信任投票オーディション
「『なっ!……何故見た!』」
「『それは……これだけ共に過ごしていながら、何故見せてもらえないのかと……』」
「『あの男か。まんまと唆されたわけだ。……もういい、出て行け』」
「『な!どうして!?』」
「『この顔を見たなら、分かるだろう。俺は重罪人だ。……もとからここはお前のいるべきところではなかった。出て行け。この家を、森を出て、町へ戻れ。俺を追放した能無し共の元へな。そして……二度と俺の前に現れるな』」
「『そんな!何故、顔を見てしまった程度で!ただ、私は……あなたが……』」
「『出て行けッ!今すぐにッ!』」
「『……分かったわ……』」
ここで舞台は暗転、上手と下手で二人のモノローグに入る。その辺はまあ、家で練習すれば良い。今は、二人の掛け合いの練習なのだ。
放課後の地学準備室。どこからか軽快な音楽が聞こえてくるこの教室で、俺と利香はようやくまともに演技できるようになってきたセリフを投げつけあっていた。
「……まあ、一応形にはなってきたな」
「そうだね、感情が篭ってきたし。オーディションは大丈夫そうじゃない?」
「まあ、オーディションとはいえ、信任投票なんだけどな」
練習開始から、今日で一週間。一応用意されたオーディションは明日。一番感情が昂るらしいこのシーンの演技を見て、決めると言われている。ここで決まれば、正式に認められるわけだ。とはいえ、何故他クラスである利香が抜擢されたのかは分からないが、クラスの満場一致らしい。誰もやりたくないのが本音だろうが。
「……響君、じゃあ、もう一回やろうか」
「わかった。……行くぞ。『なっ!……何故見た!』」
俺が演技を始めたとき、地学講義室の扉が開いた。
体育館で発表するとはいえ、まだ誰かに見られることには羞恥を感じる。利香もそうなのだろう、硬直した俺たちの前に現れたのは、楓だった。
「……いいよ、ちゅ、続けて」
「……分かった。『それは……これだけ共に過ごしていながら』」
今度は、ノック。またしても中断された練習に苛立ちを禁じえないながらも、一番扉に近い俺が応対する、とはいえ扉を開けるだけなのだが。
「……あ、準備できてる?」
扉の向こうにいたのは、本郷だった。
「……準備?」
オウム返しにした俺に、怪訝そうな目を向けながらも、勝手知ったるなんとやら、ずかずかと部室の中に入り込んだ本郷は、扉と利香の中心付近に位置する椅子へと腰を下ろして、ボイスレコーダーを取り出した。
「……えっとね、急で悪いんだけど、今からオーディションをしまーす」
「……は?」
「……え?」
完璧に同期した俺と利香の声が、本郷の笑いを誘う。俺たちはそれどころじゃないんだが。
「ごめんごめん、さっき、文化祭の発表で体育館を使うクラスとか部活の、練習割り当てが渡されたんだ。見てみたら、明日いきなりうちのクラスなんだよね。だから、体育館ではちゃんとした練習がしたいでしょ?」
言われてみればもっともな理由だが、それはもう少し前に分からなかったのだろうか。分からなかったのだろうな。ここで明日にしろと言い張るのは、本郷が相手な時点で敗北決定。だったら従った方が良いだろう。
「……分かった。やろうぜ」
「あ、ちなみに、二人の演技はこのボイスレコーダーで録音して、クラスの皆に聞いてもらうから」
だから本郷一人が来たのか。納得する俺を他所に、利香はもう真剣モードに突入している。目が本気だ。
「……『なっ!……何故見た!』」
「じゃあ、私が聞いた限りでは期待以上だけど、一応結果報告を楽しみにしててね」
「了解、ダメだったら遠慮なく言ってくれ」
「あ、それから。明日は放課後すぐに体育館に来てね」
練習は、本当にトップバッターらしい。それにしても、まだ決まってもいないのに気の早いことだ。いくら信任投票とはいえ、反対されることもあるだろうに。
その辺は、ダメだったらダメだったで残念でしたということで。
「じゃあ、頭から演技してみるか?」
「そうだね。体育館で練習する前に、ある程度はやれるようにしておきたいし」
「……あ、私はちょっと用事があるきゃ、から……先にかえりゅ、帰るね」
楓に用事。父親でも来るのか?まあ、俺が何も言われていないということは、俺が気にすることじゃないな。目下重要なのは、劇の練習だ。
「『……あなたが、私を助けてくれたのですか?』」
「『……そうだ。回復したなら早く出て行け』」
やっぱり、まだ台本を目で追っていないと詰まるな。楓の背中を見送っていたら危うく噛みそうになった。
「『いえ、死ぬはずだった私を助けてくれたのに、恩返しもせずに帰るわけには行きません』」
「『そんなもの知るか。死ぬはずと言っても疲労と空腹によってだ。休ませて飯を食わせただけ、俺はそんな大それたことしてない』」
「『……俺は、取り返しのつかないことをした。一方的だとしても、愛していた人を、話も聞かずに追い出すなんて。きっと、あいつはどこかで生きて行くのだろう。けれど、俺に、これ以上生きる意味なんて無い。重罪人と呼ばれ、国を追い出されたときに、もう俺の命は終わったんだ』」
「『……何してるの!?やめて!そんなことしないで!』」
「『なんだ、帰ってきてくれたのか。けど、お別れだ。俺に、生きる価値など無い』」
「『やめて!あの、私が悪かったわ。こそこそと人の秘密を覗いたりして』」
「『そんなこと……もういい。話を聞かなかった俺が悪いんだから。共に過ごしていても、顔を見せないんだ。見たくもなる。それに、俺は重罪人だ』」
「『その話は、町で聞いたわ。あなたは被害者じゃない。それに、人殺しであろうと、重罪人と呼ばれようと、あなたはあなたよ。私が出会ったのは、少し不器用だけど飛び切り優しい、森に住んでいるあなた。過去なんて気にしないわ』」
練習は続く。ここからは、歯の浮くようなセリフの応酬。役者の精神をガリガリと持っていく、精神攻撃の時間だ。