1-7 ファーストステイ(1)
6月のとある木曜日。
マキとユウタは、DJスクールに通い始めて、きょうで2回目になる。
2週間ほど前に二人は体験レッスンに行ってきた。
レッスンの内容も講師の対応もよかったので、体験レッスンの後に二人で相談して入会を決めた。
このスクールはマンツーマンレッスンとなるので、マキとユウタはそれぞれ別々の時間にレッスン時間を予約して受講している。
とは言っても、たとえばユウタのレッスン時間の次の時間にマキがレッスン時間を取る、など、できるかぎり二人は連続した時間にレッスンを取り、レッスンが終わった後は必ず会って情報交換をするようにしている。
そんなわけで、きょうも二人はレッスンが終わった後に待ち合わせて、スクールからほど近い、心斎橋の地下街にあるカフェで情報交換をしていた。
「……で、ミックスしていくときのイコライザーの動かし方、マキもやったよな?」
ユウタが尋ねるとマキは答えた。
「やった。
……やったけど、まだいまいちようわかってへんわ。
とにかく、プロDJってこんな細かいレベルでイコライザー動かすもんなのやなー、って驚きのほうが大き過ぎて……。
なんで、まだだいたいしかおぼえてへん。
まだまだ練習が必要やわ」
「そっか。
オレもパーフェクトではないけど、それでもほぼ、わかった感じかな」
「……すごいなユウタ。
やり方、あたしにも教えてくれへん?」
「次の曲を入れるときに、ビートを合わせられたらそこでLOWのつまみを左にいっぱいにひねって、それからMIDを10時方向あたりにして……」
ユウタは口頭で一生懸命説明するが、なにぶん機材が目の前にないので、おたがい頭の中で想像しながらの確認になってしまう。
「……あーあ、やっぱ実際にミキサーかコントローラーあったほうがええな……」
マキがソファーにもたれかかって両腕を投げ出しながら言う。
「確かに……」
ユウタも同意した。
そして、少しの間沈黙していたが、ちょっと躊躇する様子で言った。
「……なあ、マキさ、今度の土曜日空いてる?」
「ん?
空いてるけど……なに?
復習の続きするん?」
「ああ。
……というか、土曜日、オレんち来ないか……?
うちならコントローラーもあるし、そのほうが話が早い……」
ユウタはちょっと恥ずかしそうに目をそらして言う。
マキはそのユウタの様子を見て、意味を理解した。
「……あ……。
……ああ、うん……だいじょうぶ……。
行けるよ……行こっかな……」
マキも顔を赤らめて、おずおずと話す。
ユウタは目をそらしたまま、それでもさらに続けて言った。
「……それなら……せっかくやし、泊まって行かんか……?」
「……あ……うん……そうしよっか……」
二人のぎこちない会話が続く。
「……マキは、曲入れたUSB持って来ればいいよ。
……着替えとか……寝るときに着るもん……持って来てくれれば、それだけで……。
……歯ブラシとかも用意できるけど、いつも使ってて気に入ってるのとかがあればそれ持って来てもらってもええし……。
……それと……コップとかタオルとかは、こちらにあるから……」
マキはなんだか頭がぼうっとなってきて、ぼんやりと考えた。
……そうやな……。
……泊まるとなれば、当然そういうことになるわな……。
そして、どもり気味にことばを返す。
「……ん……うん、わかった……」
「……うちの最寄りの駅、知ってるよな?
