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遭遇

 「……どうしよう……」

不測の出来事のせいで返す事の叶わなかったパーカー。それの入った紙袋を恨めしげに見つめながら、利香は大きくため息を吐いた。

 響は今日、風邪で休んでいた。おそらくその原因は、昨日の天体観測だろう。あの時、利香には大丈夫と言いながらも本当は無理をしていたのだ。その寒さに加え、その後の雨にも打たれたのだろう。利香は歩きだったから、運よく通りがかったコンビニで雨宿りをしつつ迎えを待ったのだが、響と楓はバスを降りてから雨の中帰ったに違いない。それなら、楓の姿も見当たらなかったのも頷ける。きっと同じ様に風邪を引いたのだと推測される。

 そんな推測は一旦脇によけ、もう一度紙袋をみやる。一般的に考えるならば、今日がダメだったのなら明日、だろうが、風邪が酷ければ明日も休みの可能性だってある。そうするとパーカーを返すのが明後日に伸びる事になるため、実質二日間程借りっぱなしになってしまう。仕方が無いとはいえそれはさすがに気が引ける。だが、利香と響に学校外で会う方法など――――一つだけ、あった。

 思い出されるのは中三の夏。宿題を集まってやろうということで、五人ほどが響の家に集まったのだ。その面子はあまりよく覚えていないし、別の高校に行ったため現在での交流は無い。が、問題はそこではない。重要なのは、響の家に行った事があるということだ。

 もうすでに少々色褪せ、擦り切れ始めた記憶ではあるものの、道順は大体覚えている。細かい部分は、周辺で一番の豪邸らしいから聞けば何とかなるだろう。確か、自転車で何とかなる距離だったはずだ。

 そうと決まれば即実行。うだうだ悩めば悩むほど泥沼に嵌る事はいくつかの事例から学んでいる。とりあえずの持ち物として財布と携帯、折り畳み傘なんかをお気に入りのショルダーバッグに詰め込み、身だしなみを確認する。

 紙袋に、お礼として用意したお菓子を詰め込んで、利香は部屋を飛び出した。


* * *


 朝よりは穏やかになった寝息を立てる響の髪を、そっと撫でる。半ば無意識で行ったその行動に、楓は一人身悶えた。

「……様子はどうですか?」

背後から突如として届いた声に、肩が跳ねる。恐る恐る振り返ると、半開きになった扉の向こうから香苗の顔が覗いていた。

「……少し前に、寝たとこりょ、ろ。寝息もしゅ、少し落ち着いてるけど、まだ辛そう」

楓の報告に、香苗は難しい顔をする。一向に回復の兆しが見えない体調に、何か思うところでもあるのかもしれない。

「……やっぱり病院に連れて行ったほうが良いのかもしれませんね。でもまあ、楓さんの献身的な看病で直りそうですし、もう少し様子を見ましょうか。あ、目覚めないようならキスすると良いですよ?性別は逆ですけどねー」

急激に顔の温度が上がって行く。燃えているのではと疑うほどに、体温が上がっている。響の風邪とは違う、一時的なものではあるが。

 香苗が核爆弾級の言葉を残して去り、寝室が再び静まり返る。何も考えずに響へと視線を戻して、

――――あ、目覚めないようならキスすると良いですよ?――――

羞恥に死にかけるのだった。


* * *


 「……あ、すみません!」

自転車の速度を落とし、玄関から出てきた主婦らしき人に声を掛ける。幸い、その人は嫌な顔一つせず突然の闖入者に応対してくれた。

「あら、どうかしたの?」

にこやかな対応に面食らいながらも、利香は乱れた呼吸を整え、家を出てから通算三回目となる問いを口にした。

「あ、あの。五十嵐さんのお家って、どっちでしょうか?この辺で一番大きな家だと聞いているんですけど……」

「五十嵐……ああ!それなら、この道の突き当たりを右に曲がって、最初の交差点を左よ。そしたらすぐ見えてくる、古めかしくて広い家がそうだから」

「ありがとうございます!」

「いえいえ、がんばってね」

終始優しく対応してくれた主婦に大きく頭を下げ、利香はもう一度地を蹴った。


* * *


 それが鳴り響いたのは、響の本棚から抜き出した本を三分の一ほど読んだ時だった。

 香苗が来た後、響は眠り続け、それがいいことだとわかってはいても、楓は暇を持て余していた。響の元を離れると言う選択肢など元から無く、響のベッドの傍に椅子を寄せて本を読んでいたのだが。

 来客を告げる控えめな電子音が耳朶を打つ。楓のいる寝室は居間よりも玄関に近く、それが聞こえてしまった以上楓が向かうのが筋だろう。あまり来客を待たせるわけにもいかない。

 だから、楓が本を置いたのも、一応の理由があっての事なのだ。


* * *


 念には念を入れて自転車の鍵をかけ、紙袋の中身が崩れていないか確認する。ついでに風圧で乱れた髪や服の裾を直して、ようやく利香は眼前に鎮座する古めかしい豪邸の敷地内へと足を踏み入れた。

 利香にはよく分からないが、趣向の凝らされた前庭をそそくさと抜け、大きな玄関扉の前で一度立ち止まる。深呼吸を数回こなし、心臓の鼓動が収まったところで、ここだけは近代的な黒い直方体のボタンを押した。

 返事が無いまま数十秒が経ち、利香が留守を疑い始めたとき。何の前触れも無く玄関扉が開いた。その先にいた人物に、利香は驚愕に目を見開いた。


* * *


 扉を開いて、そこにいた人物を見た途端、楓は一分前の自分の思い付きを後悔した。

 何故なら、そこにいたのは昨日の夜見たばかりの人物、利香だったから。

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