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宣戦布告

 天然の天体ショーが終わっても、誰も何も言わない。ただ、その場に留まって、余韻に浸っている。誰もが、沈黙を破ることを恐れているかのようだ。ただし、気まずさは欠片も無いが。

 どのくらい、そうしていたのかは分からない。広場に入ったときを最後に誰も時計など気にしていなかったのだし、余韻に浸っていた時間など分かるはずもないのだ。

 だから、初めて原本が声を上げたとき、なんだか初めて人の声を聞いたかのような感覚に陥った。山から下りてきたターザンはこんな気分だったのだろうか。

「……なあ、そろそろ帰らないか?さすがに夜も遅くなってきたし」

「そうだね。そろそろ八時半になるもんね」

いつの間に時間を把握していたんだ。隣にいながらまったく気がつかなかった。まあ、気にしていなかったのだから当たり前といえばそうか。

 にしても、八時半か。これから帰ったら九時を過ぎるな。まあ気にしないとは思うが、一応連絡の一つくらい入れておいたほうが良いか。無い事無い事吹聴されても困るし。

「んじゃ、帰りますか」

いまだにぼーっと空を見ていた楓も引っ張って、四人揃って帰路に着く。行きと同じ、三十分前後の道のりだ。


          * * *


 見慣れた駅にたどり着き、利香は悟られないように胸を撫で下ろした。

 何せ、行ったことがあるとは言え一度きり、しかも家族に連れて行ってもらった上に二年前の話だ。あやふやどころではない記憶をネットでの調査で補完し、心臓がブレイクダンスを踊る中四人を先導したわけだが、役目を全うし、ここからはお役御免、という場所に来るまで心臓は踊りをやめなかった。途中、別の理由からジェットコースターと化してもいたのだ。

 その原因となった上に、今もまだ利香が着ている少し大きめのパーカー。利香の体格でこれを着ると、裾は腿を半分以上隠す上に袖口から手は出ない。中学の頃に借りたジャンパーは違和感がなかったのに、と少し郷愁を感じながら、響もまた男であることを改めて体感し、少し恥ずかしくなる。何より、このパーカーからは響の匂いがするような気がして、嬉しいと共に少し息苦しかった。

 閑話休題。ホームに電車が滑り込み、原本とはここで別れることになる。三人で改札を通り、駅前広場に出た時点で利香はパーカーを脱いでいた。

「じゃあ、ここでさよならだね。また明日。後、これありがとう。温かかったよ」

利香が丁寧に畳んで差し出したそれを、響は片手で押し戻した。

「いいって。お前、ここから歩きだろ。十分くらいはかかるんだから、家まで着て行け」

そんなことを言えば、響はここからバスで十分、バス停から五分かかるではないか、と言う言葉は呑み込み、パーカーに視線を落とす。

「でも、これが無いと響君が風邪引くよ?」

「大丈夫だ、これでもお前よりは体は強いんだからな」

そう言って、さっさと踵を返してしまう。結局返すタイミングを逃したパーカーを胸に抱き締めたところで、まだ楓が残っていたことに気づいた。

「……やっぱり」

「ななな、何がやっぱりなの?」

「西里さんも、ひび……五十嵐君の事好きでしょ?」

「えぇぇ!?」

自分が、心の中ですら恥ずかしさから極力言葉にしないようにしていたものを真正面から、しかも予想だにしていなかったところから突きつけられ、利香の脳は混乱に陥る。

 それも少し落ち着いたところで、利香は楓の言葉に含められた本意を悟った。

「……『も』ってことは……」

「あ、う、ううう……ま、まけにゃ、負けないから!」

それだけ叫ぶと、響の後を追ったのか、羞恥から逃走したのか、楓も走り去ってしまう。

 思いがけない宣戦布告にいまだ追いつかない頭の片隅で、それでもなけなしの希望が芽生えた事に、利香はパーカーに袖を通してから気づいた。

――――『負けない』ってことは、まだ二人は付き合っていない!

 そんな利香を、ポツリ、水滴が打った。

「……え?」

気がつけば、広場を出たときは晴天だった空が、いつの間にか鼠色になっている。そういえば、今朝は唐木田峠の天気ばかりを気にして、このあたりの天気予報は確認していなかった、と気づいたときにはもう遅く、少しずつ雨足はは強くなっていく。


        * * *


 バスを降りようとしたところで、俺は降りしきる雨に顔をしかめた。先程からバスの窓を打っていた水滴は、更に激しさを増して俺と楓を打ち据えている。楓は上着があるからまだ平気そうだが、それだって効果は薄いだろう。

「……くっそ、天気予報見てなかったな。楓、走るぞ」

今朝は唐木田峠の天気ばかりを気にし、その隣の天気は目に入っていなかった。知っていたら、折り畳み傘を持ってきたところだが。後悔したってもう遅い。後から悔いると書いて後悔なのだ、それが先にたったら未来予知になってしまう。

 そんな馬鹿げたことを考えながらも、せめてもの抵抗として全力で走る。徒歩で五分ほどの距離だ、走ればその半分ほどだろう。曖昧な言い方なのは確かめた事が無いからだ。

 「……楓、大丈夫か?」

肩で息をしつつ、玄関に座り込む。もはや濡れ鼠だった。こんなことなら、降り出した時点で香苗にでもバス停まで傘を持ってきて貰うんだった。

「……大丈夫。上着脱げば、あんまり濡れてない」

万能な事だ。こんなことなら、耐水性の高いジャンパーでも着て行くんだったか。ああ、結局利香に貸したのだから同じ事か。

 そういえば、利香は大丈夫だっただろうか。バスに乗ってすぐに降り出したから、ずぶ濡れになってなきゃ良いんだが。

 「……あらら、これまた見事な濡れ鼠ですね。とりあえず、タオルで髪とか拭いて、すぐにお風呂に入ってください。もう沸いてますので」

「……楓、お前先入っていいぞ。てか入れ」

今回ばかりは遠慮することなく、楓がばたばたと駆けて行く。その後ろ姿に、息をついた。

「優しいですね。響さんの方がよっぽど濡れているでしょう。そんな格好で。」

どこか咎めるようで優しげな香苗の声に、面食らう。パーカーには突っ込まないのか。

「……こういうときはレディーファーストだろ。とりあえず行くか」

気恥ずかしくなって適当にあしらう。もう少し、言い方があっただろうか。

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