堺筋線の天下茶屋」
「う、うん、知ってる」
「駅まで迎えに行くよ。
着いたらLINEくれれば……。
……ええと、待ち合わせ、何時にしようか……?」
ユウタは口ごもり気味ではあるが、それでも必要なことをてきぱきと順序よく尋ねてくる。
マキも、がんばってちゃんと返事を返した。
「……ん、ん……えーと……。
午後2時くらいとかで、どう?」
「あ、ああ、わかった……。
……じゃ午後2時に、天下茶屋駅で待ち合わせにしよう。
改札ひとつやから、そこで……。
……途中にスーパーあるから、食べ物とか、要るもん買って行こうか」
「うん、わかった……楽しみにしてるわ……」
マキはそう言ってから、自分の言った言葉が含む意味に気づいて、ハッとなった。
そして、いっそう恥ずかしくなってうつむいた。
ユウタは、それに気づいているのかどうか、
「……おう……オレも……」
と、こちらも恥ずかしそうに口ごもりながら返した。
その様子を見ていたマキは、
……きっと、ユウタも恥ずかしいんやな……。
と思うと、少し恥ずかしさがやわらいできた。
そして、ユウタの腕を取った。
「ねえ……。
ユウタが誘ってくれて、あたしすごいうれしい……」
ユウタも、マキの手を握り返した。
「……よかった……。
オレも……」
今度はマキを真っすぐに見ながら、明るい表情で答える。
二人はお互いの顔を見て、くすっと笑い合った。
その後はたわいのない雑談になった。
そして二人は、カフェを後にして別れた。
マキは自分の家に帰り着いて、部屋に入るや否や、
「……あー、もう恥ずいー!
あたし、なに口走ってるんやー!!
……恥ず過ぎて、死ぬわー!!」
と一人で叫んだ。
そのままへたり込むように床に座って、顔を赤らめたまましばらくぼーっとしていた。
するとスマホが、ブッ、と鳴った。
ユウタからのLINEだ。
メッセージの内容はこうだった。
<土曜日マキが来てくれるの、すごいうれしいよ
せっかくやから、オレが夕食作ろうと思う
たいしたもんじゃないけど、パスタでも作ろうかな、って思って
たとえば、ミートとアボカドのトマトソースパスタとか、どうやろう?>
マキは、思わず笑顔になった。
ひとりで、えへへっ、と笑う。
さっそく返事をポチポチと打った。
<全然、オッケーです!
ユウタの手料理、すっごーい楽しみ!>
マキがそれを送信すると、2~3分ほど経っただろうか、再びユウタからLINEが来た。
<それから……これ、言いにくいけど、言っとかなきゃと思って……
コンドーム、ちゃんと用意しとくから……>
マキは、はっ、としてまたいっそう赤くなった。
そりゃそうやな……。
そういう流れになれば当然、そうなるわな……。
でも、マキはそれと同時に心にあたたかいものを感じて、こう返信した。
<ありがと
オッケーです♡
ユウタ、いつもあたしのこと、ちゃんと考えててくれてるね
……とってもうれしい♡♡>
そして、スマホを両手で握りしめながら、天井を見つめた。
するとまたユウタからひとこと、返事が来た。
<照れる
ありがとな、マキ>
マキは、そのユウタの言葉をじっと見つめた。
そして、スマホをまるでお守りででもあるかのように、再び両手でしっかりと握りしめるのだった。
***
土曜日。
約束の日だ。
午後2時ちょっと前、マキは天下茶屋駅に着いた。
ここに来るのは初めてだ。
大阪メトロ堺筋線のホームから階段を上って、マキは改札のほうを見た。
もうユウタが立っていた。
そしてマキを見つけると、笑顔で手を振った。
マキも笑顔で手を振って改札に駆け寄り、切符を通して出る。
ユウタの服装は、黒地にジャズ・トランぺッターのアルバムジャケットデザインをプリントしたTシャツの上に、白のボタンシャツ。
紺のデニムとVANSのベージュのスニーカーは、いつもよく履いているものだ。
マキは、白地に紺のボーダーが入ったTシャツの上に、ライトグレーのフルジップスウェットパーカーを着ている。
そしてライトイエローのデニムスカート、グリーンのショートソックスに、ナイキのグレーのスニーカー、という服装だ。
ユウタが声をかけた。
「おう。
いらっしゃい」
