第3話 最初の依頼とポコアの答え
お二人は、ご予約の時間ぴったりにいらっしゃいました。
奥様は、カテライク氏の腕をきゅっと抱きしめ、わたしにむかってチャーミングに微笑みました。
さあ、正念場です!
「……私は、さる高貴なお方の元で執事をしていてね。妻はそこのメイドだったんだよ」
カテライク氏は、応接机のソファに深く腰掛け、奥様との馴れ初めを楽しそうに語りました。ピンと背筋を伸ばしたその姿は、昨日と変わらぬ様子のイケオジっぷりです。「もう、貴方ったら」とそれを恥ずかしそうに聞く奥様のエオルーさんとも実に仲睦まじそうで、アガヘオが邪推していたような不和の兆しは、わたしにはまるで見えませんでした。
「私もこの通り、もういい歳だしね。息子たちも一人前になった。
若様――私たちの主人から、もう充分に働いてくれたからと、分不相応な程の退職金を頂いてね。
これを機会に、妻と一緒に一度旅行に出てみたいと思うんだよ。
そろそろ秋の紅葉が美しくなる時期だからね。
二人でゆっくり、馬車でナンワカへ旅したいと思うんだ」
「ナンワカへ! それは素敵ですね! お二人でゆっくり長年の疲れを癒されて下さい!」
ナンワカは、このロマエンガ王国南部の観光地。沢山の温泉に恵まれていて、湯治所として有名です。
カテライク氏は、少し恥ずかしげに咳払いをしました。
「それで……慣れない長旅になりそうだから、出立前に回春魔術による施療を頼みたいと思う」
カテライク氏は、一枚の羊皮紙を広げました。施術同意の契約書――それも、極めて厳密で正確なものです。
これは、魔術による契約手続きに慣れてない人間には、絶対に書けない様式です。
カテライク氏――高貴なお方の元で執事をしていたとおっしゃりましたが、魔術契約にこんなに詳しいなんて。
余程の高位貴族の魔術事務まで任される超スゴ腕の執事だったに違いありません!
「アグラ系列の呪文を、三小節でお願いしたい」
……魔力は感じないから、氏は魔術師ではないのでしょう。でも、魔術には相当造詣が深いようです。
呪文の系列と、小節数まで指定してくるなんて考えていませんでした。
……昨日は、エオルーさんにもカテライク氏にも、味方すると頷いてしまいましたが、実際どうするかは決めあぐねていました。
今の所、カテライク氏の申し出に瑕疵はみつかりません。
準備万端整えられて、退路がじりじりと減っていきます。
ですが、このままカテライク氏の依頼を承諾するのは不公平というもの。お二方のお話を、きちんと伺ってから決めなければなりません。
エオルーさんにそっと視線を送ります。彼女は悲しそうにそっと目を伏せていましたが、
「ねえ、やっぱりやめましょうあなた。いい歳して、恥ずかしいと思わない」
そう言って、カテライク氏の手をそっと握りました。
――いい歳して恥ずかしい。エオルーさんはそう言いましたが、その言葉は、何かの方便のようでした。
昨日お店に来て下さったエオルーさんはお店の品々を見て目を輝かせていて「恥ずかしいこと」と思っているようには、とても見えなかったのです。
カテライク氏は、エオルーさんの言葉を聞いて憤慨しました。
「何を言う、私はまだまだ大丈夫だ。若様もあんまりだよ。
死ぬまでお仕えしたいと思っていたのに、まだこんなに働ける時期にお暇を出されるとは。
私は――」
「あなた、落ち着いて――」
カテライク氏の手のひらを握っていたエオルーさんの指が、氏の手首をそっと撫でました。
流れるように鮮やかで、手慣れた仕草。
あっ!
