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第七話 血戦

 戦場で繰り広げられていたのは、死闘としか呼びようがないものであった。

 劉黄綺が操る邪神兵器と六柱の混種鬼神――カラーズは、対する九条由佳・水原環と一二柱の式神の形成する結界を破り、その外へ出ようとあらゆる攻撃を行っていた。

 結界は、それに近づいた敵を識別し、霊力を縒り上げた槍を撃ち込む。言ってみれば、自動制御の巨大なボーガンを霊力で支えた半球状の天蓋に無数配置したような代物だ。ただし、それを維持するには莫大な霊力を常時注ぎ込み、維持していく必要がある。九条由佳一人ではあっと言う間にその霊力を消費し尽くしてしまう機構だが、今夜は違う。式神が形成する回路による増幅分に加え、水原環という希代のシャーマンの応援もあり、日没から三時間以上が経つ今現在も、結界の威力は保たれていた。

 だが、その一方で、九条も水原も、変化する敵に対応した戦いを維持していた。式神は兵器ではなく、それ故、開戦直後のように、そのネットワーク内でやりとりしつつ自律した戦闘を行うことも可能だったが、今は違った役割で動いていた。

 戦いは、予想外の打撃戦――霊力による殴り合いへと発展していたのだ。

 水原環には、グレー、黒、濃紺、バイオレット、赤、薔薇の六名が付き、絶え間なく配置を変えながら、防御と攻撃を行っていた。九条由佳にも同様に、インディゴ、青、深紫、ベージュ、白、明灰が付き、防御と攻撃を続けている。

 水原のチームが自走する陣を形成してカラーズを蹴立てつつ、邪神兵器の元へ吶喊する。式神が、その陣内で限界まで圧縮した水原の霊力を縒り上げ、槍として撃ち出し、邪神のもとへ射込む。邪神がその防御に入る隙に、九条のチームは上空に「迂回」し、手薄となった邪神の背面に同様の攻撃を射込む――。もちろんその間も、熱帯植物館全体を取り囲む結界は維持し続けている。

 戦闘序盤で放った規模の大きな術式を撃つ余裕は今はなく、またそうした大規模な攻撃は、予見しやすく回避される確率も高い。そして、互いに用意していた銃器等の物理兵器は、すでに両陣営とも消費し尽くした。

 この状態で邪神たちと渡り合うことができるのは、ほぼ同等の力を持つ二班による連続攻撃であり、またそれしかなかったというのが実状だ。したがって戦いは、霊力任せ、言ってみれば体力任せの殴り合いの様相を呈してきているのだった。

 当然、戦闘が長引けば長引くほど、有利になるのは劉黄綺側、邪神側だ。邪神とて使用した霊力は消費するが、そもそもの霊力の総量が違う。人間から見れば無尽蔵に近いストックを持った、文字通りの化け物なのだ。戦いが長引いているのも、劉黄綺がそのことを十分承知しているからであり、いつその仮初めの拮抗が崩れるかは、劉黄綺の側ではなく、九条や水原の側の霊力の限界によって定まる。この戦いは、そうした類のものなのであった。

 邪神兵器と化した劉蓉が式神や九条たちの攻撃を直接受けるのはほんの数回、チャージが終われば飛び道具を放つ。初期ほどの大きな砲撃はないが、ピンポイントには十分殺傷能力のある攻撃を繰り出す。それをかわしつつ、九条と水原は次の攻撃を組み立てる――。

(そろそろ、開戦から三時間半、このまま行けるとしても、後三〇分ってところかしら。)

 戦況に目を遣れば、ぶっつけ本番でこの作戦に助力してくれている水原環に、特に憔悴の色が濃かった。あそこを崩されたら、この防護の砦は崩壊する。むしろここまで水原が戦ってくれたことの方が奇跡に近い。

(決断が、必要かしら。――しかしそれには、何としても邪神兵器の弱点を掴まないと。)

 そうなのだ。まだ、徐々に不利になっていく戦いの行方を一気に逆転させる、最後の一手は残されている。しかし、それを叩きつけるべきウィークポイントが判明しないのだ。

 推測だけでもその一手を放つことはできる。だが、それが読み違いであった場合、邪神兵器を留めることはできず、魔物は世に放たれることになる。そうなれば、この東アジアは、劉黄綺に蹂躙される。

(どうする……!)

 状況を悟ったカラーズが、水原に対して攻撃を集め始めた。徐々に落ち始めた反応速度を見切られ、懐に踏み込まれる。水原が護身用のデザートイーグル――言ってみれば、最後の隠し玉でシルバーを放ち、いったんは退けたものの、これで状況は固まってしまった。手の内をすべて晒した水原が肩で息を吐き、その脚が止まる――。

 その瞬間、震度6クラスの直下型地震の揺れのような、縦方向の衝撃が夢の島にいる者たちを襲った。劉黄綺やカラーズたちも、九条・水原の二人も、一瞬、警戒から戦闘を中断し、状況の確認に入る。

 だが、式神たちは違った。

「けひひひ……」

「くけけ、くひひひ……」

 式神の誰かが、いや、全員が、笑っていた。

 これまでずっと、人格の分化と進化を進め、個性を獲得し、魔物らしさを少女らしさに転換してきた式神たちであった。しかし何故かこのとき、九条由佳とともにヨーロッパから日本に戻ったばかりの頃と同じような、全く個性のない表情で、式神たちは笑っていた。

 そんなことができるのは、この地上ではただ一人だ。もちろん、劉黄綺ではない。水原環でもない。九条由佳ですらなかった。

(九条、水原さん、まだ行ける。もう一度、一二人で陣を組み直す。二人は、最初の一撃をもう一度頼む。ただ、指揮は僕がとる。いいね?)

