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電車内での攻防

 「……あら、出かけるんですか?」

「昨日言っただろ、打ち上げも兼ねて何とか座流星群を見に行くんだよ」

時計の針が四時三十分を指す、夕闇迫る時刻。外出の準備を終えて玄関へと向かう最中、俺たちは香苗と鉢合わせた。

 「……そういえば、昨日そんな事言っていましたね。確か……西里さんとでしたっけ?」

「ああ、まあな。発案者があいつだし」

マズい。果てしなくマズい。香苗の顔が愉悦と下衆さに歪んできている。いや、一般的な表現としては唇が弧を描いている、が正しいのだろうが、これから起こるであろう事を予測すると、悪魔の笑みにしか見えなくなってしまうのだから不思議だ。ああ、一応香苗の名誉のために言っておくと、摩訶不思議としか言いようが無い外見のせいで普通に可愛いのだが。それはそれ、これはこれだ。

「……まったく、その年でハーレムなんて羨ましすぎてハンカチ噛み締めちゃいそうですよ。まったく、名家の御曹司としてそっち方面だけは立派なんですから」

「何か凄い誤解が生まれそうだから今すぐやめろ!そういうのじゃないし、もう一人男子もいるからな!変な事言い出すな!」

「あら、そうなんですか?じゃあダブルデートですね」

「まったく違うわ!そういうのじゃないから。友達同士で打ち上げがてら流星群を見に行く、ただそれだけだ!下衆な穿ち方をするんじゃない!」

「あらら、残念ですねー?」

「……何が残念なんだ……」

そう呟いてから、最後の言葉は俺に向けられたものじゃない事に気づいた。香苗の視線は俺を通り越して、もはや定位置と化してきた俺の斜め後ろに所在無さげに立つ楓を見据えている。なんだ、何が起こっているんだ。

「……まあ、良いですけど。楽しんで来てくださいね?それから、どこかに泊まる時は一応連絡してくださいね?きっちり明日の朝写真を撮りに行きますから」

どこか不貞腐れた口調で、何が良いのか悟らせないままに、とんでもない事をのたまった。

「九時前には帰ってくるからな!父さんたちに変なこと言うなよ!?」

「ええ、任せてください。では、夕飯はいりませんよね?」

「あ、ああ。食べてくる」

一気に真面目モードに突入した確認に、少々面食らいながらも返答する。その答えに満足したのか、香苗は踵を返して去っていった。

 ……そういえば、香苗がどこかに遊びに行っているのって見たこと無いな。それで不貞腐れてたのかもしれない。

 そんな思いつきも、楓に腕を引っ張られて消えた。

「そろそろ、時間じゃない?」

見れば、長針はとっくに三十五分を通り過ぎ、四十分に差し掛かっている。そうだった。

「そうだな。急ぐか」

昨日の夜、俺の携帯に届いたメールには、駅に五時集合、五時十分の列車に乗ると記されていた。最寄のバス停から駅まで十五分弱、少し急ぐ必要がありそうだ。


 駅に着き、改札口へと足を運ぶと、利香はもうそこで待っていた。

「お、いた。利香!着たぞ」

「あ、二人とも!」

ぼーっと中空を見つめていた利香が、俺たちの方へと視線を向ける。その姿は、少し脳の奥の方、記憶野を刺激した。

 その理由は、とてもより多く見覚えのある髪型のせいだろう。昨日も見た、中学時代はトレードマークとまで言われたもの。

「それに戻したんだな」

「ん?……あ、そうだね。なんとなく落ち着いて」

それ以上会話が弾まず、沈黙が流れる。そこに入ってきたのが楓だった。

「……そろそろ、行こう?」

その声に促されるまま時計を見やれば、いつの間にか五時五分。確かに、そろそろ改札を通るべき時間だ。

「そうだね。じゃあ、行こうか」

「……あ、か……中川さんってICカード持ってたか?」

ふと思い立ち、楓に確認する。その声に、歩みだした二人が停止した。

 振り返った楓が、ゆっくりと首を倒していく。限界まで倒された頭と、顔に浮かぶきょとんとした表情から、ICカード自体あまりよく知らない事が窺える。仕方なく、俺はポケットから実物見本を取り出した。

「これの事だよ。同じ様なの持ってるか?」

緑と銀に彩られた、厚めのプラスチック。それを見ても、楓の表情は冴えなかった。

「……見たこと無い」

その返事は、俺が半ば以上予想していたものだ。

「じゃあ、切符を買わないとな」

大人しくついて来た楓に券売機で買った切符を手渡し、ようやく改札を通る。

 予定していた十分の列車に、ギリギリで滑り込んだのはご愛嬌だ。

 乗り込んだ列車は、日曜日の夕方と言う事もあってか少し混み合っていた。椅子は全席埋まり、それと同じくらいの人数が立っているような状態。仕方なく、俺たちもドア口に固まって立った。そこはまあ礼儀として、二人が壁際、俺が車内側で庇うような位置だ。

 が。何せ混雑している上に、入り口周辺と言う事もあってかなり密着度は高い。劇の練習中に何度も香った利香の香りや、楓の艶やかな髪がいたるところをくすぐっている。それから意識を逸らすために、車両内に視線を這わせた俺は、信じられないものを目に留めてしまった。

 利香の真後ろ、椅子の端に座った、老人というには少し若い男性が、この人口密度の中ミカンを食べている。まあ、車内は飲食自由だし、それに関して制限は無いが、それにしたって何故ミカン。かなり安定感に欠ける選択だな。そして無駄に細かく白い筋を取るな。更に言うなら薄皮くらいは食べたらどうなんだ。いや、個人の趣向にとやかく言うつもりは無いが、電車内なんだからそこまで細かくする必要は無いだろ。

 ただまあ、この男性のおかげで気が紛れたのは事実だ。その点だけ言うならば、感謝すべきなのだろう。周囲の客が難しい顔をしているのはこの際置いておこう。

 視線を上げても、あまり見ない方が良さそうな景色が広がっている。かといって視線を下げれば、どうしたって俺にくっつく二人に意識が行ってしまうわけで。

 そんな時、電車が、大きく揺れた。

 それだけ言えばなんてことは無いのかもしれないが、俺は現在二人を庇っている状態であり、そして掴まる物は無い。つまり、咄嗟に体を支えるには二人の向こう、壁に手を突くしかないのだ。そして、咄嗟に突いた部分は楓の顔のすぐ横。つまり、現在俺と楓は壁ドンなる体勢に陥っている。

 ……どうしたらいいんだよ、これ……

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