マキがはにかんだ笑顔で返す。
「えへへ、来たよ」
「うん。
天下茶屋に、ようこそ。
ま、ぱっと見、あんま柄のいい街じゃないけど、これでも意外と便利な街なんやで」
「うん。
Google Mapで見たけど、スーパーとかお店、けっこう多いんやね」
「そう。
だから買い物には不自由しない」
ユウタはマキといっしょに駅を出ると、近くのスーパーへと歩いた。
ユウタがマキの姿を見て言う。
「めずらしいな、スカート」
「あっ、えへ、まあねー。
たまには、と思うて。
……せっかくユウタんち行くんやし」
「……めっちゃ似合ってる。
可愛い」
言いながら、ユウタは顔を赤らめた。
マキも言われて顔を赤くする。
「……あ、ありがと……。
う、うれしいわ……」
二人はゆっくりと歩きながら話した。
マキがユウタに尋ねる。
「……そもそも、なんでユウタは天下茶屋を住む場所に選んだん?」
ユウタは顎に人差し指と親指をあてて、思い出すしぐさをしながら答えた。
「……えーと、まず、大学に受かった時点で、大学に近くて、交通の便がよくて、しかも比較的安いところにしたいと思った。
それで、複数の候補が挙がったんだけど、日本橋、今里、この天下茶屋が最終候補になった。
実際にいくつかのマンションを内覧して、条件とかも比較して、で、結局いまのところにした」
「へえ。
あたしは、多少遠くても街の雰囲気を重視やな、と思うたから長居を選んだんだけど、確かにお店もいっぱいあったりとか、便利さではこのへんもいいかもね。
交通の便もいいし」
「長居はきれいだし雰囲気ええからなー。
マキには長居のほうが全然合ってるやろ。
……ま、オレは多少薄汚れてても、ここは便利だし、まあいいか、って感じかな」
「ふふっ、まあね」
二人はスーパーに着いた。
「へえ、けっこうデカいね、このスーパー」
「そう!
薬局もケンタッキーも入ってるし、けっこうなんでも買える」
「そなんや」
中に入ったとたん、マキのテンションが上がる。
「すごーい!
すごいすごい、中、めっちゃ広いやん!!」
二人はゆっくり店内をめぐりながら、夕食用の食材や食べたいものを選んでいく。
「お菓子、なんか食うよな?」
ユウタが尋ねるとマキは、
「食う食う!
食うに決まってる!!」
そう叫びながら、お菓子売り場を端から端へと、丹念に見ていく。
「ねえねえ!
ユウタ、生菓子も見ようよ!!」
「……マキ、テンション上がり過ぎやぞ」
ケーキ、シュークリーム、プリンと、冷蔵ケースの中をうれしそうに順々に眺めていくマキは、とっても幸せそうだ。
ユウタはそのマキの様子を見ていると、自分も幸せな気分になった。
「……ユウタ!
これ、このへんのケーキ、どれもほかのスーパーで見たことないわ!
……こん中から、どれか買って行こ!!」
「……ほいほい」
とりあえず食材や食べ物をひととおり買って、二人は店を出た。
「……買い物、楽しかったねー。
ユウタんとこは、こんな大きいスーパーあっていいなあ」
「ああ、まあね。
……しかし、マキもいろいろ買ったよなー。
そんなに食えるのか?」
「食えるよー。
別腹、別腹!
それに、食べるのは人生最大の楽しみのひとつやもん!」
「そやな。
それはまちがいない」
ユウタはそう言って、ふふっ、と笑った。
二人はユウタの住むマンションに着いた。
ユウタが部屋のドアの鍵を開ける。
「ただいまー。
どうぞ入って!」
「へえ、これがユウタの部屋か……。
おじゃましまーす」
マキを先に入れると、ユウタは自分も部屋に入ってドアを閉めた。
マキは、入るなり部屋の中を見渡すと、思わず叫ぶ。
「え?
……なにこれ、すっごいきれいやーん!
すごい片付いているし、整ってる!
……ユウタ、すごいすごい、すごいよこれ!」
「ちょ、そんなに騒ぐな。
……ま、オレ、東京からこっちに物をそんなに持って来てないしな。
持ちものが少ないからきれいに見えるだけやと思うぞ」
「ははあ……。
ミニマリスト、ってやつやな?」
と、マキは顎にこぶしを当てて、ふんふん、とわかったようにうなずいている。
「なんやその言い方。
……まあ、確かにオレにはミニマリスト的傾向があるのは認めるよ」
「あ!