(ったく、どこで見物してたのかしら?タイミング良すぎて涙が出るわ。)

(式神さんたちはどうしたのですか?)

(心配ない。僕の術が解ければ、皆元に戻る。)

 戦いに介入してきた何者かはそう答えた。

「じゃ、行こうか。」

 式神たちのリーダー、黒の口を借りて、男はそう言った。

「上空にて回路形成、九条と吾の気を以て回路横溢。」

「吸い込みすぎだって!」

 あの九条由佳が地面に片膝をつく。霊力をいきなり持って行かれたらしい。

「水原さんの位置を調整、荒御霊勧請。」

 どさりと音を立てて水原が両膝と両手を大地に突く。がっという一瞬の叫び声とともに、その背中に眩い霊力の翼が生える。

「リンク。」

 上空の式神たちの背にも、次々と翼が生える。

「おいおい、いきなりだな元邪神。」

 ゆらりと立ち上がった水原環の口から、また別の男の声が響く。

「申し訳ありません。ですが、説明は不要でしょう?」

「ああ。結局これも、時間稼ぎに過ぎないってところまでな。」

「はい。お手数ですが、では、お願いします。」

「全く、めんどくさいことだ。」

 そう言い捨てると、水原環の身体を使役する何者かは、一〇秒の内に二〇以上の印を立て続けに結び、やがてこう宣り上げた。

「――古く葛城当麻の天狗と呼ばれし荒御霊、今代の新たな盟約に基づき、滅びの琴を爪弾かん。滅びの鉦を打ち鳴らさん。……屠れ。」

 霊力の総量が大きすぎ、空間が歪む。庭に水をまくような、ごくふつうの青いゴムホースの中に自らの頭を突っ込むような強引さで、回路を引きちぎりながら荒御霊の放った攻撃が地上に落ちる。あるいは邪神はこの攻撃も凌ぐかもしれない。だが――

「屠れ。」

 最初に戦いに介入してきた男の声が響き、先ほどの荒御霊が射込んだものと遜色のない攻撃が、さらに上空から地表に向かって叩きつけられた。九条と男自身の霊力で溢れていたはずの式神の回路は完全に崩壊し、式神たちは翼を失いながら地上へと落下していく。

「松本から飛ばしたにしちゃ、やけに正確な着弾だな。くはははは。」

 荒御霊が適当に笑う。

(そのために、式神たちの精神を一時拘束したのですから。)

 すでに式神たちを解放した男の声が念話で届く。

 地上では、邪神がいたはずの大地が一気に蒸発し始めた。夢の島は戦前に一部埋め立てが開始されたものの、その基礎の大半は、昭和五〇年代~六〇年代のゴミによって形成されている。表土を突き破るほどの攻撃で、そのゴミの層までが一斉に沸き立ち、それはさながら有害な噴煙を噴き上げる火山の火口のような有様となった。

(皆さん、これでしばらくは、と言っても長くて数十分といった範囲でしょうが、カラーズも邪神兵器も活動できないでしょう。劉黄綺を護るために陣を形成したようですが、そのために彼女たちの身体はある程度失われました。

 ただし、やがて、復活してきます。皆さんも、それに備えてください。)

(賀茂君、鬼斬りが今どうしているか、分かりますか?)

(そちらに向かっています。邪神の復活とどちらが早いかは分かりませんが、遠からずそちらへ行くはずです。)

(ありがとう。全く、じらしてくれるわね。)

 そう言った九条の表情は、笑っていた。

(それまで、何としてでもここは死守する。)

 肉声とともに、九条は叫んだ。

「攻性結界強化するわよ!」

 焼け爛れた戦場を、九条、水原、そして一二柱の式神が囲む。肉の眼には見えぬ霊的な力が濃度を高め始める。

「あなたたち、大丈夫?」

 術を行使しながら、九条が式神たちを労る。しかし、式神たちはむしろ、生き生きとしていた。

「ああ。あんな強引なドクターは、初めて。」

 なにやら頬を染めているリーダーに向かってベージュが叫ぶ。

「黒のファザコン変態!結界回路増幅!」

「水原さん?復帰できてる?」

「ええ。ほんと強引ですねドクターさん。でも、嫌いじゃないわ。」

「あはは!みんなのライバル新規登場!結界強化進行中、」

 グレーが叫ぶ。

「持久戦の構えー!」

 赤が叫ぶ。

「これでひなが来なかったら笑うよね。」

 バイオレットがつぶやく。

(その心配はないよ。って、聞こえてる?)

 その瞬間、式神たち、そして九条と水原に、聞き覚えのある声で、念話が届いた。

(ひなだ!)

(ひな、なのね?)

