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第7話 ポコアと淫らな夜会

「どうぞ、こちからお入り下さい」


 一週間後の夕刻、わたしは指定された通りに、ルポノ伯爵邸を訪れました。

 勿論、入るのは正面入り口ではなく使用人や出入りの商人が使う裏門です。

 高位貴族のお宅に足を踏み入れるのはこれが初めてです。

 レンガで舗装された小径に白亜のガゼボ。端正に整えなれた蔓薔薇のアーチ。

 わたしが普段暮らしている森の畔とは、まるで別世界のようでした。


「どうぞ、こちらでお着換え下さい」


 屋号の入ったエプロンドレスを着ていたわたしは、メイドさんたちに連れられて、相応しい姿に着替えるよう求められました。

 伯爵家ともなると、出入りする魔術師にも相応しい品格が求められるようです。

 音もなく動くルポノ家のメイド軍団に囲まれて、わたしはあれよあれよと服を脱がされ、採寸をされて高級そうなドレスに押し込められてしまいました。

 コルセットでお腹がキュウキュウします。

 わたしの髪と同じ赤色のドレス。今まで着たこともない見事な生地に、レース細工が炎のように鮮やかな一着です。

 サイズはわたしの身長にぴったり。……でも胸元がブカブカで、メイド長さんは無言でわたしの胸にパッドを押し込みました。

 ……ちょっとだけ、屈辱感です。

 お化粧を施され、如何にも魔術師然としたビロードの三角帽子を渡されました。

 姿見を見て、あまりに似つかわしくないわたしの姿に、ちょっと笑ってしまいました。

 お師匠さまもお貴族からの出張依頼を受けた折には、妖艶なドレス姿で杖を片手に颯爽と出かけていて、わたしは子どもの頃からそんな姿に憧れていたものです。

 この姿は、わたしのような若輩者には10年は早いのです。

 それでも――


「ふっふ~ん! どうだ! この大魔女、ポコアにひれ伏すが良いっ!」


 手の届かない高価なドレスを着てみたら、はしゃぎたくなるのが女の子の常なのです!

 意味もなく姿見の前でカーテシーをしてみたり、凛々しく杖を構えてみたり、くるくる回ってドレスのフリルを膨らませてみたり――


「フェネチル様、そろそろご準備を」

「ひゃあああっ!」


 回りすぎてドロワーズが見えそうになっていたスカートの裾を慌てて押さえました。

 さあ、わたしの初めての大仕事です!


 ◇


 仮面舞踏会が行われているのは、伯爵邸の大広間です。

 大きなシャンデリアの輝きは、参加している貴族たちの装飾品を煌びやかに照らし出し、数々の燭台が炎を妖しげにゆらめかせていました。

 瀟洒な衣装に身を包み、音楽に合わせてくるくると踊る幾組もの仮面の男女。

 立ち込める、むせかえるほどの酒精とアロマの香り。

 わたしは貴族のダンスパーティを目にするのは初めてですが、これが尋常のパーティーではないことが一目でわかりました。

 申し訳程度の仮面で顔を隠した貴族たちからは、仮面程度では隠し切れない欲望のぎらつきが漏れ出ています。

 ――お師匠さまのお店で、何度も見たことがあります。

 これは、悦楽を追い求めようとする人間の欲望のぎらつきです。

 お師匠さまは、実入りが良い貴族からの仕事をあまり喜んではいませんでした。

 その気持ちが、わたしには良くわかります。

 回春魔術は、夜の生活に足りぬものを抱えるに使いたい。

 既に満たされている人間の、更なる強欲のために使いたくはないのです。

 ――それでも、仕事は仕事と、気持ちを切り替えます。


 チリリン、と大広間にベルが鳴りました。

 仮面の紳士――多分主催のルポノ伯爵――が、声を上げました。


「それでは皆様、宴も酣ではございますが、夜も更けて参りましたので『お楽しみ』の時間と参りましょう。

 本日は特別に、腕の良い一級回春魔術師を招いております。

 彼女の魔術は、この夜を皆様にとって忘れなれない一夜にしてくれることでしょう」


 わたしは、アイマスクをしてホールの二階席に立ちます。

 ――この大広間にいる貴族たちの、人数と魔力の波長が、エオビスさんから提出された契約書と一致していることは既に確認済です。

 ちらり、と広間を一瞥します。広場の端に、エオビスさんは女性と話すでもなく、所在なさげに立っていました。

 ……何故でしょう。これから発動する広域催淫魔法に、彼を巻き込むことに、少しだけ胸が痛みました。

 純朴な彼が、こんな淫らな催しに参加することへの同情でしょうか?

