第三話 緒戦
※改めて言うまでもないのですが、このお話はフィクションです。今回登場する都知事他ももちろん架空の人物です。
「ねえルカさん、ルカさん、起きてくださいよ。」
「んー?なあに里香子、……じゃなかった、あれ?違うよ、舞ちゃんだ。何で?……あ、ごめん!間違えちゃった……。」
「酷い……」
「う、えっと、あー、とりあえず嘘泣きするなー。」
「あははー、つーか小芝居やってる場合じゃなくて。新しい書き込み来ましたよ、しかも某華の国から。」
公安課S班にあてがわれた作戦室は、平時はサイバー班の詰めるオフィスとして使用されていた。机上のキーボードを押し遣り突っ伏すようにして束の間眠り込んでいた吾妻ルカは、ちょっとした失態をからかわれつつも、徐々に起動していった。
「何で某つける必要あるの?って、んー、お、今回は新しい趣向ね。」
立ち上がり、盛大に伸びをしてから、結城舞のモニタを覗き込む。
「ええ、あからさまに予告してますね。」
「罠ってるのか、それともバカなのか。実質二ヶ月以上のじらしプレイの後がこれなの?」
「陳腐すぎません?」
二人が酷評している文面は、とある匿名掲示板上に現れた、次のようなテキストだった。元々シニカルな質の結城のセリフを待つまでもなく、そこに書かれていた内容は、子供の悪戯のようなものにも見えた。
「彼女たちは学んだ。ほんとの敵が誰で、誰のために戦うべきか。
ほんとの敵は、この国の中にオノレの国を建てんとする者。
今、スメラギのミイクサとして、彼女たちは東京に現れる。」
「……。ま、とりあえず課長に報告。」
腰に手のポーズで、やや呆れたような口調で吾妻は言う。
「了解ですけど、ターゲットは?」
「んなもん、あの都知事しかいないでしょ?ま、判断は上がするでしょうけれどね。」
「やっぱり。でもあの一家って、天気予報くらいですよね。」
結城が皮肉屋の本領発揮というようなコメントを吐く。
「いいからさっさと。」
「はーい。」
通称「人材センター」のインテリジェンス部隊に所属する時田治樹は、午前中から、新宿の都庁舎付近を歩いていた。上京中の地方出身者の気楽なぶらぶら歩き、というような足取りで、誰にも警戒されることなく歩いていくが、その踏み歩くルートは、都庁舎を中心として同心円状に拡げられていく。それは、見る者が見れば、都庁舎という要塞じみた建物を攻略する地点を探し回っているようにも見えたはずだ。攻撃か防衛か、時田の目的は分からないが、なにがしかの事態に対する事前の現地調査、と言える行動であるのは間違いのないことであった。
その時田が、ふと着信に気づいて、ズボンのポケットから携帯電話を取り出す。その動作には一切の力みも不自然な点もない。ただ当たり前の動作だ。
「あら、姉さんお久しぶり。」
全くのんきな声で電話に出る。相手は、だが、公安課の重要なメンバーのはずだ。
「今朝方、板にカラーズちゃん絡みでの書き込みがあったわよ。」
「え、ああ、了解です。わざわざありがとう。」
「どうせもう、捕捉してるんだろうけどね。まずは手順通り、関係各所に通達中。ついでに常日頃治安維持に協力的な民間人様にもご連絡。」
「そりゃどうも。うちも人手不足でね。今は張りつきのスタッフいないからなぁ。今回はあれだけど、今後はネット方面は厳しいかも。」
「と言いつつさ、うちの班の端末に、式神ちゃんが枝つけてったわよ?」
「え、それは初耳。」
「ほんとにー?ま、そのままにしておいてあるけど。」
「そりゃたぶん、九条の方針じゃないかな。あれでも、後輩思いだから。」
散策は続けつつ、のんきな口調のまま、時田は笑った。
「後輩って?」
「教誨師ちゃんさ。」
「あああ。森田の大事なお嬢様ね。」
「そうそ。好みのタイプ?」
「未成年にちょっかいしないわよ。」
「あと二年だね」
「そーねー。」
「怖い怖い。」
「でもあたし、名家のお嬢様ってちょっとね。」
「ねえさんでも腰が引けることがあるんだ。」
「うるさいわね。ちょっとトラウマがあるだけよ。」
「いつかそれ、聞いてほしいの?」
「しゃべるもんか!」
捨て台詞とともに、通話は途切れた。
警視庁でカラーズ事件を担当している飯島格と警察庁の公安課長である杉田律雄は、その日の午後、公用車で連れ立って新宿の都庁舎を訪れていた。用件は当然、都知事の警護についての打ち合わせだ。
「幼稚な悪戯と、公式には取り合わないという選択肢もあります。その代わりこちらは、隠密部隊を配置します。」
淡々とした調子で、杉田は都知事に説明する。
「結局君らの世話になるというわけか。」
「いえ、失礼を承知で申し上げますが、餌になっていただくということです。」
「餌、だと?くっくっく。このオレを餌にすると言うか。ふん、まあよい。小娘どもの行状には、オレも少なからず関心を持っていたところだ。」
「それでは、ご協力願えますか?」
この問いに、都知事は直接には応えなかった。だが、一つ腕組みをし、椅子ごとくるりと横を向いた。そして、知事の執務室の窓から、ふっと、遠くの空を見遣った。
「……杉田君と言ったか。」
「はい。」
「連中の思想的な背景は?」
「不明です。ただし、先ほども申し上げましたように、この九月に入ってから、スメラギのミイクサ、を名乗っています。」
「それが、拙いにせよ、連中の衷心から出たものであるという可能性は?」
「こういう問題を軽々に断じることは難しいとは存じますが、その可能性は非常に低いかと思います。」
「つまり、」
「はい。この東京、および日本の混乱を画策する何らかの集団の、謀略の一端に過ぎないと考えております。」
都知事はまた、ひととき沈黙した。
「……スメラギのミイクサ、か。ふざけたことを。我々を差し置いて、主上の御心を体現するとでもというのか。」
