俺が彼女のルートにフラグを立てるまでの話。
俺は総元秋一。ごく普通の学校に通うごく普通の高校1年生だ。
只一つ、あることを除けば――の話だが。
因みに俺は、世に言う『メガネ男子』ではあるが、問題なのはそこではない。
俺の一日は、何故か隣りの部屋にいる妹のモーニングコールから始まる。
「お兄ちゃん!まだ寝てたの!?まったく、お兄ちゃんが遅れたら
私の責任になるんだからね!」
と、毎度毎度ご苦労様と言わざるを得ない妹・夏奈が急かす。
「あー……はいはい。了解しました妹殿」
そうして、渋々ベッドから這い出す俺。
しかしながら、もう少し起こし方というものを考えてはくれないだろうか。俺はツン9割よりツン7・デレ3が好みだというのに。
「うわっ、やっぱお兄ちゃんの部屋きったな~い!掃除ちゃんとしてんの?」
二言目にはまたこれだ。ここは年上の余裕を見せて華麗にスルーしてやろう。
俺には俺なりの考えがある。一親等が意見してどうなるものではないぞ、夏奈。
「お早う秋一、今朝は早かったじゃない」
俺が着替えを済ませて階段を下りる頃には、リビングに香ばしい薫りが漂う。
朝食はトーストとスクランブルエッグと見た。
俺を呼んだ母は、朝刊に目を通している最中だった。
「昨日は夜更かししてないでしょうね?今日は始業式なんだから、居眠り厳禁よ」
テレビ欄を見ながら話しかける母。緊張感もあったものではない。
分かってる、と軽く返事をし、トーストを頬張る。
これが少女マンガの類なら、そのまま玄関を出て全力疾走ののちイケメンと衝突するのがお約束なのだが、生憎俺は男だ。
それに、そんなベタな展開での遭遇は個人的に好ましくない。
何の変哲もなく食事を済ませ、歯を磨いてから行ってきますと言って、俺は家を出た。
我ながら、本当に変わり映えのしない朝の風景だ。
「おーっす!総元大明神!」
登校中、俺の肩を容赦なく叩いてくる男子生徒。
おまけに変な渾名で呼んでくるのがこれまた厄介だ。
彼は、名を鈴木崇という。中学からの級友で外見はちゃらちゃらとしているが、根はしっかり者の典型を地でいく奴だ。
成績は、常にオール4以上を保持し続けている。
風の噂に聞いたのだが、彼には相当数のファンがいるらしい。
傍から見れば、俺と彼のツーショットは意外とすら思われるだろう。
「なあなあ、昨日また新曲覚えてきたんだけどさあ!今聴くか?聴いちゃうか?」
「お前がショートの似合うボクっ娘だったらな。というか崇、今日がなんの日か分かってるよな?」
「……え、今日?なんかあったっけ?」
「夏休み明けの始業式に決まってるだろう。記憶力だけは鳥並みか?」
「ああ!そういやそうだった!さっすが大明神!」
「そのネーミングとは一切関係ないだろうに」
と、俺は何事もなかったかのように彼の誘いをいなす。
何故なら、崇は校内でも随一の音痴だからだ。
彼の口から発せられる高周波じみた高音は、毎度聞くに堪えない。
ある時俺が、お前、人間凶器って知ってるか?と言ったところで
「へ?それどっかの歌手の名前か?」
と返してくる。困った友人だとつくづく思う。
俺と崇が校門をくぐる頃、丁度前方から小柄なシルエットが姿を見せる。
「総元くん、鈴木くん、おはよう!」
無邪気に手を振りながら、変声期がどこかへ行ってしまったかと疑う程のソプラノボイスで話しかけてくる少年。
中性的な童顔で、制服さえ着なければ小学生と間違われるだろう。
「おう佐野!はよーっす!」
「お早う佐野。卓球部の朝練か?」
「うん!今日は変化球の練習したんだ!」
「休み明けだっていうのに、ご苦労なことだな」
「えへへ……僕、卓球しか取り柄がないから。今度の大会では、必ず優勝するって決めてるんだ!」
仕草と声が相まって、大抵の男子ならここで墜ちていること必至だ。
おお、神はなんと危険な存在を生み出してしまったのか。
彼は佐野祐太という。高校から知り合った仲で、その特異ともいえる美少年ぶりに学年中で噂が広まり、自然と俺の耳にも入ってきた訳だ。
彼は、所謂「男の娘」にカテゴライズされる存在なのだろう。
男女共に受けが良く、女子にはカワイイ発言を連発され、挙句に勘違いをした男子が告白してしまった逸話まである。
まるで他人の心を見透かしたかのような可愛らしい仕草と、成長しきれていない声のギャップが、彼の人気を支える一因といっても過言ではない。
さて、ここまでの場面で何か「おかしい」と感じた部分はないだろうか?