 式神たちが、一斉に念話を返す。

(ええ。所轄に止められて夢の島に渡る手前でちょっと足止め食らっちゃってるんだけど、公安に繋いでもらったから。これからそっち乗り込みます。)

(ひな、こっちの世界、来ちゃったんだね。)

(うん。まだ全然、勝手が分かんないんだけど。空飛んだりもできないし。)

(あはは。それができたら大変よ。教誨師、あたしです。由佳です。)

(聞こえます。)

(邪神兵器は現在、水原さんとドクターの放った攻撃で活動レベルを低下させているわ。しばらくは夢の島に釘付けしておけるはず。でも、急いで。)

(分かっています。もう、数分でそこへ行きます。あの、視覚って繋げますか?アマワキウタキのときみたいに。)

(これで、どう?)

 黒が代表して出力してやる。

(うわ、植物園がクレーターになってるし。小学校の時見学に行ったんだけどなあ。こりゃ警察も本気で封鎖するわね。)

(うふふ。その真ん中に、いるわよ。邪神兵器。劉蓉さんの成れの果てが。)

 その念話を聞いていたのか、結界の中心が揺らいだ。不正な、動悸のような振動が何度か起こった。

(ひな、始まったみたいだから、また後でね。)

(うん。なるべく早く行くから。)

 そして――。

「邪神兵器、再起動を確認。併せてカラーズが回路形成を開始。」

「こっちの戦術を持ってかれたね。あれなら動けなくても、霊力さえ紡げれば、固定砲台として機能する。身体の回復が不完全な分、照準精度が甘いことを祈るけど。」

 次の瞬間、意識を保っているようには決して見えない、身体回復もままならないぼろぼろのカラーズたちを使役して、劉蓉であったはずの邪神兵器は、ただの球体のようになった自らの正面、五メートルほどの位置に、垂直に回路を打ち立て始めた。カラーズの瞳に光はなく、首は落ち、口元はだらしなく緩み、涎を垂らしている。腕や脚が、まだ足りない者もいる。中空に貼り付けられた、制服姿の死体の群れのようだ。だがそれでも邪神兵器は、彼女たちで回路を構成する。

 そこに、劉黄綺の姿はない。邪神兵器と化したはずの劉蓉らしき姿も認められない。

 そこにはただ、赤黒く蠕動する歪んだ球体があるばかりだった。

 ついに暴走が始まるのか――

 荒々しく呼吸するような音が、球体から響く。無理矢理の再起動なのは、邪神自身も理解しているはずだ。思うように回路が安定しないことに、その球体はいらついているようにも見える。

「ねえ九条、今なら、あのレベルからの再生の途中なら、邪神を封じられるんじゃない?」

「分からない。だけど、もう一度攻撃をしてみる価値はあるわね。」

 九条が頷き、式神たちが一二人全員で一つの陣を形成する。水原も再度、九条の背後の位置に立つ。式神たちの陣は円ではなく、非対称に捻れている。その中を、何かちりちりした微細な光が蛇行しはじめた。この戦いで初めて敷く陣だ。

「七曜の陣よ、紫微の陣よ、今神饌神酒を捧げて助力を請い奉る。」

 九条が、懐から黒米と桜色の液体を取り出し、辺りにばらまく。微細な光が、一気に輝きを増す。陣は、九条を含めた六角形の外周と、その内部をうねる七つ星とで構成されていた。

「それ、虚星砲の一種ね。また大陸風な。」

「ええ。今日みたいな相手にはちょうどいいでしょう?悪いけど、またもらうわよ、あなたの霊力。」

「どうぞ。」

 そう告げた水原環は、自らの右手人差し指の指先をわずか噛み切り、血染めの小さな陣を九条の術衣の背中に書いた。

「ここに射込むから、炸薬になさいな。」

 式神たちには聞こえないような、小声の、だが水原らしからぬ艶めいた声。

「うふふ。ちょっとした自殺行為よね。」

「でも、ほんとはこれが、試したかったんでしょう?九条さん。――くふふ、濡れる。あなたでなければ、確実に死ぬわ。」

 九条も水原も、ぞっとするような笑みを浮かべていた。ドクターや荒御霊によってではなく、自らが自らの力を汲み上げ、助力となる力を召還し、撃ち出す。二人の本来の力が解放されようとしている。

「行くぞ、」

 ぱん、と辺りの張りつめた空気を弾けさせるように、九条は告げる。

 式神たちが口々に唱え始める。

「弾頭は九条、炸薬は水原、」

「弾頭は天龍、炸薬は地龍、」

 回路が横溢を迎え、黒が叫ぶ。

「装填完了、撃てぇ!」

 九条に向かって圧縮した霊力を水原が叩き込む。その霊力を推進力に使って、縒り固めた堅固な霊力の弾頭を九条が射出する。その力を、式神回路が一気に増幅させる。音速を遙かに超えた攻撃が、一瞬で邪神に到達する――。

 だが、九条らの最大の一手であり主砲とも言えるその砲撃は、邪神到達の寸前、何かを巻き込んだ。

「劉黄綺、今度は何を召還した!?」

 殺気立つ式神たち。水原も九条も、全力の術行使の直後で余力がない。式神たちが捨て身の防御に入る。

 だが、攻め手に欠けていたのは、敵方も同じだった。迎撃はない。

 術が放つ光が消えた、爛れた暗い大地に召還されていたのは――

「オ、トウ、サマ?」

 襤褸くずのようになって邪神兵器の前に倒れていたのは、男の姿をした鬼神であった。

 その鬼神が、大地に両腕を突き立て、膝を突く。身を起こし、呟く。

「劉、黄綺……。貴様、まだこのオレを召還するか……。」

 カラーズを召還した者、つまり術の上での親は、確かに劉黄綺だ。

 しかし、そもそも混種たるカラーズを錬成するためには、純然たる式神・鬼神の類と人間との「交配」が必要だ。

 球形となった邪神によって強引に回路化されたカラーズたちの正面に、その男の姿をした鬼神は現れ、そして、砲撃を正面から受けたらしい。瀕死の状態にあるが、まだ息はある。その鬼神を、カラーズは「オトウサマ」と呼ぶ――