独り言というわけでもなく、語って聞かせるわけでもなく。それだけをぽつりと言うと、都知事は杉田らの方に向き直った。
「状況は理解した。餌でも何でも、やらしてもらおうではないか。」
「そうおっしゃると思っておりました。よろしくお願いいたします。」
「ふん。食えぬ男だ。」
そう言うと、都知事はいつもの、やや野卑な印象のある笑顔を浮かべた。
神出鬼没という陳腐な言い回しが、しかしそのまま当てはまるカラーズには、物理的な追っかけはほとんどいない。実際に追いかけようとしても動向も所在も掴めないからだ。しかし、ネット上では、カラーズ関連の情報を渉猟する集団が確実に育っていた。
今回の書き込みは、しばらくお預けを食らって勢いを失っていた「追っかけ」たちの燃料として適切に機能し、瞬く間に大量の情報が複製・生成されていった。その中には話の尾ひれとすら言えないような情報も含まれていたが、数日の間、ネットではちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
たとえば、標的として取り沙汰されているのは、現在の都知事だけではなかった。最近勢力を伸ばし、先の選挙では候補者を多数擁立した疑似宗教の教祖であるとか、政界を引退したが隠然たる権勢を保っている元官房長官であるとか、要はそうした大物を中心に、書き込みの内容に少しでも当てはまりそうな人物は皆、名前が挙げられたと言ってもよかった。さらに、カラーズは自分を狙っているとする誇大妄想狂じみた個人も、言わば自己推薦のようなかたちで乱立した。そうした泡沫候補ならぬ泡沫標的を合わせると、二桁の数の人間の名が、標的候補として流通していた。実際に標的となるのは誰かについての賭けも、非合法ながらいくつか投票が始まっていた。
もちろんネット世界でも、本命は、新宿の都庁舎にいる都知事であった。気の早い人間は書き込みの二日後辺りには都庁舎の周辺をうろつくようになっていた。
皆、凶事に飢えていた。
災厄が、自分の目の前で顕わになるのを、待っていた。
そんな、とある東洋の島国の極一部がテロへの期待に震えていた、十月初旬の水曜日。桜ヶ丘女子高等学校の、今はお昼休みであった。パキ、と音を立てて携帯を閉じた相馬ひなが、わざわざ二組隣まで昼食の弁当を持って出張してきた吉田紗幸に、少しだけ小声で話しかける。
「紗幸ちゃん、いよいよお待ちかねのお客さんみたいね。大叔母様から電話があったって。」
「うん。こっちも今連絡来たみたい。」
ちらと携帯電話の画面に視線を走らせた紗幸が応える。
「水原さんの予測の第一候補とも一致してるし、これはまあ、ほぼ確実に来るわね……。それじゃ、父上には予定通り突然倒れていただきましょうか。」
「ひなちゃんの演技が楽しみ。」
「紗幸ちゃんもね。じゃ、はるみさんに返信しとくから。」
「うん。それじゃ、そうか。お弁当急いで食べなきゃね。」
「そうだね。すぐに呼び出されるかも知れないもんね。」
慌てたように短く返信を終え、ひなも弁当の包みを手早く広げる。
「いただきます。」
「いただきま~す。お、今日はたぶんはるみさんだな。」
さっそく弁当をつつきながら、ひなが言う。
「あ、うん。そうだと思う。今朝厨房にいたし。ひなちゃんのお弁当って、みんなで持ち回りなんだね。」
「どういうわけかね。何でも喧嘩にならないように順番制にしたとか。」
「みんな、ひなちゃんのお世話したくて仕方ないんだよね。天下の相馬家の奥のことだから、もっと殺伐としたもんかと思ってたけど、そういうところはなんて言うんだろう、女子校ノリって言うか。いや、現実の女子校じゃなくてね。」
「そりゃあたしだって分かってるよ。現実の女子校の現実くらい。」
教室を見回しわははと快活に笑いつつ、てきぱきと、と言うよりがつがつとと言うべき速さで、二人は昼食を平らげていく。
「ねえ、紗幸ちゃんのお弁当って、自分で作ってるの?」
「え、ああ、うん。うち、もうしばらく母さんいなかったし。今は、お屋敷のキッチン借りて作らせてもらってるんだ。」
「そっかー。すごいなあ。ねえ今度、あ、やっぱりいいです。」
「何?作ったげようか?味は保証しないけど。」
「え、いいの?大変じゃない?」
「別に一人分も二人分も変わらないよ。でも、一応暮坂さんとはるみさんに許可もらわないといけないと思うけど。ひな様お弁当ローテーションズレちゃうし。」
「あ、いや、そうじゃなくて、今度お休みの日に、うん、っと早いわね、さっそく校内放送。」
二人が粗方昼食を食べ終わった頃、予定通り、一組の相馬ひな、三組の吉田紗幸の二人を呼び出す校内放送が流れた。教室で思い思いに昼食を採っていたクラスメイトも、皆ひなたちの方を向いている。
「ひなちゃん、何かあったの?」
吉田紗幸が今はひなの屋敷に世話になっていることは、皆一応は知っていた。その二人がまとめて呼び出されるということは、相馬の家でそれなりの事件が起こったように聞こえる。それを気遣ってか、クラスメイトの一人が心配そうに声をかけてくれた。
「ううん、わかんない。とにかく職員室行ってくるね。」
「うん。」
とりあえず二人は弁当箱に蓋をし、元のようにハンカチで包むと、ひなの机の上に並べて置いてから、職員室に向かった。
「お休みの日って?」
表情だけは神妙なまま、小声で紗幸が聞いてきた。
「うん。その話はまた今度ね。とりあえず。さて、演技スタートよ。」
「ええ。よろしく。」
職員室のドアに手をかけたのは、相馬ひなだった。
「失礼します。」
吉田紗幸を従えるようにして、まっすぐに、担任の湯本のところへ向かう。
「相馬さんと、あなたは三組の吉田さんね。」
「はい、吉田です。」
「相馬さん、落ち着いて聞きなさい。先ほど、相馬さんのお父様がお倒れになったと連絡がありました。今は麻布の……」
