秘密はいつかばれるもの
時が止まった。
周囲の空間をも巻き込んで凍りついた楓は、同じ様に固まる利香を前に、動かない頭の回転数を上げようと必死になっていた。生半可な言い訳ではすぐにぼろが出るし、何よりこの決定的とも言える状況を覆すには不十分だ。そして、利香は鋭い。完璧に手詰まりだ。この場を丸く収められるほど、楓は口が上手くない。
「「……!」」
が、この状況を理解し切れていないのは利香も同じ事なようで、二人とも口をパクパクさせては、声にならない叫びを上げている。当人たちからしてみれば悲痛で切実だが、傍から見れば金魚の物真似でしかない。それはもう間抜けの境地だろう。
「……どなたですか?楓さん」
ようやく、この場を打開する可能性を秘めた人物が現れる。それが天使か悪魔かは知らないが。
絨毯で足音を殺して現れた香苗は、楓の後ろから顔を出した。状況を一瞬で把握したのだろう。楓の前に出てくると、何食わぬ顔をして利香に笑いかける。そして、丁寧に腰を折った。
「これは、失礼いたしました。西里様でいらっしゃいますよね?お久しぶりです」
香苗が何をやらかすかと戦々恐々だったが、さすが響に「使用人の鑑」と言われるだけの事はある。外面は完璧だ。
「……あ、えっと、お久しぶり、です?」
「あら、覚えていらっしゃいませんか。では、改めて。私は、ここで使用人をさせていただいております、風宮香苗と申します」
そこで、利香も思い当たったようで、さすがの生真面目さで同じく頭を下げた。
「……あ、す、すいません突然押しかけて……あの、響君が風邪を引いたって聞いて……それと、昨日お借りしたパーカーを返しに来たんですけど……」
面食らい、戸惑ったように用件を伝える合間にも、ちらちらと楓の方を目で窺っている。それに気づかない振りをしながら、楓は香苗の背を見つめ続けた。
「そうでしたか。響さんはまだ臥せっておりますが、上がって行かれますか?」
「ふぇ!?」
そ知らぬ様子ですらすらと口上を述べていたため、危うく聞き逃すところだった。が、かろうじて耳に留めた楓は、思わず声を漏らす。これ以上危険を増やすわけにも行かないが、言ってしまった以上楓が強硬に反対するわけにも行かない。慌てて口を押さえて、事の次第を見守る事に徹した。
「い、いえ!それは、辛いでしょうし、厚かましいので、今日はこれで失礼します!あ、後これ、パーカーとお礼のお菓子なので……ありがとうと伝えて置いてください!」
それだけまくし立てると、足を縺れさせながら走り去って行く。平面で躓いているその姿は不安極まりなかったが、今更呼び止めるの勇気も無い。楓は黙って、香苗を睨みつけていた。
その視線に気がついた香苗は、おどけたように舌を出した。響から聞く限りでは母親である摩耶の同級生と言う事だが、とてもそうは見えない。
閑話休題。悪びれもせずにおどける香苗を糾弾するために、楓は出来る限り研ぎ澄ました声で文句を投げつけた。
「響も、私もがんばって隠ひ、してたのに!」
「あらあら、そうでしたか。それは失礼しました。ばれてしまいましたかねー?」
開き直っているのか、本当に楽しんでいるのか、判断のつき損ねる顔で両手を広げる香苗に、何を言っても無駄だと判断した楓は踵を返す。この騒動で響が目を覚ましていたら、傍に楓がいないことを悲しむだろう。何より、このことを説明しないといけない。
その事について頭を悩ませながら、楓は競歩のように部屋へと戻った。
* * *
平坦な道で転びかけながら、自転車まで駆け戻ってきてようやく、利香は一息ついた。鍵を外すのももどかしく、ペダルに足を乗せる。一度だって振り返らずに、地を蹴った。
今日は予想外の出来事が多すぎる。響は風邪で欠席、見舞いに訪れた家には元気な楓。おかげで、無様に取り乱した姿を見られた。きっと、香苗にはあの姿でインプットされてしまっただろう。
そう考えると、頬が熱くなる。その温度も、今しがた遭遇した光景も、パーカーを借りた事すら、頬を引き裂いて行く風に乗せて、どこかへ旅立たせてしまいたかった。自転車のギアを最大にして、速度をぐんぐんと上げていく。髪が、服が、はためこうが暴れようがどうでも良かった。もう、体ごと風に乗って、どこか遠くへ。体を疼かせる嫉妬も、胸を焦がす慕情も、この体に息づくすべてと共に、誰も自分のことを知らない世界へ飛んで行きたい。
そんな感情とは裏腹に、もう一人の自分が冷静に先ほどの光景を分析していく。
香苗の話から、響が風邪で寝込んでいるのは間違いない。が、楓も同じだとの推測は間違いだ。この場合、響の看病のために楓が休んだ、もしくは他の理由があったか。おそらく、楓の格好から見て看病だろう。楓は、しっかりしてはいるものの部屋着のようだったのだから。
が、何故楓の親はそんな理由で学校を欠席する事を認めたのか。おそらく、それは楓が響の家族と面識があることについてと関わっていると思われる。
楓もまた旧家、もしくは名家の娘であり、響たちの家族と昔から面識があるのか。ならば響の話にそれらしい少女が登場するだろうし、わざわざ隠す必要も無い。それに、今更不思議なタイミングで転入してくる必要も無いだろう。
つまり、楓と響の関係は他人、もっと言えば同級生たちに隠す必要のあるものだということだ。そして、それはお互いの両親も知っている。
例えば、許婚とか。
「……まさか」
思わず口に出して否定する。そんなものは現代においてありえないだろうし、そもそも当人たちはそう思っていないだろう。そんな関係があるのなら、わざわざ楓が利香に宣戦布告をする必要など無いのだから。
少女マンガの読みすぎか。自嘲的に口元を歪め、利香はペダルを漕ぐ足に力を込める。今の分析結果を、頭の片隅に圧縮して押しやり、眼前の風景に目を凝らす。
下り坂に差し掛かって、ようやく利香は漕ぐのをやめた。それでも自転車は速度を着実に増しながら、坂を下っていく。倦怠感に絡みつかれた足から力を抜き、体中に当たって分散して流れる風に身を任せた。
目を見開いていたせいか、はたまた別の理由からか、視界の端が滲む。それを利香は手で拭うことをせず、ただ強く目を瞑った。
圧力で脇へと移動した水滴が、目尻から風に煽られてこめかみを伝う。すぐに、その感覚は風の行き先へと共に消えて行った。




