第4話 ポコアの日々とおかしな青年
回春魔術師の朝は早いのです。
今日はお店の定休日。だけどぐうたらお昼まで寝ているわけにはいきません。
こんな時こそ仕入れと仕込み。お店の借金を返すまではわたしに休日はないのです。
回春魔術師の仕込みはどんなことをするのかって?
まずは媚薬の材料の採集です。大きなお店はギルドに依頼するのでしょうが、うちのような零細店には依頼料を支払う余裕はありません。
全部わたしひとりでやらなければいけないのです。
今日は、ムマシヘビの採集です。
ムマシヘビは森や里山の近くの村では、下手な魔物よりも危険な毒蛇です。
尖った三角形の頭と太く短い体。体の太さは大人の腿ほどもあり、山でムマシに噛まれたらまず助かりません。
そんな危険なムマシですが、こちらも媚薬店には欠かせない素材です。
酒に漬けてよし、黒焼きにしてよし。皮付きのまま蒸し焼きにしてよし。
滋養強壮、手足の冷え性。そして回春にも絶大な効果を発揮する、定番の妙薬なのです。
わたしは師匠から譲られたサスマタで、ムマシの首元を押さえると、ぽいぽい籠の中に放り込んでいきます。
今は秋。青い空は天高く、ムマシヘビは冬眠前に餌を食い貯めしようと気が立っており、歩くと次々の藪の中から飛び出してくるのです。
普通の人が肌に毒牙を食らったらおだぶつです。
時々採集を手伝ってくれるウィンやアガヘオもムマシの捕獲だけは勘弁と言います。
「えっへっへ~、今日はツイてます。大漁です。
天気もいいし、絶好のムマシ日和」
幼い頃からお師匠様と一緒にムマシヘビを採集してきたわたしには分かるのです。
こんな日には、アレが捕れるのです。
シュー、という低い威嚇音を発しながら、藪の中から、鎌首をもたげた大きな影が姿を見せました。
出ました! ムマシの中でも極上品、齢を経て大蛇にまで成長し、鱗が赤く染まった特殊個体、レッドムマシです!
その胴の太さは子供の胴回りほどもあります。
でも、ムマシを捕って十五年、『ムマシのポコア』と字されたわたしの敵ではありません!
レッドムマシが赤い舌をチロチロと動かしながら、攻撃動作に移ろうと、矢を引くように首を下げます。
わたしは、ぐっとサスマタを構え、
「お嬢さん! 危なぁい!」
横から飛び出してきた誰かに突き飛ばされました。
ぐらりと揺れる世界の端に、銀色の鎧と金色の髪が流れていきました。
「この魔物め。僕が相手をしてやる!」
思いっきりわたしの邪魔をしてくれた誰かさんは、あろうことか腰から剣を抜き放ちました。
「くたばれ――っ!」
「待った~~っ!」
わたしは猫のように着地すると、サスマタで彼の剣を受け止めました。
甲高い金属音が鳴り響き、剣とサスマタで火花が散りました。
金属音が嫌いなレッドムマシは驚いて、シュルシュルと藪の中へと逃げて行きます。
「逃げるな~~っ!」
追いかけようとしたわたしの肩が、強い男性の力でぐっと掴まれました。
「待つんだお嬢さん! そんな棒であんな魔物の相手をするのは自殺行為だ」
あああ、このお節介な誰かさん、本気でわたしがムマシに襲われてると思って助けようとしている!
なんて空気が読めない人なんでしょう!
「あ!? 邪魔しないで下さい! 魔物と蛇の区別もつかないんですか!?
せっかくのレッドムマシが!! 三年に一匹ぐらいしか捕れないのに!」
苛立ちながら振り返ると、空色の瞳が、わたしを覗き込んでいました。
見上げるようなすらりした長身。わたしとは大人と子ども程の身長差があります。
鎧の下には細いながらもがっしりとした筋肉がついていて、微動だにしない伸びた背筋は、彼が鍛えあげられた武人であることを示しています。
形のいい高い鼻梁と、細い金色の眉。何より、ブルーダイヤモンドのような透き通った瞳が印象的で、
(ぴ、ぴえぇぇぇぇ! こいつぁとんでもねえイケメンだぁ――!)