「ひなちゃん!」
急に崩れ落ちそうになったひなの両肩を、紗幸が慌てて抱える。
「相馬さんしっかりしてね、そうね、そちらの空いている椅子をお借りしましょう。」
「……先生すいません、紗幸ちゃん、あ、ありがと。大丈夫です。」
「大丈夫ね?それで、今お父様は麻布の病院にいらっしゃるそうで、おうちの方がすぐお迎えにいらっしゃるそうだから、学校の前で待っているように、とのことです。」
弱々しく、ひなが頷く。代わりに紗幸が話をした。
「わかりました。相馬さんと一緒にわたしも早退してよろしいでしょうか。この状態では、」
「その様子では、確かに心配ね。あなた、担任の先生は?三組だから、」
「工藤先生です。」
「そうね、あ、ちょうどいらっしゃったわ。工藤先生、」
「はい、ああ、吉田君。僕も校内放送を聞いて戻ってきたところだ。」
「相馬さんのお父様がお倒れに。」
「おお、そうか。そういうことなら、今は君のお父さんも同じだ。ついていってお上げなさい。」
「ありがとうございます。」
「それじゃ、あなた方は教室に戻って、早退の準備ができたら、そのまま帰宅なさい。」
「はい先生。ありがとうございます。」
職員室を、ひなは紗幸に支えられるようにして出て行く。教室に戻ると、ひなのただならぬ様子に、数人のクラスメイトが駆け寄ってきた。力なく微笑み返して、一つ深呼吸をしてから、事情を説明する。
「ちょっとうちの親父が入院したって言うんで、あたしたち今日は早退になっちゃった。」
「大丈夫?顔色悪いけど……。」
「うん。ちょっとびっくりしたけど、大丈夫だよ。……あ、それじゃ紗幸ちゃん、正門のところで集合でいい?」
「いいけど、大丈夫?」
ひなの机に置いておいた自分の弁当箱を回収しつつ、紗幸は尋ねた。
「うん。だいぶ落ち着いてきた。もう、一人でも平気。」
「そう。それじゃうちも、帰る準備してくるね。」
「うん。よろしく。みんなごめんねお騒がせして。あたしこのまま帰ります。午後の授業の先生に何か聞かれたら、家の事情で早退しましたって言っておいてくれる?」
「うん、わかった。」
「ありがとう。」
「それじゃね。」
「うん。よろしくね。それじゃ。」
そう言うと、相馬ひなは完璧な演技のまま、教室を後にした。
(なんで紗幸ちゃん、自分のこと「うち」って言うようになったんだろ?)
そんな疑問を抱きつつ、正門に向かった。
「本日都知事は、昭和記念公園での式典のため、公用車で移動します。その移動のつなぎ目やゆるみ目、あるいはやはり、式典自体が狙われどころかと。ただ今回、都知事の移動中の警護に関しての依頼は受けておりませんので、我々は警備が一番困難になる式典中およびその前後の警護にのみ参加することになります。それからセンターでは、カラーズの行動予測を何通りか立てて動いているようです。必要なら最新の情報をもらいますが。」
RX7のステアリングを握りながら説明する青木はるみの言葉を、ひなは後部座席で腕組みをして聞いていた。
「んー、でも、カラーズはアマチュアなんでしょ?プロの理屈は通じないのでは?」
「ですが、この一戦に賭けて準備をしている節もあります。これまでのカラーズの動き、思い出してみてください。」
「予告してきたのは初めてだけど……、ん、そうか。それより前の一連の行動は、まさにシミュレーションね。」
「はい。模擬銃ながら銃器の使用から近接しての格闘戦、車両等を使った特攻作戦、全部試してありますわ。」
「うーむ、敵ながら、めんどくせ。」
「ひなちゃんときどき酷いよね。」
それまで二人の会話を黙って聞いていた吉田紗幸が、そう言って笑った。
「え、そうかな。ま、いいじゃないそんなこと。で、可能性の一番高い予想ポイントは?」
「昭和記念公園の車入れ付近、および式典会場となります。あの公園には公園東端のエリアに迎賓用のロータリーがあり、本日知事はそこで降車予定です。それから、式典の中心は野外での、知事と都議会議長による植樹ですので、おそらくは降車時か、その式典の最中が狙われるかと。」
「配置は?」
「時間もありませんのでかいつまんで。詳細は、現地にてお伝えするということにさせてください。今回、知事らVIPへの張りつき警護は慣例通り警視庁警備部のSP集団が行いますが、その周りを、応援の警察官がさらに囲みます。また公園周辺の警戒は警察庁の警備課が、カラーズのアクションに対する対応については公安課が行うという分掌だそうです。」
「うわ、非効率的。」
「ええ。お役所仕事ですから、仕方のないところなのですが、ポイントは、公安課は知事の警護に集中しなくていい、というセッティングだということのようです。」
「なるほど。」
「チーム・チャプレンは、……と言うと何かむずむずしますが、我々は公安課のメンバーとしてカウントされています。」
「つまり、知事に張りつく必要はなく、暴走ヲタ少女のテロ抑止に専念すればいいってことね。」
「はい。そこから先の詳しい説明は、現地で綾川さんがしてくださると思います。それから現着の前に、わたくしもすでに身につけておりますが、お二人も公安の式典警備時用の制服にお着替えいただきます。後部座席の風呂敷を開けてみてください。」
「出たなはるみさんのお風呂敷使い。う、……」
「どうかされましたか?」
「ううん……」
これはつまり凶悪ナイスバディはるみさんや、長身系スレンダー美少女紗幸ちゃんと同じ服着るってことよね、そう思って相馬ひなは少しだけうなだれた。
「お二人用のサングラスも入っているかと思いますが、サイズは大丈夫でしょうか。一応一回り大きいサイズも用意してありますが。」
「あ、はい紗幸ちゃん、合わせてみて。……ってどうして目を閉じて胸の前で手を合わせてロザリオかけてくださいシスター様って姿勢で待ってるのよ。」
