットがかかっている。おそらくは香苗の気遣いだろうが、それならば軽く起こしてベッドに寝せればよかっただろう。一応はパジャマに身を包んでいるのだし。

 そんな事を考えながら楓の寝顔を見つめていると、その睫毛が震えた。

「……ん……あ、おはよう……」

へにゃり、と力の無い笑みを見せた楓は、体が固まっているのだろう、大きく伸びをする。そして、すぐに起き上がった。

「……待ってて、今ご飯持ってくるから」

「いや、大丈夫。今日はもう動ける」

少々痺れている足を無視して床に降り立ち、震える足に鞭打って歩き出す。さすがに二日もベッドから起きないと、日常生活に様々な支障をきたすだろう。

「……ホントに?」

「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫だ」

瞳を潤ませながら俺の顔色と体を窺う楓に、苦笑しながら返す。言葉通り一応は大丈夫そうな様子を見せる俺に、少々不満と不安を滲ませた楓が続く。平常よりもゆっくりと歩く俺が心配なのだろう。いつも通り斜め後ろとはいえ落ち着かない雰囲気が漂っている。

 ちなみに、現在時刻は午前八時三十分。今日も休みだろう。動けるようになったとはいえまだまだ体はだるいし熱っぽい。学校へ行くのは無理だし、行けたとしても病原菌をばら撒く天然バイオテロリストと化してしまう。クラスメイトに迷惑をかけるだけだ。俺としてもクラスメイトとしても、それは避けたいところ。二日も二人揃って休むのは恐ろしいが、何とでもなる。らしい。

 「……あら、おはようございます。響さん、もう大丈夫なんですか?」

「……まだ、だるい。熱は測ってないから分からない」

「その顔色だとまだありそうですね。楓さん、今日も頼みましたよ」

洗濯物を抱えた香苗と廊下で鉢合わせ、朝の挨拶と容態の報告を済ませる。楓は使命感とその他諸々に燃える瞳で、しっかりきっちり力のこもった首肯を返していた。そんなに気合を入れなくても、今日はある程度なら自分で出来るのだが。

 まあ、やってくれると言うのならばお願いしよう。ここで意地を張って、また悪化したら間抜けもいいところだ。


 ピピピ、と甲高い電子音が脇から響く。計測終了の報告を受けて脇から取り出した体温計は、正直に俺の体温を伝えてきた。

 曰く、三十七度八分。

 学校へ行かなくてよかったと、心の底から思った。無理を押して行っていたら、超局所的パンデミックの開始点になってしまうところだった。

「……熱、どうだった?」

「七度八分、まだ高い」

ただ、これでも下がった方だ。昨日は三十八度以上あったはずだ。よく覚えていないが。

 声だけをこちらに届けてきた楓はと言えば、キッチンで何かを作っている。大方朝食だろう。香苗のを借りたのか、何故かエプロンをしている。なんだか新鮮で、少し眩しかった。まだ思考しっかり繋がらない頭には、少し情報量が多かったのかもしれない。

 気がつけば、妙な事を口走っていた。

「……普通に妻みたいだな……」

かしゃんと、楓の手から箸が滑り落ちて音を立てた。俺自身も、今俺の口から零れ出た言葉を理解するのに数十秒が必要だった。

「……つ、つつ……妻……それって……」

「……あ、いや……何かそんな感じがしただけだから、気にしないでくれ」

熱のせいだ。そうに違いない。いや、そうであってくれ。別に俺がそう願ったわけではないと思いたい。……この思考も、熱のせいな気がしてきた。もう、どうにでもなれ。

「……わ、分かってる」

「……悪い、忘れてくれ。」

箸を持つ手が震えているのは、笑っているのか。じゃあ顔が赤いのもそのせいだな。俺のことをチラチラ見ているのはきっと怒っているのだろう。じゃあ顔が赤いのもそのせいか。では箸が震えているのは力が入りすぎているのか?折るなよ?その菜箸香苗のお気に入りなんだからな。この間だって模様が剥がれてきたって嘆いていたんだから。あ、でもこの間同じのを見つけたな。それを買ってあげれば問題ないか。よし、折っていいぞ。

 そういえば、少し疲れてきたな。やっぱり風邪で体力が落ちているのか。食卓じゃなくてソファに移動するか。

「……あれ、響?ご飯……」

「……ああ、ソファに移る。そっちの方が楽そうだ」

倒れこむようにしてソファに座り込むと、心配そうな顔で楓が俺の前に膝立ちになる。まったくもって心配性な奴だ。心配されるのに慣れていないからか、どうも体中がむず痒い。今まで風邪引いたのだって二年に一回くらいだし、大体平日だったから香苗にからかわれながら看病された記憶しかないな。香苗もそのときはさすがに優しかったが。

「……食べれる?」

「ん、ああ」

お盆に載ったおかゆを受け取る。昨日とは違い、卵粥だった。

「……作れるんだな」

「……昨日、いっぱい練習した」

照れたような顔の下、お盆を差し出す手には、その言葉を裏付けるように数枚の絆創膏が張られていた。どれもこれも指の付け根から上、努力が垣間見える。そんなに大変だったのか。器用さには定評のある楓だぞ?まあ、料理の得手不得手はあるだろうしな。

「……大変だっただろ。迷惑掛けたな」

「大丈夫。慣れれば簡単だから」

人の風邪を治すためにそこまでするか。お人よしな奴だ。俺が言えないか。

一口食べて、そのおいしさに目を見張った。ただ単に食べなれていないからかもしれないが。香苗にも迫る勢いだ。

「……上手いな。お前は食べないのか?」

「……後で食べる。響が落ち着いてから」

「そっか。大丈夫だぞ、俺は」

そんなに凝視されると食べにくいことこの上ないのだが。まあ慣れない料理が気になって仕方が無いのだろう。

「……ホント、美味いよ」

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