 この鬼神のせいで、九条の撃ち出した切り札、状況を変え得るはずの最後の一手は、カラーズの回路を貫けず、邪神兵器本体を直接攻撃することができなかった。元々連射できるような代物ではない。

 九条らにとっては全く予測外の、鬼神召還であった。鬼神は、九条の秘策を全身全霊でもって吸収し、背後の邪神兵器への直撃を許さなかった。と言うよりもおそらくは、劉黄綺の術、あるいは自らの意志によって自身を回路化し、九条の攻撃をカラーズの形成した回路に分散させることで、護るべき邪神本体のみを護ったのだ。無謀な、自らの神経系に落雷を通してやるような、そして、自らをオトウサマと呼ぶ者たちにもその痛みを分け与えるような技で、辛うじて邪神本体を護ったのだ。

 この間、球体化した邪神兵器はほぼ無傷、再生の時を稼いでいる。

(九条、よくない。邪神の回復が進んだ。)

 松本から届く念話に、肉声で叫び返す。

「分かってる。くそっ、あいつさえいなければ撃ち抜けたものを!」

 珍しく九条が感情を露わにしている。

「状況をスキャンしろ、砲撃の射出方向、タイミングの読みとりを優先!」

 この状況で最も警戒すべきは結界の壁さえすり抜ける邪神兵器の主砲だ。結界によって封じられないということはつまり、この夢の島に留まったまま、九条らが設置した結界の外、人々が暮らす東京の臨海地帯を直接攻撃できるということであり、同時に、敵対する術者一人一人のパーソナルな防壁さえ貫けるということを意味している。

 術者は、当然、結界の外、一般の人々を護るための防御戦を構築する。

「回路の位置から射出方向を予測、結界の防壁を集中・増強し、すり抜ける力を減じる。」

「でもそれには射出部位が分からないとだよね?」

「直進させるのか屈折させるのか分からないと、確実な計算はできないよ?」

「その辺は、射出の瞬間に計算するしかないわ。屈折に関しては極端なものは想定しなくていい。いつでも全力で対応できるよう準備しておいて。」

「了解!」

 やがて、不安定にざわついていた球体の表面が一瞬静かに落ち着いたかと思うと、直後、ついに球体の一部が大きく陥没し出した。ギリギリと音を立てるように表面に生じたその陥没が戻る、その弾みを利用するかのようにして、何かの塊がが重く鈍い轟音とともに発射された。それは、カラーズの回路中央を抜けると一気に加速した――

「水平発射!?どこを狙ってるの?」

 邪神兵器がカラーズを回路として使って撃ち出した一撃は、赤黒く輝く光だった。

 暗闇の中、強い光源を見てしまったときに生じる負の残像効果そのもののような、消そうと思っても消せない、黒い光のラインが一方向に殺到する。そのまま直進すれば、運河の向こうの街を焼いてしまう、それだけの威力を持った暗黒の光。

「結界反射最大!抑えろ!」

 結界の攻撃が、光に向かって無数の霊力の槍を降らせる。光が衝突する部位に、結界全体の密度を集める。しかし、邪神の放った黒い光は直進する。

「無理、すり抜ける……!」

(大丈夫。)

 それが、結界のすぐ外、意外に近距離の地点で押し留められ、捻じ曲げられた。莫大なエネルギーは、夜空に向かって雲散していく。

 そこには、一人の少女が立っていた。

「熱烈なご歓迎どうも、劉蓉さん。」

 鬼斬りと、その対となる小太刀を右手と左手に携えた、ゴスパンクな教誨師が立っている。H&K-MP5も背負っている。刀が一本増えてはいるが、彼女にとってはいつもの突入態勢だった。そして、背後には、黒いインプレッサが1台。

(あなた、一体何を?)

「さあ?あたしにはさっぱり。でもなるほどね。二刀の理由、分かったわ。」

 呟くように、教誨師は言う。

(分かったって、何が?)

「いえ、こっちの話よ。さて、……森田、行ってくるわね。」

 顔だけを横に向けて、背後の従者に声をかけると、教誨師も念話に切り替えた。

(みんなごめん。お待たせしちゃって。後は任せて、と言いたいところだけど、サポート、お願いしていい?)

(ああ。けどひな、……)

(なに?)

(いや、いい。我々も、お前を信じる。)

(……ありがと。よろしく。それと、頼みがあるの。)

 教誨師がふっと笑う。式神たちも笑う。

(派手好きだな。)

(ええ。お嬢様ですもの、それくらいは。)

(わかった。)

(いつでもいいわ。)

 二刀を鞘に戻し、背負っていたMP5を構える。

(行くぞ、教誨師!)