「え、そのくらいいいじゃない。曲がりなりにもわたしは、このチームでの初仕事なんだから。リーダーは緊張する部下を思いやって当然。」
「くっくっく。そうですね。ささ、お嬢様、」
「分かったわよ。揺れるし狭いんだから、そう優雅には……ほら、どう?サイズは大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
「全くもう、こんなに緊張感なくていいの?このチームは。」
なぜか一人赤面したまま、相馬ひなが不満げに言う。対する紗幸のコメントは、にっこり満足げに微笑むものの、至極あっさりしていた。
「大丈夫。久しぶりの仕事だから、身構えすぎるとよくないし。」
「そうですね。どのみち現着すれば公安の皆さんに合わせて展開するわけですし、今は余計なテンションは不要ですね。そうそう、紗幸さん、グローブボックスに小さい紙袋があるかと思いますが、」
青木の指示通り、紗幸がボックスを開ける。
「はい。」
「中にお安いものですが、口紅が二本入っていますので、お二人とも、移動中に引いておいてください。それから髪は、そうですね、紗幸さんは束ねてください。」
「はい。」
「了解。大人の振りするわけね。」
「ええ。今回の式典、地方局やケーブルですが、テレビカメラも入ります。顔バレにはご注意ください。カメラの位置については、手持ちのものだけだそうですので、特に事前の説明は不要かと思います。」
「それも了解。……で、結局カラーズは、どう動くかしらね。」
「長距離狙撃だけは準備していない、と思いたいのですが。」
「その線はないんじゃない?彼女たち、わざわざ自分たちの姿を晒してくると思うわ。カラーズは義賊、正義の味方だからね。カメラに写りたいんじゃないかな。」
「だといいのですが。」
「それに、そういう動きがあれば、敵味方関係なく情報集めてるサポートの男子二人が連絡くれるでしょ?でも、カメラがいるのか。あたしたち、ちょっと動きにくいわね。たとえばカメラの前でカラーズを撃っても?」
「かまいません。公安にも発砲許可が出ています。それで連中がうっかり再生でもしてくれれば、」
「正体もはっきりするってわけね。ま、そうなると放映はできないだろうけど。」
「はい。なお今回の銃弾、我々だけはシルバーですので。」
「イエロー?」
「はい。レッドクラスは今回は用意していません。」
「了解。」
「何?イエローとレッドって。」
少しだけ怪訝そうな表情で、紗幸が尋ねる。
「えっとね、要は銀の合金弾のこと。銀の含有量が上がるとレッド、実戦でも幾度か使用している含有量抑え目のものがイエロー。」
「ふつうそういうのって、通常の弾丸撃ち込んでから切り替えるんじゃ?」
「今回、その余裕はない、という読みかしら?」
「ええ。相手は六人、ガード対象は曲がりなりにも都知事ですから、警護優先です。センターと公安課が描いたのは、おそらくまずは公安が発砲する、それで抑えられなければ我々が、というシナリオです。」
「分かったわ。車入れから式典会場までは、徒歩で移動?」
「はい。先ほども少しお話しましたが、式典の中心は野外での植樹です。また、その歓迎の印としての花束贈呈も予定されています。」
「花束贈呈は誰が?」
「昭和記念公園に近い山紫学園中学校の二年生女子二名となっています。顔写真は公安は持っているかもしれませんが、我々は未入手です。」
「了解。ま、ああ言うのって、当日生徒さんの都合で代役立ったりするからね。顔写真で動くのは危ないかも。」
教誨師はそう言いつつ、すぐさま携帯電話を取り出した。車内で情報が共有できるよう、ハンズフリー・セットを接続しつつ、センターの時田を呼び出す。
「時田さん、ひなです。今日はよろしくお願いします。時田さんを見込んでさっそくお願いですが、山紫学園中学校の制服の特徴が知りたいので、画像を至急送っていただけませんか?冬服優先で。余裕があれば夏服もお願いします。」
「僕を見込んでって言うのは?教誨師ちゃん、僕のこと制服好きのロリコンだって思ってる?」
「いえ、その点については全年齢対象の女好きさんだと思っていますが。」
「ならいいけど。四分待ってね。」
「はい。よろしくお願いします。」
ひなが通話を終えたところで、青木はるみが笑いながら言う。
「お嬢様って、やっぱりときどき酷いですよね。」
紗幸も頷きながら、声を上げて笑う。
「え、はるみさんまでそんなことを?何か変なこと言ったかなあたし。」
真顔で首をかしげるひなをルームミラーで確認しつつ、青木は紗幸に尋ねた。
「紗幸さんとしては、こんなお嬢様はどうなんですか?」
「もう当然大好物です!」
後部座席で二人が並んで座っていれば、そのままがばーと押し倒しそうな勢いで紗幸は答えたが、残念ながら紗幸は助手席だった。期待通りの回答に青木は声を上げて笑い、そしてふっと、安心したような表情を浮かべた。
「紗幸さんも、なんと言いますか、キャラが変わってきましたよね。」
「はい、ええ、あの、多少自覚はあります。いつまでも委員長キャラ、てわけにもいかないですし。」
「そうですねえ。ま、相馬の家の奥は、みんな割と子供っぽいと言うか若々しいというか。」
「まさか、そうでもしてないとやってらんねー、ってくらい仕事がキツいとか?……」
一人不安げな表情になるひなの方を振り返りながら、紗幸は言った。
「たぶん、違うと思う。みんなはりきってお仕事できてるから、元気なキャラになってくるんだと思うよ。わたしはまだ、ほんとまだまだだけどね。」
「そっかー。」
「ふふふ。紗幸さん、あまり無理はされないでくださいね。メイドのお仕事とお勉強と、それにアサシンのお仕事も、うまくやりくりしなくちゃいけないんですから。」
「はい。」