コントローラー、あたしと同じのあるー!」
とマキが指さして言った。
その指の先には、DJコントローラーPioneer DJのDDJ-FLX4が、長テーブルの上に乗せられて置いてある。
「うん、そうや。
いつもイベントに持って来てるし、こないだのトラブルのときにマキも使ったやろ?」
「そうや。
そうやった。
……FLX4さん、その節はたいへんお世話になりました」
そう言うとマキは、コントローラーに向かって、ちょこん、とお辞儀をした。
ぷっ、とユウタは吹き出した。
「おもろいなマキは!
なんでおまえは、いつもそんなおもろいんや!!」
「え、なんでー?
だって、実際すごいお世話になったやん!」
「ま、確かにそうやけど……」
そう言うと、ユウタはまた爆笑した。
ユウタとマキは、そんな漫才問答をしばし続けていたが、やがてユウタがマキをバスルームの洗面台へと案内した。
「はい、マキ、手洗ってうがいしてやー。
あ、マキのコップ、ここにあるから自由に使ってええぞ。100均のやけど」
「はーい、ありがと。
100均ので、じゅうぶんじゅうぶん」
ユウタは手を洗ってうがいを終えると、買った物をエコバッグから取り出して、冷蔵庫に入れたり戸棚に入れて片づけたりしていた。
そしてマキに向かって言った。
「あ、パソコンの電源入れてあるから、Spotify起動しとこうか。
好きなもん、聴いていいぜ」
「うん、ありがと!」
マキはユウタが片づけをしている間、SpotifyでJ-POPやジャズを聴いたりしていた。
しばらくするとマキは、ビル・エヴァンスを流し始めた。
それを耳にして、ユウタがマキに尋ねた。
「マキ、ビル・エヴァンス好きか?」
「うん、好き。
……もともと父親が好きでね、家にCDがあったの。
それをあたしもよく聴いたねん。
あたし小学生のころ、ピアノ習ってたからさ、モーツァルトとか練習曲をやるのに飽きると、気晴らしにこういうの弾いてみようと思って、"Waltz For Debby"耳コピして弾いてみたりしてた!」
「え!
小学生でビル・エヴァンスをコピるとか、そんなのふつうできるか!?
マキ、すごくないか?」
「そうなんかなー。
……もちろん、まだ小さかったからテキトーやったし、あちこちまちがってたと思うで。
でも、あの頃のあたしには、これを弾くのが楽しかった。
やがて父親が離婚して家にいなくなったけど、CDは置いていったねん。
そやから、その後もずっとあたしはそのCDを聴き続けたんよね。
中学生になっても、高校生になっても……。
いまはもうピアノを弾かなくなったけど、いい思い出。
ビル・エヴァンスはさ、そんなあたしの思い出の音楽やねんな……」
こんな何気ない話の中にも、マキの少女時代の複雑な家庭環境が重なってくる。
ユウタは、それを聞いていて、ちょっと切なくなる。
「お待たせー。
片付け、終了ー。
ちょっと一休みしていいいか?」
「もちろんー。
疲れたっしょ?
ゆっくりしていいよー」
「一休みしたら、DJレッスンの件やるか」
「その前にー、せっかく買ったおやつ、食べへんー?」
「食いしん坊やな、マキは。
ええよー。
オレも小腹減ったし」
「結局ユウタも同じやん!」
二人で笑って、ユウタが冷蔵庫からプリンを取り出した。
マキとユウタはTVを観ながら、プリンをいっしょに食べた。
マキが言った。
「こんな時間にTV観るの、あんまないから新鮮やな」
ユウタがうなずいて同意した。
「確かに。
……どうせあんまおもろい番組、やってないけどな」
「でも、それがええと思わん?
ユウタと、つまらん番組観るってのが、乙!」
「……また、マキのわけわからん趣味が始まったな」
「えへへへ」
二人はプリンを食べ終わった。
マキが後ろの床にに両手をついて声を上げる。
「あー、プリンおいしかったー!