具体的にそれを指し示すならば、(ツン9割)(少女マンガの類では)(男の娘)等のワードである。
何故俺が、そんな一般人は用いないようなワードを知っているかと言えば……十中八九、俺が『ヲタク』だからに他ならない。
俺のヲタク心に火を着けたのは、小学生の時分に読み耽った『武黎鋼バッドリーガル』という作品だった。
漢と漢の、熱き魂のぶつかり合い――所謂「熱血モノ」と称されるそれは、当時の俺には刺激が強すぎて、拒否反応が出た位だった。
しかし、キャラクターの台詞一つ一つが胸に突き刺さる感覚と、ページを捲る高揚感とに突き動かされ無我夢中で読み進めていたら、いつの間にか関連商品に手を出し、ゲーム化が決まった際には真っ先に予約へ走るようになってしまっていた。
因みに、この作品の略称は「ブレバ」派と「バッリー」派がいるが、後者の数の方が圧倒的に少ない。それを知っていながら、俺は「バッリー」派に属している。
それからというもの、俺は漫画やアニメ、ゲームの世界にのめり込み、現在では一端のヲタクとして日々研鑽を積んでいる。
本やDVDは保存用・観賞用・布教用の三つを常時買い揃え、気に入った声優のネットラジオは毎週欠かさず聴く。
アーケード・据え置き問わず興味のあるゲームの新作が発表されれば、真っ先にプレイしては考察を欠かさない。
しかしながら、そんな俺でも二次元における“嫁”はいない。何故なら……。
始業式が始まり、校長の訓辞が行われている最中も、俺の視線の先にはある女子生徒の姿があった。現生徒会書記・高良満さんだ。
艶やかな黒髪を備えたまさに(高嶺の花)と呼ぶに相応しい美しさを湛えた気品漂う容姿。その上成績優秀と、絵に描いた様な模範的学生。
放送部に在籍するその凛とした声も魅力的なのだが、特筆すべきは綺麗に揃えられた前髪、所謂「ぱっつん」!
ここまで理想的な「委員長タイプ」の女性を、俺は過去に見たことがない。
俺は彼女――高良さんに惚れている。
惚れているなんてレベルじゃない。もし美少女ゲームの体で彼女のルートがあろうものなら「攻略したい」と思う程に恋焦がれている。
(これが健全な高校生の考える事なのかは理解し難いが……)
ふと、彼女の視線がこちらに向いた。
(うわ、今高良さん俺の方見たんじゃね!?)と若干動揺しつつも、俺は彼女との間にある『現実』という名の溝を感じずにはいられなかった。
所詮俺は一介のヲタク男子に過ぎず、才色兼備な彼女とは吊り合うことはない。
これがゲーム内の話であれば、俺は間違いなく全パラメータを最高にして高良さんを落としにかかるだろう。だが悲しいかな、現実はそう上手くは運んでくれない。
良くて廊下ですれ違う程度のイベントしか起こしてくれないのだ。
始業式が滞りなく終了し、生徒達は一斉に教室へ向かう。
夏休みの間に起こった諸々を話し合う者、今後の進路について話し合う者と様々だが、俺は崇と隣りのクラスにいる佐野を呼び出し、「どうすれば高良さんとお近付きになれるか」を思案していた。
「ってーか、最近ずっとそればっかだよな。満ちゃんの攻略法について妙案はないか、ってさあ。二つ先のクラスなんだから直接会いに行きゃあ良いのに」
「崇、お前は事の重大さが分かっていない!
もしここで軽率な行動を取り高良さんからの印象が悪くなった場合、俺が後世で
彼女の記憶に残る可能性はゼロに近くなる!
お前だって、好きな女子とは何らかのイベントを起こしておきたいだろう?
フラグ立てたいだろう?」
「うーん、そりゃあそうだろうけどさあ。第一、総元が満ちゃんとそこまで仲良くなりたい理由って何よ?」
「え?そ、それはだな……。」
「確かに、一度も話してくれてなかったね。なんでなの?」
拙い。ここで俺が『理想の彼女像』として高良さんを見ていることが公になれば、女子生徒から「キモい」と言われ評価は下がる一方。
加えて高良さん支持派の男子からは鬼の様な形相で追われることになるのは必至だ。それだけは避けなければならない。
「えー、と……あ、ああそうだ!春先に課外授業があっただろう?班からはぐれた俺が偶然彼女と鉢合わせして、親切に道を教えてもらったんだよ!それからというもの、頭の隅から離れなくてなあ。はははは……」
「ふーん。本当に「それだけ」かぁ?」
「お、男に二言はない!『バッリー』第3巻でもそう言っていた!」
「ふふっ、なんだかはぐらかされてる気がするけど……総元くんがそう言うなら同意しておくよ」
崇は不服そうにしているが、佐野は苦笑しながらも信用してくれたようだ。
「ありがとう佐野!俺は良い友を持って感激の至りに達している!」
と、俺が佐野の頭を撫でようとした丁度その時。担任が教室に入ってきた。
「あ、先生来ちゃったね。じゃあ僕はこれで!」
「おう、じゃーなー!」
佐野がその場を後にし、高良さん談義は一応の収束を迎えた。
始業式が終わり下校途中。
俺は崇を置いて、目当ての品を探し歩いていた。そう!