「そうそう。それに、紗幸ちゃんは、余裕で大学進学だってできる成績でしょう?」
「?」
「大叔母様がね。お父様におっしゃったらしいのよ。吉田が望むなら、大学に通わせてやりなさいって。だいぶ気に入られちゃったみたいね、おばさまに。」
「そんな、そこまでしていただくわけには……。」
「紗幸さん、今日は時間もありませんし、後で暮坂も交えてきちんとお話しますけれど、でも、来年どうしたいか、ご自分でもよく考えておいてくださいね。」
「はい……。」
「さて。大事な話も済んだし、ちゃちゃっとお着替えしましょうか。ちょっと狭いけど何とかなるよね?」
そのとき、カーナビに擬した多機能端末の画面隅に、メール着信を知らせる表示が現れた。
「あ、時田さんからファイル届いたみたいね。紗幸ちゃん、それ、そのカーナビもどき外してこっちにちょうだい?うん、そう、どもね。んー、山紫の制服は、なんだ、意外と地味だな。」
もう一度、携帯で時田を呼び出す。
「時田さん、ファイル届きました。」
「うん。夏・冬揃えてお届けしたけど見れた?」
「はい。大丈夫です。で、山紫学園中学て、校則厳しい方ですか?」
「桜ヶ丘くらいみたいだよ。」
「頭髪とか、外見についての校則もチェックできます?」
「えー?当然入手済みだよそんなの。拾い読みだけど、いい?ええと、髪が襟に届く場合には二つに束ねること、後は、んー、髪の色はいじってはいけない、眉毛もいじっちゃダメ、みたいな感じだね。」
「ありがとうございます。そこまで厳しければ、カラーズが化けていても発見しやすそうですね。」
「まあね。でも、その辺はカラーズも調べてあるかもしれないし。」
「そうですね。警戒しておきます。ありがとうございます。あと、カラーズの顔って一つだけですか?」
「それが問題でね。不鮮明な携帯カメラの画像と複数の目撃者のモンタージュはあるけど、信頼性は今一つかな。全員顔が似ているって証言はあるけど、九条のとこの式神ちゃんたちほどのレベルで同じ顔なのかっていうと、そこも確証はないんだ。顔を変えられるかどうかについての確定的な情報もなし。」
「了解です。ありがとうございました。」
「うん。それじゃ、現地でね。こっちはそろそろ現着するけど。」
「はい。また何かあれば連絡します。」
少し、考え込むような表情になって、教誨師は後見人とアサシンに尋ねた。
「二人が知事を襲うなら、どうする?設定は、中長距離のスナイプでなく、至近距離または格闘戦で。自分の格闘スキルは比較的高め設定。」
「その条件でしたら、お嬢様のお考えと同じですね。花束贈呈の少女に化けます。もちろん、わたくしの体型では中学生は無理ですけれども。でも、噂されるカラーズの背格好なら、中学生に化けるのはむしろ、正攻法かと。」
体型の話はわざわざ強調して言わなくてもいいじゃん、と思いつつ、教誨師はアサシンにも意見を求める。
「わたしもやっぱり同じかな。ただ、それだと迎撃側も当然警戒してるから、阻止される確率も跳ね上がるとも思うけどね。公安も本当の生徒さんの顔写真のリストくらいは持っているだろうし、花束係自体にも護衛がつくだろうし。」
頷きつつ、教誨師が応える。
「そうなんだよね。それでもやっぱり花束贈呈で来るか、別のシーンを狙うか。」
「ま、全シーン抑えきればいいんでしょうけれど。まずは降車後最初のイベントから見ていくしかありませんね。」
「了解。」
「我々もあと数分です。装備の最終チェックを。」
「了解。」
「果たしてほんとうに出てくるのかしらね。」
自衛隊立川駐屯地の南西側にL字型に隣接する、国営昭和記念公園。その、西立川口という入り口を少し公園側に入った辺りに立つ一人の女が、携帯電話に向かってそう言った。ただし、日本語ではない。彼女の口から紡がれることばは中国語、それも、北京近辺の中国語とは少し違う、広大な中国でも南部の地域の方言訛が聞こえた。広大な公園を吹き抜ける秋風に、その言葉は独特の余韻を乗せていく。しかし、周囲を散策する人々の大半は中国語を解さない人間であったから、どうせ彼女が何を話しても、暗号通話のようなものだ。気にせず女は、少し眉根を寄せつつも、皮肉の混じった笑みを浮かべてまた、つぶやいた。
「せめて、中心くらいは引きずり出したいものだけどね。」
中心――。時田や森田の所属する、「センター」のことだ。
最後にふっと、呆れたようなバカにしたような笑みを浮かべて、女は通話を終えた。
「あなたたち、準備はどう?」
誰もいない方向に向かって話しかける。
「そう。じゃ、行きましょう。」
返事の声は聞こえないまま、女は一人、東に向けて歩き始めた。
現地入りした教誨師たちは、さっそく公安の綾川に簡潔な情報提供を受けた。
「今回、皆さんには申し訳ないのですが、扱いとしてはバックアップです。」
「承知しています。」
「ただし、通称カラーズ、以下Cと呼称しますが、Cが予想通りのスキルを有していれば、一瞬でバックアップまでが前線化すると思います。」
「はい。それで、我々の配置ですが。」
「これが今回式典の行われるみどりの文化ゾーンと呼ばれるエリアの見取り図ですが、張りつきの通常警備と、今回の警戒情報による増援部隊がここに……。」
綾川と教誨師との間でてきぱきと進む事務的な情報交換を聞きつつ、アサシンこと吉田紗幸は奇妙な感慨に囚われていた。
(この仕事はつまり、公安の下働き……。分かってはいたつもりだけれど、教誨師、あなたやっぱり、ただの暗殺者じゃなかったのね。わたしは、スノーは、義父さんの持ってくる仕事をただ受け入れ、それを鵜呑みにして行動してきた。仕事の是非も、善悪も、そんなもの総て棚上げして、全部義父さんのせいにしてきた。そう思おうと思えば、自分を無理やり人殺しにさせられた、可哀想な殺人機械として憐れむこともできた……。
