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病気だと思うからです。

作者: 奈宮伊呂波

 またな。

 友人との約束を破るのは何度目だろうか。いや、実際に破ったわけじゃない。ただなんとなく、あいつとはもう遊ぶことは無いんだろうと思う。

 あいつから誘われることもないだろうし、俺の方から誘うこともないだろう。嫌いだとかそんなことは思ってない。

 なんとなく、俺とあいつの関係はもう終わったのだろうと思うのだ。

 同じように別れ際に「また」を約束することは何度かあった。部活の先輩。会社の同期。同級生。好きだったあの子。

 俺は何度彼らとの約束を果たすことができなかったのだろう。

 こんなのは気にすることではない。どうせ、気にしているのは俺だけなのだ。彼らは彼らで、今は別の誰かと「また」を交わしあい、果たしていることだろう。


 月が夜の海面に浮かぶ。その姿はやたらと朧気で、消えてしまっても納得できるかもしれない。

 ザア、と波が揺れる。

 石の上におろした臀部が僅かに痛みを訴えるので、身じろぎした。

 一人で何をやっているんだろう。普段ならとっくに寝ている時間だ。仕事に遅れる。明日が休みでよかった。よかったんだろうか。

 仕事が終わったのが六時間前だ。

 残業があったから、晩ご飯を作っている時間はなかった。値上がりが止まらないチェーン店の牛丼を腹に放り込む。家に帰っている間、ふと思った。

 何のために働いているのだろう。

 あ。

 頭を振った。考えてはいけないことを考えていた。

 こういう時は、何か美味しい物を食べよう。コンビニでモンブランケーキを購入し、食べた。美味しい。よかった。このために俺は生きているのだ。このため?

 あ。

 家に帰って、スーツを脱ぐ。

 ソファに寝転がる。

 スマホを握る。手を洗うのを忘れている。そのままスマホのロックを解除した。

 ユーチューブを開くと見ていない動画が溜まっていた。そのうちの一つをタップ。再生。

 二分ほど視聴。

 こんなんだっけ。

 なんか面白くない。

 スマホを置いた。何をしようか。そういえば、書きかけの漫画があった。書く気にならない。なんでだろうか。俺は漫画を書くことが好きなのに。

 あ。

 スマホをもう一度握った。

 映画でも見よう。アプリを立ち上げる。タイトルを見る。面白そうだ。あらすじもいい。見る気にならない。

 なんでだ?

 あ。

 溢れ出る無力感を実感し、何かをするべきだと思った。おそらく、今の俺には生産的で具体的なことは何もできない。かろうじてそれはわかった。

 家を出た。

 そうして俺は近場の海辺に来たのだ。

 海は好きだ。

 泳ぐのもそうだけど、何よりも大きいからだ。この大きさと、波の音の美しさを感じている間は自分のちっぽけで小さな悩み事なんか、忘れられるのだ。

 本当に?


 あ。

 ザッ、と砂を踏む音。

 振り返ると、見たことのない女の人がいた。髪の綺麗な女性だった。ロングヘア―だ。ロール? というのだろうか。髪がくるっとなっている。女性の美容には疎いが、手入れをきちんとしていることはわかった。

 なんで彼女はここに来たんだろう。深夜に海に来るのはいいけど、なぜ俺の近くに。


「あなたはどうしてここにいるんですか?」


 彼女が口を開いた。それほど美しい声ではなかった。普通の女性という感じだ。


「海に来たかったからです」


 そう言うことを彼女は聞いていないのかもしれない。そう思いつつ。


「私は生きている意味がわからなくなったからです」


 あ。


「なぜみんな、誰かと楽しく生きていられるのでしょうか。私は、とうとう誰のことも信じられなかった。親でさえ。こうして身なりを整えても、私なりに色んなことを頑張ってみても、誰かと一緒にいてもいいとは思えないんです」