心の中で絶叫します。
これで、わたしがムマシに襲われてると勘違いするような残念な人でなければどれだけ良かったでしょう!
彼はサスマタを握るわたしを見て、わたしのサスマタと打ち合って刃毀れをした自分の剣に視線を落としてぼそりと呟きました。
「……本当にあの体勢から、この俺の剣を受け止めるとはな」
まずい、剣の弁償をしろと言われたりしたら、どどど、どうしましょう!
月々の返済で首も回らないのに!
彼は、ふと首を傾げて思案すると、剣を鞘に納めてぺこりと頭を下げました。
「どうやら、僕が余計なことをしてしまったようだね、謝罪しよう」
あら、思ったよりも物分かりの良い方ですね。てっきりムマシも知らない貴族上がりの街の騎士様かと思ったのですが。
「えっへっへ、困りましたね、騎士様。あれほど見事なレッドムマシは十年に一匹、いや、三十年に一匹捕れるかどうかという代物だったんですがねえ。
これじゃあ、あっしらのような貧乏な回春魔術師は商売上がったりですわ」
いじわるな口調で、逃がしたレッドムマシの代金をちょっぴり多めに請求してみます。
身分の差がどれだけあっても、謝罪と賠償はきっちり頂くのがわたしのポリシーなのです。
「回春魔術師!」
彼は目を輝かせました。
「僕はこの辺りに、腕の良い回春魔術師がいると大叔父から聞いて尋ねてきたんだ。
ポコア・フェネチルという名前らしいんだけど、君、知り合いじゃないかい」
その大叔父というのは、もしかしてこの間の老紳士のお客様でしょうか?
「天真爛漫で、少女のように純心な可愛いい女の子らしいんだ。お店の場所を知らないかな」
「……」
かぁっと自分の頬が赤くなっていくのがわかります。
気のせいでしょうか。質問をした騎士が、瞳を細めてニヤっと笑った気がしました。
「……わたしです」
「え……?」
「ポコアは、わたしです。どうして、こんな田舎に回春魔術師が二人もいると思うんですか?」
「ふうん――」
イケメンの騎士様は、少し黙ってじっとこちらを見つめてきます。
……なんだろう、この雰囲気。ムマシが餌に食いつく前に音を殺す仕草に少しだけ似ていました。
でも彼は、すぐにへらっと笑って、気の抜けた仕草で流れるような金髪の髪をポリポリと掻きました。
「……いやあ、ちょっと、驚いたんだよ。大叔父から聞いた話と、随分イメージが違ったんで」
わたしは、ムッとしました。このイケメン、顔はいいのに、どうしてこんなに失礼な奴なのでしょう。
「少女のように純心な回春魔術師なんて、どうしてこの世にいると思うんですか?
回春魔術なんて勉強する女は、頭の中が色事の知識でいっぱいの、スケベな女に決まっています」
「えぇ!? 貞淑を美徳とする女性がそんなふしだらなものを好むなんて……」
はぁぁ~、とわたしはわざとらしく大きな溜息をついてみせました。
「女の子だって、殿方に負けないぐらいスケベなものが大好きなんです。
そんなことも知らないなんて。あなた、どこのお貴族様か知りませんが、とんだお坊ちゃま育ちですね。
でも、いいでしょう。わたしを訪ねてきたということは、お客様で間違いありませんね。
これからお店にご案内しますので、ついてきて下さい」
わたしは、中でムマシがにょろにょろと蠢いている籠をひょい、と背負いました。
彼はじっと、そんな私の仕草を流し目で見つめていました。
……なんだろう、観察されているみたいで、気持ちが落ち着きません。
「ところで、あなた、名前を教えてください」
「ああ、そうだね。僕はエオビス。姓は――ええと、そうだ、……エオビス・ルポノだ」
イケメンで、金持ちで、ウブな世間知らず。回春魔術師の誰もが「こんな都合のいいカモ、来てくれないかな~」と天に願うような太客。
彼――エオビスに対し、そんな第一印象を抱いてしまったわたしは、本当に男を見る目がなかったのでした。
続く。