でも教誨師、あなたは、違ったんだね。たかだか一七歳の人間が、国家や公安に、自分が戦う理由を預けられるはずもない。一人のエージェントとして、人として、女の子として、仕事の理由、殺す理由と常に向き合ってきたんだね。そうでなければ、事の全体を想像して動くこと、プロとして考えて行動することを積み重ねてこなければ、冷遇とも軽視ともとれる公安のこの指示を受けて、これほどすんなり動けるはずもない。バックアップとは言え、わたしたちも間違いなく命張ってるんだから……。
ひなちゃん、これが、あなたの仕事のやり方なんだね。あなたは、ほんとうにエリート。常識的な意味では全く日は当たらないけれど、この世界ではとんでもないお嬢様。そして、その実、その立場に、仕事に悩み、自らが処理すべきターゲットとも言葉を交わしてしまう教誨師……。)
アサシンは、自身がスノーと呼ばれていた頃のスキルを、厳密にはそのスキルを十全に発揮させるだけの集中力を、起動させた。殺すスキルは、護るスキルでもある。仕事は仕事、だが自分には、相馬の家から託された、より重要な任務もある。
「それじゃ、展開しましょ?二人とも、よろしい?」
主である相馬ひなの声が作戦の開始を告げる。
「ええ。」
「よろしく。」
借り物とは言え、揃いの制服にきっちり身を包んだ三人は、打ち合わせ通り、各自の持ち場に移動した。
予定の時間よりは三分ほど早く、知事らを乗せた車列が国営昭和記念公園東端のみどりの文化ゾーンと呼ばれるエリアに現れた。普段は車止めが施されているあけぼの口という入り口から入り、総合案内所脇を通り過ぎた車列は、公園内の花みどり文化センターという建物の前に静かに停止した。一台目から警視庁の護衛がばらばらと降り、二台目から都知事が、三台目からは都議会議長が公園に降り立った。公園の責任者が知事達に近づき、丁寧な態度で案内に立つ。似たような行事はよくあるらしく、どちらも慣れた様子で、すべてが進行していく。
この間も、公安課の無線は現況を伝え続けている。
(今のところ、異常なしか。)
持ち場の状況を報告しつつ、教誨師は全体の状況を整理した。
(後数分で都知事のおじさんたちはこのエリア北側の植樹場所ね。知事と立川市長とが長々ご挨拶して、知事と議長が植樹をして、で、その後がお礼の花束贈呈。スナイプしてくれって言わんばかりの状況が続くけど、だだっ広いこの公園の内と外で、狙撃可能なポイントは、警備課さんが全部潰してるって話だし。)
だとしたら、やっぱりカラーズはもっとカメラに映りそうなシチュエーションを選んでくるだろう、とひなは仮の結論を得た上で、引き続き通常通りの警戒に当たった。
教誨師のいるポイントは、バックアップ用の位置、つまり都知事らからも、その他の人物の動線からも外れた、外周的な位置だった。ただしその分、全体は見渡せる。変事を察知し真っ先に指示を出すことも可能な位置であった。後の二人、アサシンと後見人も、教誨師からは離れているが、似たような立ち位置を与えられていた。期待されているようにも、期待されていないようにも見える扱いだが、そうした細かいことを、教誨師は気にしなかった。重要なのは護衛対象を護ることであって、そこに自分がどのように関与していようが、それは問題ではないのだ。
都知事らの移動が開始された。それに合わせ、花みどり文化センター内に待機していた花束贈呈係――山紫学園中学校の二年生二人が、女性の護衛一人に付き添われて、植樹の会場に向けて歩き出したのも見えた。その光景に、何か微妙な違和感を覚えた教誨師は、花束贈呈係の少女に不審な点がないか、それを確認しようとした。当初の予測では、この段階ですでにカラーズの少女たちが中学生二人と入れ替わっていても不思議ではなかった。
(ここだと角度が悪くて、女の子の顔が確認できないなあ。)
小型の双眼鏡を覗きつつそうつぶやくと、教誨師は無線機に触れた。
「B01よりB02、B03、花束係の顔や服装に問題は認められる?」
B01、B02、B03は、今回の作戦で公安が割り振った臨時のコードだ。無線の会話自体は、公安課の人員全員が聞いている。
「B02よりB01、特段の不審な点は見受けられず。ただし人相については厳密な確認はできず。」
「B03よりB01、こちらも同様。」
結局チーム・チャプレンの3人では、花束係の少女がカラーズの化けたものかどうか、まだ確認はできなかった。相手は、人間を超えた存在だ。顔など作り替えて見せることもできるかもしれない。ただしこの会話を聞いた公安課の人間が、より警戒してくれる可能性はある。それを考えての通信であった。
だがそれでも、教誨師には微妙な違和感から来る不安を消せずにいた。何より、少女達の最も近くにいるのは警視庁の、警護用の人員であり、公安課の人間ではない。しかも、違和感を伝えたくても、教誨師の無線は、警視庁の人員には届かない。警戒を高めさせるには、はっきりした根拠が必要だ。
もう一度、眼前の景色を確認する。少女二人はその間もさらに歩みを進め、知事等の集団に近づいていく。そしてついに集団は合流し、みどりの文化ゾーンというエリアの北側、新しく地面が掘り返され、まさにこれからセレモニーが行われようとしている一角に、知事ら、そして少女達は参集した。そこには大型のテントが張られ、その下には整然とパイプ椅子が並べられていた。公園の職員であろうか、数人の女性の案内で、皆それぞれの席へと進んでいく。
(少女がどこかで入れ替わったとして、カラーズ対策をしている警官なら当然気づくはず。今のところ、あの女性の護衛係も異常は察知していないようだし、花束贈呈係に化けるというのは、見込み違いだったかな。……うーむ、でもあの護衛係さん、スタイルいいよな。腰の位置が日本人離れしてるよ、ね……?)