 彼女は綺麗な顔立ちをしていた。横顔でさえ。身体のラインが映える服装をしていた。男性の情欲を掻きたてるには十分すぎるほどだ。


「友達だと思っていた子と、急に連絡が途絶えたことがあるんです。別の子に相談したら、どうやらその子の中では、私がその子の思い人を奪ったことになっていたんです」


 彼女の頬に雫が流れる。それを拭ってやりたかったけど、そんなことはしない。


「でもそうなのかもしれません。私はその子の思い人にも、他の人と同じように接した。普通に、親切に、優しく、理想的に」


「病気だと思うからです」


 それだけ告げた。

 二の句を続けない俺に、彼女は何も言うことはなかった。


「ゲーム友達に、どうしたら幸せになれるか聞いてしまいそうになりました。彼に聞いたってわかるわけがないのに。その日のゲームは随分と楽しくないものだったんでしょう。彼からの誘いはぐっと減りました」


 救われるのは漫画を書いている時だった。

 それがいつしか、音楽を聴いている時だけになった。自分でない誰かが歌っている、孤独を叫んでいる歌。

 自分の感情さえも他人に代弁してもらって、どうして救われるのだろうか。俺は歌を聴いて救われるという人の気持ちが分かりたくない。


「付き合っていた彼が、笑わなくなったんです。三年も付き合ってたから結婚するんだろうと思ってたんです。いつしか彼は私が何を言っても、昔見せた無邪気な顔を見せなくなっていた。それで、私は何をやっていたんだろうって」


 風が頬を撫でる。

 ほんのり潮の香りがした。


「相席屋で知り合った子と、夜を共にしました。気持ちよかったんですけど、何も楽しくなかったんです」


 性欲を満たせば幸福なのだろうと、そう思っていた。


「仕事を辞めようと思ったんです。服を売る仕事は楽しかったんですけど、インフルエンサーに私が売っている服をけなされているのを見てしまったんです。気にならないって思ってたけど、頭の片隅に残ってしまった」


 男は行動あるべし、とモテインフルエンサーが言う。

 俺は彼らの言うことをすべて実践できずにいた。


「アルバイトの新人に料理を教えました。彼は呑み込みが早いんでしょう。次々とメニューを覚えていきました」


「FPSゲームで上から三つ目のランクに到達しました。私よりも後から始めた子が、あっさりその上のランクに登っていたんです」


 ゲームのプロはみんな素晴らしいプレイをしている。でもたかがゲームだ。たかがゲームですら上手くできない自分はなんなのだろう。


「彼女ができたことがないんです。世間では彼女は普通、できるみたいなんですけどね」


 それなりに努力はしている。服はお洒落に。スキンケアとヘアケアは毎日欠かさない。


「小説を読めなくなっていた。私は小説が大好きだったのに」


「漫画を読んでいても、頭に入らない。セリフが頭の中を通過して、ストーリーが途中から覚えられない」


「死ぬのは嫌だから、生きているんです。仕事を辞めたら、生きていけないから仕事をしています」


「最後に楽しいって思ったことがいつだったか思い出せません」


「他人を信じられないのです」


「自分を、信じられない」


 結局、何もかも自分がどうにかするしかないのだ。

 生きるにしろ。

 わかっているけれど、どうしようもできない。

 病んでるんですか?

 彼の問いに、俺は今でも答えることができない。答えてしまったら、彼は何を言うのだろうか。その先にある世界を俺は見る勇気がない。終わってしまう世界を、俺は進むことができない。問題はそこなんだろう。勇気が、自信が、ないのだ。

 そんな思いを、誰かと共有することはとても心地がいい。彼女もそう思っているから、胸の内を溶かしてくれているのかもしれない。

 この感情をときめきというのだろうか。かつて、俺が感じていたキラキラとした感情はこんなものではなかった。

 もっと素晴らしい気持ちだったと思うけれど、それに近いものにはなっているはずだ。

 それでも、彼女との関係性がたまたま出会っただけの人間以上になることはないのだろう。


 あ。

 夜が明けた。眩い光が視界を照らす。

 ドラマチックな光景だ。夜明けの海で、綺麗な女性と朝日を眺める。こんなことがあっていいのだろうか。でも、起きてしまったことは取り消すことはできない。悪いことも。良いことも。


「また、ここに来ますか?」


 何度も果たせなかった「また」に俺は一瞬止まってしまった。

 でも、彼女の問いには答えられそうだ。来るだけなら、自分一人で完結できる。

 会えますか? とは言わない彼女のことが俺は少し信じられるかもしれなかった。

 できることなら、この瞬間が永遠であればいいのに。

こんな救いは現実には起こらないんですけどね。なんとか生きていきます。

それから、あらすじにはGrokを使用しています。

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