 次の瞬間、MP5を抱えた教誨師は、邪神兵器の直上二〇メートルに出現していた。



 巫化したからと言って、身体能力までが一度に上がるわけではない。修練も積まずに霊力で身体を直接駆動させれば、足りない燃料をどこかから調達する必要も生じる。一方で、魔法使いになるには巫女としての修行が必要だ。霊力を具体的な力として顕現させるだけの知識を得、スキルを練らねばならない。

 ただ、教誨師の認知能力は今、桁違いに跳ね上がっている。直上出現に反応して上空を見上げるカラーズたちの視線の動き一つ見逃さない。知識と知恵とが直覚となって心に表示される。なぜ分かるのかも知らない事実が分かる。

 攻撃の要には、鬼斬り、そして、新型弾薬のシルバーを装填したMP5。

 森田のインプレッサを追跡していたのか、麻布の病院を出るときに、ビッグスクーターに跨った時田が待っていた。そこで、たった二〇発だが、セフティ・スラッグ仕様のシルバーを渡してくれた。試作品中の試作品、今はそれだけだ、と時田は済まなそうに言う。

 六発あれば十分です、そのとき、教誨師はそう時田に笑いかけた。

 考えてみれば、無謀よね。

 教誨師は思う。

 結局教誨師は、それだけの戦力拡張しかできていないのだ。

 しかし、その圧倒的な認知能力、そして若干強化された武装のみを以て、これから邪神兵器に対抗することを、教誨師は恐れなかった。

 結末は知らない。

 だが、自分の役割は知っている。



(行っけ――――!)

 落下を開始しながらカラーズに照準を合わせる。認知能力の向上は、自らの戦闘スキル自体にも適用される。体力は上がらないが、自らのアクションのコントロールは格段に精緻なものになっている。

(セミオートってのもけっこうじれったいものね。)

 教誨師はほんとうに六発で、カラーズ全員にシルバーのセフティ・スラッグを撃ち込んでいた。回路構築のために、邪神本体とカラーズとにわずかな距離が生じていた、その隙間に楔を撃ち込むように、弾丸を撃ち込んだ。直立したまま上空を睨み据えていた男の鬼神にも一発撃ち込む。

(みんな、カラーズと、もう一人を頼める?)

(任せなさいって。邪神と切り離せればやりようはある!)

 教誨師は、徐々に高まる落下速度を感じながら、残る一三発のうち九発を地上の球体に撃ち込んだ。

 無駄撃ちでは、ない。

 球体の頂上を中心に、十字を描いて弾丸を並べる。

 そこから球体は、ホウセンカの実が弾けるように、上方に向かって爆ぜた。

 残り四発をその開口部から撃ち込むと、MP5を投げ捨て、背中の鬼斬りを腰に回して構えた。

(お願い!)

 地上付近まで落下した教誨師は、何故か地面に激突せず、わずかに減速しつつ着地した。それでも両足で思い切り踏ん張らないと地面に叩きつけられてしまうほどの勢い。そして、その着地の反動すら加速度に替えて、はじけた球体の肉壁を跳び越え、球体の中にいた敵に斬りかかる。息つく間もなく、二桁の斬撃を一気に撃ち込む。それを、不完全ながらも再生しつつある邪神兵器――少女の姿の劉蓉と、その父親劉黄綺が向かえ撃つ。

 鬼斬りの戦いが、始まった。

 このとき外周では、シルバーのセフティ・スラッグを受けて活動レベルが低下したカラーズたちを、一時式神が押さえ込んでいた。しかし、劉黄綺が印を結び熱に爛れた大地をとんと踏みしめると、邪神兵器の手に大陸風の斬馬刀が現れた。それだけでなく、劣勢だったカラーズの手にも斬馬刀が現れ、外周での戦いは瞬時に拮抗した。教誨師が邪神の斬馬刀を叩き落としても、式神がカラーズの斬馬刀を霊力の槍で跳ね飛ばしても、すぐさま劉黄綺の術が刀を再生してしまう。それでも怯まず斬り合いを続行する教誨師に、劉黄綺が笑いかける。

「そちらの式神、なかなか仕込まれていると見えるな。」

「ええ、飛ばしてもらったはいいけれど、着地に失敗じゃ締まらないでしょ?ま、あたしが仕込んだ訳じゃないけれど。」

「くくく。自力で宙は舞えぬか、にわか封神士。」

「にわかでも何でもいいけれど。あたしが用があるのはお嬢さんの方よ。退きなさい。劉蓉さんたちの身体再生のための時間稼ぎも、いくらかはできたでしょう?」

「舐めるなよ、この劉黄綺とて、術式は放てる。貴様よりはだいぶ熟達もしている。」

 邪神兵器の大上段からの一撃を鬼斬りで受けた教誨師のわき腹へ、劉黄綺の生じさせた新たな剣が飛ぶ。鬼斬りを押し返してからでは間に合わない。だが、防御の刃はそこにある。

 半歩だけステップしつつ、鬼斬りで邪神の剣をいなした。左手を背中の鞘に延ばし、体側に引きつける。劉黄綺が投げた剣の回転を見切り、紗幸から預かった小太刀で受ける。鞘から抜く猶予はなかった。だから、鞘ごと防御に回した。

