第1話 いらっしゃいませポコアのお店
『フェネチル媚薬店は、ダルアト森の入り口にある、小さなお店です。
赤い屋根に灰色の煙突、フクロウの風見鶏を目印にお越し下さい。
勃起不全に性欲減退、生理不順に不妊治療、他の誰にも相談できない夜のお悩みは、一級回春魔術師のポコア・フェネチルにお任せを。
大事なお客様の秘密は誰にも漏らしません。あなた独りで悩まないで、どうぞフェネチル媚薬店においで下さい』
広告のチラシは沢山配りました。友人の経営する書店や魔道具店にも、宣伝コーナーを作ってもらいました。
机の上には『祝・開店』とメッセージが添えられた花束が、大きな花瓶からはちきれんばかりに身を乗り出しています。
花束の百合の香りが、つんと強く香りました。
わたしのお師匠さま曰く、
『自分の店を構える時は、一国一城の主となる心づもりで』
その教えに従って、扉も壁もテーブルも、ドアノッカーまでも頑張ってピカピカに磨きあげています。
お客様には愛嬌が一番。鏡に向かって、もう一度微笑んでみます。
うん、大丈夫。髪は赤い癖っ毛だしそばかすはいつまでたっても消えないし、背は全然伸びなくて友人にはちんちくりんと笑われるけど――
それでも、わたしは今日からこの店の店主なのですから。
からん、と遠くで鳴子の音が聞こえました。
誰かがこの店に近づいている証です。きっと、初めてのお客様。
わたしは、店の外の気配に耳を澄まし、固唾を飲んで扉を見つめます。
程なくして、分厚いオークの扉に設えられた、特注のフクロウの形のドアノッカーが、規則正しく二回鳴りました。
わたしはどきどきしながら外開きの扉を開きました。
「ようこそフェネチル媚薬店へいらっしゃいました! どうぞ中にお入り下さい!」
立っていたのは、ちょっと小柄の、ぽっちゃりした可愛いおばあさんでした。
「ごめんくださいね、あなたがポコアさん?」
「はい、わたしが当店の店長、一級回春魔術師のポコア・フェネチルです。
当店の店長なのでよろしくお願いします!」
緊張しすぎて、当店の店長と二回も言ってしまいました。
「あらあら、可愛らしいのね」
おばあさんはしわくちゃな顔で瞳を弓にしました。
もしかして、わたし媚薬店の店長として似つかわしくない、と思われているのかもしれません。
回春魔術師は、ボン・キュッ・ボンッって体形をした、大人の色香のあるお姉さんだと思っている人がこの世には多いのです。
……まあ、わたしのお師匠さまも、まさに誰もが回春魔術師としてイメージするような砂時計型のグラマラスな体の持ち主でしたけど。
おばあさんは、困ったように頬に手を当てました。
「ごめんなさいね。私、もうこんなおばちゃんなのに、こんなお店に来るのは初めてなの。
だから、何にも分からなくって。
でも、素敵なお店ね。年甲斐もなくドキドキしちゃうわ」
初めてのお褒めの言葉に、かあっと頬が上気します。
「はい! 当店では、回春魔術による施療、媚薬や霊薬の処方、夜のお悩み相談、性魔道具や魔導春画の販売まで、諸々承っております。
何でもお気軽にごそうだんくだしゃい!」
格好いいセールストークを並べようとして、台詞を噛んでしまいました。
回春魔術師の営む媚薬店に訪れるお客様は、艶盛りの方々ばかりではなく、ご年輩の方も決して珍しくありません。
勃起不全や性欲減退は中年以降の方々にとって切実な問題ですし、旦那様を亡くされたご婦人が、亡き旦那を思われて特注の性魔道具の依頼にいらっしゃることもよくあるのです。
このおばあさんは、きっとこれまで円満な夜の生活を営まれてきたのでしょう。
本日は、一体何をお求めなのでしょうか? お師匠さまは、媚薬店を長く営んでいると、お客さまのお顔を見れば欲するものは大体当てられるようになる、と言っていましたが、わたしはまだまだその域には及びません。
楽しそうなその横顔には、夜のお困りごとを抱えている方の暗さを伺うことはできませんでした。
おばあさんは、少し困ったように首を傾げました。
「ごめんなさいね、ポコアさん。
私たちが来るのは、本当は明日なの」
「?」
わたしも、つられて首を傾げました。
「明日もう一度、今度は私と主人が二人でこのお店に来るわ。
その時――今日私がこのお店に来たことは、主人には内緒にして欲しいのよ。
そして、主人の言うことに反対して欲しいのよ。お願い、できるかしら?」
おばあさんには何か秘密がありそうです。
わたしは曖昧な表情で頷くことしかできませんでした。
◇
おばあさんが帰られた後、わたしは彼女のご依頼がどういう意味か考えていました。
明日一緒にいらっしゃるというおばあさんの旦那様は、どんな方なのでしょうか。
おばあさんのお歳から考えるに、多分かなりのご高齢。腰が曲がったよぼよぼのおじいちゃんかもしれません。
きっと、夜の営みもかなり厳しくなっているお歳でしょう――
そんなことを思っていると、またドアノッカーが鳴りました。
先ほどよりも、重々しく力強い音でした。
開店早々二人目のお客様とは、ツイています。これも友人たちに宣伝を頼んだお蔭でしょうか。
「失礼。フェネチル媚薬店というのはこちらかね」
立っていたのは――白いシャツに高級そうなギンガムチェックのネクタイを締め、紫のベストを着込んだ銀髪の老紳士でした。
きっとそれなりのご高齢にも拘らず、天から吊ったように真っ直ぐ伸びた背筋と、オールバックに整えた総髪は綺麗なロマンスグレイ。
整えられた顎鬚からもセンスの良さが伺えます。
老紳士は、洗練された仕草を手を差し伸べました。
握手を求められたことに一拍おくれたわたしはすまし顔を取り繕うのも忘れ、えへ、えへ、とだらしない笑いを浮かべてその手を握り返しました。
「私はカテライクというものだ。明日、妻のエオルーともう一度こちらに伺う予定だが、その前に妻に内密にお願いしたき義があって参上した」
落ち着いたバリトンの低い声! なんて素敵なイケオジ! これがさっきのおばあさんの旦那様!
よぼよぼのおじいちゃんなんて思ってごめんなさい! 文句なしです!
胸中で失礼な想像をしていたお二人にペコペコと頭を下げました。
でも、何より気になったのは、
「奥様に内密でのご相談というのは、一体なんでしょうか?」
「明日、私はこちらに伺い、正式に回春魔術による施療処置をお願いと思っている。
だが、残念なことに妻は晩熟でね。どうやら回春魔術をいかがわしいものだと不審に思っているようなんだ。
だから、前もってお願いしておくが、妻が反対しても私に賛成して説得して欲しいんだよ」
先ほどのおばあさんと、正反対のお願いでした。
一体、どう答えればいいのでしょうか?
「頼めるかね?」
「は、はぃ、勿論です! ポコア・フェネチルにお任せ下さいっ!」
ああっ! しまった! カテライクさんの圧に負けて、反射的に頷いてしまいました!
押しに弱いのがわたしの欠点だとよく言われます。
明日は、一体どうなってしまうのでしょうか……?
続く。