一瞬だけ、何かを確認するような間を置いて、再度教誨師は無線に触れた。意図して落ち着いた声音で尋ねる。
「B01よりA各員に確認。女子中学生二名の護衛が女性一名というのは通常の対応ですか?」
「……、確認する!」
一瞬息を飲むような間の後、綾川の声が返った。
(これで異常なしなら、次の対応を考えるわけだけど……。)
教誨師は少しほっとしたような気持ちを感じつつ、式典が行われるテントの方を見た。参列する全員がひとまず着席し終え、ただ座って式典の開始を待っている。一瞬の静寂が訪れたまさにその時、テント脇で待機していた護衛係の女の方に数名の警護班の人間が駆け寄った。それ以外の者も、SP達でさえも、視線は確実に警護の女性に向かう――。本来は公安課で状況を確認し、隠密裏に身柄拘束の手立てを整えてから静かに女を排除すべきであったのに、異変発生の知らせに、警護の人員たちが皆一瞬、浮き足立ってしまった。強いて言えば、それは教誨師の確認を安易に警護班に伝えてしまった、綾川らのミスだ。知事らVIPに張り付いているSPのスペシャリストは別として、警護に当たる警視庁の人員の大半は応援の人員であり、普段は通常の警察官であった。その彼らに公安的な動き、つまり逮捕ではなく排除を優先するような動きを期待してはいけなかった。むしろ、対象が判明した瞬間、その対象にラッシュするよう鍛えられているのが通常の警察官だ。
それで何事も起こらなければ、それはわざわざ混乱と呼ぶほどのことでもなかったかもしれない。実際、何かあったのかと、都知事が訝しそうに視線を投げるくらいの、そのくらいの騒ぎでしかなかった。しかしその、ほんの小さな混乱の中、花束贈呈係として、パイプ椅子に腰掛けていたはずの二人が消えていた。
いや、それは正しい描写ではない。
二人は、警護の人間達が女性の護衛係の方に気を取られたわずかな隙を突いて、まさに消えるように移動していたのだ。次にSP達が気づいたときには、二人は都知事の胸と背に、前後から拳銃を突きつけていた。都知事の側にいた都議会議長や立川市長、昭島市長は、一瞬遅れてそのことに気がつくと、間の抜けた叫び声を上げつつ、皆一様に、パイプ椅子から転げ落ちるような姿勢でその場を逃げ出した。警護の人員に囲まれて、ままならない足取りのまま退避していく。
(最悪!まだ4人いるってのに!)
「B班三名、警護可能ポイントへ移動!A班各員には周辺警戒を願います!Cにはあと四名いるはずです!」
教誨師は心の中で思い切り毒づくと、無線に向かって最小限の指示を叫びながら、数十メートル先のテントに向かって駆けだしていた。カラーズが人間以上の存在ならば、確実な抑止力を持つのはB班、つまり銀の弾丸を携行する自分たちチーム・チャプレンのみだ。指揮系統の問題など、知ったことではない。
この最悪のタイミングで、公園北側の道路との柵を乗り越えて、四人の少女が公園内に現れた。少女達はエリア北側に移動して式典を待っていた知事までほんの数十メートルの地点に、いきなり現れたことになる。周辺警備の人員の目を逃れ、一般の歩行者に紛れて公園外周を巡る道路上を歩きつつ、突入のタイミングを計っていたものらしい。一瞬遅れて、綾川ら、公安課の人員が対応を開始する。
(知事直近にいるのは二プラス一、ともかく知事だけは取り戻さないと……)
知事に張りついていたはずの護衛たちは、知事を囲む半径三メートルほどの位置で輪を描くように凍り付いていた。山紫学園の制服を着て拳銃を持った少女――つまりはカラーズの少女二人が都知事に銃を突きつけたまま密着しているため、銃は握っているものの、発砲はおろか接近さえできない状態なのだった。
少女二人は知事を立たせると、四人の少女が突入してきた北側に向かって、少しずつ移動を開始した。護衛の輪も、その中心の移動に合わせて動いていく。
教誨師は勢いを殺さず駆け寄りながら、騒ぎで乱れたパイプ椅子の位置と、人垣となっている警備の人員の位置、そして都知事の位置を確認する。自分の身は低くし、人垣に身を隠すようにしながら、テント下から出た都知事達に一気に接近する。
(行けるかな、っていうか行くしかないしー!)
直後、ドガッという音とぐげっという男の呻き声がほぼ同時に聞こえたかと思うと、一人の人影が宙を舞っていた。パイプ椅子一つと警護の男性の肩を踏み台に、教誨師が跳躍したのだ。
跳んでみると、少女二人のうち、一人は都知事の陰になっていた。手前の少女が銃を構える。
(お、さすがに反応速いなカラーズちゃん一号、でも、まずはその銃からいくよ!)
上空から、自分に向けられた銃口を確認しつつ、教誨師は空中で姿勢を整える。
落下の勢いを利用して、銃ごとカラーズの少女の右腕を蹴り飛ばす。
着地しさらに体重を預けつつ、少女のバランスを崩し、知事の体から遠い側の地面に転がす。
起き上がろうとする少女の首をブーツの底で地面に踏み抜き、頸椎を破壊する。
激しく痙攣する少女の体をさらに脚と左手で押さえ込み、脇から心臓めがけて三発発射する。
すべて一呼吸、一連の動作の中だ。
明らかに慌てた様子の二人目のカラーズの少女が、都知事を突き飛ばすようにして手を離し、教誨師に銃を向ける。教誨師も対応し同時に銃を構えるが、その表情にはなぜか、ふっと笑みが浮かぶ。
その瞬間、カラーズの少女のその背後、至近から新手の発砲があった。だが、その銃弾を受けても地面に片手を突いただけで踏みとどまり、反射で振り返る少女の顔面に、勢いを殺さず駆け寄るアサシンの膝がめり込む。
それでも倒れない少女の側頭部に、アサシンはブーツのつま先をめり込ませて地面に蹴り倒し、少女の手の中の銃をさらに蹴り飛ばす。
起き上がってこようとする少女の口の中に銃身を差し込み、延髄に向けて三発撃つ。
少女の後頭部が、地面に向かってぐずぐずに飛び散る。
「イエローだし貫通していれば効力は弱い。心臓と肝臓にさらに撃ち込んで!」
返事の代わりにアサシンは教誨師の指示を実行した。当然教誨師もすでに、同様の処置を行っている。
ようやく動かなくなったカラーズ二人の身体を一カ所にまとめ、B03――後見人が監視に付く。
教誨師とアサシンは、知事を挟むようにして立った。周囲を警戒しつつ、無線に呼びかける。
「B01よりA班、知事を襲撃したカラーズ二名を抑止・知事を保護、そっちは?」
「A班、外周でカラーズ四名と交戦中、押されている!」
「まずは連中の武装を潰せ!こっちは手順通りVIPの退避を開始する。」
そう無線に告げると、呆然として周りを取り囲む警護の人員に叫んだ。