もー、これ食べるためだけに毎日ユウタんち来てもええわー」
「おいおい」
そして二人は、ユウタの家に来た本来の目的、DJスクールレッスンの復習に取りかかった。
DJコントローラーとノートPCが置かれた長テーブルを前にして、PCに近い左側にマキが、右側にユウタが座って、二人で手順を確認していく。
「……で、曲のグリッドが合ったら、こうやってLOWを左いっぱいに切って、MIDは8時方向あたりまで切って……」
「うんうん……」
「……で、こうやって、4小節ごとに10分ぐらいずつ上げていくんや」
「……あー、そうか!
うん、確かにきれいにミックスされてってる感じに聴こえるわ」
「そやろ。
で、フェーダーをいっぱいに上げたところで……」
二人は並んで、身体を寄せ合いながらミックスを交代でやっていく。
集中していて気づいていなかったが、ふと、二人とも身体をぴったりくっつけていたことに気づき、急にお互いを意識した。
「あ……。
マキ、ごめん……」
「え……あ……。
だいじょうぶ、気にしてないから……」
「……そっか……」
二人とも、思わず赤くなる。
「……少し、休憩しよか……」
「……う、うん、そやな……」
15分ほど休憩した後、ふたたびしばらく練習を続けた。
気がつくと、夕方6時を回っていた。
ユウタが立つと言った。
「そろそろ夕食作るか。
……マキ、好きにしててええぞ。
パソコンの中のDJ用トラック、聴いてもらってもええし」
「あ、そうするー!
ユウタの持ってるトラック、あらためて聴きたいと思ってたんやー!」
マキはうれしそうに、DJソフトの画面のライブラリを見ながら、興味ありそうな曲をロードしてコントローラーから音を出した。
ユウタはその様子を見ていて、思わず笑顔になる。
そして、エプロンをつけて夕食の準備に取りかかった。
マキは、しばらくDJソフトからいろいろな曲を聴いていた。
やがて、ユウタの作る料理の匂いがただよってくると、思わず叫ぶ。
「すごい、いいにおいするー!!
わー、楽しみぃ!!」
ユウタは、フライパンの上でパスタとソースをからめながらマキに言った。
「もう少し待ってな。
あと10分ぐらいでできる!」
やがて、テーブルの上にサラダ、オレンジジュース、アップルジュースと並べられていく。
そして最後に、ミートとアボカドをトマトソースでからめたパスタが、大皿に盛られて運ばれてきた。
「わー!!
すごーい!
おいしそー!!」
「お待たせー。
ま、お好みに合うかわからんけど、材料はそこそこいいものやで」
「もう、見てるだけでおいしそうや!!
絶対うまいに決まってる!!」
マキが両手を組んではしゃぐ。
ユウタが冷静にマキに言った。
「じゃ、いただきましょうか」
「はい!
じゃ、いっただっきまーす!」
二人は両手を合わせて礼をすると食べ始めた。
「ん?
んー!
おいしいー!!
すごい、すごいすごい、なにこのおいしさ!?
ユウタ、やっぱり天才じゃね?」
ユウタは照れ笑いした。
「天才ちゃうわ!
ほめ過ぎや」
しかし、マキのほめ攻撃は止まらない。
「いや、このアボカドもすごいおいしいけど、ミートの炒め具合、サイコー!!
パスタのゆで具合も完璧やん!
やっぱユウタ、すごいすごい!
ユウタさまさまやわ!!」
自分の作った料理をこんなに喜んで食べてくれるなんて、うれしいな。
ユウタはそう思った。
そして、マキといっしょに暮らしたら毎日の生活はさぞや楽しいものになるだろうな、と想像した。
すると、マキがひとりごとのようにこうつぶやいた。
「……もしユウタとさ、いっしょに暮らしたら、楽しいやろね」
ユウタは吹き出しそうになった。
「それ、オレも思ってたぞ、いま」
「え?
そうなん?