 がっ、と音を立てて剣が止まる。軽く小太刀を振ると、斬馬刀が焼け爛れた地面にがらんと落ちる。

 即座に邪神が教誨師に斬りかかる。どちらが主導権を握っているのか、まるで予断を許さない激しい撃ち込み合いの中、教誨師はだが、静かに告げた。

「――わかったわ。劉黄綺、あなたから倒す。」

「ん?俺を倒せば、邪神兵器は暴走するぞ。」

「いいんじゃない?結局今だって手がつけられないんだから。あなたの指示がなくなれば、戦術的には混乱しそうだし。」

 それは危険だと、九条が念話で伝えてくる。水原も同様の判断だった。

「いいからあなたたちはとっととカラーズたちを始末して。その弱点を早く暴いて。」

 教誨師はわざわざそう、声に出して言った。

「邪神兵器はあたしが倒す。ならば劉黄綺、あなたを温存する理由はないの。」

「言ったな小娘。賭けてみるか、この世界を。」

「ええ。最初からそのつもりよ。」

 教誨師は、笑っていた。

「だって、あなたが制御してもしなくても、邪神兵器は十分邪神でしょ?あなたの制御がない方が弱そうなんだし、あたしはその方がやりやすそうだし。」

「馬鹿な。――まあよい。今代の封神士だというから期待したが、その程度の戦術で邪神に勝とうというのか。」

「何でもいいわ。こっちから行くわよ。」

 その瞬間から、言葉は意味を失った。

 教誨師は、剣に関する己のスペックをすべて解放した。

 鍛え上げた、戦う者としての能力を、得たばかりの巫女としての世界認識が押し上げる。

 邪神と化した劉蓉の攻撃と防御をかいくぐり、ただひたすら劉黄綺に肉薄する。

 だが、邪神を兵器化する劉黄綺の優位は揺るがない。

 劉黄綺は、劉蓉に防御させつつ、術式を以て教誨師を退ければよい。

 戦闘の最中強引に召還した自らの鬼神に、捨て身の防御を命じてもよい。

 劉黄綺の優位は絶対、そのはずだった。

 その道の先達である九条由佳も、水原環も、この点は見解を一致させていた。

 だが、やがて邪神の剣をくぐり抜け、教誨師が劉黄綺に直接剣を撃ち込むことが増え始めた。

 術式で生んだ剣を以て、劉黄綺自身が教誨師の剣を受ける。

 しかし、教誨師は止まらない。

 もはや、教誨師は肉の眼を閉ざしていた。

 ただ己の心眼のみで世界を視ていた。

 そして戦いの最中唐突に、教誨師は一つの直覚を得た。

 鬼斬りは、劉黄綺の剣を断てる。

 それはつまり、カラーズたちや邪神兵器が振るう剣も断てるということだ。

(あえて言えば、その剣には、現実としての稠密さが足りないのよ。殺意が足りないと、そう言ってあげてもいいわ。)

 瞼を閉じた教誨師の目尻から、鼻腔から、僅かずつながら出血していた。今呼吸をすれば、呼気とともに血反吐すら吐いてしまうはずだ。

 一呼吸。

 それにすべてをかける。

 邪神が、劉黄綺に斬りかかる教誨師の背中を狙う。

 振り向きざま、邪神の剣を受けず、それを斬る。返す刀で邪神の腕を二本とも斬り飛ばす。

 間を置かず、外周の式神やカラーズたちがどよめく声も聞かず、教誨師は劉黄綺に相対する。

 邪神の再生は速い。腕など、ほんの一振りで元の長さに戻る。

 その僅かな猶予の中で、一連の動きを断ち切ることなく、教誨師は体を旋回させた。

「坤!」

 劉黄綺が鬼神を召還する。

 しかし、教誨師の、鬼斬りの太刀筋は、ちらとも揺るがない。

 剣を体の正面に立てて防御するその鬼神ごと、そして劉黄綺自身の剣ごと、水平に劉黄綺を薙ぎ祓った。

 二本の剣を斬る硬く乾いた音と、生きた身体を斬る重く湿った音が、ほぼ同時に聞こえた。

 剣に己の霊力を乗せ、己の一部として振るう。

 教誨師が試みたのは、それだけだ。

 巫女の術というよりも、鍛え上げた達人の剣技。

 それに鬼斬りは応えた。

 剣はこのとき、まさしく霊力の器であり、刃であった。

 その器に盛るべきものを、教誨師は正しく与え、鬼斬りは正しく応えたのだ。

 劉黄綺が、あれほど絶対に思えた劉黄綺が大地に崩れ落ちる。

 その様を、坤は地面に転がったまま、見つめていた。自身も鬼斬りで胴を断たれ、醜くその肉を晒したまま、坤と呼ばれた男の鬼神は、己が主人の最期を、見つめていた。

 己を召還した術主を失い、坤の身体は、少しずつ拡散し始める。

 呆然とした様子で、カラーズが、為すすべなく立ち尽くす。

 さらにその周囲を、式神たちが包囲する。

「劉蓉さん。さあ、後はあなた一人よ。どうする?」

 そう言いながら、教誨師は爛れた大地に血を吐いた。

「こっちもそう、楽じゃないんだけれどね。まだあんたにトドメ刺すくらいの余力はあるわ。」

 禍々しい少女の姿の邪神は、劉蓉は、ごうと叫んだ。

 教誨師のことを忘れて、劉黄綺と坤のもとに駆け寄り、跪いた。

 だが、劉黄綺はすでに、息絶えている。

「済まない、小蓉……。」

 わずかに息のあった坤は劉蓉にそれだけを伝えると、遂にぐずぐずと崩壊し、消失した。

 劉黄綺と坤、その身と命とが二つとも断たれ失われたことを確認すると、邪神は、ゆらりと立ち上がり、教誨師に向き直った。その眼に常時書き込まれていた文字列のようなものが、消えていた。