 エオビスさんを魔術効果の対象にしたら、彼は制約により生涯、わたしを――

 ううん。頭の中の雑念を振り払います。

 杖を掲げ、三小節の呪文を唱えます。


「愛と豊穣の女神ロエスよ、ここに祭壇を設け、汝の愛し子らが為す数多のまぐわいを捧ぐ!

 汝の子たる夫婦(めおと)らを寿ぎ、彼らの男女和合の契りに、降り注ぐ法悦を賜らんことを欲す!

 『ラッ・コ・ナヴェ』!!」


 シャンデリアを包み込むように宙に広がった魔法陣が、大広間中に降り注ぎました。

 三小節の広域催淫呪文の展開。体中から、一気に魔力が抜けていくのを感じます。

 大広間のいた貴族たちの瞳が、とろん、と淫蕩に輝きました。

 ……さて、仕事が終わったなら長居は無用です。

 正直、お貴族様達の乱交パーティとはどんなものなのか、覗いてみたいスケベ心はありますが、呪文を唱えたら即座に退散するのは回春魔術師の礼儀。

 お客さまの閨を覗くような無作法はしないのです。

 踵を返したその背中から――


 大広間に、グラスの割れる音と、女性の叫び声が響き渡りました。


 広場のあちこちで、パーティーの参加者たちがグラスを取り落とし、頭を押さえ、次々と蹲っていきます。

 体をぐらりと傾げ、テーブルクロスを握りしめ、高価な食器を床に引きずり落しながらも、片膝をつく男性が。

 仮面を搔きむしるように外して頭を押さえた女性が、次々に倒れていきます。


「そんな!? 一体何が……!?」


 わたしは緋毛氈の敷かれた階段を駆け下り、大広間に飛び出しました。


「魔女だっ! ……あの女が呪いをかけたぞっ!」


 誰かが、わたしを指さしました。的外れなことを!

 わたしには彼らの症状に心当たりがありました。

 眩暈と酩酊感。これは、典型的な呪文の過剰摂取による魔力酔いの症状です。

 でもどうして? ナヴェは広域呪文ですので、三小節で使っても一人辺りの魔力被曝は少ないのです。

 屈強な体つきの騎士が槍を持ってわたしの前に立ちふさがりました。あのガンテさんを、少しだけ粗野にしたような顔立ち。


「魔女め! よくもルポノ家に害なさんとしてくれたな!

 この剛槍のブイバがひっ捕らえてくれるわ!」


 問答無用で、足元に二又の槍が突き立てられました。

 ですが、槍を突き出したブイバさんも、足元がふらついています。


「ひえっ」


 わたしはドレス姿で飛びのいて、慌ててそれを躱しました。

 こんな時に役立つ愛用のサスマタはありません。

 ガシャガシャと衛兵たちが集まってきます。


「待って下さい! その人たちは魔力酔いです! わたしに診せてください!」


 叫んでも、誰もわたしの言うことを聞いてはくれません。


「……回春魔術師の娘よ、何を企んでこのような騒ぎを起こした」


 ルポノ家当主、ディドル・ルポノ伯爵が、ふらつきながらもわたしに近づいてきます。

 どうしましょう。緊張と恐怖で背筋がガチガチになってしまいました。

 倒れている人たちも心配です。早く処置をしないと、危険な方もいるかもしれません。

 そんな時、凛とした声が大広間に響きわたりました。


「いいや、その女に咎はない。

 咎は己の胸に尋ねるべきではないか、ルポノ伯爵。

 

 一同――控えよ」


 いつの間に着替えたのでしょう?

 金の鷹の紋章が輝く赤い半掛けマントを翻し――エオビスさんが、誰よりも冷たい瞳で、この大広間を睥睨していました。

 堂々たる立ち姿、鋭い視線。わたしのお店を訪れた時とは、まるで別人です。


「あ、貴方様は――」


 ルポノ伯爵が膝をつきます。

 エオビスさんの付き人だという伯爵家の三男――ガンテ氏が、低い声で一同に告げました。


「控えよ――このお方はこのロマエンガ王国の第三王子にあらせられる、エオビス・ネトリウス・ロマエンガ殿下である」


 続く。


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