またあたしら、気が合った……?」
そう言って、マキが赤くなった。
ユウタはやさしい笑顔でマキに答えた。
「そのようやな。
あははは」
食事の時間は実に楽しかった。
食後のデザートに、ユウタがリンゴを剝いてくれた。
マキはまた静かにつぶやいた。
「なんかユウタ、まるでお母さんみたいやね……」
ユウタはまた吹き出しそうになった。
リンゴを食べながら、ユウタが尋ねた。
「マキ。
マキが髪を青く染めるようになったのって、いつからなん?」
マキはリンゴをかじりながら答えた。
「あー、高校2年のときからやな」
「染めた理由、ってあるんか?」
「あー、まあ、あるけど……。
そや、せっかくやから、ユウタに当ててもらお!
……さて、あたしが髪を青く染めた理由はなんでしょうー?」
「え……。
んー、痴漢を避けるため?」
マキはうれしそうに笑って言った。
「半分ピンポーン!
半分は当たってます。
さすがユウタ、心理学専攻してるだけあるね。
そう、それもある」
「じゃ、あとの半分は?」
マキは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「なんだと思う?」
ユウタは天井を見上げながらしばらく考えていた。
「んー……わからないな。
他人とちがう風にしたかった、とか……」
マキが妙に自慢げな様子で答えた。
「正解言おか。
えっとね、すごーく雑に言うとね、要するに、グレた、ってこと」
「グレた?」
「そう。
高校のときにね、あたし片親やったから、クラスでいじめられたりして、いろんなことがやんなっちゃったんよね。
それと、中学ぐらいになってから、電車に乗ってもよく痴漢に遭ったりして。
そんなこんなで、だんだん、クラスのふつうの子たちとの付き合いから離れていってな。
そんで、クラスで成績が悪い、落ちこぼれって言われてる子たち、つまり『不良』って言われてる子たちとのほうと仲良くなってったの。
でも、そういう子たち、なんであたしを受け入れてくれたのかな。
よくわからないけど。
あたし、勉強はできたから、なんかその子たちに、勉強教えてくれ、って始終せがまれるようになって。
これって、ちょっとふつうの不良同士の付き合い、って感じやないよね?
ヘンやったな、あの子たちとあたしとの関係は。
それでも、よくその子たちと神戸の街に遊びに行ったりはしたよ。
夜の公園とか、たまにカフェとかファミレスに行って。
遅くまでしゃべったりして。
あれは楽しかったなー。
でね、そういう子の一人と話してて、あたしが、
『電車で痴漢されることがよくあって困ってる』
って話をしたら、その子が、
『あー、それなら髪を青とか黄色とかに染めるといいよ。
そしたら痴漢来なくなる』
って教えてくれて。
まあ、それまではあたし、周りにはまじめでふつうの子って感じで通ってたから、すごく悩んだんやけど。
母親がどう思うかな、ってのもあったし。
でも、一晩考えて、えーい、いいや、って決心した。
その週末、美容室に行って青く染めちゃったの。
それ以来、ほんとにぴったりと、電車に乗っても痴漢されなくなった。
ほんまや、ってびっくりしたよ。
……それが始まり」
ユウタは、黙ってマキの話を聴いていた。
そうか、そんな経緯だったのか。
マキは淡々と話し続けた。
「結局、その後も母親にはなにも言われなかった。兄にもね。
あんまりあたしを刺激しないように、気い使ってたのかもね。
前にもユウタに話したかもやけど、兄は、あたしの大学行くための資金も積み立ててくれた。
こんな、髪青く染めて不良たちと付き合うてる妹が、大学には当然行くものと思ってたみたいで。
なんでやろね?不思議やわ。
ま、あたし自身も大学行きたいと思ってたし勉強がんばったんで、実際にこうして行けたわけやけど。
……とにかく、こんなんが、あたしが髪を青く染めた経緯。
髪を青く染めるって、髪を脱色しないといけなくって、染めるたびにそれをしなきゃいけないんで、けっこうめんどくさいんよ。
でも、高2のときからずっとやっててもう習慣になっちゃってるから、いまさらやめる気にもならなくて、そんでいまだに続けてる。
その付き合ってた不良の子たちとは、あたしが大学入ったのを境に、縁が遠くなっちゃって。
あたしから連絡を取ってないし、向こうからも連絡来ないし。
でもね、いまでもあたしは感謝してる、あの子たちに。
あの子たちがいなかったら、あの頃のあたしはどうなってたか、わからない。
そんぐらい、あの頃のあたしはいろいろと精神的に行き詰ってたから……。
あたしはあの子たちに助けられたんよね、いろんな意味で。
……そやから、あの子たちがどこかで元気にしてればいいなー、って、いまでも思ってるよ」
マキはそこで話を止めた。
ユウタが、そっと触れるように話しかけた。
「……マキは、やさしいな」
「え、あたしが、やさしい?