本日は漫画やアニメ雑誌の発売が集中する日。ここで買わずにやらいでか!
俺は行きつけの書店で漫画を買い、ついでにカードショップへ足を運んでいた。
今日入荷される予定の新エキスパンションが自分のデッキに合うかどうか吟味する為だ。
「ああ、すいません。そのカードは来週入荷するんですよ」
店員の一言に愕然とする俺。思わずアームロックを決めてしまいそうな心情に陥るが、ケース棚に欲しかったカードが入っていたのでこれ幸いと、そちらを買い求めた。
その後は欲しいカードがないか店内を散策し、昼過ぎだったろうか店を後にして、再び本屋へ戻ってきた。
脇目も振らずアニメ雑誌のコーナーへ一直線に進む俺。
だが、そこで驚愕の光景を目の当たりにしてしまうとは、思っても見なかったろう。
そこには……明らかに意中の高良さんの姿があった!
(え?高良さん?なんでこんな場所に……!?)
俺は激しく動揺する。参考書のコーナーにいてもおかしくない高良さんが何故アニメ雑誌を買い求めているのだろうか……?
俺の視線に気が付いたのか、同じ学校の生徒に目撃されて高良さんも酷く動揺している様子だ。
取り敢えず、俺は高良さんに話しかけてみた。
「あの、高良さん……」
「ち、ちちち違うの!わ、私アニメがす、好きとかそんなんじゃなくて
え、えーと、そう!兄がね!兄がこういうの好きで買って来てくれって
言われてたから!」
雑誌を両手に抱き、顔を真っ赤にして訊かれてもいないのに弁解を始める高良さん。
彼女の印象からして、この反応は間違いなく予想外にして可愛過ぎる!
思わず口元を緩ませてしまう衝動を抑えた。
落ち着け総元、落ち着いて高良さんと話をするんだ!
「落ち着いて高良さん!俺は何も気にしてないから」
「え……?き、君は……?」
「C組の総元秋一です。き、奇遇だね、こんな場所で会うなんて」
俺の反応を見るや否や、高良さんは目を丸くする。そして瞬く間に安堵の表情に変わった。
「……あー良かった!同じクラスの人かと思って吃驚しちゃった!」
高良さんは俺を同じクラスの生徒と間違えたらしく、それが元で先述の弁解を始めてしまったようだ。
「それで、今日はお兄様の為にここへ?」
「ええ、そうなの。兄ったらこればっかりで、碌に勉強しないのよ。駄目な人だと思わない?」
「あ、あはは……そ、そうだね」
自分の事を言われているようで胸がちくりとしたが、はにかみながら話を続ける高良さんに、俺は心の中でにやにやしながら相槌を打つ。
「あ、ごめんなさい!君のことを言った訳じゃないの。気を悪くしないで」
「いやいや!それどころか天にも昇る心地で……ゲフンゲフン。
そ、それじゃあ俺も買う物があるから、これで……」
「ええ、それじゃ」
と、軽く別れの挨拶を交わし、俺は高良さんと逆方向に歩き始める。
次の日、学校の廊下で掲示板に貼り紙をしている高良さんと鉢合わせした。
偶然にしては出来過ぎたエンカウントじゃないか、これは?
「あ、高良さん。おはよう!」
「え?……あ、君昨日の、ええと……」
「総元秋一です」
「ああ、そうだった。名前が出てこなくてごめんね?」
「いやいや、全然気にしてないから!」
俺が精一杯の笑顔をつくり返事をすると、急に高良さんが俺の耳元へ顔を近づけて
「あの……昨日のことは秘密にしておいてね?私と総元君だけの……」
と、囁いた。
まるで恋愛ゲームのヒロインが如き行動に、俺は気が動転する。
「……っ!?」
「私、生徒会の仕事が残ってるから。またね、総元君」
高良さんは軽く手を振りながら、踵を返し黒髪を靡かせて歩いていった。
そして、その場に取り残された俺は暫し思考停止に陥った後……。
(た……高良さんルートキターーーー!!)
と、心の中で歓喜するのであった。