「ふふふ。あなた今まで、劉黄綺の術に縛られて、人間並みの認知で動いていたのよ。だから、結局あたしを捕まえきれなかった。だって、劉黄綺はあなたを使役しながら術も行使していたから。カラーズたちさえ支援していたから。どんなに術式で強化したところで、人間一人分の認知で、あたしと戦おうってのがおかしいのよ。」

 邪神は、一歩一歩、教誨師に近づく。言葉にならない唸りのような、呻きのような声が、邪神の口元から漏れている。

「でも、これからは違うわ。あなたは、あなたの目で世界を見る。……そう、そして、そのあなたを倒すのが、このあたしよ。」

 邪神にとっては、教誨師はとっくに間合いの中だ。対する教誨師の剣は、まだ届く距離にない。

「ご覧なさい、カラーズを。あなたの娘たちを。」

 邪神はこの言葉に、びくりと体を震わせた。それはむしろ、劉蓉自身の魂の動揺だったのかもしれない。

 カラーズたちは、劉黄綺の術の支援がなければ、式神たちに適う力は有していない。むしろ、今まで互角に戦っていたこと自体、賞賛されるべきことなのだ。たった一人でこれまで戦局を制御してきた、劉黄綺の充実した術の力に、皆、驚嘆するべきなのだ。そこに過信はあったとしても、劉黄綺が希代の術者であったことに変わりはない。

「カラーズも、もう戦えない。式神たちに抑えられてしまったわ。劉黄綺の支援のない状態で、彼女たちはどこまで生き延びられるのかしら。ほら、早くあたしを倒して駆けつけないと、無惨な末路が待っているのではなくて?――劉黄綺のいない今、最後の一人まで結び目を解かれれば、全滅、すなわちカラーズの死、なんでしょ?全身刻んでしまえば、結び目なんて、簡単に発見できるんだし。」

 明らかに、邪神を、劉蓉を挑発していた。

「それとも、また、産んでみる?男の式神の知り合いはいないけど、探してあげてもいいわよ?」

 邪神は、いや、劉蓉は挑発に応えた。

 ふっと、右手を前に突きだし、教誨師の方に向けた。暴走と言っていい力の奔流が視界を捻じ曲げる。

「待っていたわ。あなたの全力、見せてみなさい。」

 教誨師はそう応えると、全身に一つの力みもなく、ただ二刀を提げてそこに佇んだ。

「あたしが悲しいのはね。あなたを殺すことでも、カラーズを滅ぼすことでもない。――あなたのことばを聞けないことよ。」

「ひな!無茶だよ!」

「相馬さん逃げて!」

 九条や水原、式神たちが叫ぶ。

 どう、と邪神の右手から、最悪最邪の一撃が放たれた。制約を取り払われた、邪神そのものの放つ、主砲と呼ぶべき一撃。怒りと悲しみの力で増幅した、人外のものの全力の一撃。

「あたしは教誨師。あなたのことばを最後に聞き、最後の言葉を手渡す者。」

 邪神の攻撃が直撃したはずの、教誨師の声が辺りに響く。

 小太刀は、魔を退け、太刀は、魔を断つ。

 対なる剣の真価がそこにあった。

 光が弾かれ、上空へと突き進む。

 巫女としては未熟な教誨師を、太刀小太刀が正しく導く。二刀を携えたときに限り、教誨師は己の霊力を使った防御が行える――。

 そのことは、邪神の最初の一撃をとっさに受けたときに、理解していた。

 九条や式神たちが構成する結界とも似た、霊的な防御。しかし、邪神の主砲は九条たちの結界をすり抜けるが、相馬ひなと太刀小太刀が形成する結界を貫くことはできない。

 刀には、刻んできた想いと怨念の蓄積がある。

 刀に触れてきた、みさをや紗幸、そして、歴代の相馬の女たちの祈りが託されている。

 そのように堅く硬く確かなものを核にして構成された結界は、揺るがない。

 術者どうしの戦いでの優位を狙い加工された、いわば戦略的で打算の入った攻撃になど、そのような結界が打ち砕かれるはずもない。たとえそれが、邪神によるものであったとしても、護りの強度は揺るがない。

 問題は、パワーの総量ではなく、強度であり純度だ。顕現する力としての稠密で純粋な殺意、想いのベクトルを一方向に束ね上げる、底なしの祈り。

 それが、鬼斬りの力であり、それを支える相馬の女たちの思いだった。

 教誨師は、邪神の攻撃の圧力で一五メートル以上後退させられた。踏みしめた大地に二本の足跡が引かれた。だが、それだけだ。

「どうしてまた、お父さんの技を?それしか、教わらなかったの?――予測はしていたけれど、でも、それはあなたのことばじゃないでしょう?そんな小手先の技じゃ、あたしには勝てないのに。」