どうして気づかなかったのでしょう。カテライク氏が一流の執事なら、エオルーさんもまた一流のメイドだったに違いありません。
「カテライクさん、もしかして――最近、胸に痛みが走ることはありませんか?」
「ああ。人間齢を取るとあちこちに痛みが出てね。でもこんな事は問題ないさ。
私は、もう少し若い頃は若様の剣術の相手だってしていたんだよ」
エオルーさんは、悲しそうな顔をしました。
わたしは、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて、ゆっくり告げました。
「奥様――もう、旦那様にお伝えした方がいい頃合いかと思われます」
彼女は、少し寂しげに眉尻を下げました。
「そうね。そうかもしれないわね。あれだけでバレてしまうなんて。
……ポコアさん、あなたは賢くてお優しい方ね」
カテライク氏は、困惑したようにエオルーさんに問いかけました。
「……エオルー、一体何の話をしているんだ?」
エオルーさんは、言いにくそうに顔を歪めました。
「カテライクさん、お手を拝借いたします」
わたしは、カテライク氏の手を取って、その脈を計りました。
「カテライクさん、貴方の胸の痛みは、不整脈の一種が原因です。
アグラ系列の呪文は回春作用の副作用として、心臓への負担が大きくかかります。三小節なんて、とても許可することはできません」
呪文は、小節を増やす毎にその効果とリスクが増します。
汎用回春呪文の『アグラ』は二小節の『イ・アグラ』でその効果は1.5倍に。
三小節の『ヴァ・イ・アグラ』で効果も――心臓への負担も2倍になります。
カテライク氏は、自分の胸をそっと押さえました。不整脈には、自分自身、心あたりもあったのでしょう。
「……どうして、教えてくれなかったんだ」
「だって、貴方はいつだって元気な自分を誇りに思ってたから……。
ごめんなさい。若様に貴方の心臓のことを教えたのも、私なの。
若様は、貴方が引退されることをとても惜しまれていたわ。でも、命には代えられないから、って。
加齢による不整脈は、療術でも適する呪文がないでしょう。
私は、自分のことを誇りに思ってる元気な貴方が大好きだから――お食事の内容を変えたり、時々脈を見せて貰ったり。
ちょっぴりお節介をしてたけど、ポコアさんにはすぐに気づかれちゃったわね」
時々なんてもんじゃない。手を絡ませて脈を計る仕草の鮮やかさ。
エオルーさんは、きっと毎日、旦那様と手を絡ませ、こっそり脈を計り、その身を案じてきたのでしょう。
きっと、アグラ系列の呪文の副作用も知っていたはずです。
……このロマエンガ王国では、伝統的に、主人の体調を管理するのはお付きのメイドや執事、典医や療術師の仕事でした。
主人に己の体のことを案じさせないよう、何か病があっても本人には告げずに、最善を尽くしてきたのです。
でも、そんな慣習も近年は崩れて、何か病気が見つかった時は、貴人であっても直接告知し、どんな治療を望むか選択して貰うという方法が主流になりつつあります。
エオルーさんの方針は、間違っていたのかもしれません。でもその誠意は本物でした。
彼女が昔ながらのメイドの流儀で自分を案じてくれていたことは、執事だったカテライク氏には誰よりも理解できたのでしょう。
「心配をかけて、すまなかった」
そう言って、静かに項垂れました。
「お二人に、ご提案があります」
わたしは、カテライクさんの用意した羊皮紙の呪文契約を書き換えました。
「アグラ系列ではなく、ンモン系列の呪文はどうでしょう。
これは、精神同調呪文です。体の一部に呪印を施し、それが触れ合ってる間、感情や感覚、思考さえも触れ合わせることができます。
……どんなに親しい中であっても、剥き身の心の中は見せたくないもの。
だから、この呪文を使う人は滅多にいません。呪文の行使にも、お二人による強固な契約が必要です。
でも――恐縮ながら申し上げれば、わたしはお二人なら、心の交感を楽しむできると思っています」
お二人は、少し顔を見合わせるとゆっくり頷きました。
「魔術契約はお任せ下さい。
これはわたしのお師匠様の受け売りですが――回春魔術師は、その本質は契約魔術師なんです。
『人間の生み出した最古の契約こそが結婚――人生と性を共にするという約束である』
そう、わたしたちは考えています。
――お二人とも、手のひらを出して頂けますか?」
握りあっていた右と左の掌に、魔力を籠めたペンで魔法陣を描きます。
「この二つの魔法陣を重ねている間、お二人は互いの心を同調することができます。
呪文の深度は二小節、効果期間は一週間です。始めますよ――」
大きく息を吸い、呪文を紡ぎます。
「愛と豊穣の女神ロエスよ、この仲睦ましき夫婦に、合わせ鏡の如く心を映す、一時の魂の架け橋を与え給え!
――ヰ・ンモン!」
◇
二週間後、エオルーさんがお店の扉を叩きました。
「おかえりなさい、エオルーさん。ナンワカはいかがでしたか?」
「素敵だったわぁ。温泉は気持ちいいし、お料理はおいしいし」
「……それで、旦那さまとは?」
わたしは、こわごわと尋ねました。
エオルーさんは顔をしわくちゃにして笑いました。
「聞いてちょうだい、結局あの人、できなかったの。やっぱりもう齢には勝てないわよね。
……でもね――手を繋いでいると、あの人が私の為に頑張ろうとしてくれてる心が伝わってきて、胸がホカホカに熱くなっちゃった。
こんなのは何年ぶりかしら
あ、勿論これは、あの人には内緒よ」
彼女は、ころころと少女のように笑って、そっと私の手を取りました。
「ありがとうポコアさん。あなたにもいいご縁があるといいわね」
そう言って、エオルーさんはわたしに焼き立てのアップルパイをくれました。
――今日もフェネチル媚薬店は開店休業です。
借金を返す見通しは立ちません。
それでも――。
「よし、秋晴れのいいお天気。
明日は、ムマシ捕りにでも出かけましょうか!」
わたしはアップルパイを食べながら、次のお客様を想うのでした。
続く。