朝から大騒ぎ……はデフォルトです
太陽光が、カーテンを透過して俺を照らしているのが分かる。瞼の裏も黒から赤に変わって、新しい日の訪れを告げている。が、俺は目を開ける気など毛頭無い。昨日なのか今日なのか、結局羊を一万五千七百二十匹数えたところから記憶が無いが、それまでは起きていたということだ。それに、目の前に広がるはずの光景が恐ろしくて、見る勇気など生憎持ち合わせていない。
そして、昨晩から感じている、俺に密着する何か。腕を包み込んでいる温かく弾力のある物体。横向きになった顔をくすぐる微かな風。足に絡む何か。
寝起きに見てきた限りでは、楓の寝相は悪いわけではないと思われる。しかし、この状況はどう考えても楓が創ったものだ。俺はたぶん、泥のように眠っていたはずだから。寝苦しかったのか、悪い夢でも見たのか。原因は何だっていい。それによって生まれた結果が重要だ。
幸いと言うべきか、腕は自由になる。それを利用して動きを妨げる事象をどかすことが最善だと思うが、その過程で楓が起きてしまえば計画は破綻する。この距離で、しかも朝、楓と直接目を合わせられるほどの度胸は無い。
しかし、楓が目覚めるのを待ち、なおかつ自分から退いてもらえるほどの時間はあるのか。昼飯のルールのことは前にも伝えたが、あれは夕飯にも適用される。そして、朝食に関しては、俺の場合香苗が起こしに来ることになっているのだが……
扉が、ノックされた。
「……響さん?楓さん?朝ごはんが出来てますよ?」
朝だからなのか、少々控えめなテンションによる呼びかけは、確認ではなく警告だ。これで起きないのなら叩き起こすぞ、と。
が、楓は意味不明な音を発するだけで、目を覚ます様子は無い。それどころか、ますます擦り寄ってくる始末だ。おかげで、最終手段である脱出が困難になってしまった。
「……入りますからね?」
ドアノブがゆっくりと回り、微かに軋んだ音を立てて扉が開く。部屋に踏み込んだ香苗を前に、俺は咄嗟に寝たフリをした。
「……まったく、まだ寝ているんです……?」
薄目を開けて状況を確認する。室内に踏み込んできた香苗は、呆れたような言葉を、楓のベッドに視線を向けると共にフェードアウトさせた。おそらく、まったく膨らまず、乱れていない、寝た様子の無いベッドに違和感を覚えたのだろう。そして、俺の方へと顔を向けた。
慌てて閉じた瞼の向こう、刹那に映った香苗の顔は、面白がるような、そこはかとなく負の感情を感じるような、ゲスい顔だった。
足音が近づき、俺のすぐ傍、ベッドのすぐ横で止まる。わざわざ入り口から反対側まで回ってきた理由はきっと、俺への嫌がらせだろう。そして、今はおそらく、どう声を掛けるべきか迷っている。
と思っていたら、ごそごそと衣擦れの音がして、やむ。そして――――瞼の向こうで何かが一瞬光った。次いで、携帯電話のシャッター音が響く。
さも目覚めたかのような顔をして目を開けると、背後に、携帯を構えた、心底面白そうな顔をした香苗がいた。
「……おはようございます、響さん。いい写真をどうもありがとうございました」
「……何やってんだ?」
「……え?写真を撮ってるんですよ。ほら、いい写真が取れたんですよ?見ますか?」
心配になって頷いた俺に、香苗はかがんでスマホの画面を見せてくる。伸び上がって上から撮ったのだろう、俺と楓が向かい合って眠る様子が、最新型ご自慢の高画質で映っていた。それはもうばっちりと。これが誰だとか、何をやっているのかとか、ばっちりわかってしまう。ただし。
「……今すぐに消してくれ。これには海よりも深いわけがあるんだ」
「嫌ですよー。私を差し置いてうらやまけしからんことをしている人へのお仕置きです。それに、この写真は肩から下か布団に隠れて見えませんからねぇ、私の説明によっては……分かりますよね?」
「事実無根なんだから、馬鹿なマネはやめてすぐに消去してくれ」
誰に見せるのかは分からないが、とりあえず第三者に見られること自体を避けたい。とはいえ、もう香苗に見られているのだが……それはそれ、これはこれだ。
「……うーん、良いですよ」
拍子抜けするほど簡単に、俺の懇願を了承した香苗は、手早くいくつかの操作をしたかと思うと、『データを消去中です』と表示された画面を見せてきた。本当に消去したのか。いつもなら相応よりも少し過剰な代償を求められるのに。まあ、今回ばかりは俺の名誉とかがかかっているわけだし。そこのところは香苗も分かってくれたのだろう。ありがたいことだ。
「……じゃあ、朝ごはんは出来てますよ。楓さんも起こして、冷めないうちに食べてくださいね?」
もう一度、確認に見せかけた警告を残して、香苗は部屋を出て行った。脅威が去った事にほっと胸を撫で下ろしながら、目を逸らし続けていた問題に向き合う。やはり、これを避けては通れないらしい。
しかも、さっきよりも強く絡み付いている気が……強く?
今の『強く』は、絡みつき方が複雑化しているわけではなく、純粋に絡みつく力が強くなっていることの表現だ。しかし、眠っている間、力が抜けることはあっても強くなることは無いのではないか?そう仮定した場合、導き出される結論は一つ。
楓は、起きている。
「……起きてないか?」
それを確かめるには、直接聞いてみるのが一番だ。それに、香苗が去った以上、俺と同じ理由でなければ寝た振りをする理由は無い。まあ、俺と同じである可能性の方が大きいが。
「……起きてる」
「朝飯、出来てるってよ。さっさと行かないとな」
「……そうだね。ありがと」
そのお礼は、何に対してのものなのか。分かってはいるが、それゆえに返事はしない。着替えを出して、そのまま部屋を出た。
楓よりも早く着替えたはずなのに、廊下に出たのは二人一緒だった。扉を開け、廊下に出たところで楓が出てきたのだ。目も合ってしまった以上、無視してさっさと行ってしまうわけにもいかない。そういうわけで、居間までの道のりを、そこはかとない気まずさを含んだ空気の中で移動することになったわけだが。
「――――と!――――と言ったはずだ!」
「――――。――――――?」
聞こえてきたのは、父さんと香苗の喋る声。直感的に、俺の背筋を嫌な予感が駆け抜けた。父さんと香苗が騒ぐ内容、このタイミングとの関連性、そして聞こえてくる声。つまり。
ああ、面倒なことになりそうだ。