 クロスさせていた太刀小太刀を無造作に降ろすと、そう、何故か悲しげに、教誨師は静かに語りかける。

 邪神は、全力の攻撃を放っていた。だが、通じなかった。

 その結果生じた、一瞬のタイムラグのような、ごく僅かな猶予。次の一撃までのチャージ時間。

 絶対の防御を約束するその小太刀を、教誨師は鞘に収め、駆けだした。

 攻めるには、殺すには、小太刀の力は不要、理由はただ、それだけだ。抜く気になれば、いつでも抜ける。

 もはや、九条も水原も、式神たちやカラーズたちさえも、己の戦いを止めていた。固唾を飲んで、事の成り行きを見守っている。

 教誨師、相馬ひな。その動きは、ここへ来て人類を超え始めている。

 巫化による精神の変貌と深化の影響は、教誨師自身の繰り出すあらゆる技にも及ぶ。己の動きを、数段性能の上がったモニターでフィードバックしながら、ここまで戦い続けてきたのだ。

 教誨師は、成長する。

 己の体力と引き替えに。

 己の霊力と引き替えに。

 つまりは、己の生命と引き替えに。

 教誨師は鬼斬りとしての階梯を一段進む。

「あなたにも、もう分かったでしょう?鬼斬りを携えたあたしに、あなたの飛び道具は効かない。充電にも時間がかかる。そして、お父さんがあなたにくれた剣も折れた。――さあ、どうする?」

 一気に駆け寄りながら、そう教誨師が告げる。

 邪神の眼が、一段と険しいものになる。唸るような声を上げる。

「もう、散りなさい。あなたの結び目は、あたしが解く。」

 邪神兵器となって復活した劉蓉の認知能力は、使役者である劉黄綺のスペックに縛られていた。今突然、邪神本来の認知、世界認識を手に入れたところで、すぐさまその全力を駆使して教誨師と相対することはできない。力は強いが動きは凡庸、少なくとも、ここまで全力で戦ってきた教誨師、鬼斬りの娘の眼にはそう見えた。

 もちろん、教誨師自身、覚醒から数時間の身だ。まだ、全力ではあり得ない。しかし、巫女の認知にとって、その数時間は絶対の壁だと、身を以てすでに知っている。

 邪神の覚醒プロセスと、巫女へのプロセスが同じという保証はない。しかし目の前の状況は、すべてその判断が正しいことを告げている。

 邪神の戸惑いこそが、その回答だ。

 脚力の限界付近までを使って、鬼斬りの娘は跳躍した。鍛え上げた身体能力と、霊力の制御に関する持って生まれた資質とが相まって、鬼斬りは低空ながらも宙を舞う。対する邪神兵器は、落下してくる鬼斬りの、刀を握る柄の部分を狙って、拳をたたき込んでくる。

 父親の剣を失った邪神は、力で鬼斬りの剣を押し留めるしかない。

(見える。殺れる。)

 教誨師は、鬼斬りとして確信した。空中で身を翻し、邪神が伸ばした右の拳を二つに叩き割る。そのまま腕を二枚に下ろし、肩辺りからわき腹を斬り下げてゆく。

 邪神に接触するように着地し、強引に剣を振り抜く。それでも踏み込み懐を抉ってくる邪神の左の拳を避けつつ一歩下がる。

 退却ではない。

 下がった後足で地面を蹴り、再度、ほんの僅か跳躍する。

 銘消しの妖刀鬼斬りが、横溢する教誨師の霊力に輝きを放つ。意外なほど軽く、重力そのものに引かれるように、鬼斬りが振り下ろされる。

 そして、父親によって邪神とされた劉蓉の頭頂から会陰までを、一瞬で両断する。

 邪神化したドクターのコアは、右大腿骨の中に巣くっていた。

 劉蓉のコアはどこ――

 教誨師の心眼が探る。九条と水原がそれをアシストする。

(子宮が、切断されていない!)

 三人はほぼ同時に同じ帰結を得た。鬼斬りが両断する瞬間、劉蓉の子宮が不自然に右にずれたのか、それとも最初からそう仕組んであったのか。比較的大きな臓器のはずなのに、正中から外れ、刃を受けずにそれはあった。

(劉、黄、綺、許さない――!)

 それは、怒りだった。

 鬼斬りの娘であり、教誨師である相馬ひなはこのとき、一人の女として、ただ、一人の女としての声なき声を絶叫していた。劉蓉の子宮にいた邪神のコア、邪神にとっての因果の結び目の断末魔を掻き消すほどの、絶叫であった。

(眠りなさい、劉蓉さん。あなたは、もう戻れないけれど。これで、もう一度、死ぬことはできるわ。)

 相馬ひなは、血の混じった涙を流していた。

(さよなら。そうね、残念だけど、それは違う。――あなたは私には似ていない。)

 鬼斬りによって最初に縦、次に骨盤付近で真横に断たれた劉蓉の身体は、ついに活動を停止した。



(これで、終わったのかしら?)

(ええ。お疲れさま、教誨師。邪神は滅したわ。後は、わたしと水原さんとでこの地を浄め、邪神の残骸を封密します。残骸だけでも、この世界にはよくないものだから。)

(ありがとう。それじゃ、カラーズのことも含め、後はお願いね。)

 戦いの途中で投げ捨てたMP5を拾い上げつつ、そう、念話で伝えると、教誨師は鬼斬りをゆっくりと、鞘に戻した。

 そして微かに笑みを浮かべると、大地に両膝を突き、そのまま前のめりに倒れ伏した――。

「ファンタジー」というジャンルでのバトルとしては、地味すぎる最終決戦かもしれません。それでも、これが相馬ひな(と作者)の全力です。二人とも、もっと修行しなければ。


次が、三部作の最終話になります。

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