「ぼけっとしないでっ!建物内まで退避!」
あるいはその声が聞こえたのかのかもしれない。テント脇で小型のサブマシンガンを構えて警護の警官たちと睨み合っていた女が、突如フルオートで発砲しその人垣の一角を薙ぎ払った。強引に退路を切り開き、女は包囲の外へと脱出する。外周で公安課と交戦中だったカラーズ四名も、弾幕を張るように銃弾を後方にバラマきつつ、方角的には西を目指して逃走を始めた。西には道路を挟んで、この公園の広大な敷地が広がる。そこに逃げ込まれれば、現在の人員配置では襲撃者たちを拘束することは困難だ。
「追わないの?」
そう問うアサシンに、
「それはセンターと公安の仕事よ。男子チームにも仕事してもらわなきゃ。あたし達の仕事はひとまず状況が安定するまではVIPから離れず警護すること。今回の依頼は敵の制圧ではないんだし。」
建物内まで移動しつつ、小声で教誨師は応えた。
「了解。」
やがて、都知事が襲撃された場合にはシェルターとして使用する予定になっていた会議室までの退避が完了した。都議会議長、立川・昭島両市の市長は、別室にすでに退避している。会議室入り口を警視庁のSPが固め、室内での都知事の護衛には、B01とB02、つまり教誨師とアサシンが付いた。申し合わせも打ち合わせもなかったが、その配置にプロのSP要員の誰からも異論は出なかった。彼我のスキルの差に、毒気を抜かれてしまったのか、それとも二人の戦闘シーンに度肝を抜かれてしまったのか。
「君たち、所属を言いたまえ。」
低く抑えた声で、都知事が尋ねてきた。
「この作戦においては警察庁警備局公安課の要員ということになっています。それ以上のことは今はお答えできません。」
一応丁寧に教誨師が応える。
「そうか。いや、君たちには世話になった。まだずいぶん若いようだが、」
「知事、戦場で必要なのは、年齢ではなく場数です。」
「そうだな。その通りだ。」
教誨師がそう言うと、知事は豪快に笑った。
そこに後見人――青木はるみが入室してきた。知事を見ると、サングラスを一度外し、会釈をする。
「おお、君は確か、」
「はい、以前お会いしたことがございます。ですがそのことは、公安課長とわたくしどもの主に免じて、ぜひご内密に。」
「承知した。そうか、そういうことだったか。」
うなずく知事の横で、チーム・チャプレンの事後ミーティングが始まった。
「01と02が抑止したカラーズですが、通称「青」と「緑」の二個体のようです。警視庁が回収する前にざっと確認しましたが、今回の装備や衣服から、出身を特定するような情報は得られませんでした。顔については、破損が酷い部分もありますが、基本的には同じDNAによるもののようです。」
「了解。で、その青と緑っての、死んだと思う?」
「それはやがて判るでしょう。」
「死んでなければ仲間が奪還しに来るか、」
「それとも自力でおうちに帰るか、ね。」
当然この会話を、知事は聞いていた。敵の強靱さもさることながら、それを意に介さず予測済みの了解事項としている女達の落ち着きぶりにも驚嘆していた。
(さすがと言うより他はないな。会長を長く務められているだけのことはある。)
そのとき突然、建物内の廊下の先から、叫び声ともどよめきともつかない声が上がったのが響いてきた。騒ぎの中心は屋外へと移動していき、散発的にではあるが、建物の外での発砲音も聞こえてきた。
「自力でお帰りみたいね。」
細身でやや背の高いサングラスの女が肩を竦めてそう言うと、後の二人は鼻で笑うような表情を浮かべた。
「警視庁の皆さんも、いい勉強になっちゃったねえ、可哀想に。」
三人の女のうち、小柄な方の女が、からかうでもなく、憐れむでもなく、ただそう言った。
「これで、カラーズは人外の存在、ということは確定しましたね。」
「次、あの子たちはどうするのかしら。」
「今回の作戦のほんとうの狙い、ってのが重要なんだと思うけど。」
「そうですわね。それはまた、撤収後の課題といたしましょう。男子チームも、そろそろ本格的に仕事を始めているでしょうし、状況分析には彼らのレポートが必須です。」
「了解。」
この会話に、都知事はまた少し、興味を引かれた。
「少し、いいかね?」
「はい。何でございましょうか。」
以前の面識時の関係に従って、後見人は丁寧な受け答えを行った。
「君たちは、今後もあの連中と、カラーズと戦っていくというのか?」
「はい。」
後見人の一切気負いのない即答に、思わず知事の顔に苦笑が浮かぶ。
「そうか。……今日のことは忘れない。ありがとう。君の主である方に、よろしくお伝えください。この君坂、おかげで命拾いをしましたとな。」
「承知いたしました。」
やがて、撤収が開始された。山紫学園の花束贈呈係であった少女二人は、花みどり文化センターのトイレ内で無事保護された。本来の護衛であった女性刑事二名も、負傷はしていたが、やはりセンターの倉庫内で発見された。
事件はこの日夕方のTVニュースから一斉に報じられることになったものの、現場に居合わせたローカル局やケーブルテレビのTVカメラが撮影したはずの、カラーズたちの映像が放送されることはなかった。流れた内容としては、女が発砲し逃走していく際の、ピントのずれた荒れた映像と音声、そして事件直後の式典会場の様子を撮影したもののみだった。新聞各社も、帰庁後行われた知事・議長および立川・昭島両市長の記者会見の模様や、昭和記念公園の現場の写真を掲載するのみであり、実際の交戦シーンを掲載したものはなかった。
こうして事件は十分な統制の下、十分な衝撃をもって報道され、それまでカラーズに好意的であったネチズンですら、お気軽な話題として軽々に口頭に上せることは難しくなった。もちろん、逃走する女の姿は多少確認できても、カラーズの姿自体が映された映像が報道されていないことから、公安と都が事件を捏造した、とする書き込みは方々で見られた。しかし、肝心のカラーズ自身の言葉はいつまで経ってもネット上には書き記されず、そのことがむしろ、この事件がカラーズの初めての失策となることを裏書きしてしまった。
ある意味、カラーズは、知ったのかもしれない。自分たちの、ほんとうの敵が誰であるのかを。
そして教誨師たちも知った。自らが対峙したカラーズという集団が、予想通り、人間の有り様を外れた存在であることを。
次に相まみえるときには、この程度では済まない。それはおそらく、双方の陣営ともが感じた、薄ら寒い絶対の予感であった。
戦いが始まりました。次話は二~三日でアップできると思います。よろしくお願いします。