……そんなこと、考えたこともなかったけど……」
「マキは、すごく思いやりがあって、すごくやさしいよ。
人に対して先入観なしに、分け隔てなく付き合える。
それがマキの、すごくいいところや。
前から、ずっとそう思ってたけど。
……マキが福祉に興味があるってのも、それと関係あるのかもしれんよな」
「……あー、そうかもね。
……結局のところあたし、アウトサイダーやしマイノリティーやからね。
不良の子たちに共感持てるのも、障がいある人を助けたいって思うのも、きっと彼ら彼女らと同じところがあるから、ってことなんかな……?
……それに、クラブとかハウスとかが好きになってDJやってるってのも、そういうことなのかも」
そう言ってマキは、すっとひと息吸うと、ユウタに尋ねた。
「……ユウタは、高校のときどんな子やったん?」
「オレか?
……オレは、まあ平凡な高校生やったと思うよ。
東京の都立高校で、そこそこ偏差値が高いほうの高校ではあったけど、そんなに難関校っていうほどでもないし。
オレ自身も成績は悪いほうではなかったと思うけど、けっこう遊んでたしそんなに優等生じゃなかった。
ま、よくいるありふれた高校生さ。
……ただな、こんなことがあった。
そこそこ仲がよかった友だちがいたんやけど、そいつが高2のときに突然、死んじまった、自殺で」
「え?」
マキは驚いてユウタを見つめた。
「街中のビルの屋上から飛び降りてな。
ご両親は遺書はなかった、と言っていた、本当のところはわからんけど。
親友っていうほど深い付き合いというわけではなかったけど、まあ時々会っていろんな話をしたりはするぐらいには仲がよかった。
でも、だれにも悩みを打ち明けることもなく、だれにも悩んでいるそぶりを見せることもなく、突然自ら命を絶ってしまった。
そのことに、すごくショックを受けた。
どうしてなんだろう、って思った。
そのときからや。
人の心ってどうなってるんやろう?
どういう仕組みなんやろう?
そんなことを考えるようになって。
それで、心理学や精神医学の本を読み始めて、高校の先生に心理学を勉強できる大学と学部ってどこか、って教えてもらったりしてな。
で、第一志望の大学は東京の大学やったけど、そこは受験で落ちて、第二志望がこの大阪の大学。
……オレがこの大学の心理学科に入ったのは、そんな経緯さ」
マキは黙ってユウタの話を聴いていた。
そして真顔でこう言った。
「……そうなんや。
ユウタが心理学専攻な理由、そういうことやったんや……。
全然知らんかった……」
マキは心を打たれたように、ユウタを見つめていた。
ユウタはそのマキの表情を見て、あわてて言った。
「……いや、こんな重い話をするつもりじゃなかったんだけど。
ごめんな」
「ううん。
全然謝ることないよ」
「この話はいままで大学のだれにもしてない。
アズミにもね。
マキが初めてや」
「ありがとう。
ユウタが大事な自分の過去の話をあたしに教えてくれて、あたし感謝してる」
「うん。
……でもな、こうも言えると思ってな。
その友だちがいたから、この大学に入れて、マキにも会えた。
こういうの全部が、その友だちの導きなのかなって思うときもあるよ。
あいつから、
『おまえはおまえなりに、おれの分までいい人生送れよ』
って言われてるような気がして、な……」
マキもユウタも、しばらく沈黙した。
やがて、マキがユウタのDJコントローラーを見ながら、ささやくように言った。
「生きてるって、出会いって、不思議よね……」
ユウタもうなずいた。
「ほんまやな……」